機動戦士ガンダム BABEL CORE―第08MS小隊、シロー・アマダが見た「もう一つの一年戦争」と、ララァ・スンが名前を得る前の記録― 作:寝て起きたら異世界じゃなくて会議室だった
衝撃で床板へ叩きつけられ、腰の命綱が千切れかける。ララァは意識を失っていた。身体は熱く、しかし呼吸はある。細い胸が、かすかに上下している。
「戻った……」
クスコが呟いた。
その直後、バベルが泣いた。
音ではない。空間そのものが、耐えきれない孤独を発振した。川面が逆立ち、雲の穴が広がり、白い光柱の根元から黒い亀裂が走る。地下の巨大回路が、ララァという通路を失って自分自身の声を処理できなくなったのだ。
「臨界崩壊だ!」
マチルダの声が通信に割り込む。冷静さを装っていたが、そこには初めて隠しきれない恐怖があった。
「全機、即時退避! 村の住民を可能な限り西岸へ誘導してください! 光柱の半径内に残れば、物質崩壊に巻き込まれます!」
「可能な限り、だと?」
スレッガーが低く笑った。
「そういう言い方が一番嫌いなんだよ、俺は」
白い試験機は、今度は村ではなく光柱の外周へ向かった。退避路を塞ぐ光の帯を機体でかすめ、わざと粒子を引き剥がす。翼はさらに削れ、エンジンは片肺になった。それでも、光の裂け目が数秒だけ開く。
「走れ! 今だけ道がある!」
「右の機械はもう死んでる。でも左の柱は、まだ生きてる!」クスコが叫ぶ。その声に従って村人たちが進路を変えた直後、右側の床が白く抜け落ちた。彼女の聞き分けがなければ、避難路はそこで途切れていた。
シローはララァを抱えようとしたが、膝が崩れた。腕が動かない。さっき白い光の中へ置いてきたものが多すぎた。代わりにクスコがララァの肩を支える。
「わたしが持つ。お兄さんは立って」
「無理だ」
「無理でもやるんでしょ。兵隊さんなんだから」
それは皮肉ではなかった。信頼でもなかった。もっと単純な、目の前の人間を動かすための乱暴な祈りだった。
シローは立った。
西岸へ向かう板道は、ところどころ白く欠けていた。人々はそこを飛び越え、子どもを抱え、老人を引きずるように逃げる。長老は振り返り、崩れ始めた広場を見た。声の守護者を置いて祈ってきた場所。神と呼んできた穴。そのすべてが、白い粒子へほどけていく。
彼は何かを言おうとした。
だが、祈りはもう役に立たなかった。
ラルの青いザクIが、退避路の外側へ降りた。
ジオンの機体を見て村人たちが悲鳴を上げる。だがラルは銃を向けなかった。片腕で崩れかけた支柱を押さえ、もう片腕で泥にはまった小舟を引き寄せる。巨人が、人間のために道具になる。その異様な光景に、誰も言葉を失った。
「急げ。私は長く支えられん」
ラルの声は、味方にも敵にも向けられていなかった。ただ、そこにいる人間へ向けられていた。
ハモンのルッグンが西岸の低地へ着陸した。外板の半分は白く削れ、翼端は崩れかけている。彼女は操縦席から飛び降りると、避難してきた子どもを機内へ押し込んだ。
クスコと一瞬、目が合う。
今度、ハモンは手を伸ばさなかった。
ただ短く言った。
「生きていなさい」
クスコは答えなかった。ララァを支えたまま、歯を食いしばって前へ進んだ。
バベルの光柱が、さらに広がった。
白い円環が川面を走り、触れた小屋を跡形もなく消す。屋根も、壁も、生活の匂いも、昨日までそこにあった誰かの眠りも、粒子になって空へほどける。村は死んでいく。だが人間は、まだ走っている。
「アマダ!」
スレッガーの声が割れた。
「西へ抜けろ! 俺がもう一回、道を開ける!」
「中尉、やめてください! その機体じゃ――」
「聞こえねえな。通信状態が悪い」
スレッガーは笑った。笑うしかなかった。計器は死に、警告灯は焼き切れ、キャノピーの端には白い粒子が霜のように張りついている。機体はもう飛んでいるのではない。落下を、まだ飛行と呼び張っているだけだった。
それでも彼は、操縦桿を前へ倒した。
白い試験機が光柱の外縁へ突っ込む。機首が粒子の壁を裂き、翼が削れ、エンジンが咆哮ではなく悲鳴を上げた。開いた裂け目は細い。数秒で閉じる。だが数秒あれば、人は走れる。手を伸ばせる。誰かを押し出せる。
「行け、アマダ!」
その声に背中を撃たれて、シローは前へ出た。ララァの重みはクスコの肩にある。自分の足は半分しか動かない。それでも、彼は逃げ遅れた少年を抱え上げ、白い裂け目の向こうへ投げるように押し出した。
ラルのザクIが、崩れた支柱をさらに押し込んだ。青い装甲の表面が白く削れていく。巨人の指が砂のように崩れ、関節から火花が散る。
「ラル!」
ハモンの声が飛ぶ。
「もういい。そこまでよ。戻って!」
「まだ人がいる」
ラルは短く答えた。そこには武人の意地も、任務の名残もなかった。あったのは、目の前で潰れそうな小舟を支える腕の重さだけだった。
だがバベルは待たない。
光柱の根元から、黒い亀裂がさらに広がった。白いはずの崩壊に、初めて闇が混じる。地下の回路が焼け落ち、閉じ込められていた声が出口を失い、互いを食い破っている。共鳴場は制御を失い、空へではなく横へ膨張を始めた。
マチルダの回収艇が低く降りてきた。危険高度だ。機体下面から避難用ワイヤーが落ち、連邦兵たちが叫びながら村人を吊り上げる。軍用規格の手際は冷たく、だが今だけは命を拾うための冷たさだった。
「記録班、撮影を止めなさい!」
マチルダの声が鋭く飛んだ。
「これは研究対象ではありません。救助対象です!」
その一言で、シローは彼女を見直した。連邦軍人としてではない。マチルダ・アジャンという人間が、命令系統のどこかをその場で蹴り壊した音がした。
ララァが、クスコの肩でわずかに身じろぎした。
「まだ……泣いてる」
「聞くな」
シローは言った。命令ではなく、願いだった。
ララァは薄く目を開けた。焦点は合っていない。それでも、彼女はシローの声を探し当てた。
「わたし、戻れた?」
「戻った」
「じゃあ、今度は……起こして」
言葉の意味を問う前に、地面が沈んだ。
村の中央部が、丸ごと落ちた。床板も、祈りの柱も、長老が守ってきた祭具も、シローが最初に目覚めた小屋も、すべてが音もなく白い穴へ吸い込まれていく。残ったのは、川の上に開いた巨大な円形の虚無だった。