機動戦士ガンダム UC0078 ガンダム ZERO ララァが戦争の前に壊れた世界の話 ― BABEL CORE――   作:寝て起きたら異世界じゃなくて会議室だった

2 / 4
ガンジスの風

宇宙世紀0078年、11月。

 

戦争は、まだ始まっていないことになっていた。

 

だが地球圏の深層では、すでに戦争が起動していた。

 

艦隊配置。補給線。暗号鍵。偽装予算。軍事衛星の死角。

 

あらゆるデータが、音もなく殺意の形へ変換されていく。

 

インド亜大陸北部、ガンジス川上流域。

 

ここはインド管理区の地図上では、連邦の実効統治が薄いことになっている山岳辺境だった。統治が薄い場所には、隠すには最適の理由がある。

 

薄明の空を、1機の大型輸送機が低く滑っていた。IFFは連邦軍を示している。だが、尾翼の部隊番号は消され、航路記録は途中で切断されていた。

 

搭乗者名簿には存在しない人間が、1人だけ乗っている。

 

シロー・アマダ少尉。

 

士官学校を出たばかりのパイロットは、窓の外に広がる大地を見下ろしていた。雲の裂け目を、銀色の河が走っている。ガンジス。人類が軌道上に都市を築くよりはるか以前から、死者と祈りと生活を運び続けてきた古いインフラだ。

 

その河の下に、連邦軍は未来の失敗作を沈めていた。

 

輸送機が滑走路へ接地した瞬間、シローの身体は座席に押し込まれた。タイヤがアスファルトを焼き、機体フレームが低く鳴る。

 

窓の外にあったのは、聖地の風景ではない。迷彩ネット。半地下式管制塔。対空機銃。赤茶けた土嚢。砂塵に削られた兵士たちの無表情。

 

地図上では、ここは気象観測所だった。通信記録上も、補給記録上も、ただの空白だ。

 

だが格納庫の奥に眠る機体を見た瞬間、シローは嘘の精度を理解した。灰色の機首。折り畳まれた可変翼。腹部に露出するホバー推力ノズル。後にコア・ファイターとして結実する脱出救命思想を先取りし、コア・ブロック概念の初期研究を大気圏内の空戦へ無理やり接続した実験機。

 

それは、後のコア・ブースターや大気圏内モビルスーツ迎撃構想へつながる系譜の、まだ名前を持たない抵抗だった。モビルスーツの優位が確立する直前、航空機側が最後に差し出した未完成の解答でもあった。

 

後にV作戦が始動すれば、この系譜は打ち切られる。モビルスーツ迎撃は、モビルスーツで行う。それが軍の結論になる。だが今はまだ、航空機に未来があると信じていた技術者たちがいた。

 

後にV作戦が正式承認されたとき、この基地の存在は既にどの資料にも残っていなかった。連邦の航空迎撃系譜は、モビルスーツ迎撃はモビルスーツで行うという決定によって、静かに、しかし完全に切断された。その切断のさらに手前で、この試験機は空を飛ぼうとしていた。

 

美しいというより、危険だった。未来そのものが、まだ熱を持った刃になって置かれている。

 

「おいおい。新入りが来るとは聞いてたが、ずいぶん顔が硬いじゃねえか」

 

声は背後から飛んできた。シローが振り向くより早く、肩に重い手が乗る。

 

男は笑っていた。制帽は斜め。飛行服の前は規定より少し開いている。軍紀の外側で生きることを、わざと楽しんでいるような男だった。

 

だが目だけが違った。笑っていない。そこには、空で人を殺した者だけが持つ冷たい解像度があった。

 

「スレッガー・ロウ中尉だ。この空では俺が先輩で、あんたが後輩。階級より先にそれを覚えろ」

 

本来なら、この基地にいるはずのない男だった。配属記録は二度書き換えられ、飛行時間だけが異常に多い。紙の上では補給航空隊の応援要員。空の上では、明らかにそれ以上だった。

 

「シロー・アマダ少尉です。本日付で仮配属されました」

 

「仮、ねえ」

 

スレッガーは格納庫の奥へ顎を振った。

 

「ここに来た奴は、だいたい仮で来る。本当の理由を知らされる前に、帰れなくなる。運がよけりゃ生きて戻る。運が悪けりゃ、最初から存在しなかったことになる」

 

軽口のはずだった。けれどシローは笑えなかった。

 

スレッガーはその反応を見て、にやりと口角を上げた。

 

「いいね。その顔だ。怖がってる奴は長生きする。怖がらない奴は、離陸5分で神様に挨拶だ」

 

その日の午後、シローは基地の輪郭を叩き込まれた。正式名称は、地球連邦軍アジア方面軍インド区第七航空試験施設。

 

長すぎる名称は、だいたい隠したいものの量に比例する。

 

滑走路は1本。格納庫は3棟。地上設備は簡素に見える。

 

だが、地下へ向かうエレベーターだけは別物だった。防爆扉。3重認証。未知の研究徽章。壁面に埋め込まれた振動センサー。

 

兵器試験場にしては深すぎる。研究施設にしては、警備が殺気に寄りすぎている。

 

地下から、ときどき低い音が上がってきた。

 

耳で聞く音ではない。骨格に直接入力される振動。遠い雷鳴にも、巨大なサーバーの冷却ファンにも似ていた。

 

「聞こえたか」

 

スレッガーが横目で見る。

 

「地鳴りですか」

 

「公式にはな。地元の連中は神様の声だと言ってる」

 

「中尉は信じているんですか」

 

「俺は見たものしか信じない。だが軍人ってのは、見たくないものまで見せられる職業だ」

 

その言葉は冗談ではなかった。シローはそう思った。

 

夕刻、仮設指揮所でブリーフィングが行われた。任務内容は、高濃度ミノフスキー粒子散布下における新型航空兵器の機動データ取得。敵性勢力の接近可能性は低い。交戦規定は自衛に限定。

 

粒子存在は公表されていない。この試験そのものが、存在しないことになっている技術の、存在しないことになっている試験だった。

 

資料は完璧だった。完璧すぎた。嘘はいつも、整ったフォーマットで提出される。

 

マチルダ・アジャン少尉が到着したのは、日が沈んだ直後だった。

 

ミデア輸送機のエンジン音が、湿った夜気を震わせた。滑走路灯が点火し、機密コンテナが降ろされる。

 

タラップを降りてきた女性士官は、背筋だけで周囲の空気を切断していた。短い髪。迷いのない歩幅。補給部隊の士官というより、監査ログそのものが人の形を取ったようだった。

 

「相変わらず、遅刻はしないんだな」

 

スレッガーが先に声をかけた。

 

マチルダは一瞬だけ彼を見た。記憶と痛みが、瞳の奥で短く同期した。

 

次の瞬間には、表情は軍用規格に戻っていた。

 

「任務ですから。あなたと違って」

 

「へえ。まだ怒ってる」

 

「怒るほど暇ではありません」

 

会話は短い。だが2人の間を流れた沈黙のほうが、はるかに情報量が多かった。

 

マチルダはシローへ視線を移した。

 

「あなたがアマダ少尉ですね。補給部隊のマチルダ・アジャンです。試験機の予備部品と、地下研究区画への監査物資を搬入します」

 

彼女の任務は研究ではない。補給監査の過程で、機密計画の端に触れてしまっただけの士官だった。全貌は知らない。ただ、BABELという名称が通常の補給コードではなく、触れてはならない危険な札であることだけは知っていた。

 

本来なら彼女の階級で扱う荷ではなかった。通常補給の途上で、たまたま機密輸送の一部を割り当てられた。それが偶然だったのか、誰かが都合よく使ったのか、彼女自身にも判断できなかった。

 

彼女は正規のミデア機長ではなかった。補給監査任務のために臨時に割り当てられた機体で、機付士も別部隊からの応援だった。

 

「地下研究区画……ですか」

 

マチルダは答えなかった。ただ、滑走路の向こうに広がる暗い山影を見た。

 

「この基地で見たものを、簡単に信じないでください。聞いたことも、記録されたことも」

 

「それは、命令ですか」

 

「忠告です。あなたがまだ、まっすぐものを見られるうちに」

 

その夜、シローは眠れなかった。

 

兵舎の薄い壁越しに、発電機の唸り、虫の声、地下からの低周波が重なっていた。

 

外周を巡回する装甲車のライトが、窓を白くスキャンする。時計は午前3時を少し過ぎていた。

  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。