機動戦士ガンダム BABEL CORE―第08MS小隊、シロー・アマダが見た「もう一つの一年戦争」と、ララァ・スンが名前を得る前の記録― 作:寝て起きたら異世界じゃなくて会議室だった
そのころ、ガンジス上流域の空では、2つの受信機が同じ信号を拾っていた。
ひとつは、煙を引きながら後退する連邦軍臨時管制機。
もうひとつは、雲の影に身を隠すジオン公国軍の偵察機だった。
そして、どちらの画面にも、墜落機の位置情報とともに、存在しないはずの地下識別子が表示されていた。
BABEL CORE / GAN-03
戦争は、村の名前をまだ知らない。
だが、その座標だけは、もう知ってしまった。
基地襲撃で滑走路が使えなくなった時、マチルダは輸送機を捨て、応援に来た臨時管制機へ移乗していた。それが幸運だったのか不運だったのか、彼女自身にはまだわからなかった。
連邦軍臨時管制機の機内は、焦げた配線の匂いで満ちていた。
機体は片側のエンジンを損傷し、低空を逃げるように飛んでいる。床には固定しきれなかった予備パーツが転がり、負傷した通信士が片手でコンソールにしがみついていた。
マチルダ・アジャンは、壁に手をついて身体を支えながら、表示画面を睨んでいた。
「もう一度、受信ログを出してください」
「救難ビーコンです。アマダ少尉機の識別コードと一致。ただし……余計なデータが混ざっています」
通信士が躊躇する。
マチルダは待たなかった。
「その余計なものを」
画面に、座標と短い識別子が再表示された。
BABEL CORE / GAN-03
その文字を見た瞬間、マチルダの表情がわずかに変わった。
驚きではない。
思い出したくない記録が、記憶の底から浮上したときの顔だった。
「この名称を、外部回線に乗せてはなりません。救難信号は通常暗号へ再変換。位置情報は回収部隊へ限定送信。地下識別子は削除してください」
「削除、ですか」
「記録上は存在しないものです」
マチルダは低く言った。
「存在しないものを、敵に拾わせるわけにはいきません」
通信士の喉が鳴った。
「もし、もう拾われていたら」
答えたのは、後部ハッチ付近から戻ってきたスレッガーだった。
飛行服の袖は裂け、頬には乾いた血が貼りついている。それでも口元だけは、いつものように不敵だった。
「拾われてるだろうな。あの青い旦那が、あんな美味そうな匂いを嗅ぎ逃すとは思えねえ」
「ロウ中尉」
「心配すんな、補給のお姫さん。まだ死んでない。あんたに怒られる前に死ぬほど、俺は行儀よくねえよ」
マチルダは一瞬だけ眉を寄せた。
だが叱責はしなかった。
「アマダ少尉は生存していると思いますか」
スレッガーは笑わなかった。
「あいつは落ちる直前、逃げる場所を選んだ。死ぬ奴の操作じゃない。生き残るための悪あがきだ」
「では、回収部隊を」
「出す。ただし早くしろ。ラルが先に着いたら、少尉だけじゃ済まねえ」
スレッガーは画面の識別子を睨んだ。
「バベルってのは、そんなに厄介な神様なのか」
マチルダは答えなかった。
その沈黙だけで、答えとしては十分だった。
同じころ、雲の陰を滑るジオン偵察機の機内では、別の沈黙が落ちていた。
ランバ・ラルは、狭い通信席の横に立ったまま、受信した信号を見下ろしていた。
青い機体を降りたばかりの身体には、まだ戦闘の熱が残っている。だが、その目は冷静だった。
「連邦の若い鳥は、生きているか」
「ビーコンは一瞬でした。生体反応は確認できません。ただ、機体は完全沈黙していません」
「そうか」
ラルは短く息を吐いた。
敵を撃墜した満足はなかった。若い兵が未完成の機体で戦場へ出され、落ちた。それだけなら、戦争のどこにでもある話だ。
だが画面の文字は、ただの撃墜報告を別のものへ変えていた。
BABEL CORE / GAN-03
「バベル……」
ラルの声に、部下たちは反応した。
「大尉、ご存じなのですか」
「名前だけだ。いや、名前だけを知らされた、と言うべきか」
ラルは窓の外を見た。
雲の切れ間から、ガンジスの支流が細く光っている。そのどこかに、撃ち落とした若い連邦兵と、連邦が隠した何かがある。
「この作戦の本命は基地ではなかったのかもしれん」
「では、降下部隊を出しますか」
「出す。ただし、略奪ではない。調査だ」
ラルは部下へ向き直った。
「民間人がいる可能性がある。村があれば手を出すな。だが連邦の研究施設、またはその残骸があれば確保する」
「了解」
通信兵が復唱する。
だがラルはまだ画面を見ていた。
識別子の末尾。
GAN-03。
それはジオンの兵器分類にも、連邦の既知コードにも該当しない。
しかし、どこかで聞いたことがある。
戦争が始まる前、サイド3の閉じた会議室で。
そして、その名が出た瞬間、軍人ではなく研究者たちが黙った。
ラルは眉をひそめた。
その会議室に集まっていたのは、軍人だけではなかった。半分は研究者、半分は情報将校。そしてキシリア・ザビの側近が一人。バベルという名を口にしたのは、その側近だった。
ラルはこの任務が自分の階級には過大であることを理解していた。そして、それが自分に回ってきた理由も。上には、彼を適度に危険な場所へ置きたい派閥がある。
ラルの本来の指揮系統は、機動偵察を主任務とする独立小隊だった。公式にはキシリア麾下ではない。だが今回の作戦のために貸し出された先が、どの派閥だったかを、彼は口にしなかった。軍人が忠誠を口にしないとき、それは大抵、忠誠の相手が問題であるからだ。
「急げ。連邦も来る」