機動戦士ガンダム BABEL CORE―第08MS小隊、シロー・アマダが見た「もう一つの一年戦争」と、ララァ・スンが名前を得る前の記録― 作:寝て起きたら異世界じゃなくて会議室だった
村人たちはまだ空を見ている。長老は祈りの言葉を探している。クスコだけが、シローと同じ方向を見た。
「ねえ、あれ」
彼女が指さした先で、白い雲の下に黒い点が2つ浮かんだ。
ひとつは西から。
ひとつは北から。
距離はまだある。だがどちらも、ただの鳥ではない。直線的すぎる。速すぎる。目的を持っている。
連邦か。
ジオンか。
あるいは、その両方。
長老がようやく異変に気づいた。
「あれは何だ」
誰も答えない。
答えられるのは、外の戦争を知るシローだけだった。
「ここから離れろ」
シローは言った。
「今すぐ、村の中でも低い場所へ。水路の下、柱の陰、屋根のない場所から離れろ。上から来る」
「命令するな!」
男のひとりが怒鳴る。
だがその声を、遠くから届き始めた低い推進音が踏み潰した。
空が鳴っている。
そして同時に、川底も鳴っていた。
上から戦争が降りてくる。
下から、名前のないものが目を覚まそうとしている。
その真ん中で、ララァがシローの袖を掴んだ。
「シロー」
初めて、彼女が彼の名を呼んだ。
「あれを、起こしちゃいけない」
シローは空を見た。
黒い点は、もう点ではなかった。
片方は連邦の回収艇。
もう片方は、ジオンの降下艇だった。
最初に影を落としたのは、連邦の回収艇だった。
白く塗られた機体の腹が、雲の下を滑る。救難標識が点滅している。味方を拾うための光。だが村人たちには、空から降りてくる巨大な獣の目にしか見えなかった。
遅れて北の空から、灰緑色の降下艇が高度を落とす。機体下面の噴射炎が薄い雲を割り、黒い煙を引いた。連邦機より低い。速い。ためらいがない。
村は一瞬で秩序を失った。
子どもが泣き、女たちが荷物を掴み、男たちは何を守るべきかも決められないまま通路に立ち尽くす。長老は杖を掲げ、何かを命じようとしたが、空からの推進音がその声を粉々にした。
「伏せろ!」
シローの声が、広場を裂いた。
命令に慣れた声だった。傷つき、掠れ、息も整っていない。それでも、誰かを死なせないための声には、独特の硬さがある。何人かの村人が反射的に身を低くした。
「屋根の下に固まるな! 柱の根元へ散れ! 水路の真上には立つな、板が抜ける!」
「外の者の言うことを聞くな!」
長老が叫んだ。
その直後、連邦艇の探照灯が村を撫でた。
白い光が床板を走り、顔を照らし、吊るされた布を透かす。照準ではない。索敵でもない。ただの確認光だ。だが照らされた者たちは、魂まで剥き出しにされたように悲鳴を上げた。
ララァが胸を押さえた。
「光が、痛い」
シローは彼女を支えようとした。だがララァの視線は空ではなく、床下へ向いていた。
連邦艇の推進音。ジオン艇の降下音。村人の恐怖。長老の祈り。少年の残った震え。すべてが川底へ落ちていく。
そして、川底のものが、それらを聞いている。
ずん。
今度の鼓動で、村の杭が鳴った。
深く水中へ打ち込まれた木と鉄の支柱が、同じ音程で震え始める。集落そのものが、巨大な楽器に変えられていく。
「だめ」
ララァが一歩、広場の中央へ出た。
「聞かないで。これは、あなたを呼んでいる声じゃない。起きなくていい。まだ、誰もあなたの名前を呼んでいない」
誰に向けた言葉なのか、村人にはわからなかった。
だがシローにはわかった。
ララァは、地下のバベルに話しかけている。
連邦回収艇から、拡声器の声が降ってきた。
「こちら地球連邦軍救難部隊。アマダ少尉、生存しているなら応答せよ。繰り返す。アマダ少尉、応答せよ」
その声で、村人たちの視線が一斉にシローへ集まった。
味方。
救難。
その言葉は、彼にとって帰還の可能性だった。だがこの村にとっては、外の軍が名前を持って迫ってきた瞬間だった。
「応答するな」
ララァが言った。
「今、あなたの声が上に届いたら、下もあなたを覚える」
シローは息を呑んだ。
そのとき、北側の降下艇が先に動いた。
艇腹からワイヤーが落ち、2機のモビルスーツが宙へ滑り出す。旧式のザクI。そのうち1機だけが、青く塗られていた。
シローは、その色を覚えていた。
夜明け前の空で、彼を撃ち落とした色。
青い機体。
ランバ・ラルが、来た。
連邦艇の機首がジオン機へ向く。警告灯が赤く切り替わり、機体側面の機銃カバーが開いた。
ジオン降下艇もまた、腹部の砲門を開く。
村の真上で、2つの軍が互いを見つけた。