フリーゼのいるグラン・パレスに赴いてから数日、『とんかつ さくら』は通常営業を再開した。リゼロッテにはいつもの通りディナーと、土日は一日中シフトに入ってもらっている。二階の座敷はしばらく大きな宴会の予約を断っており、それには客も困惑したが、さくらの説明ではしばらくの間だけということだったので、客もしぶしぶ小規模の飲み会にして飲み食いを楽しんでいた。さくらは客に申し訳ないと思いつつ、ある思いを抱いているのだ。
まるでそこにはぽっかりと空いた空間があるような、誰かを待つかのような幻影があるような、さくらときなこ、そしてリゼロッテはそれを暗黙の了解としていた。
しかしある日の営業終了後。
「どうしても回らない時があるね」
「そうなのです。わたくしそろそろいっぱいいっぱいかもしれないのです」
そう言いながら二人は楽しみにしていた晩酌の極上エールを、疲れた肩を回しつつ、ゴキュゴキュと飲みながら相談をしていた。そう、ここ『とんかつ さくら』はこの年の瀬、小さな忘年会の予約がひっきりなしに入っていた。それをなんとか捌いていたものの、三人での店舗運営はそろそろキャパオーバーだと感じていたのだ。
「臨時で募集かけるかにゃ?」
きなこが油の仕込みを終え、二階に上がってきながらそんな提案を投げかけた。
「う~ん……それだとなぁ……」
さくらにはやはり、想いを募らせている人物があり、その期待と不安が頭の中から霧散しきれずにいた。しかし経営者としてリゼロッテに負担をかけ続けるのも良くないし、このような働き方をさせていては彼女の両親に顔向けできるものではない。ここからさらに年末、新年と忙しくなるのだ。
「わたくしのお家のメイド様に相談してみましょうか?なのです」
「ノアちゃんとユイちゃん?」
「なのです」
リゼロッテは自身の屋敷に仕えるメイド二人、『ノアール・クラウディア』と『ユイロージア・ミスティリア』にお願いをしてみようかという提案だった。さくらは少し遠慮しがちに、そして恐縮しがちだった。そんな都合よく困った時だけお願いするのも気が引けると感じたのだ。しかしリゼロッテも身体の限界を感じているし、背に腹は代えられないと思い、フリージア家で家族会議を開いてもらうことになった。
結果、フリージア夫妻としてもさくらの料理が間接的に楽しめるなら喜ばしいし、ノアとユイにしてもさくらの料理が学べて、しかも賃金が出るとなれば「この立場、誰にも譲らない」と言いだしたらしく、喜んで引き受けたとのことだった。
「今日はノアちゃんなんですね」
「ええ、よろしくお願い致します。わたくしとユイ、交代で勤めさせて頂きたく存じます」
フリージアの屋敷としては二人いっぺんに行かせるわけにもいかず、さくらにしても一人で十分だったので、お互いの利害が一致した形となった。
「さくら」
「うん?なぁに、きなこ」
「長い目で、見ることだにゃ」
「うん、そうだね」
ようやく形になった『とんかつ さくら』がまた活気を取り戻そうとしている店内で、ほんの少しの間ぼうっとしていたさくらに、きなこがそんなことを言った。さくらも息をひとつふっと吐いて、軽く微笑んでから気を入れ直したかのように眉に力を入れ、キッチンへと入っていくのだった。
そんな幾日かが過ぎたある日、王宮からお呼びがかかり、さくらときなこにリゼロッテとエリックも伴って馳せ参じていた。
「その後の報告をせねばならんと思ってな」
パルデスが直々にさくらたちに告げ、今回は大謁見廊ではなく、天井も低く、防音に優れた応接室へと案内されていた。そこには最側近の宰相や高官のみが在席しており、今日の会の重大さを思い知らされていた。
ごほんと咳払いをひとつした宰相が、これまで決まったことを読み上げるようにさくらたちに語り始めた。
「クラシェド・ローゲンスとロベルト・ハーンズの処遇についてです。まずクラシェドについては極刑、即日執行となりました。もともともう長く生きられる身体ではなかったようですし、決闘の最後にキャットシーの一撃で生命維持が出来るほどの機能は失っていたとのことです。生殺しの状態もよくないと判断し、そうなりました」
あくまで人間として処刑したことは、母親の親族としての最後の情けだということがパルデスの瞳に滲んでいた。
「次にロベルトに関しましては爵位剥奪、教職や医師としての全ての権限も剥奪し、僻地への流罪といたしました。甘すぎるとの声もありましたが、今までの功績を踏まえると極刑は免れる結果となりました。ロベルトに関してはもう一つ、実はクラシェドに虚偽の報告をしていたことも、この処分に落ち着いた理由とのことです」
ロベルトはローゲンスに対し、『さくらの能力はひとりで発動できる』と嘘を言っていたということだった。さくらの異能の力はきなこが絶対必要であり、しかもそれぞれの意思決定が必要だということも伏せていたとのことだった。これにより、もしさくらひとりが拐われたとしてもその能力は発動できず、結果として破壊兵器などを作ることは不可能であったことは間違いなかった。その一点だけでロベルトは情状酌量されたが、一般的に見れば重罪であるには違いなく、与えられた罰も相当に重いものであることは間違いなかった。
さくらたちは一様に重苦しい表情を浮かべていたが、ようやくこれで一つの区切りを迎えたことに、どこかホッとした心持ちにもなっていた。
「ところでさくらよ」
「はい」
他にも重要な報告をいくつか終えた会議室には、パルデスとさくらたち以外はすでに退席し、宰相や護衛の者が数名残っているのみだった。パルデスは改めてさくらと向き合い、個人的な話が始まった。
「フリーゼは随分メキメキと頭角を現しているそうだ。お主には本当にありがたく思っているぞ」
「いえいえ!ぼたんちゃん……フリーゼ様の努力の賜物ですよね!」
「
「はい……時々すごく元気のない文面の時もあって心配で心配で……飛んでいってあげたいくらいなんですけどね……」
「すまぬが、しばらく相手をしてやってくれるか」
「そんな……もったいないお言葉です。私なんかで良ければなんでも致しますし、ちょくちょく会いに行きたいと思ってますよ」
「うむ。頼むぞ」
フリーゼの薬を作る技術も向上し、グラン・パレスの険しい岩石地帯から新しい物質や鉱物を発見することが出来ているという。大規模な研究所の建設も決定し、これから大掛かりな薬学の発展にセンチュリオンは乗り出していくということであった。
「してエリックよ。長い休暇は楽しめているか」
エリックはさくらたちの一歩後ろに控えていたが、急な王からの名指しに、しかも少し皮肉が混じった言葉に面食らった。
「はっ……どうにも身体が
エリックはややバツが悪そうに、苦笑いと共に本音を微妙に漏らしていた。
「エリックさん、お休みをとっているんですか?あれ?退職したんじゃ」
「ふふ、さくらは聞いておらんのか。エリックは謹慎を命じられておるんだとよ」
王はくっくと片頬で笑い、しきりに汗をかくエリックを困らせていた。
「ええ?どうしてですか?もしかして私のせいですか?」
「もしかしなくても半分はそうなんだろう。のう、エリックよ」
「はっ……!実は『辞表』が受理されておらず、私がさくらさんに喋った機密事項が、実はまだ刑事の身分だったわけでありまして……なんというか情けないと言いますか脇が甘いと言いますか世間知らずと申しますか勉強不足で不徳の致すところと言いますか」
支離滅裂に説明をするエリックだったが、さくらたちにはどうやら理解は出来たようだった。
「まぁ、さくらのことを思い、国のためと思っての行動だった。謹慎程度のことでよかったではないか」
王からの計らいで、その罰は軽くなったそう。シドもエリックの聴き取りを終え、上官に報告する際、色々と取り計らってくれたということだった。
やたらと汗をハンカチでぬぐい、ペコペコするエリックに、さくらは視線を送り軽くため息をつく。「ごめんなさい」と小声で言うさくらの穏やかで優しい表情をみたエリックは、苦笑いを返すだけだった。
「そうだったんだ……それでしたらエリックさん、ひとつお願いしてもいいですか?」
「はい?なんでしょうか。私に出来ることであればなんなりとおっしゃってください」
「おいエリック!おめえ運転下手くそだなぁ!ゴフゥ!」
「しょうがないじゃないですかバレットさん。こんな奇怪な乗り物初めてなんですから」
「俺っちたちは温泉作りにいっつもバレットの爺さんと一緒に来てるけど、こんな乗り物と荷車があれば仕事も捗るなあ。なぁ爺さん」
「れろをらんじまっれしゃれれねえららあろにしれくれ(ベロを噛んじまって喋れねえからあとにしてくれ)」
「うふふ、まだまだ舗装しなきゃダメですね。あとこのバスには『サスペンション』をつけましょう」
「さすぺんしょん?なんだそりゃ?」
「さくらちゃん、この大きな乗り物、ぜひエクレールの送迎に取り入れたいのです。そうすればわたくしは朝から無駄な駆け足をしなくて済むのです」
「リロはまずバスの時間に間に合わないんじゃないのかにゃ……」
「それはいい。ぜひベイ・ピースでも通学バスを取り入れてもらうようにしよう!」
「アオ、この『大型イーヴィルエンジン』を作るのにどのくらい費用がかかるのかわかって言っているのかい?」
「部長、そこは王政がなんとかしてくれますよ」
「オロロロロロロロロ」
「にゃにゃ!大変にゃさくら!ミーシャが窓の外に向かってゲロ吐いてるにゃ!」
「そうなの。バスは乗り物酔いするんだよ。はいミーシャちゃん、ゲロぶくろ」
さくらときなこ、エリック、ジェイムズ、バレット、リゼロッテ、アオとカナタにミーシャとストラト部長、それに大工連中と鉄鋼商会の男たちはこの大きな自動車に乗り込み、それに連結させた荷車には多くの荷物を乗せ、再びフリーゼが滞在するグラン・パレスへと向かっていた。さくらはエリックが謹慎中と知り、どうも暇している様子だったので、このグラン・パレス行きの旅路に付き添ってもらおうということだった。その話を聞きつけたジェイムズやバレットは、なぜ俺たちにも声をかけないんだと言い、開発中だったこの大きな『バス』に大勢が乗り込み、エリックが運転役となったのだった。
「久しぶりにぼたんちゃんに会えるので楽しみなのです。でもちょっと嬉し恥ずかしな気もするのです」
「会っていろんな意味でびっくりすると思うのにゃ……」
「それにしても部長さん、どうして今日はついてこられたんですか?」
「さくらさん、僕たちの興味というものは果てしなきものなのですよ」
「ええそうです。フリーゼ様のお薬屋さん姿もみてみたいですし、僕たちの『温泉汲み上げ装置』の様子もみたいですしね」
「カナタァ……なんだか俺も……気分が……あうっ!」
「うわぁああやめてやめて!さくらさん!袋ください!」
「うふふ、慣れるまで大変だね。さぁ!そろそろ着きますよ!」
「おうしゃあ!また来たぜ!ヴァンデンバーグ地方!」
薬学一大地域となったグラン・パレス南西、ヴァンデンバーグ邸の周辺を『ヴァンデンバーグ地方』と呼ぶようになった。開発も進み、王都の一部機能を遷都しようという案も動き出している。王都とこのヴァンデンバーグ地方を結ぶインフラが整えば、さらなる展開を望めるだろう。
「おーい」
「あ、ぼたんちゃーん!みなさん、フリーゼ様ですよ!」
「おお!」
「なんという美しいお姿!」
「なんという凛々しいお姿!」
「なんという知的なお姿!」
「なんという麗しいお姿!」
「れろれっれろれっろろれ!」
皆が三者三様の感想を言い合い、久しぶりのフリーゼの元気な姿を見て安心すると共に、今までとは全く違う姿に目を輝かせていた。
待ち構えていたフリーゼの隣にはアリシアとアドリアーノの姿も見える。二人の表情がどこか浮かないように見えるのは、気のせいだろうか。
バスが到着し、少しもじもじとしながら頬を赤らめているフリーゼに皆笑顔を向け、敬礼をした。
「わはは」
さくらときなこ、アリシアとアドリアーノ以外全員の肩がピクッとした。
「みんな」
なぜか口調が違う感じがする。そう皆思った。
「遠いところよお来たでほんま、えらいご苦労やったなぁしかしィ。ええ?」
ギラリと奥歯を光らせながら屈託なく笑うフリーゼの笑顔は、全てが吹っ切れたような、まだ先にみる小春日和を思い浮かべさせるような暖かい表情であった。
グラン・パレスへのバス旅行から幾日かが経ったある日、さくらときなこは再び王宮へと招集された。どうやらパルデスとしてはふたりがフリーゼとの仲介役となっており、その報告を聞くことが定例となっており、またパルデス自身も二人と話すことが楽しみになっていた。さくらときなこにしてみても、自分たちのことを話すことで主体性を保てるのだろうか、そんなことも含みながらも、パルデスたちと話すことは存外悪い思いはなかったようだ。
しかしこの日は少し違った。いままでなりを顰めていたライテスがこの応接室に佇んでいたのだ。
さくらときなこは入室したと同時にほんの少しだけ不穏な空気を感じ取った。警護兵に席を案内されてそのまま座った。奥の窓際にはパルデス、ライテス、そして今日はマリスフラウルサキヤもパルデスたちの隣に座っていた。
「さくらさん」
口火を切ったのはライテスだった。ライテスは少し俯き、視線を合わせることなく、二人に話しかけた。
「はい……」
さくらはそんなライテスの表情をみて、不安な気持ちを抱いた。あの騒動から今日までライテスが姿を見せることはなく、さくらはきっとなにか気にしていることがあるんだろうと容易に想像していたからだった。
「きっと、失望しておるじゃろうのう」
ライテスはそう率直な言葉で言った。明らかに沈んだ顔をして肩を落とするその姿に、さくらは思わず胸を押さえつけた。
「ワシはもうおぬしに合わせる顔がなかったんじゃが、どうしても話しておきたいことがあっての」
ライテスはそういうと、思い切ったような様子で片目だけを重いまぶたから瞳を覗かせた。
「沢山の思い出をありがとう。おぬしたちに会えて、美味しい食事に変わった酒をいただけてワシは嬉しかった。良い冥土の土産になったぞい」
そう言い終えるとライテスは無理な作り笑顔を浮かべた。片手だけテーブルに乗せたその手の甲は震えていた。そしてすぐに俯いた。
「ライテス様」
さくらはすぐに立ち上がった。きなこも椅子の上に立ち上がってライテスに視線を合わせる。ライテスは返事を返せず、ただ俯いたままだった。
「私はライテス様にたくさん感謝しなければなりません。初めて屋台に来ていただいた時とても嬉しかったです。あの出会いがなかったら私ときなこは王都でお店を出せることはなかったでしょう。そのあとすぐにお家を貸していだたいて、いろんなかたを紹介していただいて、たくさんお店に来ていただいて、この世界のいろんなことを知るきっかけをくださいました」
ライテスは身体を震わせ、膝に腕をついた。
「確かに普段のライテス様の印象は、事実とまったく違いましたけど、私たちにも隠し事はいっぱいありましたし、むしろこちらが謝らなければなりません。本当に申し訳ございませんでした」
さくらときなこは腰を曲げ、謝辞を述べた。さくらはきなこを連れ、ライテスの席のそばへと歩みだした。
「私たちはパルデス様ときちんとお話しをした上で、この世界、このセンチュリオンに留まることを決意しました。それは紛れもなくライテス様とフリーゼ様のおかげです。失望なんて絶対しません。そんなこと感じたことも思ったこともありません。お願いです、そんな寂しいこと言わないでください。私はライテス様を本当に敬愛しているんですから」
さくらはそっとライテスの震える背中に手をかけた。
「そしてこれからもまたたくさんお店に来てください。また朗らかな笑顔を私たちに見せてください。これからもどうか仲良くしてくださいね」
言葉を出せずただ小さく嗚咽を漏らすライテスの背中をさくらとマリスはさすり続けるのだった。
しばらくしてライテスはマリスと警護兵とともに、応接室を退出していった。ライテスもやや後ろ髪を引かれるところもあったが、今日の用は果たせたようだった。
「我も気にすることはないと言ったのだがな。しかし父上はどうも心配性でのう。あんな男がよくクーデターなど起こせたものだな、今思うと」
そんな言葉をしみじみと言いながらもパルデスは目を細め、どこか寂しげに、慈しむような顔をする。間違いなく親子としての情がそこには映し出されていた。
「ライテス様が繊細な方なのはよくわかっていますよ」
さくらはきなこと元の椅子に戻り、一口水を含んで喉を潤してから、ほんの少し目を潤ませながらパルデスにそう言った。
「それにしても」
パルデスは窓の外を見る。遠い空の向こうに、同じ空の下に誰かがいるかのように、そんな彼方を見るような目をした。
「さくらが見てきたであろう世界に興味がある。どのような文化で、文明で、どんな人々が暮らしていたのだろうな」
「きなこのお父さんは、私の『地球』のお話を毎晩聞くのをとても楽しみにしていましたよ。やっぱり『文化』や『歴史』にすごく興味を示していました」
「そうであろうな。未知なる文明や人の暮らしはいつの時代も浪漫であり、好奇心であり、そして手本でもある。さくらよ、またおぬしの『昔話』を聞せてくれぬか」
パルデスはそう言ってさくらに願う。その穏やかで、温かな眼差しに似た少女を、さくらはよく知っていた。
「はい!」
さくらの楽しげな笑顔に対し、パルデスもうららかに、そしてにこやかに頷いていた。ころりと眠ってしまったきなこを腿の上で寝かせたさくらは出された紅茶のティーカップを、パルデスは薄めた『さくらウイスキー』を傾けながら、もうすぐ新年を迎えようとする木枯らしの舞う冬の寒空を眺め、束の間の平穏を味わうのだった。