TS元おじさん薬屋娘、常連の朴念仁騎士を後輩のつもりで餌付けしていたら、騎士団総出で外堀を埋められていた   作:べ¥

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餌付けの自覚はなかった

薬草を煮出す匂いというのは、慣れると案外悪くない。

 

辺境都市グランツの三番街、看板の灯りが夕方から朝まで消えないので「灯火堂」と呼ばれる小さな薬屋。その店番が俺の仕事だ。

俺。メリル・ハーティ(18)。婆ちゃんと二人暮らしの薬師見習い。ついでに言うと、前世は佐々木健一、四十二歳、営業二課の課長だった。

 

月百時間残業の果てに会議室で倒れて、目が覚めたら赤ん坊で、しかも女だった。最初の十年は現実逃避に費やしたが、人間慣れるもので、今では薬研を転がしながら「今日の煮出しは上出来だな」とか考えている。

 

外見の話もしておくと、癖のある蜂蜜色の髪に、琥珀色の目。髪は仕事の邪魔なので、耳にかけるか後ろでくくるかの二択だ。背は平均より少し低くて、手は薬研と水仕事のせいで、18の娘にしては年季の入った働き者の手をしている。器量は――自分で言うのもなんだが、悪くないらしい。三番街の連中が「灯火堂の看板娘」と呼んで、たまに客が用もないのに茶を買っていくくらいには。

 

「らしい」というのは、俺自身には正直よく分からんからだ。鏡を見れば、そこにいるのは42年連れ添った仏頂面のおっさんじゃなく、知らない娘だ。18年かけて「よく知ってる他人」くらいまで距離は縮まったが、器量の査定となると、もう完全に他人事だ。営業の自己評価と同じで、自分の商品の値付けほど当てにならんものはない。まあ、薬屋の看板娘なんて、顔より腕と在庫だ。話を戻そう。

 

カラン、と入口の鈴が鳴ったのは、店じまい間際のことだった。

 

「……すまない。まだ、開いているか」

 

戸口に立っていたのは、鎧の上からでも分かるくらい満身創痍の騎士だった。年の頃は20歳そこそこ。銀の髪に、生真面目そのものという顔。その顔の右半分が、乾いた血で汚れている。

 

「開いてる開いてる。というか閉まってても開けるわ、そんな面で来られたら」

 

「面……?」

 

「顔。血。あんた自分の顔見た? 座って。そこ。早く」

 

騎士は目を丸くして、それから素直に丸椅子に座った。でかい図体を縮めるみたいに座るのが、なんだか新人研修の初日みたいで、俺はちょっと笑ってしまった。

 

「北の森の哨戒か? 魔獣?」

 

「……よく分かるな」

 

「傷口に針葉樹の脂がついてる。あの森で転がった奴の定番。しみるぞ、我慢しな」

 

落ちてくる横の髪を耳にかけて、傷口を覗き込む。作業前の癖だ。洗浄液を含ませた布を当てると、騎士は眉ひとつ動かさなかった。我慢強いというより、我慢している自覚もなさそうな顔だった。ああ、いたなあ、こういう後輩。限界まで頑張ってることに本人だけが気づいてないタイプ。営業二課に一人いた。倒れる前の俺にもよく似ていた。

 

「名前は」

 

「ジーク。……ジーク・アルステッドだ」

 

「ジークね。傷薬、朝晩二回。包帯は濡らすな。あと、これ」

 

俺はカウンターの奥から、婆ちゃん特製の携行食を一つ放った。蜂蜜と木の実を薬草の飴で固めたやつだ。騎士は両手でそれを受け止めて、困惑の極みみたいな顔をした。

 

「……これは、いくらだ」

 

「おまけ。あんた、今日なんも食ってないだろ。手当ての最中、腹の音が三回鳴った」

 

騎士の耳が、見る間に赤くなった。ほう、と俺は感心した。無表情の割に分かりやすいな、こいつ。

 

「食え食え。腹が減ってると傷の治りも遅いんだ。薬屋としては商売あがったりだけど、治りの悪い客の顔を見る方が嫌なんでね」

 

「…………すまない。恩に着る」

 

「大げさだなあ」

 

これが、ジークとの出会いだった。

 

以来、あの朴念仁は週に一度は店に来るようになった。哨戒帰りに傷薬を買いに。訓練で切らした軟膏を買いに。理由が見つからない日は、なぜか「胃薬を」と言いに(あいつの胃は健康そのものだ。顔色で分かる)。

そのたびに俺は手当てをして、説教をして、飯を食わせた。

 

「またろくに寝てないな? 目の下。隠せてないから」

 

「討伐が、続いていて」

 

「はいはい。安眠用の香草茶、持ってきな。金は取る。こういうのはちゃんと金を取らないと、あんたが遠慮して飲まなくなるから」

 

「……メリルは、何でもお見通しだな」

 

「あんたが分かりやす過ぎるんだよ」

 

だって俺は前世で二十年、こういう不器用な若手を回してきたんだ。顔色を見て、潰れる前に休ませて、たまに飯を奢る。課長の仕事なんて半分はそれだった。

 

ジークは俺の説教を、いつも直立不動で聞く。そして帰り際、決まって深々と頭を下げるのだ。

 

「今日も、ありがとう。……その、また来ても、いいだろうか」

 

「客が来ていい店に来ていいか聞くな。うちは薬屋だぞ」

 

「そう、だな。そうだった」

 

そう言って、あいつはほんの少しだけ笑う。無表情が三ミリ緩むだけの、知らなきゃ見逃す笑い方。最初の頃はそれすらできなかったのだから、大した進歩だと思う。かわいいもんだ。後輩として。

 

――そう、後輩として。

 

念のため言っておくが、俺にやましい気持ちは一切ない。当たり前だろう、こっちは中身四十過ぎのおっさんだぞ。見た目が十八の娘だからって、若い男に色目を使ってたまるか。俺が誰かとどうこうなるなんて、相手に対する詐欺みたいなもんだ。

だから俺は、店に来る客全員に等しく親切にする。ジークが特別なわけじゃない。あいつは特別、手がかかるというだけで。

 

「……メリルや」

 

その晩、帳簿をつけていたら、婆ちゃんが妙にしみじみと言った。

 

「おまえ、あの騎士の坊やの分だけ、携行食の蜂蜜を増やしとるじゃろう」

 

「あいつ疲労が抜けてないからな。糖分は要る」

 

「傷薬も、あの子の分だけ痛まん配合に変えとる」

 

「あいつ我慢するから、痛みの報告が当てにならないんだよ。だったら最初から痛くない方がいい」

 

「……ふぉっふぉ。まあ、ええわい」

 

何がいいのか、婆ちゃんはそれ以上言わなかった。

 

言ってくれれば良かったのに、と後から何度も思うことになる。

 

このとき既に、俺の与り知らぬところで、話はとんでもない方向に転がり始めていたのだから。

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