TS元おじさん薬屋娘、常連の朴念仁騎士を後輩のつもりで餌付けしていたら、騎士団総出で外堀を埋められていた   作:べ¥

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伯爵家への挨拶、または最終防衛線

「兄上への文には『婚約を前提に交際している』と書いた」

 

「待て。話が飛んでないか。俺たちは先週、恋人になったばかりだが?」

 

「兄上の期限は一年。逆算すると、婚約の挨拶は早いほどいい」

 

「兵站の考え方でプロポーズを語るな」

 

言い合いつつも、支度は着々と進んだ。婆ちゃんは「手ぶらで行く阿呆がおるか」と、膝と胃に効く薬の詰め合わせを手土産に持たせた。第三小隊は「若様の実家凱旋」と勝手に名づけて宴会を開こうとし、メリルに「凱旋じゃない、挨拶だ」と却下された。ラルフだけが、妙に真顔で言った。

 

「先方の親父さん、怖いらしいっすよ。若様を三倍生真面目にしたような人だって」

 

三倍。あの朴念仁の、三倍。メリルの胃が、出発前から早くも鳴いた。

 

――とはいえ、避けては通れない関門であることは、メリルも理解していた。アルステッド伯爵家。ジークの実家であり、辺境の田舎娘(中身六十歳)を迎えるにはいささか敷居の高い、由緒正しき武門の家である。

 

馬車での道中、ジークは終始、姿勢が良すぎた。

 

「あんたが緊張してどうする。実家だろ」

 

「実家だから、だ。父上と最後に食事をしたのは、四年前になる」

 

「……四年」

 

「会話は、三往復だった。数えていた」

 

メリルは、前世の手帳の一頁を思い出した。気難しい取引先との商談前、若手に言い聞かせた鉄則がある。相手の情報を集めろ。沈黙を恐れるな。そして――先方の懐に入るのは商品じゃなく、人間だ。

 

「よし、ジーク。道中で予行演習だ。俺が伯爵役をやる」

 

「……似ているかどうか、俺には判断がつかんが」

 

「いいから。ほら――」

 

予行演習は三回行われた。三回とも、ジークは父役のメリルを相手に本気で直立し、本気で噛んだ。先が思いやられた。

 

ふたりが伯爵領に着いたのは、秋の終わりだった。

 

アルステッド家の本邸は、城と呼んだ方が早い構えだった。ただし、華美ではない。塀は分厚く、窓は高く、庭木は視界を遮らない高さに刈り込まれている。観賞するための屋敷ではなく、守るための屋敷だ。玄関前には使用人がずらりと並び、その全員が、好奇心を礼儀の下に隠しきれていなかった。無理もない。「剣獣の若様が連れてくる想い人」の噂は、正式な報せより速く屋敷を一周していたのである。

 

出迎えたレオンハルトは、メリルの顔を見るなり「ああ、薬屋の」と言い、メリルは「ああ、胃痛の」と返した。

 

「昼飯は、あれから抜いておらん」

 

レオンハルトは扇子を開き、少し得意げに付け足した。

 

「約束は守る主義でな」

 

「上出来。顔色も前よりいい。酒は?」

 

「……十日はやめた」

 

「十日『は』、ね。まあ及第点だ」

 

「兄上が、査定されている……」

 

ジークの呟きは、誰にも拾われなかった。

 

謁見の間へ向かう廊下で、レオンハルトは足を止め、声を落とした。

 

「忠告しておく。父上には、王都の社交辞令が通じん。世辞を言えば減点、黙れば減点、怯えれば大幅減点だ」

 

「加点項目は?」

 

「……誰も見つけておらん」

 

攻略不能の取引先である。メリルが腹を括ったところで、扉が開いた。

 

問題は、当主だった。

 

グレゴール・アルステッド伯爵。齢六十。歴戦の武人にして、岩のような男。ジークの無表情と我慢強さの出どころである。謁見の間に飾り気はなく、壁には古い戦旗が一枚だけ掛かっていた。上座の椅子に、岩は座っていた。座っているだけで、部屋の空気が三割重い。

 

その岩は、通されたふたりに、開口一番こう言った。

 

「三男とはいえ、アルステッドの男の縁組みだ。家格、持参財、後ろ盾――其の方、何を持ってきた」

 

挨拶も労いも、なし。メリルは内心、むしろ感心していた。

 

(王都式の腹の探り合いより、よっぽど話が早い。うちの常連の団長と、同じ型だな)

 

「父上!」

 

「よい、ジーク」

 

伯爵は、息子を見もしなかった。その目はまっすぐメリルに据えられている。値踏みの目、ではない。もっと古い――戦場で敵の力量を測る目だ。並の令嬢なら、視線だけで泣く。

 

メリルは一歩前に出た。緊張はしていた。だが、こういう商談は前世で何百回とやってきた。相手の懐に入る前に、まず観察だ。そして観察した結果、彼女の中の商談は、いつもの診察に切り替わった。

 

椅子に掛けた老伯爵の、左足だけが、わずかに前へ投げ出されている。ふたりが入室した際、彼は一度座り直した――そのとき肘掛けを掴んだ右手に、体重の逃がし方の癖が出た。卓上の盃からは、湯気とともに覚えのある匂い。彼女の鼻は、家格より先にそちらを拾ってしまった。こうなると、この娘は止まらない。

 

「何も持ってきちゃいませんが……その前に、伯爵様。ひとつ伺っても?」

 

「……申せ」

 

「さっきから、左膝を庇っておいでですね。座るときも、立つときも。古傷ですか。この季節、疼くでしょう」

 

謁見の間の空気が、凍った。

 

壁際の家令が音もなく青ざめ、ジークは「メリル!?」という顔のまま固まった。当の伯爵だけが、眉ひとつ動かさなかった。動かさないまま、低く言った。

 

「……続けよ」

 

「――それと、その盃。中身は薬湯だ。匂いで分かります。しかもあれは効きの割に胃を荒らす配合だ。処方した薬師を替えることをお勧めします。膝の古傷、雨の前の頭痛、荒れた胃。全部まとめて、もっと楽にする組み方がある」

 

「ほう。では、其の方なら何を組む」

 

「まず今の薬湯を半分に減らします。代わりに温める膏薬を膝へ、食後に胃散を。効きは落ちません。落ちるのは胃の荒れと、夜中に目が覚める回数だ。……図星でしょう。最近、眠りが浅いのは」

 

「…………」

 

沈黙は長かった。家令は祈るような顔をし、ジークは呼吸を忘れていた。

 

「……其の方、儂を診に来たのか。縁組みの挨拶にか」

 

「性分なんです。困ってる顔を見ると、先にそっちが気になる」

 

「儂が、困った顔をしておると?」

 

「困ってなきゃ、盃の薬湯なんて手元に置きません。武人ってのは、痛みそのものより、痛みで動けなくなる日のことを困るもんです。……うちの常連が、みんなそうなんで」

 

長い、長い沈黙のあと。岩が、ほんの三ミリ、笑った。

 

その笑い方を、メリルはよく知っていた。隣の男が店で茶を飲むときにやるやつと、寸分違わなかった。血筋である。

 

「……ジーク。この娘、儂の若い頃の軍医に似ておる。戦場で儂の減らず口を叩き直した、あの婆さんに」

 

「は……? ち、父上、それは、その」

 

「縁組みの返答は、追って沙汰する。……今日は、休むがよい」

 

伯爵は立ち上がった。立ち上がるとき、また左膝を庇った。メリルの目がそれを見逃さなかったことに、伯爵も気づいていた。互いに気づいた上で、どちらも何も言わなかった。診察は、もう始まっていたのである。

 

廊下に出た途端、ジークが深々と息を吐いた。四年ぶりの実家で、あの父の前で、想い人が初手から診察を始めたのだ。無理もない。

 

「……メリル。あなたは、すごい」

 

「褒めるな。商談の型が崩れただけだ。……で、あの『追って沙汰する』ってのは、脈ありなのか?」

 

「分からん。だが父上が客人に『休むがよい』と言うのを、俺は初めて聞いた」

 

その晩、あてがわれた客間で、メリルは天井を眺めて考えていた。

 

(診察をしに来たんじゃない。縁組みの挨拶だ。分かってる。分かってるが、あの膝を放っておける薬師がどこにいる。……それにしても、軍医の婆さん、ね。戦場で減らず口を叩き直す婆さんなんて、そう何人もいるもんじゃないが)

 

後にメリルは知る。その「婆さん」こそ、若き日のグランツの薬師――うちの婆ちゃんであったことを。

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