TS元おじさん薬屋娘、常連の朴念仁騎士を後輩のつもりで餌付けしていたら、騎士団総出で外堀を埋められていた   作:べ¥

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外堀どころか本丸が埋まった

伯爵家に滞在して、三日目の朝のことだった。

 

「メリル殿。朝食の前に、少しよいか」

 

当主直々のお呼び出しである。

 

言っておくが、この二日間、俺は行儀よくしていた。初日の謁見でいきなり診察を始めた件は、ジークに「メリルはすごい」と褒められ、レオンハルトに「父上に初対面で口を利かせた時点で歴代最高記録だ」と査定され、家令のじいさんに「四十年お仕えして、あのような旦那様は初めて見ました」と震え声で報告された。記録って何だ。うちの当主は競技か。

 

で、二日目の夜。俺は約束通り、婆ちゃんの持たせた膏薬と胃散を家令経由で献上した。手土産の詰め合わせだ。返事はなかった。なかったが、三日目の朝、湯を運んできた侍女が教えてくれた。「旦那様、昨夜は一度もお目覚めになりませんでした」と。廊下の空気が、心なしか軽い。屋敷ってのは、当主の体調で天気が変わるらしい。前世の会社と同じだ。

 

そして、この呼び出しである。連れて行かれたのは庭園――ではなく、屋敷の裏手の薬草園だった。

 

朝露の残る畑を見て、俺は足を止めた。手入れは行き届いているが、植え方に癖がある。実戦的な癖だ。止血、化膿止め、痛み止め。手前から、傷の深い順。観賞用が一株もない。塀際に解熱、日向に化膿止め、水場の近くに洗浄用。動線が、そのまま野戦病院の手順になっている。

 

「これは……軍用の畑ですね。戦場に持っていく順に植わってる」

 

「分かるか」

 

「うちの婆ちゃんの畑と、同じ並びなんで」

 

伯爵は、ふ、と息だけで笑った。それから畑の間の小道を、ゆっくり歩き始めた。左膝の運びが、昨日より滑らかだ。膏薬、効いてるな。薬師の目は、朝からそういうところばかり見る。

 

「この畑はな、儂が自分で作った。当主が土いじりとは何事かと、家の者は眉をひそめたがの」

 

「へえ。……誰かの、真似ですか」

 

「ほう。なぜそう思う」

 

「並びが正確すぎる。自分で考えた並びなら、もっと自分の癖が出ます。これは、誰かの畑を覚えて、そのまま写した並びだ。」

 

伯爵は足を止めた。朝の光の中で、岩がまた三ミリ笑った。

 

「……四十年前の話をしよう」

 

若い頃のグレゴール・アルステッドは、無茶な戦い方をする男だったという。先陣を切り、退かず、負傷を隠して戦線に残る。今のどこかの朴念仁と、そっくり同じである。血筋というのは業が深い。

 

「北の国境の戦役でな、儂は膝をやった。軍医は皆、切れと言うた。切らねば毒が回る、とな。……そこに、辺境から徴用の女薬師が一人おった。儂の膝を見て、こう言いよった。『切るのは明日でもできる。今夜は私に貸してみい』」

 

「…………」

 

口調まで聞こえてくるようだった。

 

「一晩中、薬を替え、湯を替え、儂の減らず口に説教で応じながらの。朝には熱が引いて、膝は残った。それから戦役の終わりまで、儂はあの婆さん……いや、当時はまだ婆さんではなかったが、あの薬師に世話になり通しだった。傷だけではない。飯を抜けば叱られ、無茶をすれば診療を後回しにされた。」

 

「……それ、効きました?」

 

「効かんかった。だから儂は今もこの膝を庇っておる。……効かんかったが、忘れもせんかった。四十年、な。薬より、説教の方が長持ちする。覚えておくがよい、メリル殿」

 

どこかで聞いた台詞である。というか、俺が言われて、俺が言ってる台詞である。処方ってのは、代替わりしても配合が変わらないらしい。

 

「あの軍医殿には、借りがある。儂の膝を戦場で繋ぎ、儂の悪癖を叩き直し……そして、儂が礼を言う前に、除隊して消えた。四十年、言い損ねたままだ」

 

「……うちの家系、そういうの多いみたいで。すみません」

 

「其の方に言われることではない。……が、孫弟子が礼を受け取る筋はあろう」

 

伯爵は懐から、古びた小さな薬包を取り出した。変色した包み紙に、几帳面な字で「グレゴール殿 膝用」と書いてある。

 

見た瞬間、分かった。字だ。帳簿の隅にいつも並んでる、あの角ばった几帳面な字。四十年前から、婆ちゃんは字まで変わってない。処方箋の字が汚い薬師は信用するな、が口癖の人だ。四十年前の患者への包みにも、その流儀は徹底されていた。

 

「四十年前、最後に貰った処方だ。使いきれずに残した一包を、御守り代わりに持っておった。……これを検分できるのは、もう其の方しかおらん。中身を再現できるか」

 

俺は両手で受け取って、包みを開いた。四十年物の粉末は、すっかり乾いて色も飛んでいる。それでも、鼻を近づければ、配合の骨格は残っていた。……ああ、これは。婆ちゃんの若い頃の配合だ。今のより荒削りで、材料も戦場で採れるものだけで組んである。でも、効かせ方の思想が同じだ。痛みを消すんじゃなく、動ける痛みまで下げて、あとは体に治させる。四十年前から、あの人はこうだったのか。

 

「――再現できます」

 

言ってから、俺は付け足した。薬師の意地というやつだ。

 

「ついでに、四十年分改良もできます。婆ちゃん、今はもっと上手いんで。この頃は使えなかった材料が、今のグランツなら手に入る。骨格はこのまま、効きを上げて、胃への負担を下げられる」

 

「……そうか。あれから、もっと上手くなったか」

 

伯爵は薬草園の真ん中で、しばらく黙って空を見ていた。四十年分の何かを、たたんで、しまう時間だった。俺は黙って待った。こういう沈黙は、破った方が負けじゃない。破っちゃいけない方の沈黙だ。

 

それから振り返って、当主の顔に戻って言った。

 

「縁組みを認める。……ジークには過ぎた相手だ。取り逃したら勘当と伝えておけ」

 

「え、あの、認めるのと勘当が一文に同居してますが」

 

「二言はない」

 

取り逃す予定は、こっちにもない。ないが、当主命令の圧が重い。この家の求婚支援は、外堀の埋め方が物理なんだよ。

 

――こうして、最終防衛線は陥落した。

 

というか、陥落してからが早かった。伯爵はその晩の食卓で俺の隣を指定席にし、膝と胃の相談を始め、ついでに「朝の畑を見る目が良かった」と薬草園の管理方針まで諮問してきた。レオンハルトが「父上、抜け駆けは卑怯ですよ。私の主治医が先約です」と抗議し、伯爵が「当主命令じゃ」と職権を乱用し、ジークが「ふたりとも、彼女は俺の」と言いかけて噛んだ。アルステッド家、外堀どころか本丸まで埋まるの早すぎないか? うちの騎士団といい、この家系といい、堀を埋める速度だけは常軌を逸している。

 

帰り際、家令のじいさんが深々と頭を下げて、小声で言った。

 

「旦那様があのように長く食卓におられたのは、先の奥方様がご存命の頃以来です。……どうか、またお越しくださいませ」

 

ずるいぞ、そういうのは。荷物が急に重くなった。膏薬の補充、多めに送ろう。

 

帰りの馬車で、ジークがぽつりと言った。

 

「……俺の家族が、すまない。あなたを取り合って」

 

「はは。モテ期だな、六十年目にして」

 

「だが、一番先に見つけたのは俺だ。これだけは、誰にも譲らん」

 

「……あんたそういうとこだぞ、ほんとに」

 

不意打ちはやめろと、何度言ったら分かるんだ、この朴念仁は。

 

窓の外を、伯爵領の畑が流れていく。膝の悪い岩と、几帳面な字の薬包と、四十年越しの未払いの礼。……帰ったら、婆ちゃんに全部話そう。あの人がどんな顔をするか、ちょっと楽しみだ。どうせ「ふぉっふぉ」で流すんだろうな。

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