TS元おじさん薬屋娘、常連の朴念仁騎士を後輩のつもりで餌付けしていたら、騎士団総出で外堀を埋められていた 作:べ¥
ジーク・アルステッドは、自分が口下手であることを知っている。
アルステッド伯爵家の三男として生まれ、剣だけを頼りに辺境騎士団へ入った。剣は裏切らない。剣は、言葉を要求しない。だから騎士団での評価はこうだ――「腕は立つが、岩と会話する方がまだ弾む」。
その岩が、と自分でも思う。
その岩が今、薬屋の棚の前で、香草茶の包みを胸に抱えて立ち尽くしている。
『あんたが分かりやす過ぎるんだよ』
――分かりやすい。俺が。
物心ついてから今日まで、ジークの感情を読み取れた人間は一人もいなかった。実の母ですら「何を考えているか分からない子」と零した。副団長には「おまえの無表情は威嚇に使える」と言われた。
なのに彼女は、会ったその日に俺の空腹を見抜き、眠れていない夜を見抜き、痛みを堪えていることまで見抜いた。
(……これを、運命と呼ばずに何と呼ぶ)
呼ばない。普通は呼ばない。だがジークは恋を知らずに二十一年を生きた男であり、初めての感情に対する語彙を、騎士団の詰め所に転がっていた恋愛叙事詩からしか得ていなかった。
思い返せば、すべてに符号があった。
彼女は、俺の傷薬だけ配合を変えてくれる(※常連客への通常対応である)。
彼女は、俺にだけ携行食をくれる(※腹を空かせた客全員に配っている)。
彼女は、「また来てもいいか」と問うた俺に、こう言ったのだ――『客が来ていい店に来ていいか聞くな』。つまり、いつでも来ていい、と(※それはそう)。
極めつけは、先週だ。討伐で左腕を痛めた俺に包帯を巻きながら、彼女は俺の目をまっすぐ見て言った。
『いいかジーク、あんたの体はあんた一人のもんじゃないんだ。あんたに何かあったら悲しむ人間がいることくらい、いい加減覚えろ』
――悲しむ人間が、いる。
その夜、ジークは詰め所の寝台で一睡もできなかった。
「……で、それ以来ずーっとその調子か。重症だな、おい」
詰め所の食堂で、同期のラルフが呆れ顔で言った。ジークは香草茶を一口飲み、重々しく頷いた。
「ラルフ。折り入って相談がある」
「聞きたくねえなあ」
「灯火堂のメリル嬢に、その……礼を、したい。だが何を贈れば失礼に当たらないのか、俺には分からん」
「礼ぃ?」ラルフはにやにや笑った。「素直に言えよ。口説きたいんだろ」
「くど……っ」
ジークは香草茶を吹きかけた。噎せた。岩が噎せるところを初めて見たラルフは大変満足した。
「ば、馬鹿を言うな。彼女は恩人で、俺のような無骨者が、そんな、不埒な」
「はいはい。……つーかさ、おまえ知ってる? 灯火堂の看板娘って、三番街じゃ有名なんだぜ。器量よし、腕よし、気風よし。ただし、言い寄る男は全員撃沈」
「……全員?」
「全員。商家の息子も、隊商の若頭も、みーんな『あんたにはもっといい相手がいるよ』って笑顔で流されて終わり。誰にも靡かない。……なのに」
ラルフは、ジークの手元の香草茶を指差した。
「おまえにだけは、ずいぶん世話を焼くらしいじゃねえか」
ジークの心臓が、鎧の下で不穏な音を立てた。
(俺に、だけ)
違う、と理性が言う。彼女は誰にでも親切だ。だが騎士団という場所は、こうと決めた話を撤回しない人間の集まりである。しかもこの話は、その日のうちに詰め所を一周した。
「若様の想い人、薬屋の看板娘」
翌週、ジークが哨戒から戻ると、なぜか小隊の全員が灯火堂で傷薬を買うようになっていた。
「いやー、灯火堂の薬はよく効くって聞いてよ」
「メリルちゃん、うちのジークがいつも世話になってます!」
そして小隊の連中は帰り道、口々に言うのだ。「ありゃいい嫁になるぞ」「若様、早くしないと余所に取られますよ」「なんなら団長に仲人を――」
「よ、よせ。彼女に迷惑がかかる」
止める声に、力がない。
(迷惑。そうだ、迷惑だ。……迷惑、だろうか)
包帯を巻く指を思い出す。説教のあとの、仕方なさそうな笑顔を思い出す。『あんたに何かあったら悲しむ人間がいる』――あの言葉を、思い出す。
ジーク・アルステッドは剣一筋の男であり、退路を断った突撃しか知らない。
その恋愛観のまずさに気づく者は、残念ながら騎士団には一人もいなかった。むしろ全員で背中を押した。
かくして外堀は、本人たちの与り知らぬところで、着々と埋め立てられていくのである。