TS元おじさん薬屋娘、常連の朴念仁騎士を後輩のつもりで餌付けしていたら、騎士団総出で外堀を埋められていた   作:べ¥

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求婚作戦本部と、雨の朝の横顔(ジーク視点)

冬の入り口、詰め所の会議室の扉に、見慣れない木札が掛かった。

 

曰く――「求婚作戦本部」。

 

「団長。これは、何ですか」

 

「見ての通りじゃ」

 

ゲオルク・ハウザーは、堂々と胸を張った。

 

「伯爵家の公認は出た。外堀は埋まった。残るは本丸への白旗、すなわち貴様の求婚のみ。じゃがな、貴様に単独行を任せると、年単位で塩漬けになる。これまでの実績が証明しとる。よって、騎士団が全面支援する」

 

「職権の、乱用では」

 

「文句があるなら、明日にでも自力で申し込んでみせい」

 

ジークは黙った。黙った時点で、敗北だった。

 

会議室の黒板には、すでに作戦図が描き上がっていた。ランタン祭りの丘。打ち上げの花火。第三小隊による合唱。花弁の雨。どこかの恋愛叙事詩から丸写ししてきたような演出の数々が、几帳面な字で、時刻まで割り振られている。作戦名「本丸白旗」。誰がつけた。

 

「資料もあります!」

 

新兵が誇らしげに差し出した紙束の表紙には、『メリル様攻略資料・改訂七版』とあった。捲ると、好物の屋台(市場の東の串焼き。焦げ目は塩がよい)、苦手な話題(健康診断、歳の話)、営業スマイルの見分け方(目が笑っておられない。ただし判別精度、推定三割)まで、事細かに書き込まれている。

 

「……おまえたち。哨戒の記録より詳しいのは、なぜだ」

 

「愛です!」

 

即答である。返す言葉がなかった。しかも数日後には王都の兄から『作戦の経費は伯爵家で持つ。ただし花火は過剰投資と査定した。半分に削れ』という手紙まで届いた。誰が兄に報告した。この包囲網は、もはや家と団の共同事業になっている。

 

とはいえ、とジークは黒板の前で考える。演出の華やかさに、心が動かないわけではない。彼女に見せたい景色なら、いくらでもある。だが。

 

「無駄だぜ、たぶん」

 

隣で、ラルフがあっさり言った。

 

「メリルちゃん、ああいう人だぞ。騎士団が花火の火薬を買い込んだ時点で気づく。丘の使用願が出た時点で確信する。当日の朝には段取りを全部読み終わってて、驚く準備をして待ってる。……で、おまえはその驚いたふりを見抜いちまって、落ち込む。までが一連の流れだ」

 

「…………」

 

反論の余地が、どこにもなかった。彼女は段取りの天才だ。前の世で四十二年、それで生きてきた人だ。仕掛ければ、読まれる。読まれれば、あの人は完璧な顔で受け取ってしまう。ジークが欲しいのは、あの顔ではない。

 

「なら、どうすればいい」

 

「知らねえよ、そこまでは。……ま、保険だけは掛けとこうぜ。指輪だ。あれだけは段取りじゃなく、品物と覚悟の勝負だからな」

 

翌日、装飾店の奥で、ラルフは職人と図面を広げた。ジークの注文は、最初から一つだけだった。彼女は手で生きる人だ。薬研を回し、包帯を巻き、帳簿をつける。引っかかる飾りは、仕事の邪魔になる。だが、飾りのない指輪では、俺の気持ちの量に足りない。

 

「……なら、内側だな」

 

ラルフが、図面の輪の内側に、小さな丸を描き込んだ。皮膚に触れる側に、石を埋める。外からは、誰にも見えない。本人にだけ、触れるたびに分かる。

 

「石の色は」

 

「薄橙」即答だった。

 

「あの店の、灯りの色だ」

 

「……おまえさあ。普段の口下手は、どこに置いてくるんだよ、ほんと」

 

職人は「引っかからん角度に磨くには十日くれ」と言った。ジークは頷いて、それから、図面の隅を見つめたまま、しばらく動かなかった。ラルフが「まだ何かあんのか」と聞いた。

 

「……ラルフ。おまえ、気づいているか。彼女の、雨の朝の顔に」

 

「……ああ。ありゃ、あれだろ。遠い目のやつ。まだ、たまにやるよな」

 

気づいたのは、冬の雨が続いた先週だった。開店前の店先で、彼女は箒を持ったまま、ふ、と手を止めた。視線は往来の先、誰もいない灰色の雨の奥に向いていた。長い時間ではない。息を三つ数える間だけ。それから小さく首を振って、いつもの顔に戻る。

 

一度なら、見間違いで済ませた。だが、雨の朝のたびに、同じことが起きた。両想いになって、家にも認められて、あれほどよく笑うようになった人が、雨の朝だけ、誰もいない場所を見る。

 

あの目を、俺は昔から知っている。ここではないどこかを懐かしむ目。楽しそうに笑った直後ほど、深くなる目。前世の話を聞いて、謎には全部、名前がついたはずだった。ついたはずなのに、まだ何かがひとつ、あの人の中で、仕舞われないまま残っている。

 

その晩、ジークは灯火堂の表ではなく、勝手口に回った。婆ちゃんは、いつもの場所で茶を啜っていた。

 

「ふぉっふぉ。指輪の相談なら聞かんぞ、坊や。儂の口は、孫のこととなると滑るでな」

 

「違います。……いえ、それも困りますが、今日は別件です」

 

ジークは、縁台の前に立ったまま、聞いた。

 

「雨の朝、彼女は、何を見ているのですか」

 

婆ちゃんの湯呑みが、止まった。

 

「……気づいたかい」

 

「気づいただけです。意味は、分からんままです」

 

「儂にも、確かなことは分からんよ。あの子は言わんでな。じゃが……見当なら、つく」

 

婆ちゃんは湯呑みを置いて、店の奥へ目をやった。帳場の灯りが、廊下の奥にぼんやり見えた。

 

「あの子の一度目の生はな、坊や。誰にも見送られとらんのじゃ。本人の口から聞いたろう。葬式も、その後も知らん、と。……人はな、終わりを見届けてもらえんかった命を、自分の中で仕舞えんのじゃよ。蓋の閉まらん薬瓶と同じでな。中身が零れんように、ずっと片手で押さえて生きるしかない。あの子の遠い目はな、その手が疲れたときに出るんじゃと、儂は思うとる」

 

葬式も、その後も知らない。

 

あの夜の告白のその一節を、ジークは何百回も思い返してきた。思い返すたび、自責に使ってきた。過労で死んだ人の前で、俺は半年、過労を見せ続けた、と。だが――あの一節には、違う使い道があったのだ。ずっと。

 

「……婆殿。俺は、求婚の前に、しなければならないことがある気がします」

 

「ほう。言うてみ」

 

「メリル……いや、佐々木殿は」

 

一度、息を整えた。この名を口にするのは、あの告白の夜以来、初めてだった。

 

「――まだ、誰にも、弔われていない」

 

婆ちゃんは、長いこと黙っていた。それから、縁台の上で居住まいを正し、深く、頭を下げた。八十近い薬師が、二十二の騎士にである。ジークは慌てた。

 

「ば、婆殿。頭を上げてください」

 

「……あの子の六十年に、ようそこまで辿り着いてくれた。礼を言うぞ、坊や。儂はな、ずっと考えとったんじゃ。あの帳簿だけは、儂には締めてやれん。身内の儂が締めたら、あの子は『気を使わせた』と言うて、また自分を後回しにする。……他人で、身内より近いもんにしか、できん仕事じゃった」

 

「俺はただ……あの人に、雨の朝を、このまま渡したくないだけです」

 

「ふぉっふぉ。それをな、世間じゃ、惚れた欲目と言うんじゃよ」

 

「……惚れた欲目で、結構です」

 

「ふぉっふぉっふぉ。言いよるわ」

 

婆ちゃんは湯呑みを持ち直して、それから、ひとつだけ付け足した。

 

「坊や。弔いはな、派手にやるもんじゃない。じゃが、寂しくやるもんでもないぞ。あの子の一度目はな、四十二年、ようけ働いたんじゃ。……見送りの列は、長い方がええ」

 

見送りの列。ジークの頭に、真っ先に浮かんだ顔ぶれがあった。故人と面識は、誰一人ない。だが恩なら、全員にある。

 

かくして、求婚作戦本部のあずかり知らぬところで、もう一つの計画が静かに動き始めた。場所の手配。参列の人選。婆ちゃん特製の、弔いの香。ジークは生まれて初めて、剣のためでも求婚のためでもない段取りを、一人で組んだ。

 

組みながら、一つだけ、確信していた。

 

段取りの天才であるあの人も、この段取りだけは、読めない。

 

自分の弔いを段取る人間など、この世のどこにもいないからだ。

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