TS元おじさん薬屋娘、常連の朴念仁騎士を後輩のつもりで餌付けしていたら、騎士団総出で外堀を埋められていた   作:べ¥

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佐々木健一の葬式

冷たい雨の朝は、昔から苦手だ。

 

理由は分かってる。前世の最後の朝が、こういう雨だったからだ。傘を差して、いつもの道を行って、いつもの会議室で立ち上がって、そこで終わった。……誰にも言ったことはない。ジークにした身の上話でも、そこだけは省いた。省いたというより、言葉にするための棚が、俺の中に、まだ無かったんだ。

 

だからだろう。冬の雨が降ると、手が勝手に止まる。三つ数える間だけ、どこでもない場所を見て、それから何事もなかったように仕事に戻る。六十年もやってると、こういう癖は、自分でも直し方が分からない。

 

その朝、ジークが開店前の店に来た。正装ではない。普段着だ。なのに、顔だけは死地に向かうやつだった。

 

「メリル。明日、店を休んでもらえないだろうか。婆殿の許可は、取ってある」

 

「……先に婆ちゃんの許可を取るな。順序がおかしいだろ」

 

「順序は、正しい。あなたは店を理由に断る人だからだ。退路は、先に断った」

 

言うようになったもんだ。で、どこへ、と聞いたら、あいつは一度だけ目を伏せて、「明日、言う」とだけ言った。予告するくせに中身を言わない。気になって、その日の調剤を二回やり直した。

 

翌朝は、雨が上がっていた。連れて行かれたのは、ランタン祭りの丘だった。

 

丘の上に、小さな祭壇が組んであった。白い花。婆ちゃん特製の香が、細く煙を上げている。中央には、木の札が一枚、立ててあった。几帳面な、けれど彫り慣れていない字で、こうあった。

 

『佐々木健一之灯』

 

……息が、止まった。

 

「墓は、作れなかった」

 

ジークが、隣で静かに言った。

 

「骨も、位牌も、この世界にはない。だから、灯にした。あなたの世界の弔いの作法を、婆殿と調べようとしたが、分からなかった。間違っていたら、すまない」

 

「な……に、これ。なんだよ、これ」

 

「葬儀だ。――佐々木健一殿の」

 

声が、出なかった。

 

「あなたは言った。葬式も、その後も知らない、と。……それは、まだ終わっていない、ということだと思った。誰にも見送られていない人が、あなたの中に一人、ずっと立ったままでいる。なら、見送るべきだと思った。遅れたが……十九年ほど、遅れたが。弔いに、遅すぎるということはないと、婆殿が言っていた」

 

婆ちゃんが、丘の上にいた。目が合うと、あの人は何も言わずに、ただ頷いた。

そして、丘の下から、ざく、ざく、と足音がした。

 

見下ろすと――第三小隊が、隊列を組んで登ってきた。全員、礼装だった。先頭のラルフが敬礼して、生真面目に言った。

 

「自分たちは、故人と面識はありません。ですが……恩人の恩人であります。参列の許可を、願います」

 

その後ろから団長まで登ってきた。あんたら仕事はどうした。哨戒はどうした。……駄目だ。涙腺が、もう、開店前から在庫切れを起こしそうだ。

 

弔いは、静かに始まった。婆ちゃんが香を焚き、ジークが祭壇の前に立った。弔辞、というやつだった。あいつは懐から紙を出して、開いて、それから畳んで、しまった。書いてきたものを、読まなかった。

 

「――会ったことのない、佐々木健一殿へ」

 

まっすぐ、木札を見て言った。

 

「あなたが四十二年かけて作り上げた人に、俺は、命を救われました。一度は戸板の上で。数えきれない回数は、日々の帳場で。あなたが二十年、部下の顔色を読み続けた目が、俺の空腹と、不眠と、隠した傷を見つけました。あなたが守り続けた、潰れる前に休ませるという流儀は、いまは俺の隊の背骨になっています。……あなたの人生が報われなかったと、あなた自身は思ったまま倒れたのかもしれない。ですが、報告します。あなたの四十二年は、世界を一つ挟んで、全部、生きています。あなたの人生は、無駄ではなかった。――俺が、証人です」

 

……ずるいだろ、そんなの。

 

第三小隊が、一斉に鼻をすすった。団長が「風が強いのう」と言った。無風だった。

 

「メリルや」婆ちゃんが、俺を見た。

 

「挨拶じゃ」

 

「……俺もかよ」

 

「ほかに誰がおる」

 

祭壇の前に立った。木札の、几帳面な彫り跡を見た。あいつ、彫り慣れない小刀で、何日かけたんだろうな、これ。……さて。自分の弔辞なんて、六十年生きて、初めてだ。営業二課の佐々木なら、こういうとき、どうする。決まってる。結論から話すんだ。

 

「――佐々木健一。享年四十二。最終役職、営業二課課長」

 

声は、思ったより、ちゃんと出た。

 

「こいつは、馬鹿な男でした。売上の数字は一度も誤魔化さなかったくせに、自分の疲れだけは二十年誤魔化した。部下の飯の心配はするくせに、自分の冷蔵庫には栄養剤しかなかった。見合いは全部断って、健康診断からは逃げ回って、最後は会議の資料の引き継ぎを心配しながら倒れました。……葬式に誰が来たのか、こいつは知りません。ずっと、気にしてました。誰も来なかったんじゃないかって。自分の人生は、勘定の合わない赤字だったんじゃないかって」

 

息を吸った。丘の風は、冷たくて、うまかった。

 

「でも、今日、参列者がこんなにいる。……おい、佐々木。見ろよ。あんたの葬式、礼装の騎士がひと小隊と、団長と、薬師と……あんたの、恋人が立って見送ってる。赤字じゃなかったぞ。回収に十九年かかっただけだ。……お疲れさん。あんたの仕事は、全部、俺が引き継いだ。だから安心して――定時で、上がってくれ」

 

言い切れた。最後まで、声は崩れなかった。……頬は、最初から最後まで、濡れっぱなしだったけどな。

 

それから、ランタンを一つ、空に流した。帰らなかった者の魂が、家路に迷わないための灯り。あの祭りの夜、ジークが教えてくれたやつだ。火を入れるとき、手が少し震えたので、ジークが横から手を添えた。物理的合理性ってやつだ。今日ばかりは、言い訳の一言も出なかった。

 

薄橙の火が、冬の空をゆっくり登っていく。第三小隊の連中が、いつの間にか抜剣して、切っ先を空に揃えていた。騎士の見送りの最敬礼だという。故人は剣なんか一度も握ったことがないんだが――いや。書類と数字で殴り合う世界の、あれも戦場だったか。なら、受け取っておけ、佐々木。

 

「……なあ、ジーク」

 

「なんだ」

 

「あいつ、迷わず帰れるかな。あっちの世界まで、遠いぞ」

 

「迷わない」

 

即答だった。

 

「帰り道の目印なら、もう、ここにある。……あの人は十九年前から、とっくに帰っている。この街の、灯の消えない薬屋に」

 

――そういうことを、言うんだよ、この男は。

 

俺は、あいつの外套の袖を掴んで、しばらく顔を上げられなかった。あんたそういうとこだぞ、と言おうとしたのに、出てきたのは声にならない音だけだった。あいつは何も言わず、俺の頭に、大きな手を乗せた。婆ちゃんの焚いた香の煙が、まっすぐ、空に登っていった。

 

帰り道、婆ちゃんが横に並んで、ぽつりと言った。

 

「これで、一度目の帳簿は締まったの」

 

「……ああ。締まった。繰越金の欄に、化け物みたいな額が書いてあったけどな」

 

「ふぉっふぉ。二度目の帳簿での、ゆっくり使え。……のう、メリルや。次の雨の朝を、おまえがどんな顔で迎えるか、儂は楽しみにしとるぞ」

 

次の雨の朝。俺は店の窓からそれを見て――多分、生まれて初めて、ただの雨だと思った。

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