TS元おじさん薬屋娘、常連の朴念仁騎士を後輩のつもりで餌付けしていたら、騎士団総出で外堀を埋められていた   作:べ¥

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灯りの消えた夜に

言っておくが、俺は全部気づいていた。

 

騎士団が花火の火薬を大量に買い込んだこと。ランタン祭りの丘に「訓練名目」の使用願が出たこと。第三小隊が非番のたびにどこかへ消えて、翌日ガラガラの声で湿布を買いに来ること(合唱の練習だな、音痴どもが)。ラルフが装飾店に日参してること。婆ちゃんが最近、古酒の瓶を勝手口にこっそり運び込んだこと。

 

読める。読めてしまう。俺を誰だと思ってるんだ。段取りを読んで二十年、飯を食ってきた男だぞ。

 

……問題は、読めた後だった。

 

読めた日から、俺は仕事が手につかなくなった。調剤の分量を二度確かめ、釣り銭を三回数え、しまいには常連の婆さんに「あんた今日、心ここにあらずだね」と診察された。薬屋が客に診察されてどうする。

 

「初々しいのう」

 

「うるさい婆ちゃん」

 

「ふぉっふぉ。六十年ものの初々しさじゃ。よう漬かっとる」

 

漬物みたいに言うな。……ああ、そうだよ。待ってるんだよ、こっちは。いつ来るのか分からない「その日」を、驚く準備までして待ってる。我ながら、締まらないことこの上ない。

 

前世の俺なら、こう査定しただろう。先方の提案内容は既知、条件面の合意は確実、あとは調印日を待つだけの案件。緊張する要素はゼロ。……その査定が、まるで役に立たなかった。調印相手があいつだというだけで、六十年物の心臓が、新人の初商談みたいに騒ぐ。恋愛ってのは、キャリアが通用しない業種なんだ。今さらだけどな。

 

で、当日――らしき日は、多分、あの日だった。朝から第三小隊が丘の方へ駆けていき、ラルフが「今夜、店、早じまいにしといたら?」と世界一下手な芝居を打ちに来た日。

 

その日の午後から、雪になった。

 

初雪なんて可愛いもんじゃなかった。夕方には往来が白く埋まり、夜には音のない大雪になった。花火なんか上がるわけがない。丘は膝まで雪だろう。合唱隊は――窓の外を、雪かき用の鋤を担いだ第三小隊が、無言で駆けていくのが見えた。哀愁がすごい。

 

「……中止、だな。こりゃ」

 

覚悟してたはずなのに、口に出したら、思ったより、しょんぼりした声が出た。婆ちゃんが何か言いかけた、そのときだった。店の灯りが、ふ、と揺れた。

 

風だ。北風がひとつ唸って、表の看板の灯りが――消えた。

 

朝まで消えない灯火堂の看板が、だ。慌てて表に出たら、灯り受けの覆いが風でやられてた。この雪じゃ、屋根に登っての修理は無理だ。婆ちゃんは「今夜は諦め。中の蝋燭で十分じゃろ」と言って、奥に引っ込んだ。……なんだよ、まったく。作戦は流れるし、看板は消えるし。天気ってやつは、いつも段取りの外から殴ってくる。だから嫌いなんだ。

 

カラン、と鈴が鳴ったのは、その直後だった。

 

雪まみれの大男が、戸口に立っていた。肩にも髪にも雪が積もって、雪像の出来損ないみたいになった騎士サマが、開口一番、生真面目に報告した。

 

「作戦は、全滅した」

 

「知ってる」

 

「花火は湿気た。丘は雪で使えん。合唱隊は雪かきに徴用されて、声が潰れた。ラルフは……よく分からんが、どこかの雪だまりで転がっている」

 

「知ってる。というか、全部読めてた。三日前から」

 

「…………そうか。読めて、いたか」

 

雪まみれの肩が、目に見えて、しゅんとした。でかい図体で、分かりやすく落ち込むな。笑うだろうが。……実際、俺は笑ってしまった。堪えきれなかった。あいつも、つられて三ミリ笑った。蝋燭一本の店の中で、二人して、馬鹿みたいに笑った。

 

「……なあ、ジーク。座れよ。茶ぁ淹れる。今夜はもう、客も来ない」

 

「いや」

 

あいつは、動かなかった。雪の溶けかけた外套のまま、蝋燭の灯りの届くところまで歩いてきて――床に、片膝をついた。

 

「作戦は全滅した。段取りも、演出も、全部失った。……だから、ありのままで言う。もとより、あなたに段取りが通じないことは、最初から分かっていた」

 

懐から出てきたのは、小さな、固い箱だった。

 

待て。心の準備が。いや、してた。三日前からしてた。してたのに、いざ来たら、準備した分が全部吹っ飛んだ。段取りを読める人間の弱点を教えてやろうか。読みが外れた瞬間が、一番弱いんだ。

 

箱の中には、銀の細い指輪が入っていた。飾り気のない、実用一点張りの輪。薬研を回す手にも、包帯を巻く手にも、引っかかるもののない、それだけの素朴な――

 

いや、違った。

 

「石は、内側に埋めてもらった」

 

蝋燭の灯りに、輪の内側で、薄橙の小さな石が、ちらりと光った。

 

「あなたは、手で生きる人だ。飾りは仕事の邪魔になる。だが、飾りのない指輪では、俺の気持ちの量に足りん。だから、内側に。外からは、誰にも見えない。あなたにだけ、触れるたびに分かる場所に」

 

「……あんた、それ」

 

「色は、この店の灯りと同じにした。看板の灯りは、今夜のように、風で消えることもある。……だから、予備を作った。肌身から離れず、風では消えない灯りを、一つ」

 

この男は。口下手のくせに。百通書いて一行も出せなかった男のくせに。どうして、こういうときだけ、一発で満点を出すんだ。

 

「メリル・ハーティ」

 

フルネームで呼ばれた。あいつがそう呼ぶのは、本当に大事なときだけだ。

 

「俺と、夫婦になってほしい。あなたが、どこの世界の、何年目の、誰であっても――俺の答えは、あなたと会った日から、一度も変わっていない」

 

蝋燭が一本きりの、灯りの消えた灯火堂で。

 

俺は六十年間で初めて、逃げ道を一本も探さずに、返事をした。

 

「……はい」

 

二文字が、こんなに重くて、こんなに軽いとは知らなかった。言った瞬間、肩から、何十年ぶんかの何かが、どさりと下りた。

 

指輪をはめるのに、あいつは三分かかった。手が震えてたからだ。俺のも、あいつのも。内側の石が、指の腹に、こつんと当たった。他人には見えない。俺にだけ分かる場所に、あいつの全部がある。

 

「……合うか」

 

「合う。……なあ、ジーク。ひとつ白状するけどな。作戦、読めてて、俺、ずっと待ってた。仕事が手につかないくらい、待ってた。……だから、その、なんだ。雪、降ってくれて、よかったよ。おかげで、花火の付いてない、一番いいやつが来た」

 

「……そうか」

 

「そうだよ。段取りなんか、要らなかったんだ。最初から」

 

あいつは、三ミリどころじゃない笑い方をした。それから奥の扉が勢いよく開いて、婆ちゃんが古酒の瓶を両手に抱えて登場した。

 

「ふぉっふぉっふぉ! 祝着祝着ゥ! 言うたろ、蝋燭で十分じゃと!」

 

「……婆ちゃん。あんた、看板の灯り、まさかとは思うが」

 

「風のせいじゃよ、風の」

 

目が笑ってた。この婆さん、天気まで段取りに組み込みやがったのか。……いや、まさかな。まさか、だよな?

 

三人で杯を交わした。婆ちゃんは杯を上げて、「一度目の分も、二度目の分も、まとめて祝着」と言った。まとめて祝われた男が前世に一人いる。あいつの分も、今夜は飲んでおくことにした。

 

窓の外では雪が音もなく積もり続けて、看板の灯りは消えたままで、それなのに、店の中は、いつもの夜より明るかった。左手の内側で、薄橙の石が、蝋燭の火を受けて、静かに光っていた。ジークが「灯りが消えていて、良かった」と言うので、理由を聞いたら、「蝋燭一本の方が、あなたの顔が、よく見えた」と大真面目に返された。あんたそういうとこだぞ。本当に、そういうとこだぞ。

 

翌朝は、雪晴れだった。俺とあいつは、屋根に登って、二人で看板の灯りを直して、点け直した。

 

何年でも消えない方の灯りなら――もう、点いてる。内側に、一つ。

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