TS元おじさん薬屋娘、常連の朴念仁騎士を後輩のつもりで餌付けしていたら、騎士団総出で外堀を埋められていた   作:べ¥

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誓いの言葉は、処方箋のように

式は春、ランタン祭りの丘で挙げた。

 

貴族式にしなかった理由は、伯爵家からの一筆で決まった。

 

『あの娘の客が全員入る式場など、王都にもない。丘でやれ。経費は持つ』

 

財務局の次男が代筆したにしては、ずいぶん気前のいい査定だった。あとで聞いたら「披露宴の会場費を省く分、総額では黒字」らしい。あの家は、祝福まで帳簿でやる。

 

で、当日。丘は、本当に人で埋まった。

 

第三小隊は全員礼装で、朝から整列と解散を三回繰り返していた(何の予行だ)。三番街の連中、薬師ギルド、常連の婆さん連中、行商人。あの乗合馬車の御者まで来てた。

 

天幕の中で、婆ちゃんが花嫁衣装に最後の針を入れてくれた。婆ちゃんの手縫いだ。袖口には薬草の刺繍、裾は引っかからない長さ、隠しには絆創膏が三枚入る。実用性の鬼。でも、髪に薄橙の硝子の髪飾りを挿してくれた手つきだけは、絹でも扱うみたいだった。

 

「……別嬪じゃの」

 

「中身は、おっさんだけどな」

 

「六十年かけて、ええ顔になった。……儂の、自慢の孫じゃよ」

 

泣かせにくるな、本番前に。化粧が落ちるだろうが。

 

騒ぎが起きたのは、式の直前だった。丘の入り口の方で、第三小隊が一斉に敬礼する音がして、人垣が割れた。

 

――アルステッド伯爵グレゴール。当人が、そこにいた。

 

「え、義父上!? 膝で長旅は無理だと、家令さんから文が」

 

「膝の調子がよい。誰かの膏薬のおかげでな」

 

岩は、しれっとそう言った。後ろでレオンハルトが「父上は『代理は許さん』と言い出して、この二週間、毎朝膝の屈伸をしていた」と暴露し、扇子で口元を隠した。家令のじいさんが、その後ろで滝のように泣いていた。まだ式、始まってないぞ。

 

そして伯爵は、来賓席の一番前へは行かず――縁台代わりの腰掛けに座っていた、うちの婆ちゃんの前で、足を止めた。

 

丘が、静かになった。

 

「……軍医殿。四十年ぶりだ」

 

婆ちゃんは、湯呑み(式にまで持ってきてた)を置いて、目を細めた。

 

「誰かと思えば……減らず口の坊主かい。大きゅうなったのう」

 

「もう、六十だ」

 

「儂の帳簿では、はたちのまんまじゃよ。膝の療養をさぼって夜稽古しとった、阿呆の欄にの」

 

「……その節は」

 

伯爵は、そこで、深々と頭を下げた。辺境一帯の主が、田舎薬師の婆さんに、である。丘中の騎士が凍りついた。レオンハルトの扇子が止まった。

 

「四十年、言い損ねたままだった。……世話になった。あなたが儂の膝を戦場で繋がなかったら、儂の家も、息子らも、今日のこの式も、なかった。礼を言う」

 

「ふぉっふぉ」

 

婆ちゃんは、笑った。いつもの「ふぉっふぉ」より、三ミリだけ、湿った音だった。

 

「四十年も寝かせおって。利子が、ずいぶんついたのう。……じゃが、ちょうどええわい。今日、孫で受け取る。あんたの息子が、儂の孫を幸せにする。それで帳消しじゃ」

 

「高い利子だ」と伯爵は言った。

 

「だが、二言はない」

 

……この式、始まる前から山場が来てるんだが。俺の涙腺の在庫で、最後まで持つのか。

 

ちなみに新郎はといえば、天幕の反対側で、団長相手に口上の最終確認をやらされていた。漏れ聞こえてくる限り、「噛んだら椀飯振舞い」という賭けが騎士団内で成立しているらしい。倍率は聞かなかった。聞いたら、俺も一口乗りたくなるからだ。新婦が新郎の噛みに賭ける式が、どこの世界にある。

 

やがて、鐘が鳴った。婆ちゃんが俺の背中を、小さくひとつ押した。あの日、詰め所に突撃した朝と、同じ手だった。

 

誓いの言葉は、自分たちで書いた。神父様の定型文は、俺たちには他人の処方箋みたいなもんだからだ。効き目ってのは、自分の症状に合わせて配合するに限る。

 

前日の夜、二人で書き上げた処方箋には、婆ちゃんの検分が入った。「成分表はよし。副作用の欄が甘い」との査定で、二人とも一項目ずつ追記させられている。俺の追記は「発作的な逃走」。あいつの追記は「過剰な餌の摂取」。……どっちも、既往歴ありだ。処方箋ってのは、正直に書くほど、よく効く。

 

先に、ジーク。正装の騎士は、紙を持たず、噛みもせず、まっすぐ俺だけを見て言った。

 

「私、ジーク・アルステッドは、メリルに、以下を処方します。用法――『ただいま』を、一日一回、生涯欠かさず。用量――何があっても、必ず生きて帰ること。副作用として、飯を抜かず、眠り、傷を隠しません。……効能は、あなたの帰る場所が、一生消えないこと。以上です」

 

参列の騎士団から「若様、満点です!」「観察日誌に永久保存!」と野次が飛んで、団長に後頭部をはたかれていた。採点するな。日誌に載せるな。

 

次に、俺。

 

「私、メリル・ハーティは、ジークに、以下を処方します。用法――説教を、必要なとき、必要なだけ。用量――蜂蜜は、増量のまま。副作用として……幸せから、もう逃げません。逃げそうになったら、ジークが捕まえる。捕まったら、観念する。それを、生涯誓います」

 

一度、言葉を切った。丘の風が、薄橙の髪飾りを揺らした。

 

「――効能は、一生。この人生、まるごと全部。……処方は以上だ。受け取れ」

 

「受領した」

 

即答だった。即答の威力は、今日も恐ろしかった。……あと、あいつは最後まで一度も噛まなかったので、騎士団のどこかで悲鳴が上がった。賭けの胴元だな、あれは。ざまあみろ。

 

誓いの口づけのとき、第三小隊は全員決壊し、団長は「花粉じゃ」と言い張り、伯爵は無表情のまま滝だった。血筋か。レオンハルトだけが「処方箋形式。合理的だ」と真顔で呟いてた。あの兄は、最後までぶれない。鶏が、ばさばさと羽ばたいた。だから、おまえは本当に何なんだ。

 

式のあと、婆ちゃんが俺たち二人の頭に、皺だらけの手を一つずつ乗せた。

 

「人を好きになるのに、資格なんぞ要らん。幸せになるのにも、じゃ。……ようやっと、二人とも、分かったの」

 

「……ようやく、な」

 

「遅い遅い。じゃが、効いた薬に、早いも遅いもないわい」

 

それから婆ちゃんは、俺の耳元にだけ、小さく付け足した。「一度目の分まで、幸せになるんじゃぞ。未払いの給金、まだ残高があるでの」。……最後まで、そういうことを言う婆さんだ。返事の代わりに、俺は一回だけ、深く頷いた。

 

夕暮れ、丘のランタンに火が入った。薄橙の灯りが、丘から街へ、連なって揺れた。俺は、あの祭りの夜を思い出していた。『あんたは俺のこと、何も知らないんだぜ』と線を引いた夜。あいつは『なら、これから知る。時間は、ある』と返した。……時間は、あった。あいつの言った通りだった。全部知られて、全部弔われて、全部受け取られて、俺はいま、ここに立ってる。

 

「帰ろう、メリル。……手を」

 

「おう。……なんだよ、その手は。今日はもう、はぐれる人混みもないぞ」

 

「……物理的合理性は、丘の下りでは、ある。足元が暗い」

 

「はいはい。物理的合理性、物理的合理性」

 

もう何十回目か分からない言い訳に、初めて、素直に手を重ねた。騎士の手はでかくて、硬くて、火傷しそうにあったかかった。最初の市場の日から、何も変わってない。変わったのは、俺の方だ。

 

丘を下りる道の先では、三番街の連中が勝手に宴会を始めていて、団長が樽を開けていて、伯爵と婆ちゃんが縁台で四十年ぶんの茶を飲んでいた。灯火堂の看板の灯りだけが、今夜は消えている。看板娘が、ここにいるからだ。

 

明日からは、また点く。一生、点く。今度は、二人で点けるんだ。

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