TS元おじさん薬屋娘、常連の朴念仁騎士を後輩のつもりで餌付けしていたら、騎士団総出で外堀を埋められていた   作:べ¥

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エピローグ 小さな看板娘

数年後の灯火堂には、俺より早起きの店員がいる。

 

「かんばんむすめ、しゅっきんです!」

 

朝の帳場に、ちびすけが踏み台を引きずってくる。マルタ・アルステッド、三歳。うちの娘だ。蜂蜜色の髪に、父親譲りの生真面目な顔で、毎朝、開店前の帳場によじ登る。仕事は、入口の鈴の見張りと、乾いた花の水やり。

 

名前は、婆ちゃんから貰った。

 

生まれる前の晩、候補を並べていて、気づいたんだ。この街の誰も、婆ちゃんを名前で呼ばない。俺も、ジークも、団長も、三番街の連中も、みんな「婆ちゃん」「婆殿」「軍医殿」。八十年からを生きてきた人の名前が、日常のどこにもない。

 

「なあ、婆ちゃん。あんたの名前、貰っていいか」

 

聞いたら、婆ちゃんは、茶を吹いた。あの婆ちゃんが、だ。それから「……好きにせい」とだけ言って、その晩はずっと、縁台で空を見てた。ふぉっふぉ、は聞こえなかった。代わりに、洟をすする音が、一回だけした。聞かなかったことにしてある。

 

以来、うちには、マルタが二人いる。ちびすけは婆ちゃんを「おっきいマルタ」と呼ぶ。婆ちゃんは「年寄り扱いするでない」と怒るくせに、呼ばれるたび、口元が三ミリ緩む。その笑い方、血は繋がってないはずなんだけどな。教育の力か。

 

ジークは、副団長になった。書類仕事が増えたと言って、夕方はうちの帳場の隅で報告書を書いている。詰め所より集中できるらしい。おかげでうちの店は、薬草と包帯と剣の手入れ油の匂いがする、よく分からない店になった。

 

「ちちうえ。おひるごはん、ぬいたら、めっ、です」

 

「抜いていない。……本当だ。メリル、証言を頼む」

 

「今日は白だな。昼に携行食の包み紙、二枚回収した」

 

「かいしゅうに、ごまかしなし。かんばんむすめは、みてます」

 

娘は、客の顔色を読む。三歳のくせに、だ。「おきゃくさん、おなかいたいの、うそ。ほんとは、ねてないの」と言い当てて、常連を仰天させたことが二回ある。血じゃない。教育だ。毎日、帳場の特等席から、俺の仕事を見てるからだ。……まあ、その目つきが営業二課の誰かさんにそっくりだと婆ちゃんは言うが、知らん。俺は何も知らん。

 

ついでに言うと、この娘、伯爵家の本丸を三日で落とした。初めて顔を見せに行った日、あの岩みたいな義父上が、孫を膝に乗せたまま二時間動かなかったのだ。家令のじいさん曰く「旦那様のあのお顔は、四十年お仕えして初めて」。以来、王都からの定期便には、胃薬の依頼書に交じって『マルタ嬢の近況を報告されたし。絵姿があれば尚可』という一文が必ず入る。財務局の伯父上まで、だ。アルステッド家の外堀の埋め方は、孫の代にも健在らしい。埋められてるのは、あっちの方だけどな。

 

パン屋の娘のリーナが、弟子として通ってくる。携行食の改良が上手い。蜂蜜増量のさらに上、「遠征用・特増し」はあの子の発明だ。ラルフは相変わらず騎士のままだが、店に来るたび、新規の客に指輪の内側の石の解説を始めるので、たまに追い出す。あの装飾店の目利き話、街の全員がもう三回は聞いてるぞ。ただ、娘が生まれた日に、あいつが徹夜で作ってきた「鈴の音のする小さな腕輪」だけは、素直に礼を言った。うちの娘の「かんばんむすめ」の制服みたいなもんだ。歩くたび、ちりちり鳴る。鈴の音で始まる家系なんだ、うちは。

 

薬師ギルドの正式な看板も、いつの間にか板壁に馴染んだ。試験は結局、王都まで受けに行った。ジークが護衛と称してついてきて、俺より緊張してた。合格証書より、あいつの「よかった」の方が、よっぽど胸に残ってる。

 

夜は、三人で飯を食う。二人前が三人前になって、食卓は倍うるさくなった。娘は父親の皿から芋を強奪し、父親は「育ち盛りだから、いい」と全面降伏し、俺が「甘やかすな。糖分は足りてる」と説教する。「糖分は要る、があなたの持論では」「俺の台詞を俺に使うな」。前世の冷蔵庫には、栄養剤と、賞味期限の切れた何かしか入ってなかった。あの頃の俺に見せてやりたいよ。おまえの食卓は、二回目で、こうなるぞって。

 

たまに、婆ちゃんも交ざる。四人になった食卓で、婆ちゃんは決まって同じことを言う。「賑やかでええの」。それだけだ。それだけなんだが、この店で六十年、飯を食ってきた人の「賑やかでええの」は、どんな祝辞より重い。俺は毎回、聞こえなかったふりをして、汁のお代わりをよそう。目の奥が熱くなった顔は、湯気のせいにできるからだ。

 

「せんせー、めりるせんせー」

 

……最近、近所のガキどもまで俺を先生と呼ぶ。やめろ。ただの薬屋だ。と言ってるそばから、うちの娘が「せんせいの、むすめです」と名乗って営業を始める。誰に習ったんだ、その挨拶。俺か。俺だな。婆ちゃんが縁台で「三代目じゃの」と笑う。二代目は俺か。それとも佐々木から数えて三代目か。……どっちでも、いいか。系譜ってのは、血より、帳場で受け継がれるもんらしい。

 

閉店間際、カラン、と鈴が鳴った。哨戒帰りの若い騎士が、遠慮がちに顔を出す。今年配属の新顔だ。今日は無傷。ただ、目の下に隈がある。

 

「すまない、遅くに。まだ、開いて……」

 

「開いてる開いてる。座んな。その顔、二晩ぶんの寝不足だな」

 

「あ、はい……えっ」

 

「みっつ、です」ちびすけが、帳場から指を三本立てた。「おめめのくま、みっかぶん、です」

 

「……姫様にまで、お見通しですか」

 

「うちは、みんなお見通しなんだよ。諦めて座んな。三代がかりで診てやる」

 

若いのが苦笑いして、丸椅子に座る。ジークが報告書から顔を上げて、「観念しろ。ここの説教は、よく効くぞ」と、先輩面で言う。おっきいマルタが縁台から「茶ぁ、淹れてやり」と指示を出す。ちいさいマルタが、蜂蜜増量の携行食を、両手で大事そうに運んでいく。

 

……いい店だろ。自慢なんだ、これでも。

 

婆ちゃんの言った通りだ。薬屋は、傷を治すところ。店は、人が帰ってくるところ。うちは、その両方だ。

 

手当ての最中、若いのの腹が、三回鳴った。俺と、ジークと、婆ちゃんの視線が、同時に交差した。三回。うちの店じゃ、由緒正しい数字だ。娘が蜂蜜増量をもう一つ、黙って皿に足した。……ああ、こいつは、通うな。賭けてもいい。

 

若いのの手当てを終えて、店の灯りをひとつ落とす。娘はもう、ジークの膝で寝ている。看板の灯りだけは、今夜も点けたままにする。この街の誰かが、いつか、あの灯りを目印に帰ってくるかもしれないからだ。

 

雨の朝は、今でもたまに来る。手は、もう止まらない。ただ、年に一度、冬の初めの雨の日だけ、うちは午後から店を閉める。丘に登って、あの木札に香を焚いて、この一年の報告をする日だ。娘は去年から「けんいちのおじちゃん」の札に、摘んだ花を供えるようになった。誰なの、と聞かれたから、こう答えてある。「母ちゃんの、一番古い知り合い。働き者で、馬鹿な、いい男だよ」。嘘は、ひとつもない。

 

前世の佐々木健一は、会議室で倒れて、そこで全部終わったと思っていた。終わってなかった。あいつの四十二年は、いまも全部ここで生きてる。処方も、説教も、顔色を読む目も――そのまた次の、小さな代にまで。

 

カラン、と鈴が鳴る。娘が寝ぼけて、夢の中で「いらっしゃいませ」と呟いた。腕輪の小さな鈴も、ちり、と応えた。

 

俺は、帳場から立ち上がる。

 

二度目の人生は、まだまだ、営業時間中だ。




本編完結となります。
読んでいただきありがとうございます。

外伝
・「若様観察日誌」
・「儂は全部知っとった」 

も投稿予定です。
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