TS元おじさん薬屋娘、常連の朴念仁騎士を後輩のつもりで餌付けしていたら、騎士団総出で外堀を埋められていた 作:べ¥
「話が、ある」
正装のジークは、そう言ったきり石像になった。
長い。沈黙が長い。俺は昨夜ほぼ一睡もしていない頭で、必死に平静を装っていた。落ち着け佐々木。相手はただの後輩だ。後輩が正装で、死地に向かう顔で、店の真ん中に直立しているだけだ。全然ただ事じゃないな?
というか正装って何だ。騎士団の礼服だぞ、それ。式典と葬式にしか着ないやつだろ。うちは薬屋だ。式典要素がどこにある。
「……あー。とりあえず座れば」
「立ったままで、いい。座ると、覚悟が鈍る」
「何の覚悟だよ」
「…………」
また石像に戻った。時計の針の音だけが響く。俺は待った。営業の鉄則その一、沈黙を先に破った方が負ける。……いや、これ商談じゃないんだけども。
三分経過。さすがに心配になってきた。こいつ、呼吸してるか?
「おーい。ジークさん? 生きてるか?」
「生きて、いる。今、頭の中で口上を、最初からやり直していた」
「最初から!? 三分丸ごと!?」
「四回目だ」
「四回!?」
駄目だこいつ、早くなんとかしないと日が暮れる。
「実は」
ジークは深く息を吸った。鎧なしでも分かるくらい、胸が上下した。
「アルステッド家に……俺に、見合いの話が、来ている」
来た。団長の言っていたやつだ。俺は昨夜さんざん転がり回った感情を、腹の底に押し込んだ。笑え。営業スマイルだ。二十年やってきただろう。
「へえ。おめでとう、って言えばいいのか?」
「違う!」
店の瓶が震えるような声だった。ジーク本人が一番びっくりした顔をして、それから絞り出すように続けた。
「違う、のだ。俺は、その話を受けたくない。受けたくない理由が、ある。それは、その、つまり」
耳まで赤い。目が泳いでいる。手が所在なさげに剣の柄を探して、今日は剣がないことに気づいて行き場を失う。
――ああ、まずい。これはまずいやつだ。
この流れは知っている。前世で若手に「課長、折り入って話が」と会議室に呼ばれたときと同じ空気だ。あのときは辞表だったが、今回は多分、もっとまずい。この朴念仁は今から、言ってはいけないことを言おうとしている。言われたら、俺はもう「いつも通り」に戻れない。
だから俺は、先回りした。
「分かった、皆まで言うな」
「え」
「断る口実が要るんだろ、見合いの」
「……え?」
「察しはつくよ。あんた真面目だから、ただ『嫌だ』じゃ親を説得できない。『心に決めた相手がいる』とでも言わなきゃ収まらない。で、その相手役を探してる。……違うか?」
ジークは口を開け、閉じ、開けた。違う、と言おうとしているのは俺にも分かった。分かった上で、俺は畳みかけた。これは防衛だ。中身おっさんの俺が、あんたの本気を受け取っちゃいけないんだ。
「いいぜ、俺がやる。恋人のフリ」
「…………フリ」
「おう。日頃の売上に貢献してもらってるからな、これくらいは薬屋のアフターサービスだ。見合いが完全に片付くまで、恋人ってことにしとけばいい」
沈黙。長い長い沈黙のあと、ジークは目を閉じて、何かを飲み込んで、深々と――それはもう、騎士の礼としても深すぎるくらい深々と頭を下げた。
「……よろしく、頼む」
「おう。任された」
ジークは顔を上げた。その目が、契約の相手を見る目じゃなく、祈るみたいな目だった。危ない。そういう目を向けられると、俺の営業鉄仮面にヒビが入る。
「……本当に、いいのか。メリルに、迷惑は」
「迷惑なら最初から断る。あんたが来た時点で、俺の店はもう騎士団の私物化してる。迷惑の上限、とっくに超えてる」
「それは、別の話だ」
「同じ話だ。で、本題に戻るが――」
俺は咳払いで話題を戻した。こいつ、真面目に「迷惑かどうか」を心配してる暇があるなら、見合い相手の令嬢の方が迷惑だろうが。……いや、それもまた、俺が勝手に決めつけてるだけか。
そうと決まれば、話は早い。俺はカウンターから紙とペンを引っ張り出した。
「じゃ、条件を詰めるぞ。まず期間。見合いの話が完全に立ち消えるまで。次に呼び方。今まで通りメリルでいい。それから対外的な設定だが、馴れ初めは『手当てがきっかけ』。これは事実だから口裏合わせの必要がない。嘘は事実に近いほどバレない。いいな?」
「メリルは……こういう交渉に、慣れているのだな」
「昔取った杵柄ってやつだ。あと重要なのがこれだ。互いに、本当に好きな相手ができたら、即座にこの契約は解消する。違約金なし、遺恨なし。……ここ、一番大事だからな」
言いながら、俺は自分の胸に釘を打った。そうだ。これは期限付きの契約だ。あいつにいつか「本当に好きな相手」ができたら、笑って判子を押す。それが今回の取引の、俺側の条件だ。
ジークは、その条項のところだけ、長いこと黙って紙を見ていた。
「……承知した」
声が少し硬かったのは、まあ、慣れない契約書だからだろう。多分。
「ところで、一応聞いとくけど。見合いの相手ってのは、どんな人なんだ」
「王都の子爵家の令嬢と聞いた。会ったことはない」
「会ってもないのに断るのか。案外もったいないことするな。話くらい聞いてみたら――」
「相手に、失礼だろう」
即答だった。
「心がここにあるまま席に着くのは、先方への侮辱だ。会えば断りにくくなるから会わない、のではない。会う資格が、俺にないんだ」
……こういうやつなんだよ、こいつは。ずるいとか駆け引きとか、そういう回路が最初から搭載されてない。だからこっちが、勝手に調子を狂わされる。
「……そうかい。ま、あんたらしいよ」
「メリル。ひとつ、聞いてもいいだろうか」
「なんだ」
「恋人というのは、その……普段、何をするものなんだ」
真顔だった。冗談の気配が一切ない、完全なる真顔だった。
「俺に聞くな。俺だって……」やったことねえよ、と言いかけて、18歳の娘の台詞としてはセーフだが中身の履歴書としてはアウトなことに気づき、咳払いでごまかした。「……お、追い追い考える。実績作りは計画的に、だ」
「分かった。計画は、あなたに任せる」
全幅の信頼を寄せた顔で頷くな。プレッシャーがすごいんだよ。
「あと一つ。恋人契約中は、他の女性と二人きりで会わない。逆も然り。裏取りされたら終わりだからな。……俺は他に会う相手なんかいねえが、一応」
「俺も、いない」
即答だった。即答の威力は恐ろしい。俺は「そ、そうか」とだけ言って、契約書の余白に小さく『独占条項』と書いた。字が、妙に震えたのは、疲れのせいだ。昨夜一睡もしてないから。それだけだ。
よし。これでいい。これは演技だ。期限付きの、後輩のための、ただの人助け。俺は何も受け取ってないし、何も差し出していない。セーフ。ノーカウント。
「ふぉっふぉっふぉ」
「婆ちゃんうるさい」
奥から顔だけ出した婆ちゃんは、それはもう楽しそうだった。
「いやなに、契約じゃの取引じゃの言うとる割に、おまえさんの顔がの」
「顔が何だよ」
「ふぉっふぉ。長生きはするもんじゃ」
答えになってない。年寄りはこれだから困る。中身年寄りの俺が言うんだから間違いない。
なお、その日の夕方には第三小隊の連中が「若様がついにやりおった!」と店に雪崩れ込んできた。誰が広めた。早すぎるだろ。フリだっつってんだろ!
「メリルちゃん、いやあ、めでたい! 祝いだ祝いだ!」
「待て待て待て。話を聞け。あれはだな」
「分かってる分かってる、照れんなって!」
「聞けっての!」
駄目だった。何を言っても「はいはい、初々しい初々しい」で流される。ラルフまで「祝杯の乾杯詞、考えてきました」と巻物を広げ始めたので、俺はそれを「湿布の使い方説明書」にすり替えて没収した。
「若様の恋人、本物かフリか、賭けを――」
「賭けるな。賭けの対象にするな。……あと、フリだって言ってるだろ!」
「はいはい、照れ屋さん照れ屋さん」
しまいには誰かが酒を持ち込もうとしたので、営業時間中だと叩き出した。
閉店後、静かになった店で、俺は昼間の契約書もどきを眺めた。我ながら手回しのいい、隙のない取り決めだ。完璧だ。どこにも問題はない。
……ないんだが。
『互いに、本当に好きな相手ができたら、即座に解消する』
自分で書いたその一文を、なんで俺は、こんなに何回も読み返してるんだろうな。
(俺はまだ知らない。「フリだ」という情報だけが、なぜか騎士団に一切伝わっていなかったことを)