TS元おじさん薬屋娘、常連の朴念仁騎士を後輩のつもりで餌付けしていたら、騎士団総出で外堀を埋められていた 作:べ¥
災厄は、前触れなく辺境に降り立った。
「久しいな、ジーク」
詰め所の面会室で優雅に足を組むのは、レオンハルト・アルステッド。伯爵家次男にして王都財務局の俊英、そしてジークの次兄である。剣しか能のない弟と違い、この兄は言葉で人を容赦なく切る。
「あ、兄上。なぜここに」
「父上に『心に決めた相手がいる』と手紙を寄越しただろう。家中は上を下への大騒ぎだ。あの剣獣ジークに想い人、とな。……で、私が真偽の検分に来た」
「け、検分」
「当然だろう。おまえは昔から、嘘が下手というより、嘘という概念を運用できん男だ。だが恋は人を変える。悪い女に騙されている可能性を、家として看過はできん」
「彼女は、そのような人では」
「ほう。即答か。五年前、私が『好きな食べ物は』と聞いたときは、回答に一分半かかった男が」
「そ、それとこれとは」
「案ずるな。相手には名乗らん。素の様子を見るだけだ」
最悪である。ジークは即座に灯火堂へ走って報せようとして、兄に襟首を掴まれた。検分の意味がなくなるだろう、と。
――その日の午後。レオンハルトは頭痛を装い、一人の客として灯火堂の鈴を鳴らした。
(ふん。辺境の薬屋の小娘に、弟が誑かされたか。化けの皮を剥いでくれる)
言葉は悪いが、彼にも言い分はある。王都では、身分ある独身男を狙った手合いを腐るほど見てきた。まして相手は、家中の誰も素性を知らぬ町娘。財務局で数字の嘘を見抜き続けてきたこの目で、人間の嘘も見抜いてくれよう。
(……だが、弟の手紙を読み返したとき、あの堅物が『待ってくれ』と書いた件で、私は一度、笑ってしまった。あいつがそんな言葉を使うなど、十年前には想像もできなかった。恋というのは、本当に人を変えるのだな、などと)
王都の社交界では、恋愛は詩的なものとして語られる。だがレオンハルトにとって、弟の恋は監査対象だ。感情の入った監査ほど厄介なものはない。それでも、家の名誉は数字と同じく、一度崩れると修復に何年もかかる。
店構えを、まず観察する。古いが、掃除が行き届いている。棚の薬瓶は種類ごとに几帳面に並び、ラベルの字は読みやすい。壁に貼られた価格表は――ほう、相場より心持ち安いくらいか。少なくとも、ぼったくり商売ではないらしい。
「いらっしゃい。処方かい、市販薬かい」
「頭痛薬をもらおう。よく効くやつを」
「あいよ。……ちょっと待った」
看板娘は、金を受け取る手を止めた。じ、とレオンハルトの顔を見る。
(ほう、来たか)
レオンハルトは内心で身構えた。ここで客の身なりに気づき、態度を変えるならそれまでの女だ。彼の外套は旅装だが、留め具は王都の銀細工。目端の利く商売人なら、まず見逃さない。さあ、どう出る。上客と見て愛想を売るか、値を吊り上げるか――
「あんた、頭痛って言ったけど、本命は胃だろ」
「……何?」
予想のどれでもなかった。留め具など、視界にも入っていない顔だった。
「顔色が肝と胃の色だ。あと、さっきから無意識に左の脇腹を庇ってる。頭痛はその二次災害だな。原因は……その手の荒れ具合と目の下からして、書き仕事の過労と、飯を抜いてのきつい酒。図星か?」
図星であった。
(……偶然か。いや、偶然でここまで当てる者はいない。弟が『手当てがきっかけ』と言っていたのは、嘘ではないらしい。少なくとも、見抜きの目は本物だ)
畳む音が、店内で妙に大きく響いた。弟の目は節穴、と言いに来たのだ。今のところ、節穴の資格は薄れつつある。
「頭痛薬だけ売るのは簡単だけどね、それじゃあんたの胃に穴が開くのが一週間延びるだけだ。胃薬と、消化にいい携行食をつける。酒は十日やめな。仕事は……まあ、あんたみたいな顔の奴に休めって言っても休まないから、せめて昼飯だけは抜くな。約束できるか?」
「……できなかったら?」
「うちの常連に、あんたと同じで自分の体を勘定に入れない馬鹿がいてね。そいつには『あんたに何かあったら悲しむ人間がいる』って言って聞かせた。あんたにも同じことを言うよ。その手の便り、待ってる家族がいるんだろ」
レオンハルトは、しばらく黙った。
(……手の便り?)
視線を落とす。右手の中指、ペンだこ。指先に残る封蝋の跡。なるほど、そこから書き仕事を、家族への手紙まで読んだか。いや、当てずっぽうかもしれん。カマをかけているだけかも――
「あー、それと。これは完全に余計なお世話だけど」
娘は薬を包みながら、こともなげに続けた。
「弟さんだか部下さんだか知らないが、誰かの様子を見に来たんだろ? さっきから俺の手元より、店の棚と帳場の方ばっか見てる。査定するみたいな目で。……うちの店の査定結果、聞いてやろうか?」
(……見抜かれたか。いや、見抜かれたなら、もっと態度を変えるはずだ。値を吊る、媚びる、逆に追い出す。どれでもない。ただ、事実を言っただけか)
「…………ふ」
堪えきれなかった。レオンハルトは、声を出して笑った。王都の社交界で「微笑以上を見せない男」と呼ばれた彼が、である。
「いや、失敬。……査定結果は、結構。代わりに胃薬と、その携行食をもらおう。それと」
彼は、きっちり代金を払いながら言った。
「昼飯を抜かない、という約束もしよう。……妹ができたら、こういう気分なのだろうな」
「は?」
「独り言だ」
――その晩、詰め所。
「ジーク。おまえの目は節穴だな、と言いに来たのだが」
「……はい」
「撤回する。あれは、やめておけと言える相手ではない。あの娘は人間の値踏みをしない。伯爵家の三男だろうが行き倒れだろうが、同じ目で診るだろう。……ああいうのを、得難い、と言う」
兄は薬包を懐に仕舞い、弟の肩を叩いた。
「見合いは白紙にしておいてやる。ただし――1年だ。1年以内に、あれを婚約者として本家へ連れてこい。できなければ、次の見合いは私が組む。私が組む見合いは断れんぞ」
「あ、兄上!?」
「なんだ。不満か」
「い、いえ。その。彼女とは、まだ、そういう段階では」
「段階?」レオンハルトは、心底呆れた顔をした。「おまえの手紙には『心に決めた相手がいる』とあったが」
「それは、事実です。俺の心は、決まっています。ただ、その、彼女の側の心は、まだ」
「……なるほど。読めたぞ」
兄は額を押さえた。読めてしまった。この朴念仁、外堀も内堀も埋まっておらず、本人の突撃だけがまだなのだ。むしろよくこの状態で家に手紙を出したものだ。退路を断つ癖だけは、戦場仕込みで一級品である。
(……だが、あの娘が弟を待つと言ったなら、1年など短い。財務局の私が、弟の恋の期限管理までする羽目になるとは。王都に帰ったら、父上に『問題なし』と報告し、見合い帳簿を白紙にする手続きを回そう)
「まあいい。期限は変えん。1年もあれば、おまえの突撃でもどうにかなろう。……一つだけ助言してやる。あの娘はな、ジーク」
ぴしりと弟の胸を指した。
「身分にも金にも靡かん。ならば残る攻め口は、誠実さだけだ。おまえの唯一の得物だぞ。抜き方を間違えるな」
「精々励め、剣獣。……ふ。おまえのそういう顔、初めて見たな」
災厄は期限爆弾を置いて、優雅に王都へ帰っていった。
なお後日、王都の伯爵家には「検分の結果、問題なし。むしろ当家に過ぎたる娘」という報告書が提出され、家中の騒ぎは「いつ連れてくるのか」という方向に転がることになる。ジークはまだ、それを知らない。