先生はロリコンでした   作:風神ぷー

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第六話 同じ先生を見て、違う答え

 

 

午前の審議は、終盤を迎えていた。

 

制度。

 

感情。

 

迷い。

 

問い。

 

責任。

 

社会。

 

それぞれの学園代表が、自らの立場から先生という存在を語ってきた。

 

誰一人として、先生の功績を否定しなかった。

 

誰一人として、過去の罪を軽く扱わなかった。

 

だからこそ。

 

議論は簡単な賛成と反対にはならない。

 

正しさ同士がぶつかり続ける。

 

その重さだけが、議場に積み重なっていた。

 

リンは静かに議事進行表へ視線を落とす。

 

「続いて。」

 

「アビドス高等学校代表、小鳥遊ホシノさん。」

 

その名が読み上げられる。

 

議場の空気が、また少し変わった。

 

これまで語られてきたのは、制度だった。

 

倫理だった。

 

社会だった。

 

しかしアビドスだけは違う。

 

彼女たちは先生と共に戦ってきた。

 

死線を越えてきた。

 

机の上の資料ではなく、隣で先生を見続けてきた者たちである。

 

だからこそ、その証言には重みがあった。

 

「……うへぇ。」

 

ホシノは小さく肩を落とした。

 

気の抜けるような声。

 

普段と何も変わらない。

 

だが、その声を聞いて笑う者はいなかった。

 

皆が知っている。

 

ホシノは、本当に重い話ほど、肩の力を抜いて話し始めることを。

 

ゆっくりと立ち上がる。

 

椅子を引く音だけが静かな議場へ響いた。

 

その隣では、セリカが静かにホシノを見上げている。

 

言葉はない。

 

けれど、その表情だけで伝わるものがあった。

 

『お願い。』

 

『ちゃんと話して。』

 

『私も、このあと話すから。』

 

そんな思いが滲んでいるようだった。

 

ホシノは演壇へ歩いていく。

 

一歩。

 

また一歩。

 

急ぐことはない。

 

議場の全員が、その歩みを見守っていた。

 

演壇へ立つと、ホシノはまず先生へ視線を向けた。

 

先生も静かに見返す。

 

何も言わない。

 

励まさない。

 

期待もしない。

 

ただ、一人の生徒の言葉を待っていた。

 

ホシノは小さく笑う。

 

「こういうの、おじさん苦手なんだけどねぇ。」

 

その一言に、議場の空気がほんの少しだけ和らぐ。

 

「難しい話は、みんなもういっぱいしてくれたし。」

 

「制度とか。」

 

「法律とか。」

 

「責任とか。」

 

「おじさん、その辺は専門じゃないからさ。」

 

肩をすくめる。

 

「だから今日は。」

 

「おじさんが見てきた先生の話だけするね。」

 

その言葉に、リンは静かに頷いた。

 

「どうぞ。」

 

短い返答。

 

ホシノは一度だけ深呼吸した。

 

「先生がアビドスへ来た時ね。」

 

「正直、おじさんは最初、あんまり信用してなかった。」

 

アビドスの面々が小さく目を見開く。

 

先生も黙って聞いている。

 

「急に現れて。」

 

「借金だらけの学校を何とかするって言われてもさ。」

 

「そんな都合のいい話、信じられないじゃん?」

 

少し笑う。

 

「あの頃のおじさん、今よりずっとひねくれてたし。」

 

シロコが静かに視線を落とした。

 

あの日々を思い出している。

 

ホシノは続けた。

 

「でもね。」

 

「先生は逃げなかった。」

 

その一言だけで、議場の空気が変わる。

 

「何回も危ない目に遭った。」

 

「失敗もした。」

 

「無茶もした。」

 

「それでも。」

 

「最後まで、おじさんたちを見捨てなかった。」

 

言葉を飾らない。

 

だからこそ、その重みが伝わる。

 

「借金も。」

 

「学校も。」

 

「みんなの居場所も。」

 

「全部まとめて背負おうとしてた。」

 

ホシノは少し困ったように笑う。

 

「正直さ。」

 

「見てるこっちが心配になるくらい、お人好しだったよ。」

 

先生は苦笑しない。

 

否定もしない。

 

ただ静かに聞いていた。

 

「だから。」

 

「おじさんにとって先生は。」

 

そこまで言って、ホシノは言葉を止めた。

 

議場が静まり返る。

 

誰も急かさない。

 

ホシノは視線を落とし、小さく息を吐いた。

 

「……先生なんだよね。」

 

その一言には、これまで積み重ねてきた時間が込められていた。

 

恩人。

 

仲間。

 

教育者。

 

どれか一つではない。

 

ホシノにとって先生とは、「先生」という存在そのものだった。

 

「だから。」

 

「報道を見た時ね。」

 

「すぐには信じられなかった。」

 

その声は、先ほどまでより少しだけ低かった。

 

「先生が、そんなことをしたなんて。」

 

「信じたくなかった。」

 

「でも。」

 

ホシノは静かに先生を見る。

 

「資料も読んだ。」

 

「報道も見た。」

 

「事実も確認した。」

 

「……本当だった。」

 

議場に重い沈黙が落ちる。

 

ホシノはその沈黙から逃げなかった。

 

「すごく苦しかったよ。」

 

「先生を信じたい気持ちと。」

 

「事実を受け止めなきゃいけない気持ちが。」

 

「ずっと喧嘩してた。」

 

彼女は少しだけ笑う。

 

その笑顔は、どこか寂しかった。

 

「おじさんね。」

 

「今でも先生が嫌いになれないんだ。」

 

その言葉に、先生は静かに目を伏せた。

 

 

 

 

 

 

ホシノは小さく笑った。

 

その笑みは、いつものように気の抜けたものだった。

 

けれど、その奥には隠しきれない苦さが滲んでいた。

 

「報道を見た日ね。」

 

「最初は、何かの間違いだと思った。」

 

「デマかな、とか。」

 

「誰かの悪い冗談かな、とか。」

 

「そんなことばっかり考えてた。」

 

静かな声だった。

 

自分に言い聞かせるようでもあり、あの日を思い返すようでもある。

 

「でも、連邦生徒会から正式な説明が出て。」

 

「先生自身も、その過去を否定しなかった。」

 

「……だから、おじさんも受け止めるしかなかった。」

 

先生は静かに目を伏せる。

 

その姿は、言い逃れを探す人間のものではなかった。

 

だからこそ、ホシノは苦しかった。

 

「先生は、昔のことを隠そうとしなかった。」

 

「言い訳もしなかった。」

 

「誰かのせいにも、何かのせいにも、しなかった。」

 

「それは、おじさんもちゃんと見てる。」

 

議場は静まり返っている。

 

ホシノは一度だけ大きく息を吐いた。

 

「だからね。」

 

「おじさん、先生を嫌いになれないんだ。」

 

その言葉に、ミカが静かに顔を上げた。

 

ヒフミもまた、小さく唇を噛む。

 

「先生がしてくれたこと。」

 

「助けてもらったこと。」

 

「一緒に笑ったこと。」

 

「全部、本当にあったことだから。」

 

「報道が出たからって、その時間まで嘘になるわけじゃない。」

 

誰も反論しない。

 

できなかった。

 

それは制度ではなく、一人の生徒が過ごした時間そのものだったからだ。

 

ホシノは続ける。

 

「だから、おじさんは先生に感謝してる。」

 

「今も。」

 

「これからも。」

 

「それは変わらない。」

 

そこまで言ってから、少しだけ間を置く。

 

先生を見る。

 

そして静かに首を横へ振った。

 

「でも。」

 

その一言だけで、空気が変わる。

 

ミカが息を呑む。

 

セリカも視線を上げた。

 

「だからって、おじさんが。」

 

「『先生は絶対に残るべきです』って言えるかって聞かれたら……。」

 

ホシノは困ったように笑う。

 

「そこまでは言えないんだ。」

 

その言葉は、議場へ静かに落ちた。

 

「先生を信じたい。」

 

「それは本当。」

 

「でもね。」

 

「先生を知らない子にまで。」

 

『大丈夫だから信じて。』

 

そうは言えない。

 

ホシノは、ゆっくりと言葉を選ぶ。

 

「アビドスのみんなは。」

 

「先生と一緒に色んなことを乗り越えてきた。」

 

「だから、おじさんたちは先生を知ってる。」

 

「でも。」

 

「キヴォトスのみんなが、同じ時間を過ごしてきたわけじゃない。」

 

議場のあちこちで、小さく視線が動く。

 

ユウカ。

 

ヒナ。

 

ノア。

 

誰もが、その言葉を受け止めていた。

 

「今日初めて先生の過去を知った子もいる。」

 

「先生と話したこともない子もいる。」

 

「そんな子にとっては。」

 

「先生は、おじさんたちの先生じゃない。」

 

「ニュースで過去を知った教育者なんだ。」

 

その現実を、ホシノは否定しなかった。

 

「その子たちが怖いって思うなら。」

 

「その気持ちを、おじさんは間違ってるって言えない。」

 

ホシノは、ゆっくりと視線を巡らせる。

 

「怖いって思うのは。」

 

「悪いことじゃないから。」

 

その一言に、セリカの肩が小さく震えた。

 

ホシノは気付いていた。

 

この後、自分の隣に座る後輩が何を話そうとしているのか。

 

完全には分からない。

 

それでも。

 

きっと苦しい言葉になるのだろうと。

 

そんな予感だけはあった。

 

「だから、おじさんは。」

 

「先生に残ってほしいって気持ちはある。」

 

「でも。」

 

「それをみんなに押し付けることはできない。」

 

「おじさんの見てきた先生と。」

 

「みんなが見ている先生は、同じじゃないから。」

 

議場には、誰も言葉を返さなかった。

 

ホシノは、静かに先生へ向き直る。

 

「先生。」

 

先生もまた、静かに顔を上げる。

 

「おじさんね。」

 

「今まで先生に助けてもらったこと。」

 

「一生忘れないと思う。」

 

「だから。」

 

「先生には感謝してる。」

 

「本当に。」

 

その言葉に嘘はなかった。

 

だからこそ。

 

続く言葉は、さらに重くなる。

 

「でも、おじさんは。」

 

「先生を残すべきだとも。」

 

「残すべきじゃないとも。」

 

「どっちも言えない。」

 

「ごめんね。」

 

謝る必要など、本来ない。

 

それでもホシノは謝った。

 

それは先生に対してではない。

 

答えを出せない、自分自身への謝罪だった。

 

「難しいね。」

 

「本当に。」

 

「こんなの。」

 

「簡単に答えが出る話じゃないよ。」

 

最後に、小さく笑う。

 

いつもの、眠たそうな笑顔だった。

 

けれど、その笑顔はどこか寂しかった。

 

「おじさんは。」

 

「今日まで先生を見てきた。」

 

「だから先生を信じたい。」

 

「でも。」

 

「先生を知らない誰かが、不安になることも否定できない。」

 

「その二つを、どっちも本当だと思ってる。」

 

深く一礼する。

 

「……以上。」

 

ホシノは静かに席へ戻った。

 

誰も拍手はしない。

 

誰も、すぐには口を開かなかった。

 

その証言は賛成でも反対でもなかった。

 

一人の生徒が、先生と過ごした時間を胸に抱えたまま、それでも他者の不安を否定できなかった記録だった。

 

リンは数秒間、沈黙を置く。

 

その間は、ホシノの言葉を議場全体へ沈めるための時間だった。

 

やがて静かに口を開く。

 

「ありがとうございました。」

 

そして議事進行表へ目を落とす。

 

午前の意見陳述も、残すはあと一人。

 

同じアビドスで、同じ先生を見てきた少女。

 

しかし、その胸に抱いた答えは、ホシノとは違っていた。

 

リンはゆっくりと顔を上げる。

 

「続いて、アビドス高等学校代表、黒見セリカさん。」

 

その名が読み上げられた瞬間、ホシノは隣に座るセリカをそっと見つめた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

セリカは、自分の名前が呼ばれた瞬間、小さく肩を震わせた。

 

「……はい。」

 

返事はした。

 

けれど、それだけだった。

 

すぐには立ち上がれない。

 

膝の上で握った両手が、小さく震えている。

 

ホシノが隣からそっと見る。

 

何も言わない。

 

励ましもしない。

 

今は、そのどれも違う気がした。

 

セリカ自身の言葉で話さなければならない。

 

そういう時間だった。

 

ゆっくりと椅子を引く。

 

立ち上がる。

 

演壇までは、それほど遠くない。

 

それなのに、一歩一歩がひどく重かった。

 

議場は静まり返っている。

 

誰も急かさない。

 

ホシノの証言を聞いた後だからこそ、この沈黙は自然だった。

 

同じアビドス。

 

同じ先生。

 

それでも、違う答え。

 

全員が、それを理解していた。

 

セリカは演壇へ立つ。

 

視線を上げようとして、途中で止まる。

 

議場を見ることができない。

 

先生を見ることもできない。

 

「……。」

 

喉が詰まる。

 

用意してきた原稿はある。

 

昨夜、何度も書き直した。

 

けれど今、その文字は頭に入ってこなかった。

 

リンは黙って待っている。

 

議長としてではない。

 

一人の証言者が、自分の言葉を探す時間を尊重していた。

 

やがて、セリカは小さく息を吸う。

 

「私は……。」

 

それだけ言って、また止まる。

 

議場の誰もが、静かに耳を傾けていた。

 

「先生に……。」

 

「助けてもらいました。」

 

その一言は、震えていた。

 

「何度も。」

 

「先生がいなかったら。」

 

「今の私は、多分ここにいません。」

 

アヤネが静かに目を伏せる。

 

シロコも、小さく頷いた。

 

その事実だけは、誰も否定できない。

 

先生はアビドスを救った。

 

学校を守った。

 

生徒を守った。

 

それは揺るがない事実だった。

 

「だから。」

 

セリカは拳を握る。

 

「報道を見た時。」

 

「信じたくありませんでした。」

 

「嘘だと思いました。」

 

「先生がそんなことをする人だなんて。」

 

「思いたくありませんでした。」

 

少しだけ声が大きくなる。

 

それは怒りではない。

 

願いだった。

 

どうか間違いであってほしい。

 

そんな願い。

 

「でも。」

 

その願いは叶わなかった。

 

「先生は否定しませんでした。」

 

「全部……。」

 

「本当でした。」

 

議場に重い空気が流れる。

 

セリカは唇を噛む。

 

「その時。」

 

「私。」

 

「自分がどう思えばいいのか。」

 

「分からなくなりました。」

 

誰も動かない。

 

誰も口を挟まない。

 

「先生は恩人です。」

 

「その気持ちは変わりません。」

 

「感謝もしています。」

 

「今でも。」

 

そこまでは、ホシノと同じだった。

 

しかし。

 

ここから先が違う。

 

セリカはゆっくりと顔を上げる。

 

初めて、先生を見る。

 

先生は静かに彼女を見つめていた。

 

責めない。

 

促さない。

 

ただ、聞いていた。

 

その優しさが。

 

今は少しだけ苦しかった。

 

「……でも。」

 

「先生。」

 

先生は何も言わない。

 

セリカは震える声で続ける。

 

「私。」

 

「怖かったです。」

 

その一言が。

 

静まり返った議場へ落ちた。

 

「報道を見た日。」

 

「先生の顔を思い出して。」

 

「今までのことを思い出して。」

 

「頭の中がぐちゃぐちゃになって。」

 

「先生を信じたいのに。」

 

「怖いって思ってしまいました。」

 

その言葉を口にした瞬間。

 

セリカは、まるで何かが壊れたように目を伏せた。

 

「そんな自分が。」

 

「最低だと思いました。」

 

「恩知らずだって。」

 

「何度も思いました。」

 

「先生に助けてもらったのに。」

 

「怖いなんて思う資格、ないって。」

 

「そう思おうとしました。」

 

涙は流れていない。

 

けれど、その声は少しずつ震え始めていた。

 

「でも。」

 

「何度考えても。」

 

「怖いって気持ちは。」

 

「消えませんでした。」

 

議場は、誰一人として音を立てなかった。

 

その「怖い」は。

 

誰かを傷つけるための言葉ではない。

 

一人の少女が、自分自身を責め続けた末に、ようやく口にできた本音だった。

 

 

 

 

 

 

誰も口を開かなかった。

 

セリカの「怖い」という一言は、誰かを責めるための言葉ではない。

 

先生を傷つけるためでもない。

 

ましてや、過去の罪を改めて糾弾するためのものでもなかった。

 

それは。

 

何度も押し殺そうとして、それでも押し殺せなかった感情だった。

 

だからこそ。

 

その一言は、議場にいる誰の胸にも重く響いた。

 

セリカは俯いたまま、震える声で続ける。

 

「私……。」

 

「先生を嫌いになったわけじゃないんです。」

 

「嫌いになれたら、もっと楽だったと思います。」

 

小さく首を振る。

 

「今でも。」

 

「先生に助けてもらったことを思い出します。」

 

「優しかったことも。」

 

「守ってくれたことも。」

 

「全部、覚えてます。」

 

その声には、迷いが滲んでいた。

 

「だから。」

 

「先生を見たら安心する自分もいるんです。」

 

「でも。」

 

「報道のことを思い出すと。」

 

「急に怖くなるんです。」

 

「その繰り返しでした。」

 

セリカは拳を強く握る。

 

爪が掌へ食い込むほどに。

 

「何が本当なのか。」

 

「何を信じればいいのか。」

 

「分からなくなって。」

 

「何日も眠れませんでした。」

 

ホシノは静かに目を閉じる。

 

その様子を見ていることしかできない。

 

隣に座る先輩として。

 

同じ先生を知る者として。

 

「先生が今、危ない人だって言いたいんじゃありません。」

 

セリカは顔を上げる。

 

涙は流れていない。

 

それでも、その瞳は赤く潤んでいた。

 

「そんなこと。」

 

「私には分かりません。」

 

「先生は更生してるのかもしれません。」

 

「もう二度と同じことはしないのかもしれません。」

 

「本当は、安全なのかもしれません。」

 

「でも。」

 

その一言だけで、また空気が変わる。

 

「私には。」

 

「それを信じ切ることができませんでした。」

 

誰も責めない。

 

誰も反論しない。

 

セリカ自身が、一番苦しんでいることを全員が理解していたからだ。

 

「先生を信じられない自分が嫌でした。」

 

「恩知らずだって思いました。」

 

「何度も、自分を責めました。」

 

「先生は私たちを助けてくれたのに。」

 

「どうして私は、怖いなんて思うんだろうって。」

 

唇を噛む。

 

震えが止まらない。

 

「でも。」

 

「気持ちは、嘘をつけませんでした。」

 

長い沈黙が流れた。

 

議場全体が、その言葉を受け止めていた。

 

ミカは俯き、両手を強く握っている。

 

ヒフミは目を閉じ、小さく息を吐いた。

 

ユウカも、ヒナも、視線を逸らさない。

 

誰もが、それぞれの立場から考えていた。

 

先生は静かにセリカを見つめていた。

 

その表情には悲しみも、怒りもない。

 

ただ、最後まで聞こうという覚悟だけがあった。

 

セリカはその視線を受け止める。

 

そして、小さく頭を下げた。

 

「……ごめんなさい。」

 

その謝罪は、議場全体へ落ちた。

 

「先生。」

 

「ごめんなさい。」

 

「私は。」

 

「怖かったです。」

 

「本当に。」

 

その瞬間だった。

 

議場から音が消えた。

 

誰も動かない。

 

誰も息を整えようとしない。

 

セリカの謝罪は、先生へ向けたものだった。

 

けれど、本当は。

 

先生へではない。

 

先生を信じ切れなかった自分自身を、許せないまま口にした謝罪だった。

 

だから、誰もその言葉を軽く扱えなかった。

 

長い沈黙の後。

 

先生が、静かに口を開く。

 

「……セリカ。」

 

その声は穏やかだった。

 

いつもと変わらない。

 

「謝る必要はない。」

 

セリカがゆっくり顔を上げる。

 

先生は静かに続けた。

 

「怖いと思う気持ちは。」

 

「誰かに命令されて変えられるものじゃない。」

 

「無理に消そうとする必要もない。」

 

議場は静まり返っている。

 

先生は、自分を弁護しない。

 

説得もしない。

 

「君は。」

 

「自分の本当の気持ちを話してくれた。」

 

「それだけで十分だ。」

 

セリカの瞳から、初めて一筋だけ涙がこぼれた。

 

先生は微笑まない。

 

慰めるような表情も見せない。

 

ただ、静かに言った。

 

「ありがとう。」

 

「本当の気持ちを話してくれて。」

 

その一言だけだった。

 

それ以上は何も言わない。

 

言い訳もしない。

 

罪を軽くする言葉も口にしない。

 

その沈黙が、かえって先生という人間を物語っていた。

 

リンは静かに目を閉じる。

 

この審議会で初めてだった。

 

誰かが相手を論じるのではなく。

 

当事者同士が、ただ本音を交わした瞬間だった。

 

そして、その本音に。

 

誰一人として「間違っている」と言える者はいなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

先生の「ありがとう」が議場へ静かに落ちた。

 

それ以上の言葉は続かなかった。

 

弁明もない。

 

後悔を語ることもない。

 

「信じてほしい」と願うこともない。

 

ただ、一人の生徒が勇気を振り絞って打ち明けた本音を、そのまま受け止めた。

 

それだけだった。

 

その沈黙が、かえって重かった。

 

セリカは唇を強く結ぶ。

 

涙を拭うことはしない。

 

人前で泣くのは好きではない。

 

そんな自分を知っているからだ。

 

それでも、一筋だけ頬を伝った涙は止められなかった。

 

「……以上です。」

 

小さく頭を下げる。

 

演壇から席へ戻るまでの数歩が、来る時よりもずっと長く感じられた。

 

ホシノは何も言わない。

 

ただ、セリカが席へ腰を下ろすのを静かに待っていた。

 

やがて、小さく肩を叩く。

 

それだけだった。

 

励ましの言葉もない。

 

慰めもない。

 

今は、それで十分だった。

 

リンは議場全体を見渡す。

 

誰も口を開こうとはしない。

 

議論を続けられる空気ではなかった。

 

ホシノは、先生と過ごした時間を語った。

 

セリカは、先生を信じたい自分と、怖いと思ってしまう自分、その両方を語った。

 

どちらも、同じアビドスで過ごした生徒だった。

 

同じ先生を見てきた。

 

同じように救われた。

 

それでも。

 

二人がたどり着いた答えは、一致しなかった。

 

リンは静かに立ち上がる。

 

「……これにて。」

 

一拍置く。

 

「午前の意見陳述を終了します。」

 

その宣言が、静かな議場へ響いた。

 

「本日の午前中は、各学園代表より、それぞれの立場に基づく意見を伺いました。」

 

「制度。」

 

「感情。」

 

「葛藤。」

 

「問い。」

 

「責任。」

 

「社会。」

 

「そして、現場で先生と共に歩んできた経験。」

 

リンはゆっくりと言葉を紡ぐ。

 

「どの意見も、この審議会にとって重要なものです。」

 

「ここまでの発言内容は、午後の審議における相互質疑の前提として扱います。」

 

ノアが静かに記録へ目を落とす。

 

ペン先が止まることはない。

 

午前だけでも、残された議事録は膨大な量になっていた。

 

リンは時計を見る。

 

正午を少し回ったところだった。

 

「これより一時間の昼休憩とします。」

 

「午後一時より審議を再開します。」

 

「午後は、各代表者による相互質疑を行います。」

 

その言葉に、議場の空気がわずかに揺れた。

 

午前は、それぞれが自らの考えを述べる時間だった。

 

しかし午後は違う。

 

互いの主張を受けて、問いを交わす時間になる。

 

ユウカの制度論へ。

 

ミカの感情へ。

 

ハナコの問いへ。

 

ヒナの責任論へ。

 

マコトの社会論へ。

 

ホシノとセリカの証言へ。

 

それぞれが、それぞれへ向き合わなければならない。

 

議論は、ここからが本番だった。

 

リンは静かに一礼する。

 

「午前の審議は、以上とします。」

 

木槌が一度だけ鳴る。

 

乾いた音が議場へ響き渡った。

 

その音を合図に、各代表が静かに席を立ち始める。

 

誰も談笑はしない。

 

誰も軽口を叩かない。

 

それぞれが、自分以外の意見を胸に抱えたまま、休憩へ向かう。

 

先生もゆっくりと席を立った。

 

その時だった。

 

ホシノとセリカが、ほぼ同時に先生へ視線を向ける。

 

先生もまた、二人を見る。

 

言葉は交わさない。

 

交わせなかった。

 

午前中だけで、それぞれが自分にできる精一杯の言葉を使い切っていたからだ。

 

だから三人は、小さく会釈を交わすだけだった。

 

その静かな光景を、リンは議長席から見つめていた。

 

制度だけでは測れないものがある。

 

けれど、制度で決めなければならないこともある。

 

その矛盾を抱えたまま。

 

午後の審議は、さらに核心へ踏み込んでいくことになる。

 

 

 

 

 

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