ポケモン現代入り   作:ささみ

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第8話

 

 

 

 土曜日の朝、札幌の自宅アパートで目を覚ました。

 

 身体が鉛のように重い。長時間の運転、見知らぬ森の探索、手作業でのクラフト、そして本物のポケモンとの戦闘。関東遠征で蓄積した疲労が、金曜日の夜に帰還して一晩眠ったくらいで抜けるはずもなかった。

 

 手首が痛い。肩も痛い。太ももにも、変な筋肉痛が残っている。

 

 ヒトカゲと対峙した時の緊張感が、まだ身体の奥にこびりついていた。目を閉じると、岩場を走った紫色の息吹と、尻尾の火が強く燃え上がる光景が頭の中に戻ってくる。

 

 だが、いつまでもベッドで寝ているわけにはいかない。

 

 部屋の床には、キャリーケースとリュックが転がっていた。衣類や現地で買った安物の工具、使わない採取道具の一部は、群馬のホテルから宅配便で先に送ってある。だが、群馬で捕獲した自作ボール入りのポケモンたちはそうはいかない。

 

 自作ボールは正式なボールではない。

 

 ボックスアプリへ送れない。

 

 ボックスは基本的に、ボールごとポケモンを送る仕組みだ。中身だけを都合よく抜き出して転送、などということはできない。だからコラッタ、コンパン、ニドラン♀、パラスは、自作ボールごと緩衝材で包み、リュックとトランクの空きスペースに詰めて物理的に持ち帰ってきた。

 

 床に並んだボール類を見る。

 

 既製品ボールの手持ち。

 

 自作ボールに入った追加組。

 

 素材の容器。

 

 自作のキズぐすり。

 

 昨日までなら、見ているだけで達成感があったはずだ。けれど今は、達成感より先に「これ全部、面倒を見なきゃいけないのか」という現実がのしかかってくる。

 

 放置はできない。

 

 この世界にはポケモンセンターも、専門の飼育施設もない。食事、身体の手入れ、状態の確認。全部、この狭いアパートで自力でやるしかない。

 

「……やるか」

 

 重い身体を引きずって起き上がり、世話の準備を始めた。

 

 まずカーテンをしっかり閉める。窓の鍵を確認し、玄関の鍵も見る。換気扇、コンロ、シンク周り、風呂場。火気と水回りを一通り確認した後、床の空きスペースに広めのビニールシートを敷いた。

 

 全員を一度に出すような無謀な真似はしない。

 

 部屋が狭すぎる。ヒトカゲは火災リスクがある。ゴースは物理的な生き物とは世話の仕方が違いすぎる。ビードルやニドラン♀の毒針も危険だし、パラスの胞子も怖い。自作ボール組は所有者認証がないので、パニックになって暴れられたら洒落にならない。

 

 一匹ずつ。

 

 食事を出すこと。

 

 汚れを見ること。

 

 無理に触らないこと。

 

 危なそうなら即ボールへ戻すこと。

 

 頭の中で手順を確認していると、スマートフォンの画面端でポリゴンのアイコンが小さく点滅した。PCのモニターにも、簡単な表が表示されている。捕獲順、食事内容、体調、警戒点。いつの間にか簡易カルテのようなものが作られていた。

 

「助かる」

 

 短い電子音が返ってくる。

 

 ポリゴンは最初から一緒にいる。スマホやPC内に常駐して、掲示板やSNSの情報整理もしてくれている。改めて部屋に出して交流するというより、もう生活の一部に入り込んでいる。

 

 

 最初に本格的に向き合うのは、ポッポだ。

 

 ボールを手に取り、深呼吸してから開く。

 

 白い光が広がり、ビニールシートの上にポッポが現れた。出た瞬間、反射的に羽ばたき、カーテンレールの方へ向かおうとする。

 

「待て待て待て、落ち着け!」

 

 慌てて低い声で制止する。

 

 ポッポは空中で一度羽ばたきを弱め、部屋の中を見回してから、少し不満そうに棚の前へ降りた。やんちゃな性格のせいか、初めての室内にも怯えるより先に興味が勝っているように見える。

 

 浅い皿に、豆類とカットしたリンゴ、少量の穀物を置いた。

 

 最初は距離を取っていたが、こちらが手で招くと、警戒しながら近づいてくる。嘴で豆をつつき、リンゴの欠片をついばんだ。関東での共闘を経て、以前よりは明確に距離が近い。

 

 肩に乗らないし、手に直接乗って食べることもしない。

 

 それでも、手の近くに置いた餌を食べるくらいには、こちらを受け入れている。

 

 食後は浅い皿の水を見せ、濡れタオルを用意した。水浴びというより、羽についた細かな土や汚れを整える程度だ。ポッポは嫌がるかと思ったが、意外にも大人しく羽を広げた。少しだけ拭かせてくれる。

 

 翼の下を拭こうとすると、軽く嘴で手袋をつつかれた。

 

「はいはい、そこは嫌か」

 

 無理に続けない。

 

 関係を進める日であって、嫌われる日ではない。

 

 

 ポッポを戻した後、次はキャタピーのボールを開いた。

 

 緑色の小さな身体が、ビニールシートの上にぽてりと現れる。キャタピーは一度周囲を見回すように頭を動かし、すぐに葉野菜の方へ向かった。

 

 分かりやすい。

 

 かなり無邪気だ。

 

 小さく刻んだ葉野菜とリンゴの欠片を置くと、身体を揺らしながら近づいてきた。こちらを怖がりすぎる様子はない。むしろ食べ物につられて、足元まで寄ってくる。

 

 その距離の近さが逆に怖い。

 

 踏み潰しそうで。

 

 椅子を動かすだけでも、いちいち足元を確認する必要がある。

 

 湯船に入れるわけにはいかないので、湿らせた布で身体の表面を軽く拭く。土や葉の欠片が少しついていた。糸を吐かれないか一瞬警戒したが、キャタピーは大人しくしている。途中で布の端を餌と勘違いしたのか、口を近づけてきたくらいだ。

 

「それは食べ物じゃないってば」

 

 言ってから、少し笑ってしまった。

 

 言葉が通じているかは分からない。だが、声をかけずにはいられない。

 

 

 キャタピーを戻し、ビードルのボールを手に取る。

 

 ここからは毒針持ちだ。

 

 厚手の手袋をはめ直し、袖口も軽く確認する。出す位置は少し離した。顔を近づけない。手も不用意に出さない。

 

 ボールを開く。

 

 白い光から現れた瞬間、ビードルは反射的に頭の毒針をこちらへ向けてきた。

 

「おーけい。近づかないよ」

 

 葉野菜と果物を、少し離れた場所へ置く。ビードルはしばらくこちらを睨むようにしていたが、食べ物の匂いに反応したのか、少しずつ前へ出てきた。

 

 いじっぱりな性格の通り、態度が硬い。

 

 食べ始めても、完全に警戒を解くわけではない。こちらが布を近づけると、毒針の角度がわずかに上がる。

 

「背中だけ。嫌ならやめるよ」

 

 湿らせた布で、背中側の汚れをほんの少し拭く。

 

 ビードルは嫌そうに身体を揺らしたが、刺してはこなかった。受け入れているというより、我慢している。そんな感じだ。

 

 無理に撫でない。

 

 可愛がるのと、距離感を間違えるのは別だ。

 

 ビードルを戻した後、少し長めに息を吐いた。

 

 

 次はヒトカゲ。

 

 今日の中でも特に気を使う相手だ。

 

 燃えやすい紙や布を、手の届く範囲から完全に遠ざける。カーテンの裾も確認した。机の上のメモ用紙や段ボールの切れ端も片付ける。消火用の水を入れたペットボトルを数本置く。

 

 ただし、尻尾の火へ直接かけるつもりはない。

 

 あれはただの火ではない。

 

 ヒトカゲの命と繋がっている火だ。

 

 ボールを開く。

 

 白い光が床へ落ち、赤橙色の身体が現れた瞬間、部屋の温度がふわりと上がったように感じた。尻尾の先で、小さな炎がチロチロと揺れている。

 

 現実の火。

 

 それが、部屋の中にある。

 

 笑えない。

 

 ヒトカゲは怯えて隠れるような真似はしなかった。ゆうかんな性格らしく、正面からこちらを見る。昨日の戦闘を忘れたわけではないだろう。警戒は残っている。けれど、いきなり飛びかかってくる気配もない。

 

 皿に、火を通した鶏肉を少量と、関東で採取したきのみの欠片を乗せて置いた。味付けはしていない。人間用の惣菜をそのまま食べさせるのは怖い。

 

 ヒトカゲは匂いを嗅ぎ、こちらを一度見てから食べ始めた。

 

 堂々としている。

 

 こちらの前で食べること自体は受け入れているらしい。

 

 食事の合間を見て、濡れタオルを手に取る。

 

「拭くだけだ。尻尾には触らない……ていうか触れん」

 

 声をかけながら、腕や肩、足元の汚れを慎重に拭き取る。関東の岩場でついた細かな砂が残っていた。尻尾の火の周辺には絶対に近づけない。布の湿り気も怖いので、胴体を拭く時も位置に気を使う。

 

 ヒトカゲは時々眉間に力を入れるような顔をしたが、暴れなかった。

 

 昨日、キズぐすりをかけたことを覚えているのかもしれない。

 

 完全に懐いているわけではない。

 

 それでも、敵ではないと判断している。

 

 そんな気配があった。

 

 ヒトカゲを戻した後、部屋の空気が少し軽くなる。火が消えたわけではない。ただ、ボールの中へ戻っただけだ。それでも部屋の中に火を持つ生き物がいた緊張から解放されると、肩の力が抜ける。

 

 

 続いてゴース。

 

 ゴースの世話については、植え付けられた知識の中にちゃんとある。

 

 あるにはある。

 

 ただ、実際に札幌のワンルームでやるとなると、どうしても感覚が狂う。

 

 部屋の電気を少し落とす。換気扇の風量も弱める。窓は開けない。カーテンも閉めたまま。深呼吸してから、ゴースのボールを開いた。

 

 白い光がほどけた瞬間、室内の空気がひやりと冷たくなる。

 

 紫色のガスの塊が、音もなく浮かんでいた。

 

 ゴースはすぐに天井近くへ漂い、部屋の隅へ移動する。おくびょうな性格の通り、積極的に近づいてくるより、逃げ場を探しているように見えた。

 

 長く目を合わせない。

 

 さいみんじゅつ。

 

 くろいまなざし。

 

 どちらも、食らいたい技ではない。

 

 普通の動物みたいに、水を飲ませたり、ブラシで毛並みを整えたりする相手ではない。ゴース系はガス状の身体を持つため、食事もかなり特殊だ。

 

 キノコ類。

 

 それから、辛味のあるもの。

 

 戦闘知識や進化条件だけならまだしも、ポケモンと暮らす系の妙に生活感ある派生知識まで頭に入っているのが、少しだけ腹立たしい。ぽこあポケモンみたいな、ゆるい顔をした生活情報まで混ざっている。いや助かるけど。助かるけど、なんでそこまで入ってるんだか。

 

 台所で刻んでおいたキノコを小皿に乗せる。さらに、辛味のある調味料をほんの少しだけ別皿に垂らした。人間用の激辛食品をそのまま与えるつもりはない。あくまで反応を見る程度だ。

 

 ゴースは固形物へかぶりつくわけではなかった。

 

 ただ、皿の上へ漂った瞬間、紫色のガスがゆっくりと渦を巻いた。キノコの香りと、辛味の刺激を含んだ空気を取り込むように、身体の輪郭がわずかに膨らむ。

 

「……本当にそれでいいんだな」

 

 思わず呟く。

 

 ゴースは答えない。ただ、さっきまでより少しだけ逃げる動きが鈍くなった。気に入ったのか、警戒が薄れたのか、表情だけでは判断しきれない。

 

 風呂も、拭き取りも、ブラシも意味がない。身体の汚れを落とすというより、空気の流れや匂い、刺激物の扱いに気を配る相手だ。知識としては分かっている。それでも、実際に部屋でやると、世話をしている感覚が妙に薄い。

 

 今回は距離感の確認だけで終えることにした。

 

 ボールへ戻す直前、ゴースの白い目がこちらを見た。

 

 じっと、というほど長くはない。

 

 ほんの一瞬。

 

 それでも、ただ逃げ回っていただけではない気がした。

 

 ゴースを戻し、少しだけ背中を丸め息を吐く。

 

 

 ここからは自作ボール組だ。

 

 所有者認証による保護がない。ボールも正式な管理システムに乗っていない。逃げられたり、紛失したりしたらかなり面倒なことになる。

 

 まず部屋の隙間を再確認した。

 

 棚の下。

 

 ベッドの下。

 

 配線まわり。

 

 キッチン側の隙間。

 

 コラッタを出す前に、かじられそうなケーブルはタオルや箱で覆っておく。完璧とは言えないが、何もしないよりはマシだ。

 

 自作ボールを開く。

 

 コラッタが現れた瞬間、紫色の小さな身体が弾かれたように動いた。

 

「待て!」

 

 思わず声が出る。

 

 せっかちな性格そのままに、部屋の端へ走り出しそうになる。すぐに無塩ナッツと小さく切った果物を皿に置き、そちらへ意識を向けさせた。

 

 食欲が強いのか、コラッタはあっさり釣られた。

 

 前歯が目立つ。

 

 ナッツをかじる音が、思ったより硬い。

 

 あれでケーブルをやられたら終わる。

 

 食べている隙に、濡れタオルで背中の汚れを軽く拭く。身体をひねって逃げようとしたが、食べ物への執着が勝ったらしい。完全に警戒を解いたわけではないが、扱いは分かりやすい。

 

「お前はまず、配線をかじらないところからだな」

 

 

 コラッタを戻し、次にコンパンの自作ボールを手に取る。

 

 出した瞬間、狭い部屋の中で大きな複眼の存在感が際立った。

 

 分かってはいた。

 

 分かってはいたが、部屋で見ると圧がある。

 

 コンパンは光に反応したのか、照明から少し離れた暗い側へ行こうとする。慌てて進路を塞ぐほどではないが、念のため距離を取る。

 

 葉野菜と果物を置くと、きまぐれな性格らしく、近づいたり離れたりしながら少しずつ食べ始めた。毛に付いた土や葉を指先で軽く払い、湿らせた布で表面を拭く。

 

 ちょうおんぱ。

 

 ねんりき。

 

 かなしばり。

 

 どれも危険な技ばかりだ。

 

 こちらの緊張など知らないように、コンパンはスマートフォンの光へ興味を示してふらふら近づいていく。画面端のポリゴンのアイコンが、警告のように点滅した。

 

「近い近い。スマホはやめろ」

 

 そっと位置をずらす。

 

 怖い。

 

 だが、妙に好奇心旺盛で、見ていて飽きない。

 

 

 コンパンを戻し、次はニドラン♀。

 

 手袋をはめ直す。毒針持ちは本当に気を使う。

 

 ボールを開くと、青い小さな身体が現れた。ニドラン♀はすぐには動かず、耳をぴくりと動かして部屋の音を拾っている。しんちょうな性格らしい。

 

 こちらへ近づいてこない。

 

 こちらから近づきすぎてもいけない。

 

 きのみと茹で野菜を置き、少し離れて待つ。

 

 食べるまでに時間がかかった。

 

 その間、ニドラン♀はずっとこちらを見ていた。怯えているというより、観察している。距離、動作、声、手の位置。全部見られている感じがする。

 

 ようやく食べ始めた後も、近づくと耳が動く。

 

 濡れタオルで最低限の汚れだけを拭く。背中側へ手を伸ばす時は、毒針の位置を確認する。無理に撫でない。可愛い見た目だが、毒持ちだ。

 

 少しでも嫌がる素振りがあれば止める。

 

 ニドラン♀は最後まで距離を詰めてこなかったが、ボールへ戻す直前まで、こちらの動きをじっと見ていた。

 

 

 最後はパラス。

 

 ビニールシートの上に、さらに湿らせたタオルを敷く。乾燥しすぎないように、霧吹きで周囲を少し湿らせた。部屋そのものを湿気だらけにするわけにはいかないが、背中のキノコを見る限り、乾いた床へそのまま出すのは抵抗がある。

 

 自作ボールを開く。

 

 パラスが現れる。

 

 背中のキノコが、部屋の照明の下で妙に存在感を放っていた。

 

 のんきな性格なのか、動きは比較的落ち着いている。きのこ類、葉野菜、きのみを置くと、ゆっくり近づいて食べ始めた。

 

 ただ、油断はできない。

 

 ほうし。

 

 しびれごな。

 

 どくのこな。

 

 この狭い部屋で粉を撒かれたら大惨事になる。

 

 管理方法自体は分かる。

 

 乾燥させすぎないこと。背中のキノコを乱暴に扱わないこと。湿度と通気のバランスを取ること。粉系の技を不用意に誘発させないこと。土や落ち葉に近い環境を用意した方が落ち着きやすいこと。

 

 知識としては、ちゃんと頭にある。

 

 問題は、それを札幌のワンルームで再現するのが難しいということだ。

 

 湿度を上げすぎれば部屋がカビる。換気しすぎればゴースやヒトカゲの管理にも影響する。土を持ち込めば虫や臭いの問題が出るし、胞子を警戒する以上、普通の観葉植物みたいに気軽に置いておくわけにもいかない。

 

 直接水洗いはしない。湿らせた布で足元や甲殻の汚れを軽く拭く程度に留める。背中のキノコは触らない。触っていい位置、駄目な位置は分かる。分かるからこそ、余計に気を使う。

 

「……お前、畑とか土のある場所の方が絶対いいよな」

 

 パラスはのんきにきのみをかじっている。

 

 それを見て、十勝の実家のことが頭をよぎった。

 

 札幌のワンルームで何匹ものポケモンを管理するのは、限界がある。ヒトカゲも、パラスも、ポッポも、コラッタも。知識があっても、場所と設備が足りない。

 

 だからこそ、拠点を移す必要がある。

 

 全員の世話を終え、パラスを自作ボールへ戻した時、外はすでに暗くなり始めていた。

 

 床に座り込み、深く息を吐く。

 

 たかが一匹ずつ出して食事と手入れをしただけ。

 

 それだけで、半日以上が消えた。

 

 腕が重い。

 

 腰が痛い。

 

 床に敷いたビニールシートの上には、葉野菜の切れ端、使い終わった布、空になった皿、ラベルを貼ったメモが散らばっている。

 

 ゲームの「てもち」というデータではない。

 

 食べる。

 

 汚れる。

 

 警戒する。

 

 嫌がる。

 

 火を持つ。

 

 毒を持つ。

 

 粉を撒くかもしれない。

 

 壁を抜けるかもしれない。

 

 知識はある。

 

 だが、知識があることと、現実の狭い部屋で十匹近いポケモンを安全に世話できることは別問題だ。

 

 この世界には、ポケモンセンターも、専門の飼育施設も、世間に共有された飼育ノウハウもない。全部、自分の手持ちと、自分の責任で回すしかない。

 

「捕まえるより、連れ帰った後の方がよほど大変だった」

 

 思わず呟く。

 

 それでも、自分で捕まえて連れ帰ってきた以上、放置はできない。戦力としてだけではなく、明確に「部屋にいる生き物」として見え方が変わり始めていた。

 

 机の上のパソコン画面には、掲示板とSNSのタブがいくつか並んでいる。

 

 ポリゴンが、最近の目撃情報や投稿候補、危険なデマへの訂正メモを整理していた。スマートフォン側には、食事と手入れの記録も追加されている。

 

 これまでは、匿名掲示板で一方的に警告や助言を投げるだけだった。

 

 だが、状況はどんどん進んでいる。

 

 行政も、研究者も、一般人も、たぶん何もかも手探りだ。関東では混乱が続いているし、掲示板やSNSには無謀な捕獲報告や、間違った対処法、便乗したデマも流れている。

 

 これからは、もう少し踏み込んで情報交換を始める必要がある。

 

 捕獲のノウハウ。

 

 素材の扱い。

 

 安全な手入れの仕方。

 

 危険な接触の避け方。

 

 自分一人で抱え込むには、限界が近い。

 

 ただし、晒す情報は選ぶ必要がある。

 

 手持ちの内訳は出さずに。

 

 自作ボールの存在も出さない。

 

 知識の出どころは、絶対に出さない。

 

 書くなら、断片的な一般論。危険回避。食事や手入れの注意。あと、明らかなデマへの訂正くらいだ。

 

 画面端で、ポリゴンのアイコンが小さく点滅する。

 

「……明日は、少し書き込むか」

 

 ポリゴンが短い電子音を返した。

 

 机の端には、既製品のボールと自作ボールが並んでいる。中には、今日一匹ずつ向き合った生き物たちがいる。

 

 捕まえた。

 

 連れ帰った。

 

 なら、次はどう付き合っていくかを考えなければならない。

 

 重い身体を椅子に預けながら、掲示板へ投げる言葉を少しずつ組み立て始めた。

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