董白を拾ったら三国志が壊れ始めた 〜にわか知識の下級書吏と、死んだことになった董卓の孫娘~   作:ねじぇまる

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第10話 同じ十枚でも

 

「今日は東へ行ってみるよ」

 

昨日、礼の銭を持ってきた荷運び人が肩の縄を掛け直した。

 

宿の庭には荷車が一台あるだけだ。雨で足止めを食っていた客は昨日のうちに出ていき、いつも入口で仕事を待っていた男たちの姿もまばらだった。

 

「向こうで何かあるんですか?」

 

「麦を積むんだとさ。ここで待ってるよりはいいだろ」

 

男は俺の後ろへ目をやり、手を上げた。

 

「白も、またな。今日は椀の遊びに付き合うなよ!」

 

「そなたこそ、銭を増やそうとするでないぞ」

 

「もう懲りたって!」

 

笑いながら出ていく背中を見送った。

 

昨日の八枚が返ってこなければ、あの人はもっと困っていたのだろう。そう思ってから、俺も懐を押さえる。今入っているのは銭ではなく、朝に預かった荷札だけだ。昨日のお礼は書具箱へしまってある。

 

「柳誠。そちらを持ってほしい」

 

振り返ると董白が床の板を持ち上げていた。雨の日に袋の下へ敷いた物で、裏がまだ湿っている。

 

反対側へ回って持ち、二人で庭へ運び出す。板を壁に立てかけて通りへ目をやると、もう誰も歩いていなかった。

 

「静かだな」

 

「昨日が騒がしすぎたのじゃ」

 

「それもあるけど。荷物まで少ないだろ」

 

董白は入口に残った一台を見た。

 

俺たちも、仕事がなくなればここにはいられないのかもしれない。ようやく毎朝同じ場所で起きられるようになったのに、また草鞋を履いて歩き続けるのは勘弁してほしかった。

 

(……朝から考えすぎか)

 

女将に出ていけと言われたわけでもない。今日は板を乾かす仕事があるし、裏には片づける物も残っている。

 

それでも次の板を持ちに戻る途中、董白へ声をかけた。

 

「今日、少し粟を買っておかないか?」

 

「粥なら朝も食うたぞ」

 

「今食う分じゃなくて、取っておくんだ。仕事がない日に困らないように」

 

「銭を残しておけばよいではないか」

 

「それは残す。ただ、熱でも出したら買いに行くのも大変だろ。食う物も少しあれば安心できる」

 

董白は板の端に手をかけたまま俺を見ていた。

 

「銭を全部使うつもりか?」

 

「いや。今日もらう分だけにしよう。針も買えたし、昨日のお礼もある」

 

「……菓子の銭まで使うでないぞ」

 

思わず笑うと、董白が眉を寄せた。

 

「何じゃ。そなたが一つずつと言うたのじゃぞ?」

 

「覚えてる。そっちは別にしておく」

 

「ならばよい。女将に袋を借りておこう」

 

それで話が決まった。板を持ち上げると董白も腰を上げる。

 

働く場所がなくなった時のことは、まだ考えたくない。ただ今日のうちにできることが一つ決まると、さっきよりは気が楽になった。

 

 

午前中の仕事を終えると、女将が二人分の銭を十枚くれた。

 

俺が数えている間に董白は袋を借りていた。裏返して底を確かめ、縫い目を指でなぞっている。買った粟をこぼして帰ることになったら、目も当てられない。

 

「女将、買った分はここに置いてもよいか?」

 

「口をしっかり縛っとくんだよ。鼠に食われたって知らないからね」

 

「うむ。気をつける」

 

粟売りの出る場所も教えてもらい、十枚だけ持って宿を出た。

 

今日も晴れている。道の窪みに残った水を避けて歩けば、もう足を濡らさずに済む。昨日は針と菓子を買い、今日は食糧を買う。こんなふうに町を歩く用事が増えるのは悪くなかった。

 

南へ曲がった先に筵が見えた。

 

桶の前に座った女が、客の置いた銭を拾っている。董白と並んで待ちながら見ると、銭は十枚だった。

 

女は木の椀で粟をすくい、客の袋へ落としていく。

 

一杯、二杯。三杯目でも手は止まらず、四杯目まで入った。

 

(あれだけ買えるのか)

 

袋を受け取った客が去ると、俺たちが前へ出た。董白も今の量を見ていたらしく、借りた袋を大きく広げる。

 

「同じだけ欲しいのじゃが」

 

「はいよ」

 

俺は十枚を女の前へ並べた。

 

女は銭を拾いかけて手を止めた。一枚を裏返し、隣の一枚もつまみ上げる。それから二枚と八枚に分けて俺を見た。

 

「これだと三杯になるよ」

 

「……四杯じゃないんですか?」

 

「薄い銭が多いからね」

 

女は八枚の方を指した。

 

「さっきの人も十枚でしたよね?」

 

「さっきのは、ちゃんと重さのある銭だよ。持ってみれば分かる」

 

差し出された一枚を受け取る。手の中にあるのは今朝もらった銭だ。昨日まで受け取っていた物とも大して違わない。

 

俺たちはこれを十枚もらうつもりで働いたし、女将も十枚数えて渡してくれた。なのに店へ持ってきた途端、目の前で見ていた量から一杯減らされる。

 

またか、と思った。

 

昨日の男は豆を隠していた。今度は銭が薄いと言えば、渡す物を減らせるのか。

 

「白、ほかでも訊こう」

 

銭を集めようとすると、董白がそのうちの一枚を取った。厚い方の銭と並べて縁を見せてくる。

 

「違いはあるぞ」

 

「それは分かる。けど、一杯も違うのか?」

 

「だから訊きに行くのじゃ。ここの値が高いかどうか、まだ分からぬ」

 

董白は二枚とも俺の掌へ戻した。

 

確かに、ここ以外の値段は聞いていない。女に顔を向けると椀を置いて待っていた。俺が買わずに立つなら、それでも構わないらしい。

 

「この銭では、そなたも買い物に困るのか?」

 

董白が訊いた。

 

「困るよ。麦を買う時には、あたしも同じことを言われるんだから」

 

女は俺の手元へ顎を向けた。

 

「それで四杯渡してたら、今度はあたしが食えなくなる。橋のそばにも店が出てるから、聞いてごらん」

 

「……分かりました」

 

銭をしまって立ち上がった。董白は空の袋を畳むと、女に教えられた方へ歩き出す。

 

俺も後を追ったが、袋が空なのが気になった。今朝、出かける時はあれに粟が入るところまで簡単に思い浮かべられたのに。

 

 

橋のそばでも三杯と言われた。

 

こちらの店主は俺が訊く前に薄い八枚を脇へ寄せた。同じ銭を出して同じ返事が来ると、さっきの女だけを疑ったのが恥ずかしくなる。

 

「どうする?」

 

俺が訊くと、董白は桶を覗き込んだ。

 

「少し見てもよいか?」

 

店主がすくってくれた粟を指先で分け、椀の大きさも確かめている。しばらく見てから礼を言い、俺の袖を引いた。

 

「戻ろう」

 

店を離れてから訊き返した。

 

「同じ三杯なら、ここでもよかったんじゃないか?」

 

「屑が多い。あれでは、食う前に取り除く方が面倒じゃ」

 

「……そっちまで見てなかった」

 

「値ばかり見ておるからじゃ。せっかく買うなら、うまい方がよかろう」

 

もっともだった。

 

董白は三杯と聞いても、俺ほど腹を立てていない。その分だけ、ほかを見る余裕もあるのだろう。昨日の椀の下といい、今日の銭の数といい、俺は一つ気になるとそこから目が離せなくなる。

 

最初の店に戻ると女が椀を持った。

 

「どうだった?」

 

「向こうも三杯でした。ここでお願いします」

 

「はいよ。袋を開けて」

 

董白が袋の口を広げ、俺は銭を渡した。

 

粟が袋へ落ちる音がする。三杯でも底は丸く膨らんだ。これから二人で食べる物だと思えば、ようやく買い物をした気がしてくる。

 

女は受け取った銭を分け、厚い二枚を小袋へしまった。残りは腰の袋へ入れる。

 

「薄いのばかり増えるねえ。太師さまが余計なことをしてくれたもんだよ」

 

董白の手が止まった。

 

「……太師?」

 

「ああ。昔の銭を溶かして、こんなのに作り直したんだとさ。銭ばっかり増えたって、こっちは粟をただで仕入れてるわけじゃないからね」

 

俺は董白を見た。

 

袋の口を握ったまま女の顔を見つめている。さっきまで迷いなく物を選んでいた娘とは思えないほど、返事が遅かった。

 

「ほら、縛っときな。こぼれるよ」

 

女に言われてようやく目を落とす。

 

俺が紐へ手を伸ばすと、董白は袋を引き寄せた。

 

「自分でできる」

 

「……ああ」

 

紐を強く引いたせいか、袋の縁に付いていた粟が数粒こぼれた。董白はそれを払わず、結び目を作り直している。

 

俺は女に礼を言い、董白が立つのを待った。

 

 

「貸せ。帰りは俺が持つ」

 

店を離れてから手を出すと、今度は袋が渡された。

 

三杯分の重みが腕にかかる。行きには空だった袋を抱えているのに、隣の足取りは軽くならなかった。

 

水たまりを避ける時も董白は何も言わない。俺もさっきの女の話を持ち出せずにいた。

 

通りが途切れた所で、董白が周りを見た。

 

「そなたは知っておったか? 祖父さまが、あの銭を作らせたことを」

 

「話は聞いたことがある。けど、今朝もらったのがそうだとは分からなかった」

 

「妾も、銭が足りぬから作るのだとは聞いておった」

 

それきり口を閉じたので、横顔を見た。

 

唇を結んでいる。さっきの女に何も言い返せなかったのを、まだ腹立たしく思っているようにも見えた。

 

俺が知っていたのは、董卓が銭を作り直して物の値が上がったという話だけだ。それを覚えていたところで、十枚を握って店へ行けば普通に買えるつもりでいた。

 

「俺も、あの人に悪いことしたな」

 

董白が目を上げた。

 

「最初から騙されたと思ってた。あの人だって、同じ銭で買い物してるのにな」

 

「……分かっておる」

 

少し強い返事だった。

 

俺が黙ると董白は足を緩めた。

 

「分かっておるのじゃ。あの女が勝手に減らしたのではないことくらい」

 

「責めたつもりじゃない」

 

「うむ……」

 

また歩き出したので隣へ並んだ。何を言えばいいのか考えたが、すぐに言葉は出てこない。

 

女の言い分はもっともだ。だが、それが正しければ正しいほど、董白には聞きたくない話になる。

 

やがて董白が俺の持つ袋を見た。

 

「祖父さまの所では、菓子が出た」

 

「菓子?」

 

「棗の入った、柔らかい物じゃ。好きだと言うたら、行くたびに出させておった」

 

昨日食べた物とは違うらしい。訊き返そうとすると、董白の方から続けた。

 

「ほかの者より妾の分が多くてな。まだ食えるか、と訊くゆえ、食えると言えばまた持ってこさせる」

 

「それ、飯が入らなくなるだろ」

 

「少し残したら、侍女に叱られた」

 

口元が緩んだ。俺も笑いかけたところで、その顔から笑みが消える。

 

「……祖父さまは、妾には優しかった」

 

返事を待つように俺を見た。

 

「そうだったんだな」

 

「うむ」

 

今度の返事は小さかった。

 

知られている董卓の話と、この娘が覚えている祖父の話。同じ男のことだと頭では分かっていても、菓子をねだる孫娘の前でどんな顔をしていたのか、俺には想像がつかない。

 

けれど董白には、その顔がすぐ浮かぶのだろう。

 

(……何か言ってやれよ)

 

そう思うのに、出かかった言葉はどれも違う気がした。

 

祖父さんも仕方なかったんだろう、と言えるほど事情を知っているわけじゃない。忘れろなどとは、もっと言えない。

 

袋を抱え直すと中の粟が動いた。董白の目もそちらへ向く。

 

「その菓子、棗は丸ごと入ってるのか?」

 

「……刻んだ物じゃ。中に混ぜてあってな」

 

「じゃあ、どこを齧っても甘そうだな」

 

「棗の多い所は、もっと甘い」

 

少しだけ声が戻った。

 

「割ると分かるのじゃ。そこだけ色が濃いゆえ」

 

「そこから食ってたのか?」

 

「最後まで残しておった」

 

「俺もそうするな」

 

昨日の半分の菓子を、最後の一口まで惜しんでいたのを思い出す。董白もこちらを見て、ほんの少し笑った。

 

その先は話が途切れた。

 

俺も急かさずに歩く。通りの向こうから宿の屋根が見えてきた頃、董白が呟いた。

 

「また食いたいのう」

 

昨日はすぐに、次は一つずつ買おうと言えた。

 

今日は同じようには言えなかった。どこかで似た菓子が見つかっても、それを出してくれた祖父まで戻ってくるわけではない。

 

「……俺も食ってみたいな。その菓子」

 

董白はうなずいた。

 

宿はもうすぐそこだったが、俺たちはしばらくゆっくり歩いた。

 

 

「三杯だったかい」

 

戻って買えた量を話すと、女将は袋の中を覗いた。

 

「薄い銭を見せたら、一杯減ると言われまして」

 

「最近はどこもそうだね。うちも仕入れのたびに揉めるよ」

 

女将は厨房へ向き直りかけ、足を止めた。

 

「釜を使いたい時は先に言っとくれ。客の飯と一緒には炊けないからね」

 

「分かりました。しばらく取っておくつもりです」

 

「ああ。なら、袋を通り道に置かないようにね」

 

それだけ言って戻っていく。

 

俺たちは粟を壁際へ置いた。結び目を確かめてから書具箱を開くと、昨日までの銭が見える。

 

一枚ずつ取り出して並べた。

 

厚い物もあれば薄い物もある。欠けた銭も一枚あった。昨日までは全部まとめて数え、それで安心していたのだ。

 

「女将さんも、薄いのを選んで渡したわけじゃないよな」

 

口にしてから嫌な気分になった。

 

董白は隣へ腰を下ろすと、並べた銭を見た。

 

「銭箱から出して数えておった。そなたも見ておったであろう」

 

「ああ。そうだった」

 

飯も寝場所も世話になっている。それで疑ってはいけないとは思わないが、気に入らないことがあるたびに誰かに騙されたと思うのも違う。

 

俺は厚い銭を脇へ寄せた。董白が薄い方を集め、欠けた一枚は別に置く。

 

「これも店で訊いておこう。使う時に返されては困る」

 

「そうだな。買い物に行く前に分けておくか」

 

昨日のお礼の五枚にも、薄い銭は混じっていた。それでも男たちがわざわざ出し合ってくれた礼には違いない。減ったような気がするのは、俺が今日まで枚数しか見ていなかったからだ。

 

「三杯でも、買ってよかったとは思うんだ」

 

董白が顔を上げる。

 

「今朝まではなかった分だからな。ただ明日も十枚もらって、それでどれだけ買えるか店へ行くまで分からないのは困る」

 

「ならば、粟で貰おう」

 

「……仕事代を?」

 

「どうせ買うつもりなら、初めから貰えばよかろう。女将は宿で使う分を持っておる」

 

俺は厨房へ目を向けた。大きな鍋のそばで女将が椀を並べている。今朝の粥もあそこで炊いていた。

 

「そうか。食う物なら、ここにあるんだな」

 

「うむ」

 

「でも、全部を粟でもらうと困るぞ。薪も着替えも要るし――」

 

「菓子も買えぬな」

 

董白が先に言った。

 

俺が笑うと、今度は眉を寄せなかった。

 

「全部とは言うておらぬ。食う分と銭を分けて貰えばよいのじゃ」

 

「それなら俺も助かる。どれだけ分けてもらえるか、聞いてみよう」

 

「女将の椀も見ておこう。店の三杯と同じつもりでおっては、また困る」

 

「ああ。そこはちゃんと決めないとな」

 

董白は立ち上がりかけたが、厨房から客を呼ぶ声がした。広間へ目をやって座り直す。

 

「……今ではないな」

 

「昼が済んでからにしよう。俺も一緒に話す」

 

「うむ。では、それをしまえ。先に椀を片づけねば」

 

薄い銭も厚い銭も書具箱へ戻した。最後の一枚を入れたところで、董白が俺の袖口に触れた。

 

「ここ、昨日よりほどけておるぞ」

 

「ああ、板に引っかけたんだ。悪い。縫う所を増やした」

 

「今夜こそ貸せ。これ以上広がっては面倒じゃ」

 

「助かる。今夜は忘れずに渡す」

 

「忘れたら、そなたが縫うのじゃぞ」

 

董白が手を離して立ち上がった。俺も笑って蓋を閉じる。

 

董白が厨房へ入っていく。俺は広間へ回り、女将に呼ばれる前に空の椀を取りに行った。

 

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