董白を拾ったら三国志が壊れ始めた 〜にわか知識の下級書吏と、死んだことになった董卓の孫娘~   作:ねじぇまる

11 / 12
第10話 同じ十枚でも

 

翌朝、雨は上がっていた。

 

昨日の騒ぎが嘘みたいに、宿の土間は静かだった。

 

泊まっていた客の半分は夜明けと一緒に出ていき、竈の前に並ぶ椀も、昨日よりずっと少ない。

 

俺は朝の粥を食べ終えると、書具箱を抱えて入口へ座った。

 

董白も隣に立つ。

 

女将は鍋の蓋をずらしながら、俺たちを見た。

 

「昨日言った通りだよ。朝の荷物は二人で見な」

 

「うむ」

 

「置き場所は勝手に決めない。最後に持ち主と数える。忘れるんじゃないよ」

 

「分かっておる」

 

董白の返事は早かった。

 

昨日、女将から一つの仕事を最初から最後まで任されたのが、よほど嬉しかったらしい。

 

口には出さないけれど、朝からずっと背筋が伸びている。

 

とはいえ、仕事が来なければ始まらない。

 

しばらく待っていると、馬屋の方から車輪の音がした。

 

昨日みたいな大荷物ではない。

 

荷車を引いてきた男が一人と、後ろから歩いてきた連れが一人。荷台には布を掛けた木箱と、口を縛った袋がいくつか載っている。

 

男が入口で足を止めた。

 

「今夜まで預かってくれ。四つだ」

 

俺が荷札を取る。

 

「印は?」

 

「箱も袋も、横に三本線がある」

 

荷台を見ると、確かに木箱の横と袋の口近くに、墨で三本線が引いてあった。

 

一、二、三。

 

「三つしかないですけど」

 

「あ?」

 

男が振り返る。

 

連れの男も荷台を覗き込んだ。

 

「ああ、馬屋に一つ下ろした」

 

「先に言えよ」

 

「馬が暴れそうだったんだよ」

 

二人で言い合いながら、馬屋の方を見る。

 

董白が口を挟んだ。

 

「その一つも宿へ預けるのか」

 

「そうだ」

 

「なら、その一つも持ってきてくれぬか。四つ揃ってから数える」

 

命令する相手でもないので少しひやりとしたが、男は特に気にした様子もなく、連れへ顎をしゃくった。

 

「取ってこい」

 

連れが馬屋へ戻る。

 

その間に董白は荷台の木箱を見る。

 

「この箱は濡らして困るか」

 

「いや。中は鉄の道具だ。袋の一つだけ乾物だから、そっちは雨に当てたくない」

 

董白は女将へ顔を向けた。

 

「乾物の袋は軒下でよいか」

 

「いいよ。ほかは奥の壁際。通路は空けときな」

 

「分かった」

 

今度は荷主へ向き直る。

 

「乾物だけ軒下。残りは奥の壁際だそうじゃ」

 

「それでいい」

 

ほどなく、馬屋から四つ目の袋が運ばれてきた。

 

俺は三本線の印を見てから、四つと書く。

 

荷物を動かすのは男たち自身だ。

 

俺と董白は、その後ろについて置き場所を見る。

 

乾物の袋が軒下へ一つ。

 

木箱と残り二袋が壁際。

 

「一つ、二つ、三つ」

 

董白が壁際を指で数える。

 

俺も荷札を見る。

 

「軒下に一つ。合わせて四つ」

 

荷主にも見てもらう。

 

男はそれぞれの荷物へ目をやり、最後に頷いた。

 

「四つある」

 

それで終わりだった。

 

昨日みたいに道は塞がらない。

 

誰も怒鳴らない。

 

女将も竈から離れなかった。

 

荷主が馬屋の方へ戻っていくのを見て、董白が小さく息を吐く。

 

「……これでよいのか」

 

「よいんじゃないか?」

 

「昨日より、あっけないぞ」

 

「毎回揉めたら困るだろ」

 

「それはそうじゃが」

 

どうやら少し物足りないらしい。

 

でも、仕事なんて本当はそのくらいでいい。

 

問題が起きないなら、それに越したことはない。

 

次に来たのは、背負い籠を二つ預ける旅人だった。

 

今度は董白が最初に数を聞く。

 

俺が印を書く。

 

女将に置き場所を聞く。

 

旅人と一緒に二つを見て、置き終わってからまた数える。

 

それもすぐ終わった。

 

二件目の旅人は、荷物を預けるとすぐ馬屋へ向かった。

 

「もう行ってよいのか?」

 

董白が背中へ声を掛ける。

 

男が振り返った。

 

「数は合ったんだろ?」

 

「合っておる」

 

「なら、あとは任せる」

 

それだけ言って、本当に行ってしまった。

 

董白は少し意外そうに、その背中を見送った。

 

昨日までなら、女将が手を空けて荷物を見に来るまで、預ける側も運ぶ側も入口で待つことがあった。

 

今日は誰も待っていない。

 

数が合って、置き場所が決まっていれば、それで次へ行ける。

 

三件目は、昼前だった。

 

小さな包みが三つ。

 

一つだけ別の客の荷物の横へ置かれかけたが、董白が印の違いに気づいて止めた。

 

「そちらではない。三本線はさっきの客じゃ。これは丸印であろう」

 

「ああ、悪い」

 

運んでいた男が置き直す。

 

それだけだ。

 

俺は丸印を三つ書き、持ち主と一緒に数えた。

 

昨日みたいな騒ぎは一度もなかった。

 

それでも、気づけば昼になっていた。

 

俺たちは朝から、女将に「次は何をすればいい」と一度も聞いていない。

 

女将の方も、途中で一度も竈から出てこなかった。

 

それでも、預かった荷物は持ち主ごとにまとまり、通路にもはみ出していない。

 

荷物が来れば数える。

 

誰のものか聞く。

 

どこへ置くか、荷主と女将に聞く。

 

置き終えたら、もう一度数える。

 

荷主にも見てもらう。

 

やったのは、それだけだった。

 

女将が昼の鍋を火から下ろした頃、董白が入口から戻ってきた。

 

「今の三つで最後じゃ」

 

「全部見た?」

 

「持ち主にも数えさせた。三つじゃ」

 

俺は荷札の束を見る。

 

朝から三件。

 

四つ、二つ、三つ。

 

どれも持ち主と数が合っている。

 

女将は手を布で拭くと、俺の荷札を上から順に見た。

 

「置き場所も?」

 

「一件目の乾物だけ軒下。残りは壁際。二件目は奥。三件目は入口右の棚の下です」

 

「よし」

 

女将はそれ以上、荷物を見に行かなかった。

 

それが少し意外だった。

 

昨日までなら、最後には自分で見に行っていたはずだ。

 

董白も同じことに気づいたらしい。

 

「見に行かぬのか」

 

「二人で見て、持ち主にも見せたんだろ」

 

「そうじゃ」

 

「なら、今日はそれでいい」

 

董白の口元が、ほんの少しだけ上がった。

 

昨日は「明日も任せるかもしれない」という話だった。

 

今日は、実際に任された仕事を最後までやり切った。

 

女将は銭箱を引き寄せた。

 

中をかき回し、小銭を何枚か拾う。

 

一枚ずつ卓へ置いた。

 

十枚。

 

「今日の荷受けの分」

 

董白が卓の上を見る。

 

「これを、わたしたちに?」

 

人前なので、一人称だけはきちんと直していた。

 

「朝と夜の飯、寝床は今まで通りだよ。これは荷受けを最後までやった分」

 

女将は十枚を俺の方へ押した。

 

「明日からも、荷が来たら同じようにやりな。数が合わなきゃ、その場で持ち主に言うこと。隠したら終わり」

 

「隠さぬ」

 

董白がすぐに答える。

 

女将は鼻で笑った。

 

「白はそう言うと思ったよ」

 

俺は十枚を手に取った。

 

銭は全部同じ大きさではなかった。

 

厚いものもあれば、妙に薄いものもある。

 

縁が少し欠けたものもあった。

 

でも、十枚は十枚だ。

 

昨日まで俺たちは、女将に言われた仕事をその都度やっていた。

 

今日は違う。

 

荷物が来たところから、持ち主へ全部あると返すところまで。

 

朝の荷受けは、これから俺たちの仕事になる。

 

しかも、その分の銭まで出た。

 

董白が卓の上から十枚を一枚ずつ拾う。

 

「柳誠」

 

「ん?」

 

「昼の飯を買うぞ」

 

「早いな」

 

「働いたのじゃ。腹が減った」

 

朝と夜の飯は宿で出る。

 

昼は別だ。

 

十枚全部を使う必要はないだろうけれど、初めてもらった仕事代で何が買えるのかは、俺も知りたかった。

 

書具箱を置き、女将へ声を掛けてから、二人で宿を出た。

 

道は昨日の雨でまだぬかるんでいた。

 

水場の前を通る。

 

阿慶は水場番の近くで縄を巻いていたが、俺たちを見ると手だけ上げた。

 

董白も軽く手を上げる。

 

それだけで通り過ぎた。

 

宿場の端に、粟や豆を売る店が並んでいる。

 

大きな店ではない。

 

布を張っただけの軒先に袋が積まれ、前には木の量りが置かれていた。

 

俺たちの前に、荷運びらしい男が一人いた。

 

男は腰の袋から銭を出す。

 

店の主人が卓の上で数えた。

 

「十枚だな」

 

主人は銭を脇へ寄せると、木の量りへ粟を入れた。

 

縁近くまで入れ、表面を指でならす。

 

それを男の袋へ落とした。

 

男は受け取ると、そのまま行ってしまう。

 

董白が俺を見る。

 

「今のくらいあれば、昼には足りるであろう」

 

「たぶん」

 

俺たちの番になる。

 

十枚を卓へ置いた。

 

「粟をください」

 

主人は返事をしながら銭を数え始めた。

 

一枚。

 

二枚。

 

三枚。

 

途中で手が止まる。

 

一枚をつまみ上げ、横から見る。

 

次の一枚も持ち上げる。

 

主人の眉が寄った。

 

「これ、どこでもらった」

 

「宿の仕事代ですけど」

 

「宿か」

 

主人は十枚を二つに分けた。

 

六枚と四枚。

 

四枚の方は、さっきの男が出した銭より明らかに薄い。

 

主人は、そのうち一枚と、さっき受け取った厚い銭を一枚ずつ摘まんだ。

 

二枚を重ねる。

 

横から見れば、違いは俺にも分かった。

 

同じ一枚なのに、薄い方は頼りないくらい細い。

 

「十枚なら、さっきと同じではないのか」

 

董白が聞く。

 

主人は首を振った。

 

「数はな」

 

「数は?」

 

「こっちはまだいい。こっちの薄いのは、そのまま一枚じゃ取れねえよ」

 

董白の目が細くなる。

 

「銭であろう」

 

「銭だよ。だから受け取りはする」

 

主人は薄い一枚を卓へ置いた。

 

「けど、俺がこれを次の商人へ持っていっても、重い銭と同じには取ってくれねえ。俺だけ同じ量の粟を出したら、次で俺が損する」

 

言いながら、主人は木の量りへ粟を入れた。

 

さっきの男より、明らかに少ない。

 

縁まで届かない。

 

董白が量りと、卓の十枚を見比べる。

 

「待て」

 

主人の手が止まる。

 

「さっきの男も十枚であった」

 

「だから、あっちは厚い銭だったんだよ」

 

主人は面倒そうに言った。

 

「こっちの薄いのは長安から流れてきたやつだ。董太師が出させた銭だよ。字まで潰れてるだろ」

 

董白の指が止まった。

 

俺も銭を見る。

 

確かに、何が書いてあるのかほとんど分からないものがある。

 

董卓がどんな銭を出したかなんて、俺のうろ覚え三国志には入っていない。

 

ゲームじゃ、こんなところまで教えてくれなかった。

 

主人は董白の顔色には気づかず、量りを指した。

 

「嫌なら銭は返す。これで買うなら、この量だ」

 

董白はしばらく何も言わなかった。

 

「……それでよい」

 

低い声だった。

 

主人が粟を小さな袋へ移す。

 

受け取ると、思っていたより軽かった。

 

店を離れてからも、董白は何も言わない。

 

宿場の人通りが少なくなったところで、ようやく口を開いた。

 

「柳誠」

 

「うん」

 

「先ほどの男は、祖父様が出させた銭だと申したな」

 

「そう言ってた」

 

「妾は知らぬ」

 

董白は手に持った粟の袋を見る。

 

「祖父様が銭を出したことも、その銭で飯が減ることも」

 

「俺も知らなかったよ」

 

「そなたもか」

 

「ああ。そんなところまで知らなかった」

 

董白は少しだけ黙った。

 

祖父を悪く言われれば、少し前までならすぐ怒っていた。

 

今も腹は立っているのだと思う。

 

でも、粟売りへ戻って怒鳴ろうとはしなかった。

 

あの男も、自分が次で損をするから量を減らしただけだ。

 

董白は袋を両手で持ち直した。

 

袋の底に溜まった粟が、歩くたびに小さく鳴る。

 

朝、十枚を卓へ並べてもらった時には、董白はあんなに嬉しそうだった。

 

今は、その十枚を全部渡した後の袋だけを見ている。

 

「仕事はした」

 

「ああ」

 

「女将も払った」

 

「払ったな」

 

「じゃが、飯は減るのじゃな」

 

「……そうなる」

 

「気に入らぬ」

 

それだけ言って、董白は歩き出した。

 

俺も横に並ぶ。

 

朝にもらった十枚は、もう一枚も残っていない。

 

代わりに持っている粟は、さっき同じ十枚を出した男より少なかった。

 

仕事は残った。

 

明日も、荷物が来れば俺たちの仕事になる。

 

でも、同じ十枚で同じだけ食べられないなら、仕事をもらっただけでは冬まで安心できない。

 

  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. よみあげ
  11. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。