董白を拾ったら三国志が壊れ始めた 〜にわか知識の下級書吏と、死んだことになった董卓の孫娘~   作:ねじぇまる

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第12話 足りない五枚

 

「できた」

 

最後の糸を切って袋を持ち上げると、董白が伸ばしかけていた足を戻した。

 

「見せてみよ」

 

渡す前に口の縁を揃えてみる。右だけ少し長い。引っ張っても左は伸びなかった。

 

(……途中までは合ってたはずなんだが)

 

今夜、女将に貰った古い敷物を二人で広げた時は、もっと簡単にできると思っていた。傷んだ端を切り、布を折って脇を縫う。それだけなのに、手元ばかり見ているうちに少しずつずれたらしい。

 

「そこは引いても直らぬぞ」

 

「分かってる。……使う分には困らないよな?」

 

董白は袋を受け取り、裏返した。縫い目に沿って指を動かし、底の角まで確かめる。

 

俺はその手を見ていた。夕飯の片づけが済んでからずっと縫っていたのだ。全部やり直せと言われたら、さすがに今夜は立ち直れそうにない。

 

「うむ。粟はこぼれぬ」

 

「よかった」

 

思ったより深く息が出た。董白が顔を上げる。

 

「そんなに心配なら、途中で見せればよかったではないか」

 

「終わる頃には慣れてたんだよ。もう少しでできると思ったら、止めにくくてな」

 

「では、次は慣れたところから始められるのう」

 

「次も縫わせる気か?」

 

「もう嫌になったか?」

 

そう訊かれると、嫌ではなかった。手間はかかったが、布だった物が袋になっている。自分で作った物を使うのは久しぶりだった。

 

董白に口を広げてもらい、借りていた袋から粟を移した。底が丸く膨らむ。持ち上げても粒は落ちてこなかった。

 

俺は下へ手を添えたまま、もう一度縫い目を見た。

 

「こぼれぬと言うたであろう」

 

「いや、ちゃんと入ってるなと思って」

 

「入れるために縫うたのじゃぞ」

 

「そうなんだけどさ」

 

自分でも妙なことを言っている。董白は少し笑い、袋を結ぶ紐を取ってくれた。

 

今夜は何度か針を渡したくなった。糸が絡まった時など、俺がほどくより董白に縫ってもらった方が早いと分かっていた。それでも最後まで自分でやれたのは嬉しかった。

 

口を結んで棚へ置く。長くなった方を壁へ向けたところで、隣から笑う声がした。

 

「隠したな」

 

「こっちの方が収まりがいいんだ」

 

「そういうことにしておこう」

 

董白は針を包みへしまった。俺も空いた借り物の袋を畳む。明日の朝、女将へ返す時に自分の袋も見せてみようかと思った。

 

 

翌日の昼過ぎ、赤い手拭いの男が二人を連れてきた。

 

俺は朝の荷物の控えをまとめていた。董白は隣で自分の裾を繕っている。声をかけられると針を止め、入口へ顔を向けた。

 

「白、ちょっといいかい?」

 

「今日はまだ、運んでもらう荷はないぞ」

 

「いや、昨日みたいに話をつけてもらいたくてな」

 

男が連れの一人を前へ押し出した。袖の長い上着を着た男だ。押されると露骨に嫌な顔をした。

 

「足りない分は明日払うと言っているだろう」

 

「だから、それじゃ困るって話だよ。ここへ来るまでに何度言わせるんだ」

 

もう一人の荷運び人も入口で足を止めていた。顎に汗が光り、肩の縄を握り直している。

 

董白は縫い物を畳んで脇へ寄せた。

 

「運び賃か?」

 

「ああ。こいつの布を運んだんだが、払う段になって銭が足りないと言い出してな」

 

「布なら渡すと言った。そっちが要らないんだろう」

 

商人は卓へ銭袋を置いた。

 

「粟では払えぬのか?」

 

「布しか扱っていないんだ。昨日売った分の代金が入れば払えるんだが……」

 

「布を貰っても、売り先を探してたら次の仕事に行けねえよ」

 

赤い手拭いの男は、昨日より疲れた顔をしていた。運ぶ前に揉めた昨日と違い、もう仕事を済ませてしまっている。

 

俺は筆を置いて三人に座るよう勧めた。

 

「先に、いくら足りないのか教えてください」

 

「五枚だ。二人で十五枚の約束で、十枚はここにある」

 

商人が銭を並べた。赤い手拭いの男も連れも、額には異存がないらしく黙って見ている。

 

「昨日売った布の代金を、今朝貰うはずだったんだよ。店へ行ったら主人が出ていて、明日の朝には戻ると言われた」

 

「それを運ばせる前に言ってくれればなあ」

 

もう一人の荷運び人が、膝へ置いた縄を握った。

 

「後回しにした仕事があるんだ。今日払ってくれるならと、あんたの方へ先に行ったんだぞ」

 

「間に合うと思ったんだ」

 

「間に合ってないだろ」

 

商人は口を閉じた。

 

董白は卓の十枚を寄せ、空いた所へ肘をついた。

 

「その店は、払わぬと言うておるのではないのじゃな?」

 

「ああ。何度も取引している店だし、受け取りの書付もある」

 

「店に残っておる者から五枚だけでも貰えぬか?」

 

「それも頼んだよ。主人がいないと銭は出せないと言うんだ」

 

董白の指が卓の上で止まった。それから俺を見る。

 

何か思いついた顔だった。

 

「柳誠。少しよいか」

 

隣の少女と席を立ち、三人から少し離れた。

 

「五枚、貸してやろうと思うのじゃが」

 

「俺たちが?」

 

「うむ。布を預かっておけば、返さずに逃げることもできまい」

 

声を落として言いながら、董白は商人の方を見た。

 

確かに五枚を足せば話は済む。だが、その五枚は俺たちが働いて取っておいた銭だ。明日返るつもりで渡して、また明後日と言われたら困る。

 

「返ってこなかったら、俺たちが布を売るのか?」

 

「そうじゃ。五枚より高く売れる物を預かればよい」

 

「それは、あの二人も困ってたところだろ。買う人がすぐ見つかるとは限らない」

 

董白が俺へ顔を戻した。

 

「お前は布を見れば分かるかもしれないが、俺には値段も分からない。銭に戻せないまま持ってるのは困るぞ」

 

俺たちの粟の袋を見た。この先、仕事のない日が続くかもしれないと思って貯め始めたばかりだ。売るための布まで抱えて暮らすつもりはなかった。

 

董白はしばらく考え、それから厨房へ目を向けた。

 

「女将なら買うかもしれぬ」

 

「女将?」

 

「ゆうべ布を貰った時に言うておった。傷んだ敷物を替えねばならぬが、まだ足りぬとな」

 

そういえば、俺が貰った一枚にも大きな裂け目があった。袋にできる所を探して二人で広げたのだ。

 

「先に聞けるか? いくらで買ってもらえるかも」

 

「うむ。買わぬと言われたら、貸すのもやめよう」

 

「それなら話は分かる。俺が聞いてくる」

 

董白はうなずき、卓へ戻った。

 

「布を預けるのであれば、足りぬ五枚を貸してもよい。ただし、その布を見せてもらってからじゃ」

 

商人が顔を上げた。

 

「明日返せば、布も返してくれるんだな?」

 

「明日の昼までに五枚。その時は布も返す。遅れたら売るが、それでよいか?」

 

商人は卓の十枚を見た。二人の荷運び人も返事を待っている。

 

「分かった。荷から持ってくる。少し待っていてくれ」

 

俺も厨房へ向かった。

 

 

「貸すのは、あんたたちの銭だね?」

 

事情を話すと女将はそこを確かめた。

 

「はい。布を見て、五枚で買えるか教えてほしいんです。戻らなかった時に売れれば、こちらも困らずに済むので」

 

「それなら見てやるよ。これを移すまで待っとくれ」

 

鍋の中身を甕へ移し終えるまで待ち、一緒に卓へ戻った。

 

商人も麻布を抱えて戻っていた。広げると卓から端が垂れる。女将はその端をつまみ、窓の明かりへ向けた。

 

ゆうべ貰った布と違い、透けた所も裂け目も見当たらない。

 

「これを五枚でいいのかい?」

 

「返せなかった時だけだよ」

 

商人は念を押した。女将が笑う。

 

「分かってるよ。これなら買う。うちで使うには十分だ」

 

董白が俺を見た。俺もうなずき、書具箱へ手を伸ばした。

 

手元の五枚で、あちらの二人は運び賃を受け取れる。商人は今日中に布を売り歩かなくて済む。俺たちも、返ってこなければ女将に買ってもらえる。

 

そこまで確かめて、ようやく銭袋を開ける気になった。

 

ただ五枚を数えるだけでは済まない。厚みのある物を選んで卓へ置くと、赤い手拭いの男が覗き込んだ。

 

「そっちも見ていいかい?」

 

「どうぞ。これで受け取ってもらえますか」

 

男は裏返してから連れへ見せた。連れもうなずいたので、俺は木簡と筆を出した。

 

「では、約束を書いておきます。お名前を教えてください」

 

聞いただけでは字が分からず、商人に書いてもらった。その下へ貸した額と返す時を書き足す。

 

「返す銭も、今日と同じくらいの物でお願いします」

 

俺が五枚を指すと商人は苦笑した。

 

「ああ。それでまた揉めたんじゃ、ここへ来た意味がないな」

 

「あと、明日の昼を過ぎたら布を売る。それも書いておきます」

 

「分かった」

 

筆を動かす俺の横で、董白が布を畳み直していた。女将も残り、書き終えるのを待ってくれる。

 

読み上げた約束に商人がうなずいたので、五枚を十枚のそばへ寄せた。荷運び人たちが銭を分ける。赤い手拭いの男が七枚、連れが八枚。

 

二人の懐へ収まると、卓が急に広くなった。

 

「次は、運ぶ前に言ってくれよ」

 

連れの男が立ち上がりながら言った。

 

「ああ。悪かった」

 

商人は今度こそ素直に頭を下げた。

 

三人が帰ろうとしたところで、俺は赤い手拭いの男を呼び止めた。

 

「名前を聞いておいてもいいですか。昨日、忘れてしまって」

 

「赤でいいよ。みんなそう呼ぶ」

 

男が首の手拭いを引いた。

 

「外してても赤で通じるからな」

 

「助かります。私は柳誠です」

 

「そっちは知ってる。白が呼ぶから、嫌でも覚えるよ」

 

「嫌とは何じゃ」

 

董白がすぐに口を挟んだ。赤は笑って手を振る。

 

「よく聞こえるってことだよ。またな、二人とも。助かった」

 

「うむ。また荷が来たら頼むぞ」

 

三人を見送ってから、控えに書いた赤い手拭いの横へ名前を足した。昨日空けておいた場所が埋まる。

 

女将は預かった麻布を持ち上げた。

 

「これは奥へ置いておこう。誰かに使われたら困るからね」

 

「返す時には、先に声をかけます」

 

「ああ、そうしておくれ」

 

俺は女将についていき、棚に置かれた布を確かめてから戻った。

 

卓には董白が座っていた。俺が書いた約束を読み返している。

 

「五枚を貸すだけでも、結構かかったな」

 

隣へ腰を下ろして言うと、董白が顔を上げた。

 

「嫌じゃったか?」

 

「いや。返らなかった時のことまで決められたから、それはよかった。ただ毎回こんなにかかるなら、俺たちの仕事をする暇がなくなるぞ」

 

「ならば、その分も貰わねばな」

 

董白が木簡を卓へ置いた。

 

「次に貸す時は、返す銭を少し多くしてもらおう。こちらも銭を使えぬ間があるのだからな」

 

銭を貸して利息を取る。そのくらいは知っている。俺が驚いたのは、自分たちがそれをやる側になろうとしていることだった。

 

少し前まで、泊まる所を探して宿代を負けてくれと頼んでいたのに。

 

「商いにするつもりなのか?」

 

「できると思わぬか? 昨日は粟があれば済んだ。今日は五枚あれば済んだ。困って来る者がおるなら、話くらい聞いてみてもよかろう」

 

楽しそうだった。次はどんな相談が来るか、もう考えているのかもしれない。

 

俺は銭袋をしまった。減った五枚はやっぱり惜しい。だが、さっきまであれほど怒っていた二人が、最後は笑って帰っていった。あれは俺も嬉しかった。

 

「やるなら、二人で決めよう。俺にも分かるまで話してくれ」

 

「今日もそうしたであろう」

 

「そうだな。それと、食う分まで出すのはやめておこう」

 

「せっかく貯めたのじゃ。あれまで貸すつもりはない」

 

董白が棚の方を見た。

 

「そなたが縫うた袋も、空になってしまうしな」

 

「袋は空でも使えるが、俺たちは困るぞ」

 

「分かっておるわ」

 

少し笑ってから、董白は畳んでいた縫い物を広げた。

 

俺も控えを引き寄せる。まずは今日の仕事を片づけなければならない。女将に、相談ばかりして手が止まっていると言われたくはなかった。

 

 

翌朝、宿の戸を開けると商人が立っていた。

 

「おはよう。もういいかい?」

 

「ああ、はい。どうぞ!」

 

自分でも返事が早かったと思う。男は笑って中へ入り、卓へ銭袋を置いた。

 

「向こうの主人を捕まえてきたよ。朝一番に行って正解だった」

 

俺は奥へ声をかけ、董白を呼んだ。

 

商人が並べた五枚を二人で確かめる。昨日渡した銭と同じくらいの厚みがあった。

 

「これでよい。布を返そう」

 

董白が女将へ声をかけに行った。戻ってくるまでに俺は木簡へ返済を受けたことを書き足し、商人にも見せた。

 

布を受け取った男は端を広げてから抱え直した。

 

「世話になったな。これも取っておいてくれ」

 

もう一枚、卓へ置かれた。

 

「五枚は頂きましたよ」

 

「そっちは手間賃だ。二人を待たせたまま布を売りに行くところだったんだからな」

 

俺が董白を見るより早く、少女の手が伸びた。

 

「では、ありがたく貰おう」

 

「そこは早いんだな」

 

商人が笑う。董白も悪びれずに笑い返した。

 

「せっかく出してくれたものを、いらぬとは言わぬぞ」

 

「そうかい。また困ったら寄らせてもらうよ」

 

「話は聞こう。ただし、いつでも貸せるわけではないからな」

 

「ああ。次は先に相談する」

 

男は布を抱えて出ていった。

 

董白が貰った一枚を、返ってきた五枚の横へ置く。

 

「六枚じゃ」

 

「見れば分かる」

 

「増えたぞ」

 

今度は俺も笑った。

 

「そうだな。戻ってきてよかった」

 

「そなたは、そちらばかりじゃのう」

 

「ああ。正直、ほっとした」

 

董白は楽しそうに銭を俺の方へ寄せた。

 

五枚を先に拾い、最後に一枚を足す。働いた分を払ってもらうのとも、礼を貰うのとも少し違った。昨日出した銭が仕事をして戻ってきたようで、妙な気分だった。

 

書具箱を閉じると、董白はもう立ち上がっていた。

 

「袋を持ってくるぞ。朝の荷が済んだら、粟を貰わねば」

 

「ああ、頼む」

 

戻ってきた手には、口の片側が長い袋があった。今朝もそれを使ってくれるらしい。

 

「そっちを外に向けるなよ」

 

「使う分には困らぬのであろう?」

 

董白が袋を揺らして笑った。俺は言い返せずに笑い、荷車の音がする入口へ向かった。

 

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