董白を拾ったら三国志が壊れ始めた 〜にわか知識の下級書吏と、死んだことになった董卓の孫娘~ 作:ねじぇまる
不慣れで申し訳ありません。
朝飯の粥を食べ終えると、女将が空になった椀を集めながら言った。
「今日は一日、荷受けを二人に任せるよ。薪だの椀洗いだのはなし。日暮れまで二人だけで回せたら、明日から正式にあんたらの仕事だ」
董白がすぐ顔を上げた。
「飯は?」
「朝、昼、晩。寝床も今までどおり」
それなら、毎朝その日の仕事を探してもらわなくていい。
荷受けをする。
それで二人分の飯と寝床が出る。
この宿へ来てから、ずっと欲しかった仕事だった。
「ただし、荷受けのことで途中であたしを呼んだら、今日の試しは失敗だよ」
「呼ばぬ」
返事が早い。
董白は少し考えてから、さらに言った。
「……一度でも頼ったら、二人の晩の粟はいらぬ」
「待って。なんで俺の晩飯まで賭けた?」
「二人の仕事であろう」
「だから賭ける前に相談してくれって」
「勝てば食える」
女将が吹き出した。
「いいよ。そこまで言うなら、荷受けであたしを頼ったら晩はなし」
女将は棚から小さな器を出し、粟を入れて董白へ渡した。
「荷運びの人に払う分。昨日までと同じで、一仕事終わったら一杯ね」
「うむ」
董白が器を受け取る。
「柳誠」
「何」
「晩飯は食うぞ」
「誰のせいで晩飯までかかってると思ってるんだ」
~
最初の荷車が来たのは、朝の客が宿を出始めた頃だった。
木箱が二つと、縄で縛った包みが一つ。
「箱は奥。包みだけ軒下へ頼む」
荷主から聞いて、俺は奥の董白へ声を掛けた。
「白。箱二つは奥。包みだけ軒下」
「分かった」
董白は荷運び人へ向き直る。
「箱二つは奥じゃ。包みは軒下へ置け」
昨日、籠を二度運ばされた男だった。
「今日は戻すなよ」
「戻さぬ。今日は一度で済む」
「昨日もそうしてほしかったなあ」
「昨日間違えたから、今日は間違えぬのじゃ」
「それ、威張ることか?」
董白は答えず、荷物を指した。
男は笑いながら木箱を担いだ。
箱は二つとも奥へ。
包みは軒下へ。
置き直しはなかった。
董白が粟を一杯渡す。
「今日は早かったな」
「当然じゃ」
男が帰っていく。
二台目も三台目も、一度で片づいた。
俺が入口で聞いたことは董白へ渡す。
董白が奥で聞いたことも、俺へ渡す。
昨日決めたことを、そのままやる。
うまくいっている時の仕事は、驚くほど何も起きなかった。
~
昼前、荷車が二台続けて来た。
先に来た商人の荷は、麻袋が五つと細長い包みが一つ。
俺が後から来た荷主と入口で話している間に、奥で商人が董白を呼んだ。
「白、ちょっといいか」
「柳誠は今、手が離せぬ。わたしが聞く」
商人は横にいた若い男を指した。
「昼過ぎに、こいつをもう一度寄越す。奥の麻袋を一つだけ渡してくれ」
「一つだけじゃな?」
「ああ。一つだけだ」
二台分の荷が片づくと、董白が俺のところへ来た。
「柳誠。さっきの商人じゃ。昼過ぎに、朝の若い者をもう一度寄越す。奥の麻袋を一つだけ渡せと言うておった」
「一つだけ?」
「一つだけじゃ。そこは念を押しておった」
俺は荷札を引き寄せた。
『昼過ぎ 朝の若い男へ 麻袋一つ』
短く書いておく。
董白が横から覗く。
「それでよい。昨日のように、片方だけが知っておるのは御免じゃ」
「俺もだよ」
~
昼になると、女将が普通に粥を出してくれた。
董白が椀を受け取りながら、少し眉を上げる。
「晩はまだか」
「まだ昼だよ。午後も働くんだから、先に食べな」
董白は不満そうに椀を持った。
「晩飯まで長いな」
「賭けたの白だろ」
「勝てば食える」
「その自信、どこから来るんだよ」
董白は粥を一口すすった。
「朝から一度も失敗しておらぬ」
「まだ半日だぞ」
「なら、あと半日勝てばよい」
そう言われると簡単そうに聞こえる。
実際は、まだ何も起きていないだけかもしれない。
昼を食べ終えると、また入口へ戻った。
午前だけなら昨日もできた。
今日の試しは、ここからだった。
~
昼過ぎ、朝の若い男が戻ってきた。
「麻袋を一つ頼む」
俺は荷札を見る。
書いた通りだ。
「白。朝の――」
「分かっておる」
董白は男を奥へ連れていった。
五つ並んだ麻袋の前で止まる。
「一つだけじゃ。ほかは触るな」
「分かってるよ」
男は麻袋を一つ担いだ。
董白は出ていく背中を見送ってから、残った麻袋を指で数えた。
「……四つ。よし」
「そこまでやる?」
「後で足りぬと言われるよりよい」
「心配性だな」
「用心深いと言え」
午後も荷車は来た。
聞いたことを渡す。
置いてもらう。
荷運びが終われば、粟を一杯渡す。
日が傾いても、女将を頼ることはなかった。
このまま終われる。
そう思い始めた頃、朝の商人が戻ってきた。
~
商人は奥へ入ると、残った麻袋を数えた。
「一、二、三、四……」
一度止まり、また最初から数える。
「……四つ?」
董白がそちらを見る。
「おい。五つ預けたよな?」
「五つじゃ」
「一つ足りないぞ」
俺も奥へ入った。
商人は麻袋を指した。
「どこへやった?」
「なくしておらぬ」
「じゃあ、なんで四つしかないんだよ」
声が大きくなる。
宿にいた客まで振り返った。
「預けた荷だぞ。宿でなくしたなら、弁償してもらうからな」
弁償。
思わず竈の方へ目が行った。
女将を呼べば早い。
宿の主人だし、こういう揉め事にも慣れている。
「女将を――」
袖を掴まれた。
「呼ぶな」
董白だった。
「でも、弁償って言ってるぞ」
「聞こえておる。……じゃが、ここで女将に頼ったら今日の試しは終わりじゃ。わたしたちで受けた荷なら、わたしたちで答える」
「晩飯のため?」
董白が一瞬黙る。
「……それもある」
そこはあるんだ。
商人が苛立った声を出した。
「何をこそこそ話してる。女将を呼んでくれ」
董白が前へ出る。
「呼ぶ必要はない。昼過ぎに使いを寄越すと、そなたがわたしに言うた。麻袋を一つだけ渡せとな」
商人の顔が止まった。
「使い?」
「朝、一緒にいた若い者じゃ」
「そんな話……」
「あります」
俺は荷札を出した。
「白から聞いて、ここに書いてあります。昼過ぎに朝の若い人が来たので、白が麻袋を一つ渡しました。だから残りは四つです」
商人が荷札を覗き込む。
「本当に来たのか?」
「来たぞ。渡したあと、四つ残った。わたしも数えた」
董白が麻袋を指す。
商人は黙った。
もう一度、四つの麻袋を見る。
しばらくして、額へ手を当てた。
「……ああ」
董白の顎が上がる。
「思い出したか」
「そうだ。昼に一つ使うから、取りに来させたんだった」
商人は長く息を吐いた。
「悪かった。こっちの勘違いだ」
「次は忘れるな」
「白」
余計な一言まで勝ち誇らなくていい。
商人は苦笑し、残った麻袋を荷車へ積ませた。
荷車が通りの向こうへ消えてから、俺はようやく息を吐いた。
「危なかった……」
「危なくない。なくしてなどおらぬ」
董白が俺の荷札を指で叩く。
「わたしが聞いて、そなたへ伝えた。そなたが書いた。今度は二人とも知っておった」
「うん。だから残った」
董白は満足そうに頷いた。
「勝ったな」
「まだ日暮れ前だぞ」
「今のは勝ちじゃ」
そこは譲らないらしい。
~
最後の荷車が宿を離れた頃には、外はもう暗くなりかけていた。
女将が竈から出てくる。
「終わったね」
董白がすぐ振り返る。
「最後まで、荷受けのことで頼らなかったぞ」
「ああ。聞こえてたよ。危なかったねえ」
「危なくない」
「はいはい」
女将は笑ってから、俺の荷札へ目をやった。
「でも、あんたらが昼の話を残してなきゃ、うちが麻袋一つ分払うところだった。ちゃんと二人で片づけたね」
董白の顔が少しだけ得意そうになる。
「なら、勝ちじゃな」
「まずそこかい。分かったよ。あんたらの勝ち」
董白が満足そうに頷いた。
女将はそのまま続けた。
「明日からも、そのまま頼むよ。朝から日暮れまで荷受けをやりな。朝、昼、晩の飯と寝床はこっちで出す」
一瞬、意味が入ってこなかった。
「……荷が来ない日も?」
「来るかどうかなんて朝には分からないんだから、宿で待ちな。それも仕事だよ」
「薪運びとか椀洗いは?」
「あれはもういい。毎朝、別の仕事を探さなくていいってことさ」
やっと腹に落ちた。
明日の朝、何をすれば飯になるのか考えなくていい。
明後日も、その次の日も。
荷受けをする。
それで二人とも食べられる。
董白が俺の袖を引いた。
「柳誠」
「何」
「勝ったぞ」
「俺の晩飯まで勝手に賭けたけどな」
「勝ったのだからよかろう」
「結果論だろ」
「勝ちは勝ちじゃ」
それから、ほんの少し間を置く。
「……明日も荷受けじゃな」
「明後日もな」
董白は一度だけ頷いた。
「それはよい」
女将が竈へ戻りながら手を振った。
「分かったから、手を洗っておいで。晩にするよ」
「柳誠、早くせよ。腹が減った」
「勝ち負けの次は飯か」
「勝ったのだから、食う」
それはそうだった。
~
晩の粥が、俺と董白の前へ置かれた。
董白は椀を持つと、すぐ一口すすった。
「熱っ」
「急ぐからだよ」
「腹が減っておるのじゃ。仕方あるまい」
ふうふうと息を吹きかけて、もう一口。
「……うまい」
「勝った甲斐があったな」
「うむ。勝って食う粥はうまい」
「俺の晩飯まで賭けたこと、忘れてない?」
「まだ言うか」
「言うよ」
董白は知らん顔で粥をすすった。
食べ終える頃、棚の端に置いた冬用の布袋へ目を向ける。
少しずつ残してきた粟が入っている。
董白は布袋を持ち上げた。
「明日からは、これを食わずに済むな」
「ちゃんと荷受けを続けられたらな。もう仕事代に粟は出ないから、増えもしないけど」
董白は袋を持ったまま、少し黙った。
「……減らぬのじゃろ?」
「朝も昼も晩も、ここで食べられたらな」
「ならよい」
董白は布袋を棚の端へ戻した。
今日は増えなかった。
でも、減らさなくていい明日が決まった。
俺たちには、明日もやる仕事がある。