董白を拾ったら三国志が壊れ始めた 〜にわか知識の下級書吏と、死んだことになった董卓の孫娘~   作:ねじぇまる

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第14話 二人に売った縄

 

「部屋かい? 二人で使うなら、一晩十二枚だね」

 

夕飯の片づけが済んでから訊くと、女将はそう答えた。

 

俺は隣の董白を見た。董白も俺を見ている。

 

十二枚。一晩だけなら払える。だが翌朝になれば、もう十二枚要る。寝床を移して何日か経つうちに、せっかく貯めた銭がなくなってしまう。

 

「……少し考えます」

 

「急いで決めなくていいよ。今の所を出ていけって言ってるわけじゃないんだから」

 

「はい。それは助かっています」

 

女将は洗い終えた鍋を伏せた。俺たちも手伝って卓を片づける。

 

部屋の話はそれで終わったが、董白はまだ女将のそばに残っていた。

 

「もう一つ、相談があるのじゃが」

 

「今度は何だい?」

 

「また揉め事の相談が来たら、あの卓を使わせて欲しい。話がついて手間賃を貰えたら、一件につき一枚渡そうと思う」

 

女将が手を止めた。

 

「あんたたち、今日やっと二枚貰ったんだろう?」

 

「うむ。じゃが、毎回ただで借りるわけにもいくまい。人が来れば水も使うし、女将の手も煩わせる」

 

「荷の方を放っておかれなきゃ、それでいいんだけどねえ」

 

俺は運びかけていた椀を置いた。

 

「時間を空けてもらうこともあると思います。その分は払わせてください」

 

女将は俺たちを順に見た。それから、少し呆れたように笑う。

 

「寝る所は負けてほしそうな顔をして、そっちは自分から払うのかい」

 

(顔に出てたか……)

 

「うちの客が使う時は空けてもらうよ。それでよければ、使いな」

 

董白の顔が明るくなった。

 

「ありがとう。では、次からそうさせてもらおう」

 

広間へ戻って俵を敷く。今夜も衝立の向こうが俺たちの寝床だった。

 

董白は腰を下ろすと、客の部屋がある方へ顔を向けた。

 

「十二枚か」

 

「聞いたばかりだぞ」

 

「もう少し安いと思うておったのじゃ」

 

「俺もだ。……まあ、今のうちに分かってよかった」

 

俺は衝立を少し引き、通路から足が見えないようにした。

 

部屋で眠れればとは思う。けれど、何日か眠ったらまた銭の心配をするのも嫌だった。

 

董白も何も言わず、粗布を膝へかけた。隣へ座ると肩をつつかれる。

 

「そなた、端を踏んでおる」

 

「ああ、悪い」

 

腰を浮かせた隙に布を引かれた。今夜はもう、部屋の勘定をするのはやめよう。俺も横になり、足を引っ込めた。

 

 

三日後、縄を抱えた男が宿へ来た。

 

俺はその男を見たことがあった。船着き場へ荷札を届けた時、道端で麻を撚っていた男だ。今日も指の間から細い繊維がはみ出している。

 

「ここで、商いの揉め事を聞いてくれるって……」

 

男は卓へ座る前に言った。

 

董白は女将の方を見た。昼の客が引いた広間で、女将がうなずく。

 

「うむ。何があったのじゃ?」

 

勧められて座っても、男は縄を膝から下ろさなかった。

 

「二人から縄を頼まれてる。一人は木場の親方で、もう一人は船頭だ。どっちも三十尋ずつ」

 

「それを、どちらも同じ日に欲しいと言うたのか?」

 

「いや。船頭は三日後の朝、親方は五日後だ。間に合うと思って受けたんだが、麻が半分しか入らなくてな」

 

男は抱えた縄へ目を落とした。

 

「できたのは三十尋だけだ。両方には渡せない」

 

俺は男の膝を見た。あれを二人に分けるのか。半分ずつでは、どちらも足りないのだろう。

 

「麻を追加で買うことはできないんですか?」

 

「町のは、次に入るのが半月先だ。隣町にも頼んであるが、届いたって綯わなきゃならん」

 

「それは、いつ届くと?」

 

「向こうの荷隊が六日後に来るから、そこへ載せてもらうつもりだ。返事を持った者が今日戻る」

 

董白は男の縄へ手を伸ばした。端をつまんで見るだけで、ほどこうとはしなかった。

 

「足りぬことは、二人とも知っておるのか?」

 

男は答えなかった。

 

「まだ言うておらぬのじゃな」

 

「……親方には、少し遅れるかもしれないとは言った」

 

「船頭には?」

 

「まだだ」

 

董白が縄から手を離した。

 

男は顔を上げ、今度は俺の方へ身を寄せた。

 

「親方には長く買ってもらってるんだ。船頭だって、川を下るたびに顔を出してくれる。どっちにも、よそで買えとは言いたくねえ」

 

声が低くなった。

 

「次も頼むからって言われたら、断れなかったんだよ」

 

さっきから抱えている縄の端が、男の膝を叩いていた。指で弄るたび少しずつ揺れる。

 

俺も仕事を頼まれて嬉しかったことがある。明日も来てくれと言われれば、先の心配が少し減った。断りたくない気持ちは分かる。

 

だが今、膝にある縄は増えなかった。

 

董白は卓へ肘をついた。

 

「二人に来てもらえるか? いつ、どれだけ必要なのか聞きたい」

 

「来ると思う。だが、ここへ呼んで怒らせるだけじゃ困るぞ」

 

「怒られずに済むとは言えぬ。二人とも三十尋を貰うつもりでおるのじゃろう?」

 

男の手が止まった。

 

「それは、そうだが」

 

「二人に頼まれたことも、麻が足りぬことも話して欲しい。それを隠したままでは手伝えぬ」

 

男は俯き、しばらく黙っていた。

 

やがて縄を卓へ置く。

 

「分かった。いくら払えばいい?」

 

董白が俺を見た。俺もうなずいた。話を聞く間、荷が来れば俺がそちらへ回る。二人を呼ぶなら午後にしてもらえばよかった。

 

「渡す量と日に折り合いがついたら一枚。約束どおり渡せて、二人とも次も頼むと言うてくれたら、あと五枚欲しい」

 

「五枚?」

 

男が聞き返した。

 

「甕の男は全部で二枚だったと聞いたぞ」

 

「あちらは二人じゃった。今度は三人の話を聞いて、それぞれに書いて渡さねばならぬ。隣町の麻を待つ間も、話が変わらぬか確かめたい」

 

董白は男の方へ少し身を寄せた。

 

「次も買ってもらえるところまで、付き合って欲しいのではないか?」

 

男は縄を見下ろしたまま考えていた。

 

「片方が、もう頼まんと言ったら?」

 

「五枚は取らぬ」

 

「……分かった。六枚だな。今日の午後に連れてくる」

 

男は縄を抱えて立ち上がった。

 

戸口まで行ってから戻りかけ、口を開く。

 

「麻売りが半分しか寄越さなかったのは、本当だからな」

 

董白はうなずいた。

 

「うむ。では、残りが届く日の返事も持ってきて欲しい」

 

男はまだ何か言いたそうだったが、結局そのまま出ていった。

 

 

木場の親方は、座るより先に縄売りを睨んだ。

 

「遅れるってのは、その男にも売ったからか」

 

連れてくる道で話したらしい。船頭も機嫌の悪い顔をしている。

 

「親方の方は五日後だろ。俺は三日後の朝に出るんだ。できてる分を先に寄越せば済む」

 

「俺が先に頼んだんだぞ。人も呼んである」

 

縄売りは立ったまま頭を下げた。

 

「すまん。今日聞いてきた。麻は六日後に入る。それが来たら残りも――」

 

「俺たちが要るのは、その前だって言ってるんだよ」

 

船頭が遮った。

 

俺は三人の前へ水を置いた。親方が椀を取ってくれたので少しほっとする。董白は二人が言い直し始める前に、船頭へ声をかけた。

 

「三十尋、全部取り替えねば出られぬのか?」

 

「舫いと帆桁に使う分は、今回替えると決めてる。切れてからじゃ遅い」

 

「うむ。それで三十尋か?」

 

「そっちは二十だ。残りの十は、船に積んでおく分だよ」

 

董白が俺を見た。俺は二十と十を分けて書いた。

 

「積んである縄は、もう使えぬのか?」

 

「いや。こないだ一部を使ったから足そうと思ったんだ。今ある分でも、今度の川下りは行ける」

 

「では、今回は二十尋を受け取るのでどうじゃ? 積んでおく分を買うのは、戻ってからでは困るか?」

 

船頭はすぐには答えなかった。縄売りを見て、卓へ置かれた縄の太さを確かめている。

 

「……その十尋を、親方へ回すのか?」

 

「まず聞いてみたい」

 

董白が親方へ向き直った。

 

「五日後は、どこで使うのじゃ?」

 

「山から木を下ろす。初めは道を確かめながら一組でやるが、四日目から人を増やす。そっちはもう声をかけてあるんだ」

 

「初めの一組なら、十尋で足りるか?」

 

親方は膝へ手を置いた。

 

「……足りる。だが、後の二組を遊ばせるわけにはいかんぞ」

 

俺は書いていた手を止めた。

 

五日後から三日間は十尋。人が増えるのは、今日から八日後だ。縄売りに顔を向ける。

 

「麻が六日後に来て、残りの二十尋を作るのにどれくらいかかりますか?」

 

「二日は欲しい。綯ってすぐ持っていっても、山へ上げるのは九日後の朝になる」

 

「一日足りねえな」

 

親方が言った。

 

縄売りも分かっていたのだろう。うなずくだけで、急げば何とかなるとは言わなかった。

 

俺は八日後の横へ小さく印をつけた。ほかが決まっても、その一日が残る。

 

親方は水を飲み、空になった椀を置いた。

 

「人を一日遅らせるなら、今日中に知らせに行かなきゃならん。それで皆が来てくれるかも分からんし、先に頼んだ分をいくらか払えと言われるかもしれん」

 

「俺が一緒に行く」

 

縄売りが顔を上げた。

 

「訳を話して頼む。もし余計に払うことになったら、俺が持つ」

 

「隣町から麻を買って、その分まで出せるのか?」

 

「痛いけどな。……これを売った分から出すよ」

 

男は縄の端を押さえた。

 

「親方に来てもらえなくなる方が困る」

 

親方はしばらく男を見ていた。それから、深く息を吐いた。

 

「まず人に聞くぞ。俺だけでいいとは言えん」

 

「ああ」

 

「残りは山まで持ってこい。取りに下りる暇はないからな」

 

「分かった。俺が持っていく」

 

董白の手が卓の下で俺の袖へ触れた。目を向けると、書いている所を覗いている。

 

俺は木簡を少し寄せた。まだ約束にはできないが、誰が何を確かめに行くかは決まった。

 

「船頭、そなたはそれでよいか?」

 

董白に訊かれ、船頭は親方へ向けていた顔を戻した。

 

「二十尋は今受け取れるんだな?」

 

「ああ。すぐ切って渡せる」

 

縄売りが答えた。

 

「なら今回は二十でいい。払うのも二十の分だぞ。残りの十は、帰ってから品物を見て決める」

 

「分かった。そうしてくれ」

 

ようやく縄売りが座った。

 

俺は三人の返事を確かめながら控えを書いた。船頭は二十尋を今日受け取り、残りの十尋の注文はいったん取り消す。木場へは先に十尋、残りの二十尋を九日後の朝に届ける。ただし、人を増やす日を変えられるかは、これから聞きに行く。

 

「親方の方が決まったら、もう一度知らせてもらえますか」

 

「ああ。こいつと戻る」

 

親方が縄売りを顎で示した。縄売りは黙ってうなずく。

 

三人が縄を持って出ていくと、董白は背もたれもない床机の上で大きく伸びをした。

 

「……喉が渇いた」

 

「水、飲まなかったのか?」

 

「そなたも飲んでおらぬぞ」

 

言われて椀を見る。俺の分も残っていた。

 

(用意した本人が忘れてどうする)

 

二人で水を飲んだ。まだ終わっていないが、さっきよりずっと静かに飲めた。

 

 

親方たちが戻ったのは日が傾いてからだった。

 

人を増やすのは一日遅らせられる。ただし先約を動かす分として、縄売りから余分に銭を出すことになったという。

 

「払ってきた。あとは縄を持っていくだけだ」

 

縄売りは疲れた顔で笑った。

 

俺は決まった日を書き入れ、二人へ読み上げた。木場へ渡す最初の十尋も、もう親方の手にある。縄代は残りの二十尋を受け取った時にまとめて払う。人足へ余分に出した銭を上乗せしないことも確かめた。

 

「そこは分かってるよ。俺が遅らせたんだ」

 

俺が確かめると、男はそう答えた。

 

二人に書付を渡した後で、縄売りが一枚を出した。

 

「まずはこれだな」

 

董白は受け取り、親方が立ち上がるのを待って男へ訊いた。

 

「麻が届いたら、一度顔を出して欲しい。予定が変わった時も、すぐにな」

 

「ああ。今度は待たせないうちに言う」

 

帰っていく二人を見送った。

 

貰った一枚は、そのまま女将へ渡した。女将は俺たちの顔を見て受け取り、銭を入れる箱を開けた。

 

「ずいぶん長くかかったね。お疲れさん」

 

「まだ終わってはおらぬ。縄を渡すところまで見ねばな」

 

董白はそう言ったが、俺は座りたかった。話を聞いて書くだけでも、随分と疲れるものだ。

 

卓へ戻ると董白が隣へ腰を下ろした。俺が筆をしまう間も、縄売りの書付を見ている。

 

「親方がまた頼むと言うか、まだ分からぬからのう」

 

あれだけ長く話しても、そこまでは決まらない。俺も空いた椀を重ねかけ、二つ目を隣へ置いた。

 

董白に渡すと、なぜか睨まれた。

 

「何も言ってないぞ」

 

「顔で言うておる」

 

「……そんなに分かりやすかったか?」

 

少し笑ってから一緒に椀を運んだ。夕飯の前に、片づける物がまだ残っていた。

 

 

約束どおり六日後に麻が届いた。

 

縄売りは宿の入口からそれだけ告げて、すぐ戻っていった。俺も仕事中だったので手を上げるだけにしたが、厨房へ行って董白には伝えた。

 

それから三日後の朝、男は綯い上げた縄を担いで山へ向かった。帰りに寄った時は裾まで泥が付いていた。

 

「渡したぞ。親方にも確かめてもらった」

 

「何か言われたか?」

 

董白が訊く。

 

「次は早めに頼むから、あんたも早めに麻を買っとけってさ」

 

男は笑った。俺もつられて笑い、控えの木場の欄へ縄を渡し終えたことを書き足した。

 

船頭が戻ってきたのは、その二日後だった。

 

昼の荷受けをしていると、縄売りと並んで入ってきた。男の肩には短い縄の巻きがある。

 

「これから届けるところだ。残りの十尋も買ってもらえた」

 

「今ある分で足りたんだがな。どうせ次には要るし、戻ったら作ってあったからさ」

 

船頭はそう言って卓の端へ手を置いた。

 

「今度は、できるだけ先に頼むよ。その代わり、無理なら頼んだ日に言ってくれ」

 

「分かってる。もう二人まとめて怒鳴られるのは懲りた」

 

「こっちだって好きで怒鳴ったんじゃねえぞ」

 

二人が言い合う横で、董白が俺の袖を引いた。

 

振り向くと少し笑っている。俺もうなずき、木場の親方のことを書いた行へ目を戻した。

 

どちらも、またこの男から縄を買う。

 

初めに来た時、男がいちばん心配していたことがようやく片づいた。

 

船頭が先に外へ出ると、縄売りは卓へ五枚を並べた。

 

「遅くなったな。約束の分だ」

 

董白が受け取り、俺へ寄せる。

 

「うむ。これで終いじゃな」

 

「やっとな。次の縄は、揉めずに売りたいよ」

 

男はそこで笑い、肩の縄を担ぎ直した。

 

「買ってくれる相手が残ってよかった。助かったよ」

 

今度こそ男が出ていった。

 

俺は五枚を銭袋へしまった。董白はまだ入口を見ていたが、縄売りの姿が見えなくなると大きく息を吐いた。

 

「今日は先に飯を食うぞ。そなたが書き終えるまで待っておったら、また冷めてしまう」

 

董白が立ち上がった。

 

「あと一行だ。椀だけ貰ってきてくれ」

 

「一行じゃぞ」

 

「ああ」

 

控えの最後に、五枚を受け取ったと書き添えた。

 

二人の客を失いかけた男は、また縄を届けに行った。書き終えた木簡を見ているうちに、俺はまた少し笑ってしまった。

 

「柳誠! 飯じゃ!」

 

呼ぶ声に顔を上げる。

 

筆を置いて箱を閉じ、今度はすぐに立ち上がった。

 

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