董白を拾ったら三国志が壊れ始めた 〜にわか知識の下級書吏と、死んだことになった董卓の孫娘~   作:ねじぇまる

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第14話 イカサマの代償

 

冬の間、俺たちは宿の荷受けを続けた。

 

荷車が来れば、俺が荷主から数と置き場所を聞く。

董白が荷運び人へ伝え、運び終えた荷を数える。

 

朝も昼も晩も、宿で食べさせてもらえた。

 

棚の端に置いた冬用の粟は、一度も袋を開けずに春を迎えた。

 

董白は暖かくなってからも、ときどきその袋を持ち上げた。

 

「まだ減っておらぬ」

 

「使ってないからな」

 

「分かっておる」

 

分かっていても、重さを確かめたいらしい。

 

荷受けの仕事をもらってから、食べることには困らなくなった。

 

ただし、銭は増えていない。

 

俺たちが受け取るのは、三度の飯と寝床だ。

棚の粟が、今も俺たちの蓄えの全部だった。

 

 

風がすっかりぬるくなった、ある朝。

 

昼を過ぎても、荷車は一台も来なかった。

 

「暇じゃ」

 

入口の柱にもたれていた董白が、今日三度目の「暇じゃ」を口にした。

 

「待つのも仕事だって、女将さんが言ってただろ」

 

「待っておる。暇なのは変わらぬ」

 

「じゃあ、荷車が来るよう祈ってて」

 

「わたしは祈らぬ。来させよ」

 

「無茶言うなよ」

 

董白は頬を膨らませた。

 

そのとき、酒場の奥から歓声が上がった。

 

「当たりだ!」

 

続いて、卓を叩く音。

 

董白の顔がそちらへ向いた。

 

「柳誠」

 

「駄目」

 

「まだ何も言うておらぬ」

 

「見に行くって顔に書いてある」

 

「ここからでも入口は見えるぞ」

 

確かに、酒場からでも宿の戸口は見える。

 

董白はもう歩き出していた。

 

俺も仕方なく後を追った。

 

酒場の一番奥で、六人ほどの男が卓を囲んでいた。

 

真ん中に伏せた椀が三つ並んでいる。

 

仕切っているのは、人のよさそうな笑みを浮かべた小柄な旅装の男だった。

 

男の前には、かなりの数の銭が積まれていた。

 

昼飯の前から続いているらしい。

 

女将は裏で酒甕を洗っていて、まだこの騒ぎには気づいていなかった。

 

「今のは見事だった。ほら、約束どおり二枚だ」

 

男が向かいの若い荷運び人へ銭を渡す。

 

若い男は上機嫌で、受け取った二枚を卓へ戻し、自分の銭を二枚足した。

 

「もう一度だ」

 

「いいとも」

 

小柄な男が、卓の上へ黒い豆を一粒置いた。

 

それに椀を被せる。

 

左右に空の椀を並べると、両手で三つを入れ替え始めた。

 

右へ、左へ。

 

椀の底が卓を擦る。

 

それほど速くはない。

 

「さあ、どれだ?」

 

若い荷運び人は、真ん中の椀を指した。

 

「ここだ」

 

小柄な男が椀を持ち上げる。

 

何もない。

 

「残念」

 

男は笑って、賭けられた四枚を自分の側へ寄せた。

 

「今のは右だよ」

 

別の男が言う。

 

小柄な男が右の椀を上げると、その下に黒い豆があった。

 

囲んだ男たちから、ため息と笑いが漏れた。

 

「見えていたなら、次はあんたがやるか?」

 

「やってやる」

 

右だと言った男が前へ出た。

 

卓に置いたのは一枚だけだ。

 

椀が動く。

 

今度は左を選び、そこから豆が出た。

 

「ほらな」

 

小柄な男は惜しそうな顔をして、一枚払った。

 

勝った男は二枚を握り、もう一枚を足した。

 

「次は三枚だ」

 

「景気がいいな」

 

また椀が動き始める。

 

董白は少し離れたところで、黙って見ていた。

 

顔は三つの椀へ向いている。

 

けれど、その目は椀だけを追っていなかった。

 

豆を置く指。

 

椀を入れ替える手首。

 

小柄な男の口元。

 

賭ける男の顔。

 

順番に、何度も見ている。

 

小柄な男もまた、賭ける人の顔をよく見ていた。

 

一枚を当てて喜んだ人。

 

外したあと、銭袋へ手をやった人。

 

負けたのに席を立たず、椀を睨んでいる人。

 

そういう相手にだけ、男は声をかけた。

 

「惜しかったな。もう一度なら取り返せるぞ」

 

言われた方は、決まって賭ける枚数を増やした。

 

董白は椀の動きよりも、そのやり取りを熱心に見ていた。

 

三枚を賭けた男は外した。

 

次の男は一枚を賭け、当てた。

 

さらに次の男は五枚を置き、外した。

 

小柄な男は五枚のうち四枚を懐へ滑り込ませ、一枚だけ自分の前へ残した。

 

少ないときには当たる。

 

増やすと外れる。

 

それでも、一度は勝たせてもらえるから、誰も卓を離れない。

 

「柳誠」

 

董白が小声で呼んだ。

 

「何」

 

「次を見ておれ」

 

「何か分かった?」

 

董白は答えず、大柄な男へ目を移した。

 

男は、さっきから何度も腰の銭袋へ触れている。

 

小柄な男も、それを見ていた。

 

その間にも、次の勝負が始まっていた。

 

冬の間に何度も荷を運んできた、大柄な男が卓につく。

 

腰から銭袋を外し、中身を出した。

 

八枚あった。

 

「さっきから見てた。今度こそ分かったぞ」

 

「なら、賭けるといい」

 

小柄な男が笑う。

 

「全部だ」

 

八枚が卓に積まれた。

 

小柄な男は止めなかった。

 

むしろ、待っていたように身を乗り出した。

 

俺は思わず董白を見た。

 

董白は動かない。

 

三つの椀が何度も入れ替わる。

 

大柄な男の目は、黒い豆が入ったはずの椀を追っている。

 

小柄な男の右手が椀を滑らせる。

 

左手が一度だけ、卓の縁へ下がった。

 

それから三つの椀が止まる。

 

「さあ、どれだ?」

 

大柄な男は迷わず右を指した。

 

「これだ」

 

小柄な男の目が、右の椀ではなく大柄な男の顔へ向いた。

 

口の端が上がる。

 

その左手は、軽く握られていた。

 

「それを上げるな」

 

「誰も、勝手に手を動かすでない」

 

董白の声が通った。

 

小柄な男の手が止まる。

 

卓を囲んでいた全員がこちらを見た。

 

董白は男たちの間へ入っていく。

 

「なんだ、お嬢ちゃん」

 

小柄な男の笑みは崩れない。

 

「遊びたいなら、銭を持ってきな」

 

「そなたと遊ぶ気はない」

 

董白は三つの椀を指した。

 

「豆は、もうどの椀にも入っておらぬ」

 

ざわめきが起きた。

 

小柄な男が鼻で笑う。

 

「負け惜しみなら、賭けた本人に言わせな」

 

「ならば、確かめればよい」

 

董白は大柄な男を見上げた。

 

「そなたは右を上げよ。隣の二人は、残りを一つずつ持て」

 

「おい。勝手に触るな」

 

小柄な男の声が低くなる。

 

「なぜじゃ?」

 

董白が男を見る。

 

「豆が入っておるなら、誰が上げても同じであろう」

 

男の笑みが消えた。

 

董白はそれを見て、ほんの少し顎を上げた。

 

「三つとも、同時に上げよ」

 

大柄な男と、その両隣にいた二人が椀を掴む。

 

「せえの」

 

董白の声で、三つの椀が上がった。

 

どこにも豆はなかった。

 

一瞬、誰も声を出さなかった。

 

小柄な男が椅子を引いた。

 

「知らねえな。そいつらの誰かが隠したんだろ」

 

董白は、男が握ったままの左手を見て、口元をわずかに上げた。

 

「ほう? そうかそうか、そうかもしれんな。では、その左手を開いてみよ」

 

「これは関係ない」

 

「一枚なら椀を見る。三枚以上になると、選んだ者の顔を見て笑う」

 

董白は一歩、男へ近づき、その拳を見た。

 

「そのときだけ左の肩が下がり、親指を中へ隠す。豆を握るからじゃ」

 

男の視線が一瞬だけ、自分の左手へ落ちた。

 

「でたらめだ」

 

男が左手を懐へ入れようとした。

 

「押さえよ」

 

大柄な男が、その手首を掴む。

 

「じゃあ、開けてみろ」

 

「離せ!」

 

小柄な男が腕を振るが、びくともしない。

 

大柄な男が、握り込んだ指を一本ずつこじ開けた。

 

黒い豆が一粒、卓の上へ落ちた。

 

乾いた音がした。

 

小柄な男の顔から、血の気が引いた。

 

「……あったな」

 

大柄な男が言った。

 

「俺たちが選んだあと、お前が違う椀を上げる。そのときに入れ直してたのか」

 

小柄な男は答えなかった。

 

答えなくても、もう十分だった。

 

「白。分かってたなら、俺が賭ける前に止めろよ」

 

大柄な男が董白を見た。

 

「止めれば、そなたはやめたのか?」

 

大柄な男が言葉に詰まる。

 

さっきまで、自分なら当てられると言い切っていた。

 

「……やめなかったかもしれねえ」

 

「なら、置かせた方がよい」

 

「だからって、俺を餌にしたのか?」

 

「一枚では、こやつは豆を抜かぬ。そなたが全部置いたから、欲を出した」

 

董白は卓に落ちた豆を指した。

 

「八枚で、こやつの手を押さえられた。安いものであろう」

 

「俺の八枚だぞ!」

 

「今から取り返す」

 

「何の騒ぎだい!」

 

奥から女将が飛んできた。

 

空の椀が三つ。

 

卓の上の黒い豆。

 

手首を押さえられた小柄な男。

 

董白が短く言った。

 

「こやつが、豆を隠して銭を取っておった」

 

女将はそれだけで大方を察したらしい。

 

小柄な男の前へ立つ。

 

「今日取った分を返しな」

 

「返せばいいんだろ」

 

小柄な男は卓に残っていた銭を腰の袋へ押し込み、女将の前へ放った。

 

「これで全部だ」

 

「まだじゃ」

 

董白の声に、男の肩が跳ねた。

 

「五枚を取った時、四枚を懐へ入れたな」

 

「見間違いだ」

 

男は右の脇をきつく締めた。

 

董白の笑みが深くなる。

 

「そこか」

 

男は慌てて右腕を離したが、もう遅い。

 

「出しな」

 

女将に言われ、男は懐から平たい銭袋を出した。

 

「これで本当に全部だ」

 

「誰から何枚取った?」

 

「覚えてねえよ。勝手に分けろ」

 

「そうか。ならば、そなたの元手もまとめて、ここにおる者で分けよ」

 

「待て。八枚はそいつで、五枚は向こうの男だ。俺の分まで取る気か」

 

董白は楽しそうに男を見上げた。

 

「覚えておるではないか」

 

男の口が閉じた。

 

「一人ずつ返せ。思い出せぬ分は、そなたの銭から払え」

 

「嫌なら、役人の前で同じ話をしな」

 

女将が戸口を顎で示す。

 

小柄な男は、うつむいたまま銭を返し始めた。

 

忘れたと言ったくせに、誰へ何枚返すのか、一度も迷わなかった。

 

最後の男へ銭を返し終えると、女将が戸口を開けた。

 

「二度とうちへ入るんじゃないよ」

 

小柄な男は残った銭を袋へ押し込み、逃げるように戸口へ向かった。

 

「なんじゃ、もう終わりか」

 

男は振り返らずに宿を出ていった。

 

戸が乱暴に閉まる。

 

大柄な男は、戻ってきた八枚を今度こそ腰の銭袋へしまった。

 

ほかの男たちも、戻ってきた銭を掌の上で何度も数えていた。

 

銭を取り戻した人は、帰り際に一人ずつ董白へ声をかけた。

 

「助かった、白」

 

「よく見てたな」

 

「次からは、ああいうのを見つけたら先に教えてくれ」

 

「次はないぞ」

 

董白が言うと、酒場に笑いが起きた。

 

 

夕方までに、結局、荷車は一台も来なかった。

 

それでも董白は、もう暇だとは言わなかった。

 

晩飯の粥を食べ終えた頃、大柄な荷運び人が俺たちの卓へ来た。

 

小さな銭袋を一つ持っている。

 

「白。これ、受け取ってくれ」

 

卓に置かれた袋から、銭の触れ合う音がした。

 

董白は手を出さない。

 

「なぜじゃ」

 

「あんたが見つけなきゃ、俺たちはもっと取られてた。返ってきた分から、みんなで少しずつ出した」

 

「礼なら、もうよい」

 

「口だけじゃ足りねえよ」

 

大柄な男は袋を董白の前へ押した。

 

「五枚ある。あんたがやった仕事の分だ」

 

仕事。

 

その言葉で、董白の目が袋へ落ちた。

 

「わたしの仕事か?」

 

「そうだ。俺たちの銭を取り返した」

 

董白はしばらく男の顔を見た。

 

今度は、手元へ一度も目をやらなかった。

 

大柄な男は目を逸らさなかった。

 

董白が銭袋へ手を置いた。

 

「ならば、受け取ろう」

 

男はほっとしたように笑った。

 

「助かったよ」

 

「次からは、見て分かったと思っただけで全部賭けるでない」

 

「……分かった」

 

「本当に分かっておるのか?」

 

「次は気をつけるよ」

 

「まだ懲りぬのか」

 

大柄な男は頭を掻きながら戻っていった。

 

俺は銭袋を持ち上げてみた。

 

じゃらりと音がする。

 

二人で午前いっぱい荷受けをして、十枚だった。

 

五枚は、その半分しかない。

 

それでも、董白が人を見抜いて稼いだ、最初の銭だった。

 

「白」

 

「なんじゃ」

 

「お前、途中から楽しんでただろ」

 

董白は銭袋を俺から取り上げた。

 

「暇であったからな」

 

 

寝る前、董白は棚の端にある冬用の袋を持ち上げた。

 

「減っておらぬ」

 

「だから、使ってないからな」

 

董白はそれを元へ戻した。

 

その隣へ、五枚の入った銭袋を置く。

 

これまで、棚の上にある蓄えは粟だけだった。

 

今日からは、銭もある。

 

董白が二つの袋を見比べた。

 

「柳誠」

 

「何」

 

「増えたぞ」

 

「うん」

 

董白は満足そうに頷いた。

 

荷車は一台も来なかった。

 

それでも今日、荷受けが俺たちの仕事になってから初めて、蓄えが増えた。

 

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