董白を拾ったら三国志が壊れ始めた 〜にわか知識の下級書吏と、死んだことになった董卓の孫娘~ 作:ねじぇまる
布商人が借りた五枚を返しに来てから、四日が過ぎた。
朝の荷は片づいて、次の荷車までまだ間がある。土間には昨日の雨が残っていて、戸口から入る光のところだけが乾いていた。俺は入口の卓で荷の控えを書き直し、董白は同じ卓の向かいで戸口を見ている。
そこへ、日に焼けた男が一人入ってきた。荷を担いでもいないし、泊まり客の顔でもない。土間で足を止め、卓の上の書具箱と、頬杖をついている子どもを順に見た。
「白ってのは、あんたかい」
董白が顔を上げた。
「そうじゃ。何の用じゃ?」
「布を売ってる男から聞いてな。商いで困ったら宿の入口に白ってのがいるから、そいつに話を持っていけって、そりゃあ自慢げに言うんだ」
あの商人だ。荷運び人への払いを、麻布を担保にしてその場で片づけた話が、四日で町を一回りしたらしい。
男は董白の向かいへ腰を下ろし、節の太い指を膝の上で組んだ。
「水甕を二十、陶工に頼んでるんだ。代金は十五枚で、そのうち五枚は形を作る前に渡してある。それが今朝になって、あと五枚もらわなきゃ焼けないと言い出した。薪を買う銭がないんだと」
「甕は、どこまでできておる?」
「形はできてる。今朝、窯場を見てきた。乾かした甕が二十、きれいに並んでたよ。だから、まるきり嘘とも思えねえんだが」
「それで、もう五枚渡すのが怖いのじゃな」
「ここで五枚渡して、そのまま逃げられたらたまらん。だからって渡さなきゃ、甕は一つも焼けない。このままじゃ、先に払った五枚まで丸損だ。うちは水を売るのに甕が要るんだ。今月のうちに揃わなきゃ、夏の間ずっと商売にならん」
董白はしばらく男の顔を見ていた。
「話は分かった。答えを聞きたいなら、一枚じゃ」
男が目を瞬いた。
「銭を取るのか?」
「当たり前じゃ。今払うのは、わたしが考える分の一枚じゃ。甕が二十揃って、そなたの困り事が消えたら、もう一枚もらう。届かなんだら、二枚目はいらぬ」
「まだ何も聞いてないのに、先に払えってのかよ」
「片づいた後では、そなたは払わぬ。困り事が消えると、皆それくらいで済んだと言い出すのじゃ」
「そんなことは言わねえよ」
「言わぬ者から先にもらって、何の不都合がある?」
男は董白を見つめた。董白も目を逸らさない。俺は筆を持ったまま、書きかけの控えの上で手を止めていた。やがて男は銭袋の紐をほどき、一枚を卓へ置いた。
「……分かった。まず一枚だな」
「うむ。柳誠、預かっておけ」
俺は銭袋へ入れ、新しい木簡を出した。男の名と商い、水甕二十、代金は十五枚、うち五枚は払い済み。相談は一枚で、甕が二十届いたらもう一枚。そこまで書いて、読んで聞かせる。
「これで合ってるか。違うところがあったら今言ってくれ。後から直すと、どっちが本当か分からなくなるから」
「……合ってる。合ってるよ」
男は言われるまま印を押し、押した跡をしばらく眺めてから顔を上げた。
董白は男へ向き直った。
「陶工も連れてこい」
「俺の話だけじゃ駄目なのか。あいつを呼んだら、また同じ言い合いになるだけだぞ」
「二人で決めた商いであろう。片方の言い分だけで決めても、もう片方が動かねば甕は焼けぬ。連れてこい」
男は舌打ちをしてから出ていった。
~
しばらくして、男は痩せた陶工を連れて戻ってきた。着物の裾にも、爪の間にも、白い土が乾いて残っている。
二人は卓を挟み、端と端に座った。
董白は陶工へ尋ねた。
「乾かした甕は、二十あるのじゃな?」
「ある。数えてもらってもいい。乾かすところまでは終わってて、あとは窯へ入れて焼くだけだ。焼くのに三日、冷ますのに一日いる」
「二十は、一度に窯へ入るのか」
「入る。一度で焼ける。だから薪も一車で足りるんだ」
「その薪はいくらじゃ」
「西の木場で、一車五枚。窯まで運ぶ分も入れて五枚だ。一車買えば、木場の者が荷車で入れてくれる」
「約束した十五枚に、薪代も入っておったのか」
「入ってる。初めから入ってた」
陶工はそこで一度、口を閉じた。
「……先にもらった五枚は、土代と、冬の間の食い扶持で使っちまった。春になれば入るはずの仕事が流れて、薪がここまで上がるとは思わなかったんだ」
「だから言ったろ。もう使い切ってるんだよ、こいつは」
「そこまでじゃ」
董白が短く言った。
「今さら使った五枚を数え直しても、甕は焼けぬ」
二人とも黙った。
董白は卓の上で指を二本立て、男の方へ向けた。
「残りは十枚じゃ。そのうち五枚は、そなたが木場へ直に払え。薪は木場の者に、窯まで運ばせるのじゃ。焼き上がった甕を二十受け取ってから、最後の五枚を陶工へ払えばよい」
「俺が木場に払うのか?」
「こやつの手に銭を握らせるのが怖いのであろう。なら、握らせねばよい。薪は窯へ届く。銭はこやつを通らぬ」
「薪が窯に届くなら、俺はそれで構わない。銭が欲しくて言ってるんじゃない。焼きたいんだ」
陶工が言うと、男は組んだ指を一度ほどいた。それから、思い出したように顔を上げる。
「木場が、俺から銭を受けるか。頼んだのはこいつだぞ」
「そなたは薪を買うだけじゃ。どこの窯へ運べと言えばよい。木場は薪を売って銭を受け取る。断る道理がどこにある?」
「そこは俺から親方へ話を通しておく。俺の窯だと言えば、荷車はすぐ出してくれる」
「待て。薪だけ使って、甕を渡さなかったらどうする」
「なら、薪を運ぶ日に、甕も先に受け取れ」
「焼く前の甕をか?」
「持って帰れとは言うておらぬ。窯場で二十あるのを数えて、確かに受け取ったと書付へ残せ。そのうえで、焼くために陶工へ預ければよい」
董白はそこで俺を見た。
「柳誠、書けるな」
「書けるよ。でも、それだけだと足りない」
俺は木簡を手元へ引き寄せた。董白の言うことはいつも短い。このままでは、明日の朝に窯場で向かい合った二人が、どちらが何をする番か分からなくなる。
「木場へ払うのは五枚。払うのはあんただ。薪を窯へ入れる日に、甕は窯場であんたが数える。数えるのは二十。数え終わったら受け取ったと書いて、二人とも印を押す。そのあと、焼くために陶工へ預ける。焼き上がりを受け取った日に、残りの五枚を陶工へ払う。……ここまでで、書いてない日があるか?」
「木場へ払うのは、明日でいいのか」
「今日でも明日でもいいけど、決めて書いた方がいい。木場が荷車を出す日が決まるだろ」
「なら明日だ。明日の朝、木場へ行く」
「じゃあ、薪が窯へ届くのも明日だな。甕を数えるのも明日だ」
俺は書き終えた木簡を二人の間へ置き、読んで聞かせた。董白は口を挟まず、陶工の顔を見ていた。
「聞いたか。書付があれば、その二十はもうそなたの甕じゃ。こやつが逃げたなら、窯から引き取ればよい。焼く前でもな」
「俺は最初から逃げる気なんかない」
「そう言って、先の五枚は消えてるだろうが」
「消えた五枚は戻らぬ」
董白が割って入った。
「じゃが、これから動く十枚は、どれもこやつの手を通らぬ。それでも足りぬか?」
男はしばらく木簡を睨んでいたが、やがて息を吐いた。
「……分かった。それならいい」
「俺も、それでいい」
二人は同じ木簡へ印を押した。
男は立ち上がりながら、董白を見た。
「俺はな、あんたに、こいつが嘘をついてるかどうか見てほしかったんだ」
「見抜いたところで、甕は焼けぬぞ」
男は木簡を見て、それから陶工を見た。
「……ちげえねえ」
「嘘かどうかを当てるより、嘘をつかれても困らぬようにした方が早い」
二人は宿を出ていった。戸口のところでは、木場と窯のどちらへ先に行くかを相談していた。
「白」
「なんじゃ」
「甕が届かなかったら、二枚目は本当に取らないのか。あれ、あんたの答えが悪いわけじゃないだろ。木場が薪を切らしてるかもしれないし、雨で窯に火が入らないかもしれない」
「取らぬ」
「一枚で終わるぞ」
「一枚で終わる。じゃが、届かなんだのに取れば、次から誰も来ぬ。あの男は、町で必ず話すからな。良い方も悪い方もじゃ」
董白は戸口の方を見たままだった。
「それに、届く。甕は乾いておる。薪も明日入る。あとは焼くだけじゃ」
そう言って、董白は同じ席に座り直した。夕方までに荷車が二台来て、俺たちはそのたびに立った。荷主から数と置き場所を聞き、運び終えた荷をもう一度数える。済むたびに、董白は入口の卓へ戻ってきた。
~
三日後。
宿の前に荷車が止まった。まだ熱の残っている土の匂いが、戸口まで届いた。
「白。できたぞ」
あの男が御者台から飛び降りる。荷台には、焼き上がった水甕が並んでいた。陶工も一緒に来ている。
董白は荷台の端から、甕の縁を一つずつ指で押さえて数えていった。
「十八、十九、二十。全部あるな」
男は荷台を見下ろした。
「窯場で数えた時は、ただの土の塊だったんだがな。焼き上がったのを見たら、急に自分の物って気がしたよ」
「あの日から、そなたの物じゃ」
「……そうだったな」
男は照れたように鼻の頭を掻いた。
「木場へはあの日のうちに払った。薪は翌朝、木場の者が窯まで運んでくれたよ。焼き上がりを受け取って、残りの五枚も、こいつに払った」
「割れは出なんだか」
「一つも出なかった」
陶工が荷台の縁へ手を掛けた。
「書付をもらってからは、こっちも人の甕を預かってるつもりで焼いたからな。自分の甕なら、二つ三つ割れても仕方ないで済ませてた」
「なら、これで終わりじゃ」
男は腰の銭袋から一枚を出した。
「約束の一枚だ。……正直、話を聞く前に取られた時は、高いと思ったんだがな」
「今はどうじゃ」
「五枚を丸損するよりは安いな」
董白はその一枚を受け取り、俺へ寄越した。俺は預かっていた一枚と合わせて銭袋へ入れた。二枚では、袋を振っても音は鳴らない。
その時、戸口から声がした。
「ここへ来れば、商いの揉め事を片づけてもらえるってのは、本当か」
縄を一巻き抱えた男が立っていた。董白は入口の卓を指した。
「座れ。話を聞くだけなら、まだ銭は要らぬ。わたしが引き受けると言うたら、そこから一枚じゃ」
俺は新しい木簡を出して、その男の名を聞いた。