董白を拾ったら三国志が壊れ始めた 〜にわか知識の下級書吏と、死んだことになった董卓の孫娘~ 作:ねじぇまる
あの一日から、宿の入口の卓へ座る客が増えた。ほとんどは荷を持たない。片づいた件もあれば、董白の言ったとおりに動かず、そのまま流れた件もある。流れた分は一枚で済ませ、いわゆる成功報酬は取らなかった。
「言ったけど、本当に取らないんだな」
「取れば、次から誰も来ぬであろう」
宿の入口の卓を使う分は、女将へ払うことにした。一件につき一枚。董白が自分から言い出したことだった。
「うちの卓を使うのに、あんたから銭を取る日が来るとはね」
「荷受けは荷受けじゃ。相談は別の商いじゃ。混ぜては、女将が困る」
「困りゃしないよ」
「わたしが気になる」
女将は笑って、それ以上は言わなかった。
銭袋を数えるのは俺の役目になっている。董白は数え終わるまで待って、それから袋を棚の端へ戻す。冬用の粟の隣だ。
~
その日の昼過ぎ、縄を一巻き抱えた男が入ってきた。
男は縄を抱えたまま卓の前へ座った。名を聞くと、南の船着き場の裏で縄を綯っていると言った。麻を買い、綯って、船頭や荷運び人へ売る。父の代から同じ場所らしい。
「それで、何を片づけたい」
董白が聞くと、男は抱えていた縄を卓へ置いた。麻の匂いがした。
「三十尋の縄を、木場の親方に頼まれてる。丸太を引くのに使うんだと。五日後から山出しが始まるから、それまでにと言われた。長い付き合いの相手だ」
「うむ」
「その三日あとに、船頭が来た。同じく三十尋。舫いと帆桁に使うから、三日後の朝までにくれと言う。次の川下りに間に合わせたいんだと」
「両方受けたのか」
「受けた。麻さえ届けば、二つ分は綯えるはずだったんだ。だが、麻売りから来たのが半分でな。今から足そうにも、麻がこの町に出るのは半月先だ」
男は縄の端を指でいじった。
「三十尋しかできない。渡せるのは片方だけだ。どっちに渡しても、もう片方は次から俺のところへ来ない」
「断りたくなかった、のではないのじゃろ?」
董白が言うと、男の指が止まった。
「両方から銭を取りたかったのじゃろ。麻が届くと決まっておらぬうちに受けたのじゃからな」
「……それも、ある」
董白は縄を一度持ち上げ、重さを確かめてから戻した。
「その二人からは、年に何度買うてもらう」
「親方は山出しのたびだから、年に三度か四度。船頭は川下りごとに要るから、もっと多い」
「では、そなたが今日失いかけておるのは、この二口の縄代ではないな」
男は口を開けたまま、少し黙った。
「引き受けよう。ただし、先に言うておく。わたしはそなたの味方をするのではない。この揉め事を終わらせるだけじゃ。そなたが悪ければ、二人の前でそう言う」
「……俺が悪いのは、もう分かってる」
「なら早い。相談は一枚じゃ。今払え」
男は迷わず一枚を出した。俺はそれを預かり、木簡に男の名と、三十尋、二人の客、五日後と三日後の期日を書きつけた。
「もう一枚は、いつ払う」
「一枚ではない。五枚じゃ」
男の手が止まった。
「五枚? この前の甕の男は二枚だったと聞いたぞ」
「あれは甕を届ければ終わる話じゃ。そなたは、二人の客を丸ごと失いかけておる。片づけば、そなたは来年も再来年も、あの二人から銭をもらう。五枚は安い」
「……取り分の話かよ」
「そうじゃ。それと、五枚を払うのは、船頭と木場の親方が、次もそなたから買うと言うたときじゃ。片方だけでは取らぬ」
「両方か。それは……」
「そのために来たのであろう」
男は縄を膝へ抱え直した。
「一つ頼みがある。親方には、麻売りが届けなかったせいだと言ってくれないか。あんたが言えば信じる。実際そうなんだ」
「それは使えぬ」
「本当のことだぞ」
「本当でも使えぬ。麻売りは町におる。親方が麻売りに会えば、半分しか出せなんだ話は出る。そのとき、そなたが二人に売った話も一緒に出るぞ。人の口から知れるのと、そなたの口から聞くのとでは、同じ話でも値が違う」
董白は男を見上げた。
「先に言え。後から知れるより安い」
「……先に言って、その場で二人とも帰っちまったらどうする」
「帰らせぬ。二人とも、ここへ呼べ。その為の五枚じゃ」
「二人ともか」
「別々に言えば、後で二人が突き合わせる。同じ話を二度するな。一度で済ませよ」
~
翌日の昼過ぎ、宿の入口の卓に、腕の太い年寄りと、日焼けした船頭が並んで座った。親方の方が、座るなり船頭の顔を見る。
「あんた、こんなところで何の用だ」
「そっちこそ」
縄売りが二人の向かいに立った。座らなかった。
「先に言う。三十尋を、あんたら二人に約束した。麻が半分しか届かなくて、できたのは三十尋だけだ。二つ分は渡せない」
親方が卓を叩いた。
「二人に売ったのか」
「売った」
「俺が先に頼んだんだぞ。三日も前だ」
「要るのが先なのは俺だ」
船頭が身を乗り出す。
「三日後の朝に出る。舫いと帆桁がなけりゃ、荷を積んでも出られない」
「うちは五日後から山を下ろすんだ。縄がなきゃ丸太一本動かん。人足はもう頼んである」
「そこまでじゃ」
董白が卓を指で叩いた。二人がこちらを見る。
「順番も、期日も、今は置け。三十尋は増えぬ。増えぬものを取り合っても、どちらかが手ぶらで帰るだけじゃ」
「順番も守らんのか」
親方が董白を睨む。
「守ったとしよう。そなたは三十尋を受け取り、船頭は三日後に出られぬ。丸太を下ろしたあと、そなたはそれをどうやって町の外へ出す」
親方が口を開いて、閉じた。
「……船だ」
「その船が出られぬのは、そなたにとって良いことか」
親方は腕を組み直した。
「聞く。船頭、そなたは三十尋を、どこへ使う」
「舫いに十尋、帆桁に十尋、あとは荷を縛るのに使う」
「荷を縛る縄は、今もあるのじゃな」
「……あるにはある。古いが、まだ切れちゃいない」
「三日後の朝までに、どうしても要るのはどれじゃ」
船頭はしばらく考えた。
「舫いと帆桁だ。そこは新しくないと怖い。二十尋あれば出せる」
董白は親方へ顔を向けた。
「そなたは、五日後に丸太を何本下ろす」
「初日は四本だ。四日目から六本に上げて、十日かける」
「四本を引くのに、三十尋要るか」
「……要らん。四本なら十尋で足りる。まとめて頼んだのは、途中で買いに下りる手間が惜しいからだ」
「では、五日後に十尋あればよいな」
親方が口をつぐんだ。
「船頭へ二十尋、木場へ十尋じゃ。船頭は三日後の朝までに舫いと帆桁を替え、荷は今ある縄で縛れ。木場は初日の四本を十尋で引け」
董白は縄売りを見た。
「そなたは、麻が入り次第、残りの二十尋を綯って木場へ届けよ。届けるのは、そなたが山まで運べ。親方に下りてこさせるな」
「……分かった」
「それから、足りぬ分の値は取るな。木場へは、残りを届けるまで縄代を受け取らぬ。船頭へは、渡す二十尋の分だけを売れ。二人に売ったのはそなたじゃ。その分は、そなたが払え」
縄売りは縄を抱えたまま頷いた。
親方が指を折って数え始めた。
「六本に上げるのは山出しの四日目、八日後だ。それまでに二十尋、間に合うのか」
「この町の麻は半月先だ。だが、隣町の麻売りなら、七日で回してくれるかもしれない。値は上がる」
「綯うのに何日かかる」
「二十尋なら二日だ」
「九日目じゃないか。一日足りん」
縄売りは少し黙ってから、頭を下げた。
「その一日だけ、四本で回してもらえないか。運び賃も、値の上がった分も、俺が持つ」
親方は董白を見て、それから縄売りを見た。
「……一日だけだぞ」
「ありがたい」
「最初からそう言えばよかったんだ」
「言えなかった。すまん」
俺は書具箱を開けて書いた。船頭へ二十尋、三日後の朝まで。木場へ十尋、五日後の朝まで。残りの二十尋は、九日目までに縄売りが山まで運ぶ。木場の縄代は、三十尋分を残りが届いた日に払う。船頭は二十尋分を払う。値上がり分と運び賃は縄売りが持つ。日と、誰が運ぶかまで入れて、三人へ読んで聞かせた。
「これでいいか。抜けてるところがあれば、今のうちに言ってくれ。後から足すと、どっちが本当か分からなくなる」
「五日後ってのは、朝か昼か」
「朝だ。日の出のうちに山へ上げる」
俺は朝と書き足した。三人が印を押した。
船頭が立ち上がりながら、縄売りを見た。
「二十尋で足りるかは、俺が舫いを見て決めたことだ。切れたって、あんたのせいじゃない」
「……ありがとよ」
「礼はいい。次は先に言え」
~
九日目の夕方、木場の親方が宿へ寄って、縄が山へ届いたと言っていった。その二日あとに、船頭が川から戻り、舫いは持ったと言った。二人とも、次の縄も同じ男から買うと言った。
縄売りが宿へ来たのは、その日の暮れ方だった。卓へ五枚を置く。
「約束の分だ」
董白はそれを受け取り、俺へ寄越した。
「なあ、一つ聞いていいか。あんた、なんで俺に嘘をつかせなかったんだ。麻売りのせいにしてりゃ、あの二人は俺を怒らなかった。今よりずっと楽だったぞ」
「楽ではあったな。じゃが、そなたはこの先も、あの二人と商いを続けるのであろう」
「まあ、そうだな」
「一度うまくいった嘘は、二度目に使いたくなる。二度目は、たいてい下手じゃ。そなたは今日、二人の前で先に言うて、それでも二人が戻ってきたところを見た。次に困った時、そなたはどちらを選ぶ」
縄売りは少し考えてから、頭を掻いた。
「……たちが悪いな、あんた」
「ほめ言葉として聞いておこう」
男が出ていったあと、俺は銭袋を卓へ空けた。数え終えるまで、董白は黙って見ていた。前に数えた時より、卓の上の山は広がっている。
「柳誠。あの書付、捨てるでないぞ」
「取ってあるよ。もう終わった話だけど」
「終わっておらぬ。あの三人は、また同じところで転ぶ。転んだ時、書いたものがあるかないかで、こちらの手間が変わるからの」
董白は銭を袋へ戻し、口の紐を結んだ。