董白を拾ったら三国志が壊れ始めた 〜にわか知識の下級書吏と、死んだことになった董卓の孫娘~   作:ねじぇまる

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第18話 白の札

 

二人目の男は、袋を広げてから札を探し始めた。

 

胸元を探り、帯へ手をやり、最後に袋をひっくり返す。足元へ落ちた木札を拾うと、照れくさそうに笑った。

 

「なくさないように入れといたんだった」

 

「袋ごと預からなくてよかったです」

 

俺が手を出すと、男は札に付いた土を払って渡してくれた。

 

今度は三番だった。

 

先に二番が戻ってくるものと思い込んでいたので、一瞬だけ手が止まる。商人がどの順で渡したかも、受け取った者がどこへ寄ったかも知らないのだから、順番どおりに来るはずはなかった。

 

董白へ札を見せてから粟を量った。男は袋の口を結び、腰へ抱えるように持ち上げる。

 

「明日は女房に来させるよ。帰りに持ってくのが一番重いんだ」

 

「うむ。札を渡し忘れぬようにな」

 

「そっちは袋に入れないようにしとく」

 

男が出ていくと董白が笑った。俺も控えの三番へ線を引いてから、少し笑った。

 

夕方までに四枚が戻ってきた。

 

最後の客を見送り、奥の戸を閉める。手を洗って戻る頃には、董白が鍋に火を入れていた。

 

「今日はもう来ぬかのう」

 

「どうだろうな。飯を食ってる途中で来るかもしれない」

 

「その時はそなたが出るのじゃぞ」

 

「俺が先に食い終わればな」

 

「では、熱いうちに食べるがよい」

 

椀を差し出され、湯気の向こうの顔を見た。

 

(そういう競争はしたくないんだが)

 

俺が息を吹きかけている間に、董白も隣へ座った。

 

結局、その晩は誰も来なかった。二人で鍋を空け、明日の水を汲んでから戸を閉めた。

 

 

二日後の昼前、赤さんが老人を連れてきた。

 

老人は片手に履物をぶら下げている。もう片方の手には白の札があった。赤さんの足元を見ると、片足だけ裸足だった。

 

「悪いな。ちょっと、こっちにも話してやってくれ」

 

「どうしたんですか、その足」

 

「切れたんだよ。仕事の途中でな。直してもらったんだが、払う段になって揉めてる」

 

「揉めとらん。俺は初めから粟でいいと言ったんだ」

 

老人が札を持ち上げた。

 

「こんな物でいいとは言っとらんぞ」

 

董白が床机から降りて、戸口へ来た。

 

赤さんは老人の手にある履物を見た。

 

「だから、これで粟が貰えるんだって。俺が貰うか爺さんが貰うかの違いだろ」

 

「お前は知っとるだろうが、俺は今日初めて聞いたんだ。木っ端一枚渡されて、はいそうですかと言えるか」

 

「なら来てくれって言ったら、本当に履く物まで持ってくるし……」

 

「履かせたら、そのまま行くだろうが」

 

赤さんが俺を見た。否定はしなかった。

 

片足を浮かせたままでは落ち着かないらしく、戸口の柱へ手をついている。先に座ってもらおうと木箱を出すと、礼を言って腰を下ろした。

 

董白は老人へ向き直った。

 

「札を見てもよいか?」

 

「ああ。こいつが今朝の仕事で貰ったと言ってる」

 

受け取った札を俺にも見せてくる。白の印と端の切り目。裏の番号は、まだ控えに線を引いていないものだった。

 

「これなら一斗渡せるぞ」

 

「俺が貰ってもか?」

 

「うむ」

 

老人は赤さんを見た。赤さんは、ほらな、と両手を広げた。

 

「それを先に言っとけ。袋を持ってくるんだった」

 

「俺は言ったよ!」

 

赤さんの声に、通りの女がこちらを向いた。

 

董白が口元へ手をやる。俺は奥へ向かいかけて、老人がまだ履物を持っていることに気づいた。

 

「では、一斗を直し賃にするということでいいですか?」

 

「ああ。そこの男とは、そう決めた」

 

「余った革で、こっちも直してくれたんだ」

 

赤さんが腰の道具袋を示した。口のほつれた所に新しい革が当たっている。

 

「手間をかけた分、今日はちゃんと貰うぞ。近いからといって、ちょっと直せと持ってくるな」

 

「分かったから。履かせてくれよ、もう」

 

老人はようやく履物を返した。

 

受け取るなり赤さんが足を入れる。紐を結び直し、土間で一度踏ん張ってから立った。

 

その様子を見届けて、老人も顔を上げた。

 

「袋は取りに戻る。粟は見せてもらえるか」

 

「こちらです」

 

俺が案内すると、老人は開いた戸の前まで来た。中を覗き、板の上に並んだ袋を見ている。

 

「あの商人の粟だと言っとったな」

 

「はい。先にここへ運んでもらっています」

 

「ここなら、来る前に船が出たなんてことはないな」

 

老人の声が少し変わった。

 

「前に修理代を取りに行ったら、船が出たあとでな。戻るまで待てと言われた。履いて帰る時は、すぐ持ってくると言ってたのによ」

 

「俺は持ってきてるだろ」

 

後ろから赤さんが言う。

 

「お前の話じゃない」

 

老人は振り返りもせず答えた。

 

俺は笑いそうになって、開けた袋の口を広げた。老人は粟を少しすくって眺め、袋へ戻す。

 

董白が持っていた札を差し出した。

 

「袋を取りに行くなら、これは持っていて欲しい。戻った時に引き換えよう」

 

「分かった。店はすぐそこだ」

 

老人が札を懐へしまう。赤さんはそれを確かめてから、俺たちへ頭を下げた。

 

「じゃあ頼む。昼には、もうひと働きあるんだ」

 

「今度は切れる前に持ってこい」

 

「ああ。助かったよ」

 

二人は戸口で別れた。赤さんは船着き場へ、老人は井戸と反対の方へ歩いていく。

 

俺はその背中を見ていた。

 

さっきまで、札は赤さんの仕事代だった。

 

今はあの老人の懐に入っている。俺たちはまだ一粒も出していないのに、履物の修理代は払えたらしい。

 

「……あれでよかったんだな」

 

董白がこちらを見た。

 

「持って来た者へ渡すと言うたであろう?」

 

「それはそうなんだが。家族に取りに来てもらうくらいしか、考えてなかった」

 

「赤さんも、初めは自分で取りに来るつもりだったのじゃろうな」

 

少女は二人が去った方へ目を戻した。

 

「その前に履物が切れたのじゃ」

 

言われてみれば、それだけのことだった。

 

 

老人はすぐに戻ってきた。

 

今度は袋も持っている。札を渡すと、袋の口を自分で広げた。

 

俺は董白と印と番号を確かめ、老人の前で粟を量った。すり切った上をじっと見られると、普段より手つきがぎこちなくなる。

 

(こぼすなよ、俺)

 

袋へ注ぎ、量り器を置いた。

 

老人は口を結ぶ前に中を見た。それから袋を持ち上げる。

 

「これで、もう貰っていいんだな」

 

「はい。札はこちらへ戻してもらったので」

 

俺が控えに線を引くと、老人は卓の脇に置いた札を見下ろした。

 

「これなら、もうあいつを捕まえなくていいな」

 

老人が初めて笑った。

 

「赤さんも助かるであろうな」

 

「次は壊れた物だけ持ってこさせるよ」

 

董白も笑った。

 

袋を脇へ抱えた老人が、戸口でこちらを向いた。

 

「次もこの札でいい。まだ使える物まで直せと持ってこなけりゃな」

 

「それは赤さんに言うて欲しい」

 

「ああ。どうせ明日も通る」

 

老人が出ていったあと、俺は札を箱へしまった。

 

赤さんが一斗を受け取って老人の店へ持っていくところを、老人が直接取りに来た。粟を出す手間は同じだった。

 

なのに、俺の書いた小さな札で買い物ができた。

 

もう一度箱の中を見ようとして、やめた。さっき番号は確かめたばかりだ。

 

「気になるなら、見てもよいぞ」

 

「……顔に出てたか」

 

「赤さんが履物を返してもらった時から、そなたは同じような顔をしておる」

 

「便利になるとは思ってた。でも、こんな使い方までされるんだな」

 

董白は俺の隣へ座った。

 

「粟が欲しい者ばかりではないからのう。今日、家に食う分があれば、ほかの物を買いたくもなる」

 

「その店が受け取ってくれれば、か」

 

「うむ。あの爺も、次は赤さんとここまで来ずに済む」

 

老人が店で札を受け取るところを想像した。

 

商人が渡しているところは見ていない。赤さんが老人へ渡した時も、俺たちはここにいた。

 

次は、どこを通って戻ってくるのだろう。

 

面白いと思った。同時に、少し怖くもなった。札を受け取った時に俺たちの顔を思い浮かべる人が、一人増えたのだ。

 

「出し渋るわけにはいかないな」

 

「粟か?」

 

「ああ。あの爺さんが今度、ほかの客から受け取った時も」

 

「そのために預かっておるのじゃ。そなたが腹を減らしても、食わせてはやれぬぞ」

 

「そっちを食う話じゃないだろ」

 

董白は笑って立ち上がった。

 

「妾も腹が減った。飯にしよう」

 

言われて初めて、もう昼を過ぎていることに気づいた。

 

 

それから三日ほどして、油を売る女が札を持ってきた。

 

この町へ来た頃から通りで見かけている女だ。小さな甕を戸口の脇へ下ろすと、その腕に掛けていた袋を取った。

 

「これ、一斗だったね?」

 

「はい。こちらへどうぞ」

 

俺が受け取ると、女は袋を置いて帯を締め直した。

 

「店の人から、ですか?」

 

「荷を運ぶ男からだよ。銭を持ってないって言うから、油と替えたんだ」

 

女が、俺の手元へ目を向けた。

 

「あの靴直しが、ちゃんと貰えたって話してたからね。ここでいいんだろ?」

 

董白が奥の戸を開けながらうなずいた。

 

「よいぞ。一斗出そう」

 

俺は裏の番号を確かめた。最初に出した二十枚のうち、まだ戻っていなかった札だった。

 

三日前の老人は、赤さんと一緒に来た。粟を見せ、量るところも見てもらった。

 

この女は、あの老人から聞いただけで札を受け取ったらしい。

 

量り終えると、女は袋を抱えて小さく息を吐いた。

 

「やっぱり、こっちは重いね」

 

「さっきまでなら、帯へ入ったであろう?」

 

董白が訊くと、女は笑った。

 

「そうだねえ。油を届けた帰りでよかったよ。行く前に来てたら、持ち切れなかった」

 

戸口の脇に置いた甕を持とうとして、女が手を止めた。俺が先に甕を取る。

 

「店まで運びましょうか」

 

「助かる。すぐそこだから」

 

董白へ声をかけ、女と一緒に通りへ出た。

 

女の店は本当に近かった。軒下の板へ甕を戻すと、隣で縄を選んでいた男が顔を上げる。

 

「今日は粟も売るのか?」

 

「これはうちで食べるんだよ。白の札を持ってったら、すぐ貰えた」

 

白の札。

 

女が何気なくそう呼んだので、俺は甕から手を離すのが少し遅れた。

 

名前は印に入っている。それでも、俺たちのいない所で同じ呼び方をされていると聞くのは、初めてだった。

 

「ああ、靴直しも言ってたな。荷運びの連中が貰ってるやつだろ」

 

男の返事を聞きながら、俺は空いた手を握った。

 

知っている人が、ここにもいた。

 

女に礼を言われて家へ戻ると、董白が卓の上を片づけていた。俺も書具箱を脇へ寄せ、空いた所へ椀を二つ置く。

 

「喉が渇いた。白も飲むか?」

 

「うむ」

 

水甕から二人分を汲んだ。椀を渡して隣へ座ると、董白もひと口飲んだ。

 

「店で、白の札って言ってたぞ」

 

「白と押してあるからな」

 

「そうだけど。隣にいた奴まで知ってた。俺たちが説明しなくても、誰かが話してるんだな」

 

董白は椀を膝へ下ろし、戸口の向こうへ目をやった。少し口元が緩んでいる。

 

「明日、爺に会うたら礼を言っておこう」

 

「ああ。俺も」

 

俺は戸口へ目を向けた。油売りの店はここから見えない。その向こうに靴を直す老人がいて、もっと先には船着き場がある。

 

そこを人が行き来する間に、俺たちの札も運ばれている。

 

明日戻ってくる一枚を、誰が持っているのかは分からなかった。名前を知らない人が来ることにも、もう少し慣れなければいけない。

 

「忙しくなるかもしれないな」

 

「ならば、先に買っておこう」

 

「何を?」

 

「そなたの床机じゃ。客が来るたびに膝をさすっておるではないか」

 

まだ木箱に座ったままだった。気づかれているとは思わず、膝に置いていた手をどける。

 

「……ああ。そろそろ欲しい」

 

「次に木工が来たら頼もう。いつまでも妾が見下ろすことになるぞ」

 

「座ってる時だけな」

 

董白が俺の肩を小突いた。水をこぼしかけて椀を持ち直すと、知らぬ顔で自分の分を飲んでいる。

 

俺も飲み干して立ち上がった。

 

 

その日の夕方、最後の客が帰ってから二人で粟を確かめた。

 

董白が袋の口を押さえ、俺が残った量を控える。戻った札も並べ直すと、今日の仕事は終わった。

 

表の戸を閉めようとしたところで、通りから声がした。

 

「白はまだいるかい?」

 

靴直しの老人だった。今度は札も袋も持っていない。

 

董白が俺の脇から顔を出した。

 

「ここにおるぞ。どうした?」

 

「うちの前を通った女に、ここを教えた。途中で誰かに捕まったらしいが、まだ来るかもしれん。札を持ってたぞ」

 

俺は閉めかけた戸を押し戻した。

 

「分かりました。少し待ってます」

 

「悪いな。これを仕舞ってから言いに来ようと思って、忘れるところだった」

 

老人が肩へ掛けた道具袋を叩いた。董白は首を振る。

 

「知らせてくれて助かった。そなたも、またな」

 

老人は片手を上げて帰っていった。

 

俺は奥の鍵を取った。

 

「白、飯を頼む。こっちは俺が出す」

 

「うむ。では、そちらは任せた」

 

表へ戻ると、通りの向こうから袋を持った女が早足で近づいてきた。

 

「まだ、いいですか?」

 

女の手に白の印が見えた。

 

俺は戸を大きく開け、袋を置く場所を空けた。

 

「ええ。ここで受け取れますよ」

 

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