董白を拾ったら三国志が壊れ始めた 〜にわか知識の下級書吏と、死んだことになった董卓の孫娘~   作:ねじぇまる

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第19話 自分たちの屋根

 

「この粟を、全部預かってくれないか」

 

昼を少し過ぎた頃、宿の前に荷車が止まった。荷台には、口を固く縛った粟袋が積まれている。入口の卓に座っていた董白は、商人の顔より先に荷車を見た。

 

「全部でどれだけじゃ?」

 

「二十斗だ」

 

商人は荷台を親指で指した。

 

「船着き場で荷運び人を使ってる。最近は銭を嫌がるやつがいてな。働いた分を、一斗、二斗って粟で払ってるんだ」

 

「それを、毎日ここまで運ぶのが面倒なのか?」

 

「そうだ。仕事が終わるたびに蔵へ戻って、粟を積んで、船着き場で量ってる。だから先にまとめて預けておいて、俺が渡した書付を持ってきたやつへ、白から粟を出してもらえないかと思ったんだ」

 

董白は立ち上がった。宿の奥へ行き、物置の戸を開ける。中には泊まり客の荷が積まれていた。壁際に少し空きはあるが、粟を二十斗も置けば、次の客の荷を入れる場所がなくなる。董白はすぐに戸を閉めた。

 

「今は預かれぬ」

 

商人の顔が曇った。

 

「話を聞いてくれるっていうから、わざわざ持ってきたんだぞ」

 

「話は聞いた。じゃが、宿の客の荷を外へ出して、そなたの粟を入れるわけにはいかぬ」

 

「じゃあ、無理なのか?」

 

董白は荷車をもう一度見た。

 

「五日後の朝、もう一度来い」

 

「五日後?」

 

「その時には預かる」

 

商人が目を瞬く。

 

「場所がないんだろ?」

 

「今はな」

 

董白はそれだけ言って、俺を見た。嫌な予感がした。商人が荷車を引いて帰るのを待ってから、俺は聞いた。

 

「白。五日で何する気だ?」

 

「家を借りる」

 

やっぱりか。

 

「そんな簡単に言うけど、家賃だけじゃ済まないぞ。粟もいるし、竈も――」

 

「柳誠」

 

董白が卓の端を指で叩いた。

 

「払えるか、払えぬかだけ答えよ」

 

俺は棚から銭袋を出した。漆を預かってからも、入口の卓へ来る者は途切れなかった。答えだけを買う者もいれば、何日か品を置いていく者もいた。いつの間にか、銭袋は一つでは足りなくなっていた。女将へ渡す分。次の仕事へ使う分。手を付けない分。それでも、棚の端には冬用の粟袋がそのまま残っている。

 

俺は袋を開き、数えた。家賃を先に払い、当面の粟を買い、竈と最低限の道具を揃えて、奥へ錠を付ける。そこまで出しても、まだ残る。

 

「……払える」

 

「なら決まりじゃ」

 

董白は満足そうに顎を上げた。

 

「五日後、あの二十斗を断らずに済む家を借りるぞ」

 

 

翌朝、宿へ一台の荷車が入ってきた。荷主が荷札を渡すと、若い下働きが受け取った。前なら俺を呼びに来ていた男だ。

 

俺は入口の柱にもたれたまま、その手元を見る。札を読む。荷物の数を見る。包みの隅に付いた印を見る。同じ印の荷を奥へ運ばせ、最後にもう一度数える。一つも違わなかった。

 

「そこ、札を先に――」

 

言いかけたところで、董白が俺の袖を引いた。

 

「口を出すな」

 

「でも」

 

「間違えておらぬ」

 

若い男は最後の荷を置くと、荷主へ札を返した。

 

「これで全部です。数も印も合ってます」

 

荷主は自分でも数え、それで終わった。俺たちは何もしなかった。

 

最初にこの宿へ来た夜、俺は札だけ見て混ぜられた荷を分け直して、屋根と粥をもらった。今は、俺がいなくても荷札と荷物の両方を見る人がいる。

 

董白が小さく鼻を鳴らした。

 

「これならよい」

 

「そうだな」

 

「では、今日で終わりじゃ」

 

女将には、もう話してあった。俺たちが出ると言った時、女将は少し黙ったあと、

 

「まあ、そうなるだろうね」

 

とだけ言った。止めはしなかった。

 

その日の夕方、俺たちは荷物をまとめた。衣と書具箱。銭袋。冬を越すために残していた粟袋。持って出る物は、それほど多くない。

 

宿を出る前に、董白が厨房へ向かった。女将は大鍋をかき混ぜていた。

 

「女将」

 

「なんだい。忘れ物かい?」

 

董白は少し黙った。

 

「……世話になった」

 

女将の手が止まる。

 

「急に何だい」

 

「礼じゃ。飯も、寝る場所も、仕事も、ここでもらった」

 

董白は女将から目を逸らさなかった。

 

「最初にそなたが置いてくれなければ、今のわたしたちはない。だから、礼を言っておく。世話になった」

 

女将はしばらく董白を見ていた。

 

「働いた分を食わせただけだよ」

 

「働ける場所をくれたのは、そなたじゃ」

 

「……そういうことを言えるようになったなら、もう追い出しても平気そうだね」

 

「自分から出ると言っておる!」

 

女将が笑った。俺も頭を下げる。

 

「俺も、本当にありがとうございました」

 

「柳誠。あんたは礼より、白にちゃんと飯を食わせな。あんたまで書き物に夢中になると、二人して食べるのを忘れるんだから」

 

「忘れるのは柳誠じゃ。わたしは忘れぬ」

 

「白は腹が減ってから言うんだよ」

 

「言えばよいであろう」

 

「はいはい」

 

女将は鍋へ向き直った。

 

「腹が減ったら、銭を持って来な。今度からは客なんだからね」

 

董白の顔が少しだけ緩んだ。

 

「なら、大盛りにせよ」

 

「銭次第だよ」

 

俺たちはもう一度頭を下げ、宿を出た。

 

 

家は俺の名で借りた。宿から歩いてそれほど離れていない。表の戸を開けると、客と話せるだけの場所がある。奥にはもう一枚戸があり、その向こうに荷を置ける。

 

俺は新しく付けた錠を何度か引いてから、冬用の粟袋を寝床の脇へ置いた。食べる粟とは分けた。あの袋だけは、まだ開けない。

 

竈へ火を入れたのは、日が落ちてからだった。新しい鍋で炊いた粥を二つの椀へよそう。董白は一口食べると、匙を止めた。

 

「柳誠」

 

「どうした?」

 

「粥が濃い」

 

「そりゃ、今日は残り物を水で増やしてるわけじゃないからな」

 

董白はもう一口食べた。宿で最初にもらった粥は、粟より水の方がずっと多かった。今日の椀には、底まですくってもちゃんと粟が残っている。

 

「毎日これでよいぞ」

 

「毎日こんなに入れたら、減るのも早いぞ」

 

董白が顔を上げた。

 

「減ったら買えばよい」

 

一瞬、返す言葉がなかった。あの宿へ来た夜は、明日の飯を買う銭すらなかった。今は、減ったら買うと言える。

 

「……そうだな」

 

董白は当然だという顔で椀を空にした。それから、俺の鍋の方を見る。

 

「もう一杯」

 

「最初からそれが言いたかったんだろ」

 

「自分の粟を、自分の竈で食うておるのじゃぞ。今日くらいよかろう」

 

「はいはい」

 

二杯目をよそう。今夜の屋根も、椀の中の粥も、宿の仕事の代わりにもらったものではない。俺たちが働いて、自分で払ったものだった。

 

 

翌朝、戸を叩く音がした。開けると、あの商人が立っていた。後ろには粟を積んだ荷車がある。

 

「本当に用意したのか」

 

「五日後に来いと言ったであろう」

 

董白は商人を中へ入れた。商人は表の場所と、奥の戸を見回した。

 

「ここへ全部置けるのか?」

 

「置ける。じゃが、その前に決めることがある。そなたは荷運び人へ、どうやって受け取る分を伝えるつもりじゃ?」

 

「一人ずつ書付を渡すつもりだった。名前と、一斗か二斗かを書いてな」

 

「本人が必ず取りに来るのか?」

 

「いや。仕事が遅くなれば、家の者を寄こすやつもいるだろうな」

 

董白は黙った。俺も、商人が言ったことを頭の中で並べた。先に粟を置く。働いた人には、その場で粟を渡さない。代わりに何かを渡し、それを持って来れば後で粟が出る。俺のいた世界なら、似たものはいくらでもあった。

 

「……食券みたいだな」

 

董白がこっちを見る。

 

「しょっけん?」

 

「ああ。先に銭を払って札を受け取るんだ。その札を持っていけば、あとで決まった飯と換えてもらえる」

 

「それだけか?」

 

「俺が知ってるのは、それだけ」

 

董白は少し考え、商人の方を向いた。

 

「名はいらぬな」

 

「名前を書かないのか?」

 

「そなたが誰へ払ったかは、そなたが覚えておればよい。わたしが知る必要はない」

 

董白は卓の上にあった小さな木片を一枚取った。

 

「これを持って来た者へ、一斗渡す」

 

商人が眉を寄せる。

 

「そいつが別のやつに渡したら?」

 

「その別の者へ渡す」

 

「誰の仕事代か分からなくなるぞ」

 

「そなたは分かっておればよい。わたしが知る必要はない」

 

董白は木片を指先で返した。

 

「わたしが守るのは、この札を持って来た者へ一斗渡すという約束だけじゃ」

 

商人は黙った。董白はもう次へ進んでいた。

 

「二斗なら札を二枚渡せ。三斗なら三枚じゃ。一枚に何斗も書けば、一斗だけ受け取りたい時に困る」

 

「なるほどな……」

 

「柳誠」

 

董白が木片を俺へ寄こす。

 

「同じ大きさで作れ。一枚に一つ、切り目を入れよ。一斗と分かればよい。それから、同じ札を二枚作らぬよう番号を付けろ。こちらにも同じ番号を残す」

 

「分かった」

 

俺が書具箱を開く横で、董白は商人へ言った。

 

「ただし、札を渡すのは粟を入れてからじゃ」

 

「俺が持って来たって言ってるだろ」

 

「持って来ただけでは足りぬ。奥へ入れて、量を確認して、戸を閉めてからじゃ。二十斗なら二十枚まで。それ以上は出さぬ」

 

商人が奥の戸を見る。

 

「白の分は、その粟から取るのか?」

 

「取らぬ」

 

董白は即答した。

 

「その粟は、札を持って来た者へ渡す分じゃ。そこからわたしが一斗取れば、札一枚分が足りなくなる。わたしの分は別に銭で払え」

 

「きっちりしてるな」

 

「預かると言うたであろう」

 

商人は苦笑しながら銭袋を出した。そのあとで、粟を奥へ運んだ。俺と商人が量り、董白が数える。最後の粟が入ると、董白は奥を見回した。

 

「二十斗。これでよい」

 

俺は戸を閉め、錠を下ろした。それから木片を削った。同じ幅にそろえ、縁へ一つ切り目を入れる。一から二十まで番号を書き、同じ番号を控えにも残す。董白は一枚ずつ確かめてから、白の印を押した。二十枚目まで終えると、董白は一番の札をつまみ上げた。

 

表には白の印。端には一つの切り目。裏には一の番号。人の名前はない。

 

董白はそれを、商人の手のひらへ置いた。

 

「これ一枚で一斗じゃ。働いた者へ渡せ」

 

商人は小さな木札と、閉じた奥の戸を見比べた。

 

「本当に、これを持って来れば出すんだな?」

 

「出す。誰が持って来てもな」

 

「二枚なら?」

 

「二斗じゃ」

 

「俺が渡した相手から、別のやつへ渡っても?」

 

董白は少し面倒そうに眉を寄せた。

 

「何度言わせる。わたしが見るのは札じゃ。そなたが誰へ渡し、その者が誰へ渡したかは聞かぬ」

 

商人はもう一度、手の中の札を見た。

 

「……こんな木切れで、粟一斗か」

 

董白の目が細くなった。

 

「木切れではない」

 

奥の戸を指す。

 

「その一斗を、わたしが勝手に使わず残しておく。その約束を付けた札じゃ」

 

商人はしばらく何も言わなかった。やがて、残りの札も受け取った。

 

二十斗の粟を積んで来た荷車は、空になって通りへ戻っていく。商人の手にあるのは、薄い木札の束だけだった。戸の向こうには、俺たちのものではない粟が二十斗残っている。代わりに、白の印を押した二十枚の木札が町へ出ていった。

 

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