董白を拾ったら三国志が壊れ始めた 〜にわか知識の下級書吏と、死んだことになった董卓の孫娘~ 作:ねじぇまる
第22話 二回目の二十枚
最初の二十枚の、最後の一枚は、白の札という呼び名が付いてから十日ほど遅れて戻ってきた。
持って来たのは、靴直しの老人だった。戸を開けるなり、卓へ札を置く。銭を置く手つきではなかった。仕事の道具を置く時の、当たり前の手つきだった。
「こいつで粟が出るって話は、まだ生きてるか」
「見せて」
端に切り目が一つ。表に白の印。裏の番号は、控えでまだ線の引かれていない、最後の番号だった。
「生きてる。これで最後だよ」
「最後? じゃあ、俺がもたもたしてる間に、粟が尽きてたかもしれねえのか」
「尽きぬ」
奥から董白が出てきた。
「札が一枚戻らぬうちは、その一斗は動かさぬ。だから今、そこにあるのじゃ。袋は?」
老人は腰から丸めた麻袋を抜いた。
俺は奥の錠を外した。二十斗が積んであった壁際に、最後の一袋だけが残っている。量って渡すと、老人は袋を二度揺すって、肩へ担いだ。
「靴の直し賃を粟でもらうのは、珍しくもねえ。だが、粟を一度も見ねえで仕事を受けたのは初めてだ」
「困ったか?」
「いや。札一枚なら作業場の隅に置ける。粟の袋を持ち込まれると、土だらけの靴と並べる場所に困るんでな。……次も白の札なら受け取ってやるよ」
「そなたが欲しければな」
「ああ。ちゃんと粟になるなら、それでいい」
老人が出て行くと、俺は札を戻り札の箱へ入れ、控えの最後の番号へ線を引いた。
二十枚出て、二十枚戻った。二十斗預かって、二十斗渡した。
奥の壁際には、もう何もない。空いた場所は、思ったより広かった。
「終わったな」
「うむ」
短い返事だったが、董白の顎は少しだけ上がっていた。
~
空いた壁際は、二日しかもたなかった。
荷車の音がして、船着き場の商人が戸口から顔を出した。最初の二十斗の主だ。
「全部戻ったんだろ? なら次だ。今度も二十斗」
荷台には口を縛った袋が並び、卓には銭袋が置かれた。
「預かり代も前と同じに持って来た。文句ないだろ」
董白は袋を開け、銭を卓へ並べてから、首を振った。
「札にする木の分が入っておらぬ」
「前はそこから出したじゃねえか」
「出せば、預かり代がその分痩せる。最初は、こちらも試しじゃったから出した。二度目からは分けるぞ。札二十枚の木の実費。それとは別に、札一枚ごとの預かり代じゃ」
「前より取る気か」
「一枚戻るたび、印を確かめ、番号を確かめ、一斗を量って渡す。二十枚なら二十回じゃ。手間は枚数で来る。なら、払いも枚数でもらう。分かりやすかろう」
商人はしばらく董白を見ていた。値切る隙を探す顔だったが、見つからなかったらしい。銭袋から足りない分を足した。
「これでいいか」
俺は札材の分と預かり代を分けて数えた。
「足りてる」
「なら、粟を入れよ」
二度目は速かった。俺と商人が量り、董白が数える。二十斗が奥へ入り、錠が掛かり、二十一番から四十番までの札に白の印が押された。
商人は二十枚を重ねて懐へ入れながら、ふと言った。
「最初の時は、誰も受け取らなかったんだぜ、これ」
「であろうな」
「今は、仕事を頼む前に『白の札で払っていいか』って聞きゃあ、それで話が済む。船着き場まで粟を運んで、いちいち量ってた頃が馬鹿らしい」
「なら、次も先に粟を持って来い」
「分かってるよ」
商人が帰ると、卓には銭の山が二つ残った。札の木に化ける分と、俺たちの預かり代だ。
一度目の二十枚は、全部戻るまで、うまくいくかどうか誰にも分からなかった。二度目の二十枚は、先に銭を払って頼まれた。
同じ二十枚でも、別の二十枚だった。
~
三日後には、乾物屋が来た。
自分の荷下ろしを頼んだ二人へ、二斗ずつ払うのだという。五斗の粟と、札の木の分と、五枚分の預かり代。話が早いのは、前に自分が白の札を粟へ換えた側だからだ。
「五枚くれ。今日の二人へ二枚ずつと、明日も手を借りる時の一枚だ」
「使わなかった札は戻せ。誰にも渡しておらぬ札なら、粟も返す」
「それも聞いてる」
乾物屋は、連れの男を振り返った。
「な? 俺が説明するより、見せた方が早いだろ」
見慣れない男だった。乾物屋へ塩を卸していて、隣町の市でも荷を扱っているという。男は、五斗が奥へ入り、五枚の札が出てくるまで、口を挟まずに見ていた。札が乾物屋の手へ渡ると、初めて董白へ向き直った。
「向こうの町にも、これを置けないか」
「そなたも、働き手へ粟で払うておるのか」
「市が立つたびにな。向こうの連中に、ここの札を渡したところで、一斗のためにこの町までは来ちゃくれない。向こうで粟になるなら使いたい」
「裏付けの粟は」
「向こうで先に置く。預かり代も払う」
「粟はどこへ置く」
「市の近くに空いた物置がある。借りりゃいい」
「誰が戸を開ける」
「市の日だけ、あんたらのどっちかが来れば――」
「一つ増えるたび、わたしたちが一人ずつ張り付くのか」
董白は最後まで言わせなかった。
「それでは二つで終わりであろう。向こうの戸は、向こうにいる者に開けさせる」
「なら、番を雇うんだな」
「雇う。ただし、銭を払うのはこちらじゃ。そなたの店の者を借りれば、そなたと揉めた日に、戸が開かなくなるでな」
男は反論しなかった。筋が通っているかどうかを、いちいち量ってから黙る男だった。悪い相手ではない、と俺は思った。
「柳誠。今、自由に使える銭を出せ」
俺は棚から銭袋を運んだ。相談の仕事の分。最初の預かり代。二度目と、今日の乾物屋の分。札の木の銭は別にしてあるから、卓に出るのはここまでだ。
そこから、触れない銭を除いていく。次の家賃。俺たちの食う分。奥の二十五斗は札の裏付けで、寝床の脇の一袋は冬の備えだ。どちらも、最初から数に入らない。
残りで、向こうの物置と、錠と升と札箱と、番の賃金と、二つの町を行き来する銭を賄う。
並べるまでもなく、足りなかった。
董白は卓の銭に触れず、男へ聞いた。
「向こうの戸を開けた朝、あるはずの粟が一斗足りなかったら、どうする」
「番に探させるしかないだろ」
「探しておる間、札を持って来た者は待たせるのか」
「それは……」
「先にこちらの粟で埋めて、札の約束を守る。なくなった理由を調べるのは、その後じゃ。そのための粟まで別に持たねば、よその町へ白の印は置けぬ」
男は、奥の戸と卓の銭を見比べた。
「今すぐは無理、ってことか」
「うむ。それに、そなた一人の頼みでは始めぬ。向こうで同じ札を使いたい商人がおるなら、連れて来い」
「何人いればいい」
「先に数を決めるな。使う者と、預ける粟と、払う銭を見てから決める。物置の借り賃と番の賃金も、こちらの目で確かめる」
「……ずいぶん疑うな」
「そなたが何人連れて来るか、まだ知らぬからな。話を大きくして戻って来るでないぞ。実際に粟と銭を出す者だけでよい」
男は苦笑した。
「分かったよ。本当に使うやつだけ連れてくる」
二人が帰ると、董白は卓の銭をもう一度数え直した。数えても増えぬぞ、と言いかけて、やめた。数えているのではなく、決めている顔だったからだ。
「柳誠。二十斗の商人へ、今夜来るよう伝えよ」
「また札か?」
「違う。銭を出させる」
~
日が落ちてから、船着き場の商人が来た。
「呼びつけといて何の用だ。まさか、預かり代の上げ話じゃねえだろうな」
「そなた、白の札で得をしたな?」
「……今日払ったばかりだぞ」
「その話ではない。粟を船着き場まで運び、仕事のたびに量って渡す手間が消えた。働き手も、もう札を嫌がらぬ。そうであろう」
「まあ、そうだが」
「隣町にも白蔵を置いてほしいと頼まれた」
商人の顔から、少しだけ警戒が抜けた。
「もう余所から話が来たのか」
「じゃが、銭が足りぬ。そなた、出せ」
「何で俺が出すんだよ」
「出した分より多く返すからじゃ」
董白は空の銭袋を一つ、卓へ置いた。
「向こうの白蔵で残った銭を、半分ずつ分ける。そなたへ返した額が、出した分とその半分に届いたら終いじゃ」
商人は空袋を見たまま、手を出さなかった。
「待て。俺の銭で、お前たちの蔵が増えるんだろ」
「そう言うておる」
「うまくいったら返す。駄目だったら?」
「返らぬ」
「……何でそんな話を俺が受けるんだよ」
「出した分より多くなると、最初に言うたであろう」
話は間違っていない。条件は、董白の頭の中では最初から一本につながっている。だが商人へ届いたのは、銭を取られる、失敗すれば返らない、その二つだけだった。
「白。ちょっと待って」
「何じゃ」
「それじゃ伝わらない。俺から順番に話すよ」
董白は不満そうに口を結んだが、止めはしなかった。
俺は商人へ向き直った。
「最初の二十枚で、前より楽になったんだよな」
「なった。運ばなくてよくなった」
「今日、二度目の二十枚を自分から頼みに来た。乾物屋も自分の粟を置いて使い始めた。そして隣町から、同じものが欲しいって人が来てる。ここまではいい?」
「ああ」
「向こうで札を使う商人は、それぞれ自分の粟を置いて、預かり代も払う。あんたの銭でそいつらの粟を買うわけじゃない。物置と道具と、番の賃金と、足りない時に備える粟。始めるための銭だけが足りないんだ」
「……俺は、向こうで何かするのか?」
「何も。向こうの蔵に預かり代が入ったら、蔵を動かす銭を引いて、残りの半分があんたへ戻る。出した分に半分を足したところまで受け取ったら、そこで終わり。そのかわり、蔵ごと駄目になったら、出した銭は戻らない」
商人は、腰の銭袋へ手を置いた。
さっきまでの、取られる側の顔ではなかった。いくらまでなら失っても、船着き場の仕事が止まらないか。そちらを数える顔だった。
「そなたは鍵にも、粟にも、白の印にも口を出せぬ」
董白が付け足す。
「銭を出しても、蔵の主になるわけではないぞ」
「分かってる。俺は銭が戻りゃいい」
商人は銭袋から一部を取り分け、卓へ置いた。
「これなら、消えても仕事は止まらねえ。……本当に、半分乗せて返すんだろうな」
「返す。柳誠、同じ書付を二枚じゃ」
俺は、出された銭の額と、返す条件を二枚の木簡へ書いた。一枚は董白、一枚は商人。商人は自分の一枚を三度読み直してから、ようやく帰った。
戸を閉めると、董白が先に言った。
「妾は、そなたと同じことを言うたぞ」
「言ってない。白は、向こうの蔵が回るって分かった後の話から始めた」
「そこまで一つずつ言わねば分からぬ方が悪い」
「でも、銭を出すのはあの人だ。分からないままじゃ、人は銭を出さないよ」
董白は卓の空袋を見た。
「……分かっておる」
「分かってたのか」
「あの者が途中から話に付いて来ておらぬことくらい、顔を見れば分かる。じゃが、先が見えておるのに、一度戻って最初から話し直すのは……妾には、なかなかできぬ」
人の顔を見ていないわけではないのだ。商人が身構えた瞬間には、ちゃんと気づいていた。気づいても、足を止められない。
「じゃあ、白が飛ばしたところは俺が言う」
「妾の条件を、勝手に丸くするでないぞ」
「変えない。相手に分かる順番へ並べ直すだけだ」
「なら、任せる。妾が先を決める。そなたは、付いて来られぬ者へ話せ」
「それ、今日から俺の仕事?」
「今、決めた」
俺は木簡を棚へ上げ、商人の銭を空袋へ移した。
「それにしても、よく出したよな。向こうがどれだけ儲かっても、あの人の取り分は、出した分に半分足したところで終わりだろ」
「そこまでしか見えておらぬからじゃ」
「そこまで?」
「銭が半分増えて戻れば得じゃと、あの者はそこで数え終える。二つ目が回れば、次の町からも話が来る。その頃には、もうあの者の銭は要らぬ」
「白なら、どうするんだ」
「次に増える蔵からも、取り分を寄越せと言う」
「……そこまでは考えてなかったのか、あの人」
「目の前の得には気づく。その先は見えぬ。妾から見れば、さほど頭はよくない」
「白から見れば、だろ」
「ほかに誰と比べるのじゃ?」
当然のように言うので、俺は笑いを飲み込んだ。それから、卓の木簡を見て聞いた。
「丸め込んだみたいになってるけど、本当に半分乗せて返すんだよな」
「返すぞ。あの者には、後でちゃんと利益を回してやる。わたしたちが儲け、あの者も儲ける。損をする者がおらぬのに、何を気にしておる」
「白が言うと、儲かることまで、もう決まってるみたいに聞こえる」
「決まっておる。まだ銭が足りぬだけじゃ」
董白は、自由銭から次の家賃と食う分を除いた残りを、同じ袋へ入れた。
俺は袋の口を結び、ほかの銭袋から離して、棚の奥へ立てた。
中身はまだ少ない。それでも今度は、壁へ寄せなくても倒れなかった。