董白を拾ったら三国志が壊れ始めた 〜にわか知識の下級書吏と、死んだことになった董卓の孫娘~   作:ねじぇまる

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第20話 第一号

 

日が傾き始めた頃、表の戸が三度叩かれた。俺が開けると、日に焼けた男が立っていた。肩に空の麻袋を掛け、右手では小さな木札をつまんでいる。

 

「白ってのは、ここか?」

 

「そうだけど」

 

「船着き場の商人に、これを持って行けって言われた。今日の働き分は一斗だ。ここで粟を出してもらえるって」

 

男は木札を差し出した。

 

「先に言っとくが、出ないならすぐ船着き場へ戻るぞ。俺は朝から荷を担いで、粟一斗もらう約束で働いたんだ。最後にこんな札だけ渡されちゃ、たまらん」

 

木札を持つ指に力が入っていた。一日働いて、渡されたのは粟ではなく木札一枚だ。疑うのも無理はない。

 

表には白の印。端には一つの切り目。裏は一番。町へ出ていった二十枚のうち、最初の一枚だった。

 

「白。来たぞ」

 

奥から董白が出てきた。男の顔より先に、俺の手にある札を見る。

 

「見せよ」

 

渡すと、董白は印と切り目を確かめ、裏返した。

 

「一番じゃな。柳誠、控えは?」

 

俺は卓の引き出しから木簡を出した。一から二十まで並べた番号のうち、一番にはまだ線を引いていない。

 

「まだ使われてない。合ってる」

 

男が俺たちを見比べた。

 

「それで、本当に一斗もらえるのか?」

 

「出す。そなたが来る前から、その一斗はここにある」

 

「商人はもう帰ったぞ」

 

「だから何じゃ。粟は帰っておらぬ」

 

董白は奥の戸を顎で示した。

 

「そなたが持って来た札一枚の分は、最初からあそこへ残してある。袋を持って来ておるな?」

 

「一応な。だが、先に聞かせてくれ。俺の名前、どこにも書いてないぞ」

 

董白は木札を男へ返さず、指先で挟んだまま答えた。

 

「書いておらぬから、そなた以外が持って来ても出す。そなたが働いたかどうかを決めるのは、あの商人じゃ。わたしは、その札を持って来た者へ一斗渡す」

 

「じゃあ、俺がこれを拾っただけでも?」

 

「その札が本物なら出す。だから、なくすでないぞ」

 

董白は奥の戸へ向かう。

 

「一斗欲しいのであろう。来い」

 

俺は錠を外した。戸を開けると、商人から預かった粟が壁際に置いてある。寝床の脇に置いた冬用の袋とも、俺たちが食べる分とも離してあった。

 

男は入口に立ったまま、中を覗いた。壁際の粟を見つけると、さっきまで険しかった顔が少し緩んだ。

 

「本当に置いてあるんだな」

 

「粟を置いてからでなければ、札は出しておらぬぞ」

 

「全部、あの商人のか?」

 

「そなたらへ渡す分じゃ」

 

董白は寝床側に置いた袋には目も向けない。

 

「わたしたちが食う分とは混ぜておらぬ。そなたの一斗を粥にして食うてはおらぬから、安心せよ」

 

「そこまで疑ってねえよ」

 

「今、奥まで覗いたではないか」

 

男が言葉に詰まり、俺は笑いをこらえた。董白が振り返る。

 

「柳誠、一斗」

 

俺は量る道具を出した。男は空の麻袋を広げ、自分で口を持つ。粟を入れる音が、狭い奥の部屋に続いた。

 

一斗分を量り終え、俺が袋の口をねじる。

 

「確かめる?」

 

「いや。量ってるところは見てた」

 

男は袋の口を開き、指を差し入れて粟を一粒つまんだ。しばらく眺めてから口へ入れる。

 

「昨日まで船着き場へ運んでたのと同じだ」

 

「同じ商人が置いた粟だからな」

 

俺が言うと、男はようやく袋の口を縛った。持ち上げると、ずしりと腕が下がる。それから、董白の指に残っている木札を見た。

 

「札は返すのか?」

 

「返せ。一斗は渡した。もうその札の役目は終わりじゃ」

 

董白は札を俺へ寄こした。俺は控えの一番に線を引き、返ってきた札をその横へ置いた。

 

一枚戻った。奥の粟も一斗減った。町に残っている札は十九枚。残しておく粟も十九斗。

 

男は肩へ袋を担いだが、まだ帰らなかった。

 

「……変な話だな」

 

「何がじゃ?」

 

「朝は何も持ってなかったんだ。仕事が終わって、商人からこんな木切れ一枚もらっただけだ。それが今は粟になってる」

 

男は肩の袋を揺らした。

 

「商人が途中で逃げても、ここに粟があるなら関係ないってことか?」

 

董白は頷く。

 

「この一枚についてはな。粟は先にもらっておる。そなたが商人を追いかける必要はない」

 

男はそこで初めて、空いた右手を見た。さっきまで疑っていた木札は、もうそこにはない。代わりに肩へ一斗の粟が乗っている。

 

董白の眉がぴくりと動いた。

 

「木切れではない」

 

「そこまで気にするのかよ」

 

「そなたが木切れと言うたからな」

 

男は笑った。

 

「悪かったよ。札だ、札」

 

男は肩の袋を叩いた。

 

「でも、これなら次も札でいいな。仕事が終わるたびに、その場で粟を量り終わるまで待たなくて済む。札だけ受け取って、あとで来ればいいんだろ?」

 

「嫌なら受け取らねばよい。あの商人に粟で払えと言え」

 

「いや、今日みたいに出るならいい。最初は、商人が銭を惜しんで変なもん押しつけたのかと思っただけだ」

 

「銭を惜しんだのではなく、粟を船着き場まで運ぶ手間を惜しんだのじゃ。そこを間違えるな」

 

「どっちでも、俺の一斗が減らなきゃいい」

 

「なら、次からは知っておるな」

 

「分かった。白の印があって、切り目が一つなら一斗だろ?」

 

「裏に番号もあるぞ」

 

「そこまで覚えないと駄目か?」

 

「覚えずともよい。番号を控えと合わせるのはこちらの仕事じゃ。変な札を掴んだと思ったら、持って来い」

 

「なら、それでいい」

 

男は戸口へ向かった。外へ出る直前に振り返る。

 

「明日もあの商人のところで働く。たぶん、またこれを渡されるぞ」

 

「なくすでないぞ」

 

「粟一斗だと思えば、なくさねえよ」

 

男は今度こそ出ていった。肩の麻袋が、歩くたびに重そうに揺れていた。董白は男の背中が見えなくなるまで戸口に立っていた。

 

「どうした?」

 

「最初から信じて来たわけではなかったな」

 

「そりゃそうだろ。働いたあとに木札一枚渡されたんだから」

 

「それでよい」

 

董白は戻ってきた一番の札を卓へ置いた。

 

「一度目は疑って、自分で粟を持って帰ればよい。次も札を受け取るかどうかは、あの者らが決める」

 

董白が無理に信じさせる必要はない。あの男が持ち帰った一斗そのものが、次の返事になる。

 

 

日が落ちてから、商人が来た。

 

「一人、来ただろ?」

 

「ああ、昼間に一人な」

 

俺が答えると、商人は奥の戸を見る。

 

「ちゃんと出したか?」

 

董白が先に口を開いた。

 

「一斗渡した。疑うなら、次あった時に確認してればよい」

 

「いや、そういう意味じゃない。あいつ、札を渡した時にずいぶん嫌そうな顔をしてたんだ。木切れで払う気かってな」

 

「うむ、同じことを言うたぞ」

 

商人が吹き出した。

 

「やっぱりか」

 

俺は控えを卓へ置いた。一番には線が引いてある。その横には、戻ってきた札が一枚。商人はそれを見ると、少しだけ顔を近づけた。

 

「これが戻ったってことは……奥は?」

 

「十九斗じゃ」

 

「数えたのか?」

 

「減ったのは一斗だけだよ」

 

商人はしばらく、線を引いた一番と札を見ていた。

 

「明日は三人に払う。二人は一斗ずつで、一人は二斗だ」

 

董白は頷いた。

 

「なら四枚渡せ」

 

「それでいいのか?」

 

「何がじゃ?」

 

「今日のやつみたいに、すぐ取りに来るとは限らないぞ。一枚は明日、もう一枚は十日後かもしれない」

 

董白は奥の戸を指した。

 

「だから残しておる。札が戻らぬ限り、その分の粟には触れぬ」

 

商人は奥を見てから、俺の控えへ目を戻した。

 

「じゃあ、俺が途中で、残ってる粟を返してくれと言ったら?」

 

「まだ誰にも渡しておらぬ札を戻せば、その分は返せる。もう人へ渡した札の分は返さぬ」

 

「俺の粟だぞ」

 

「そなたが札に換えて人へ渡した時から、その分は札を持つ者へ渡す粟じゃ」

 

董白はそこで言葉を切った。

 

「返してほしければ、先にその札を取り戻して来い」

 

商人は一瞬黙り、それから笑った。

 

「なるほどな。俺まで勝手に触れないのか」

 

「当たり前じゃ。そなたが好きに粟を持ち帰れるなら、札をもらった者が困るであろう」

 

「分かった。触らない。明日も使うよ」

 

商人は帰っていった。俺は戸を閉め、錠を下ろした。

 

卓には、戻ってきた一番の札が残った。

 

董白が一番の札をつまみ上げる。

 

「柳誠。これは別にしておけ」

 

「戻った札?」

 

「うむ。もう使わぬものと、まだ町に出ておるものを混ぜるな」

 

俺は小さな箱を一つ出し、その中へ一番の札を入れた。控えには二番から二十番までが残っている。奥には十九斗の粟がある。

 

董白は控えに残った番号を目で追い、満足そうに頷いた。

 

「合っておるな」

 

「合ってる」

 

「なら、飯じゃ」

 

董白はすぐに竈の方を指した。

 

「今日は濃くせよ」

 

「毎日濃いのは駄目だって言っただろ」

 

「一枚、ちゃんと粟になった祝いじゃ。今日くらいよかろう」

 

昨日も同じことを聞いた気がする。俺は返事の代わりに、鍋を取りに立った。

 

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