董白を拾ったら三国志が壊れ始めた 〜にわか知識の下級書吏と、死んだことになった董卓の孫娘~   作:ねじぇまる

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第34話 高い道

 

預け直しの列が引けた翌々日、俺たちは炭売りの爺さんと一緒に、北の山道へ入った。

 

道は、聞いたとおりだった。夏藪が腰まで来て、道形は藪の下にかろうじて残っている。人が通った跡は細く、切れずに続いていた。爺さんのような担ぎ手が、今も細々と使っている道なのだ。沢に出ると、落ちた橋の残りが両岸に突き出ていて、渡し木が一本だけ掛けてあった。

 

「怖けりゃ、四つん這いで渡んな」

 

爺さんは炭俵を担いだまま、揺れもせずに渡った。俺は四つん這いになった。董白は――ならなかった。渡り切ってから、袖で額を拭いて言った。

 

「……妾は、荷車の道を作る側でよかった」

 

峠を越えるのに、朝から昼までかかった。下りの途中で木々が切れて、山あいの郷が見えた。田は狭い。そのかわり倉が、家の数に釣り合わないほど大きかった。

 

 

郷の主は、倉の前で俺たちを待っていた。爺さんが先触れに孫を走らせておいたのだ。

 

主は挨拶もそこそこに、倉の戸を開けた。

 

「分かるかね。粟が古びる臭いだ」

 

倉は、俵で天井まで詰まっていた。

 

「当たり年が二年続いた。食う分は食い、売る分の売り先がない。南へ下ろせば街道の関所で半日止められて、荷主の儲けが消える。……あんたが白様か。話は炭屋から聞いてる。買いに来たんだろう」

 

「買いに来た。ついでに、借りにも来た」

 

董白は倉を見上げたまま言った。

 

「銭で買える分は、銭で買う。前払いじゃ。足りぬ分は、借りる。返しは秋の新穀で、借りた分の五割増し」

 

主の眉が動いた。横で俺の眉も動いた。五割増しは、こちらから言い出す数字ではない。

 

「……ずいぶん気前がいいな。足元を見られてるってのに」

 

「見られておる。妾の町は冬までの椀を数えておる身での。値切る側ではない」

 

「その前にだ」

 

主は戸口へ寄って、声を一段落とした。

 

「あんた、南陽の鄧氏と揉めてるそうだな。炭屋の話じゃ、川筋にも街道にも回状が回ってる。白の札と取引する者に掛け売りをするな、とよ。……うちがあんたに売って、次はうちが睨まれるんじゃないのかね」

 

まっとうな心配だった。俺でも同じことを聞く。

 

「回状は、商人の帳面を伝うて回る」

 

董白は落ち着いて答えた。

 

「卸と、仲買と、問屋と。帳面で繋がった先にだけ届く。そなたの郷は、どこの問屋の帳面にも載っておらぬ。載っておらぬから、この粟が余っておるのじゃろう」

 

主は、しばらく黙った。思い当たることが、あるのだろう。

 

「それにの。関所は道の上にしか建たぬ。妾たちがこれから直すのは、関所のない道じゃ」

 

「……もう一つ、分からんことがある」

 

主は倉の柱に手を置いた。

 

「あんたの蔵がそんなに良い工夫なら、鄧氏も同じ蔵を開けば済む話だろう。銭も倉も人も、向こうの方が桁違いに持ってる。なんで銭にもならん締め上げなんぞをする」

 

「同じ蔵は、開けられぬのじゃ」

 

董白の答えは早かった。

 

「わたしの札が信じられておるのは、損の日にも蔵を開けたからじゃ。鄧氏は、損の日に閉めることで大きゅうなった家での。同じ看板を出したところで、皆が知っておる。あの店は、いざという日には閉まる、とな」

 

「なら、放っておけばいいだろう」

 

「放っておけぬのじゃ。白の札が回るほど、町の者は掛け売りと銭替えを使わなくなる。誰の帳面も通さず、札一枚で払いが済むでの。……鄧氏の身代は、その帳面の仕切りでできておる。妾たちは知らぬ間に、あの家の飯の種を削っておったのじゃ」

 

主は倉の柱から手を離して、ゆっくり頷いた。

 

「……売り物の蔵じゃなくて、商売敵か。そりゃ潰しにも来るわ」

 

「話を戻すがの」

 

董白は倉から主へ目を移した。

 

「そなたも売れぬ粟を抱えて鼠を飼うておる身じゃ。困った者同士の商いに、駆け引きの銭は要らぬ。高く借りて、きっちり返す。その方が早い」

 

主は少しの間、董白を見下ろしていた。それから、初めて考える顔になった。

 

「……道はどうする。人の背中で運べる量じゃ、うちの倉は空かんぞ」

 

「直す。藪を刈り、橋を二本架け直し、荷車の幅に広げる。掛かりは全部こちら持ちじゃ。そなたの郷は、指一本出さんでよい」

 

「直した道は、誰の物になる」

 

「そなたの物でよい」

 

俺は思わず董白を見た。董白は平気な顔で続けた。

 

「妾が欲しいのは道ではのうて、道を通る粟じゃ。道が郷の物なら、そなたらは封鎖が明けた後も、炭と粟を南へ下ろせる。守る理由のある者が持つのが、道は一番傷まぬ」

 

主は腕を組んで、長いこと黙った。沈黙の終わりに、条件を一つ足した。

 

「秋の新穀までに五割増し。一日でも遅れたら、その道の通り賃を、荷ごとに取らせてもらう。あんたの荷からもだ」

 

「よかろう」

 

即答だった。帰り道、渡し木の手前で俺は聞いた。

 

「五割増しに通り賃まで。高くないか」

 

「高い」

 

董白も認めた。

 

「じゃが柳誠、冬は値切れぬ。値切って冬が待ってくれるなら、いくらでも頭を下げるがの」

 

 

その晩、帳場で借りの控えを書いた。

 

買う分の銭は、手数料の袋からほとんど出ていく。それでも足りない分が、借りになる。俺は主の名と、借りる量と、返す期限を書き、最後の行で手が止まった。

 

借りた分の、五割増し。

 

書けば決まりになる。決まりになれば、秋の新穀が入る前から、この町の稼ぎの頭に、北への返しが乗り続ける。俺の手が止まっているのを、董白は向かいから見ていた。

 

「書け」

 

短く言ってから、少しだけ続けた。

 

「妾たちはいま、粟を借りるのではない。冬を借りておるのじゃ。冬の値が高いのは、当たり前での」

 

俺は書いた。書き終えた控えは、鄧遷(とうせん)の綴じの隣ではなく、白札の控えと同じ棚に置いた。これも、守る約束の紙だからだ。

 

 

普請は、次の日から始まった。

 

人は、募るまでもなく集まった。封鎖はこの町から荷を奪い、荷と一緒に仕事を奪っていた。荷運びの男たち、船着き場の人足、店を畳んだ小僧、よその町から流れてきた者。朝、蔵の前に並んだ顔ぶれは、換えの列とは別の列だった。

 

日当は、日暮れに粟で払う。その粟は、普請の間も爺さんの仲間の担ぎ手たちが、背負子で少しずつ峠を越えて運んだ。俺は帳場と峠場を行き来して、日当の控えと背負子の荷を突き合わせた。

 

「妙な勘定だよな」

 

藪を刈っていた荷運びの男が、鎌を持ったまま言った。

 

「道を作る飯が、その道から来る。……なあ、これ、道ができたらもっと食えるのか」

 

「できたら、荷車が通ります。背負子の何倍も」

 

「なら明日も来るわ」

 

橋は大工が架けた。二本のうち沢の深い方は、木組みを岸で組んでから渡す形にして、丸二日で載った。載った日は、藪刈りの連中まで沢へ下りて見物した。誰の物になる橋かなど、誰も聞かなかった。

 

道は、一箇所だけ言うことを聞かなかった。

 

峠のてっぺんの曲がりだ。片側が岩、片側が崖で、藪は刈れても幅が広がらない。荷車の轅が岩に当たって、どうやっても回り切らない。大工と御者が三日押し合って、出た答えは「広げる」ではなかった。頂の手前で荷を降ろし、曲がりの向こうの車へ積み替える。車は峠を越えない。荷だけが越える。

 

「ここは削れねえよ」

 

大工は岩を叩いて言った。

 

「削るより、荷を積み替えた方が早いし、安い」

 

 

だからその曲がりの上に、小屋を建てた。

 

積み替えと検分の場だ。北から来た荷をここで降ろし、升を通し、控えに写し、南側の車へ載せ替える。峠を越える粟は、一斗残らずここを通る。

 

その小屋を、阿慶(あけい)に任せることにした。

 

言い渡した時、阿慶は縄の束を担いだままだった。

 

「あたし?」

 

「そなたじゃ。升と、控えと、縄。峠を越える荷は、全部そなたの目を通る」

 

「……あたし、縄は分かるけど、字は早くないよ」

 

「字の早い者は付ける。妾が欲しいのは、そなたの目じゃ。升の底を見抜いた目と、荷縄の掛け方で荷主の癖を当てる目と」

 

「……日雇いで?」

 

「やめじゃ。日で買う目ではのうなった」

 

董白は指を折って条件を並べた。

 

「払いは月ごとに固定。縄を巻けぬ日の分も込みじゃ。小屋は便のあるたび開ける。便がなければ町におれ。……婆どのの水汲みと薪は、そなたが山にいる日だけ、こちらの人足を回す。給金からは引かぬ」

 

阿慶は縄の束を担ぎ直した。担ぎ直して、隠しきれない声で言った。

 

「やる」

 

それだけだった。それだけだったが、帰っていく足が、来た時より速かった。

 

 

普請を始めて二度目の市の日、最初の荷車が峠を越えた。

 

空の車だ。載せる粟はまだ郷の倉の中で、車はただ、道が車を通すかどうかを確かめるためだけに走った。北側の車が頂の手前まで上り、南側の車が曲がりの下で待つ。刈った藪の間を、架けたばかりの橋の上を、車輪の音が渡っていく。小屋の前では、阿慶が空の荷台へ升を突っ込んで、真面目な顔で「検分、異常なし」とやって、御者を笑わせた。

 

町へ下りてきた空の車を、往来の者が取り囲んだ。荷台を覗く者もいれば、御者に道の様子を聞く者もいた。まだ何も運ばれていないのに、誰の顔も明るかった。

 

帳場に戻って、俺は控えに線を引いた。残りの日を数える欄は、百を切っていた。まだ一粒も運べてはいない。それでも、北の粟と、通れる道と、働く人手が、今日で全部繋がった。あとは、運ぶだけだ。

 

次の市の日、最初の荷が峠を越える。

 

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