董白を拾ったら三国志が壊れ始めた 〜にわか知識の下級書吏と、死んだことになった董卓の孫娘~   作:ねじぇまる

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第39話 冬の便

 

二便が出たのは、初便の六日後だった。

 

書くことは初便と同じだった。三台、二十四俵。頂で積み替え。違ったのは帰ってきた御者たちの顔で、初便の時のような、勝って戻った顔ではなかった。仕事をして戻った顔だった。

 

「頂で軸を一本替えた。出す前に阿慶(あけい)が見つけた。付け根に筋が入ってたそうだ。遅れは半刻」

 

荷の頭はそれだけ言って、湯を飲んだ。積んだ後に軸を見るという決まりは、初便の晩に阿慶が自分で作ったものだ。二便で、もう一本拾っている。

 

「これで、小屋の予備は無くなった。……あと、こっちからもう一つだ。手代。あれを言え」

 

頭は椀を置いて、後ろの男を顎で示した。頂の小屋で控えを書く、字の早い手代だ。

 

「初便の晩、風で火が細りました」

 

手代は控えの箱を膝に載せたまま言った。

 

「夕方の雪で、薪の表が湿っておりまして。阿慶が小屋から自分の縄を出してきて、燃やしました。売り物の麻縄です。……止めましたが、縄はまた綯える、と」

 

帳場が静かになった。町はあの晩、峠の頭の火が消えなかったことしか知らない。何で消えなかったかは、初めて聞いた。

 

董白は帳面から顔を上げて、少しのあいだ黙っていた。

 

「三便に、替えの軸を二本と、麻をひと荷載せよ。どちらも小屋の入り用じゃ。蔵の銭で払う。……縄は、あの者が自分で綯うでな。材料だけ切らさぬようにせい」

 

軸と麻は三便の荷に載って峠へ上がった。受け取った阿慶が何と言ったかは知らない。御者は「軸を二本とも検分して、その晩から小屋の前で綯ってた」と言っていた。火の明かりで縄を綯う音が、夜通し聞こえていたそうだ。

 

 

便を重ねるうちに、積み場の顔ぶれが増えた。道普請で雇った人足のうち、若いのが何人か、便の積みに回ってきた。教えるのは阿慶だった。

 

峠から下りている日の阿慶は、積み場の車のあいだを回って、新しい人足の縄の掛けを検めて歩く。上から二回、横から一回。緩んでいれば解かせて、最初から掛け直させる。積み終わった車は、動かす前に軸を見る。

 

「手で直すな。掛け直せ」

 

「緩んだとこだけ締めりゃ早いでしょう」

 

「そこだけ締めても、隣が緩むよ。峠の上で気づいても、もう降ろせない」

 

若いのが黙って解き始めるのを、俺は帳場の窓から見ていた。井戸端で縄を売っていた娘が、今は人に縄を掛け直させている。

 

雪の匂いが強くなった日の夕方、その阿慶が帳場へ来た。

 

「白。五便、明日の朝に出したい」

 

「決めの日は明後日であろう」

 

「うん。でも西の空が持たない。婆の膝も鳴ってる。明後日に出すと、峠の上で降られる」

 

董白は帳面を閉じて、阿慶を見た。

 

「そなたが決めよ」

 

「……あたしが?」

 

「便の日取りは、峠を知る者が決めるのが道理じゃ。妾は町しか知らぬでの。決めたら柳誠に言え。書き付けて皆へ回す」

 

阿慶は一度だけ瞬きをして、それから俺の方を向いた。

 

「五便。明日の朝」

 

翌々日、雪が来た。昼から夜まで降り続いて、峠は二日、白く閉じた。五便の粟はその前の晩のうちに、町の棚へ納まっていた。

 

雪が上がった日、阿慶は何も言わなかった。董白も何も言わなかった。ただその次の便から、日取りの欄は阿慶の名で埋まるようになった。

 

 

隣町からの頼みは、決まりどおりに受けた。同じ値、同じ升。六便からは三台のうち一台が隣町の分になり、手代の紙には升比べの行が一行増えた。紙の文句はいつもどおり几帳面で、最後に一度だけ、几帳面でない一行があった。曰く、井戸の氷を割りながら車列を待つのは、悪くない待ち方だと思う。

 

帳面の数字は、差分だけ書けば足りるようになった。軸を替えたのは二便で一本、五便で一本。どちらも出す前に見つけて替えた。折れてから替えたのは、初便の一度きりだ。俺が書き足すのは、便の番号と、欠けの有無と、借りの控えの行だけになった。借りは便のたびに増えていく。増えた分だけ、町の棚にも粟が入る。

 

控えは二本立てになった。俺が帳場で書く帳面と、阿慶が峠の小屋で書く控えだ。便がひとつ町へ着くたび、荷と一緒に阿慶の木簡が下りてくる。字は少ない。俵と軸と縄の印に、数の棒を並べてあるだけだ。それでも、積んだ数から縄の掛け直しまで、要ることは全部そこで読める。俺はそれを自分の帳面と突き合わせる。最初の頃は並びがばらばらで読むのに難儀したが、今は俺の帳面と同じ並びで書いてくる。教えたわけではない。何度か突き合わせるうちに、向こうが合わせてきた。

 

「書き方、誰かに習ったのか」と一度聞いたら、阿慶は変な顔をした。

 

「あんたのを見て覚えた。突き合わせるんだから、同じ形の方が早いでしょ」

 

一つだけ、書くのをやめた欄がある。

 

残りの日数だ。空の市の次の晩に百二十日と出して、そこから数え始めた。開帳で縮んで、初便から先は、数えるたびに増えるようになった。増えていく日数は、期限ではなく、蓄えの数になった。俺は十便の夜にその欄を閉じて、数字を蓄えの帳へ書き写した。

 

筆を置いたら、董白が横から帳面を覗いていた。

 

「閉じたか」

 

「閉じた。……長かったな」

 

「うむ」

 

それだけだった。

 

 

冬の真ん中の、何でもない晩だった。飯の後で、董白が包みを一つ、卓へ置いた。

 

「そなたにじゃ」

 

開けると、筆が一本入っていた。今使っているのより、軸の太いやつだ。

 

「隣町の手代に頼んで、取り寄せた。そなたの筆は、空の市からこっち、この町でいちばん働いておるでの。……穂が割れておるのに、黙って使うでない」

 

「気づいてたのか」

 

「帳面の字が太るでな」

 

俺は新しい筆を手に取った。軸が手に馴染んだ。値で言えば、たいした物ではない。ただ、封鎖の町で筆を一本取り寄せるのに何が要るかは、帳面を付けてきた俺が一番よく知っている。言伝を書いて、隣町へ回す車に託して、向こうで探してもらって、次の便の帰りに載せてもらう。頼んでから届くまで、便が三つ。

 

「使う。……大事に仕舞ったりはしない。仕事に使う」

 

「うむ。それがよい」

 

董白は先に立って、椀を洗いに行った。その背中に礼を言いそびれたことに、俺は次の朝まで気づかなかった。

 

 

十一便が着いた次の日、女将から使いが来た。飯どきに宿へ来い、という。

 

行ってみると、客はいなかった。女将は俺たちを座らせて、何も聞かずに椀を二つ置いた。粥だった。薄くない。匙が立つとまでは言わないが、底の方に粟の粒がちゃんと沈んでいる。

 

「頼んでないぞ」

 

「頼まれてないよ」

 

女将は自分の分もよそって、向かいに座った。

 

「頼まれない粥を出せるようになったんだ。誰かに食わせて確かめたくなるだろ。……あんたらでいいかと思ってさ」

 

空の市の頃、この宿は泊まり客の分を量って炊いていた。井戸端の釜の底で、粥の跡がどんどん薄くなっていくのを、俺は見ていた。その釜が、今は湯気を立てている。

 

「泊まりは戻ったのか」

 

「半分ね。隣町との行き来が戻ったから、その分。……南はまだ駄目。あっちの道が開かないと、昔の数にはならないよ」

 

女将は匙を止めずに、こともなげに言った。それから、思い出したように付け足した。

 

「そういえば、炭売りの爺さんから言伝。春になったら炭を担いで下りてくるから、宿を取っておけって。……粟と一緒に車に乗せてもらえって言っといたけどね。歩くより早いんだから」

 

董白が小さく笑った。粥は三人とも、残さず食った。

 

 

冬の終わりが近づいた頃、杜恪(とかく)が決めの報告日に、いつもの紙と一緒に妙な話を持ってきた。

 

「妙なもんを見たぜ、姫。鄧の店が、掛けの利を下げた。それと、銭替えの手間賃もだ。町の札には手を出さねえまま、値だけ下げてきてる」

 

「客は動いたか」

 

「動かねえ。……いや、正しく言うと、一度覗いて、戻ってくる。安いのは分かってて、戻ってくるんだ。俺が見た限りじゃな」

 

董白はしばらく黙って、それから杜恪の紙を綴じへ挟んだ。鄧遷(とうせん)の綴じは、この冬のあいだ、ほとんど太らなかった。手紙も使いも来ない。値だけが動いている。

 

杜恪が帰ってから、俺は聞いた。

 

「白。どう読む」

 

「読まぬ」

 

董白は綴じを棚へ戻した。

 

「値は向こうの物じゃ。向こうがどう動かそうと、こちらの升と値は変えぬ。……春になれば、向こうから分かるでの」

 

 

根雪が緩んだのは、十四便の朝だった。

 

軒の氷が落ちて、往来の雪が昼のうちに泥になった。水場で氷を割る音が、この冬で初めて、しなかった。

 

夕方、峠から下りた阿慶が、戸口から首だけ入れて言った。

 

「白。沢の音が変わった。……冬、越えたよ」

 

「うむ。ご苦労じゃった」

 

晩飯の粥を、俺はいつもどおりに椀へよそった。受け取る前に、董白が空の椀をこちらへ突き出してくる。

 

「柳誠」

 

「ん」

 

「今日は大盛りじゃ」

 

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