董白を拾ったら三国志が壊れ始めた 〜にわか知識の下級書吏と、死んだことになった董卓の孫娘~ 作:ねじぇまる
ここまでの年表(第四章まで)
本編の外の覚え書きです。
西暦は読みやすさのために付けました。
作中には出てきません。
■一九二年(初平三年) 董白 十三
【史実】王允と呂布が董卓を誅殺する。だが王允は董卓の旧部下の赦免を拒み、追い詰められた李傕・郭汜が長安へ攻め返した。王允は殺され、呂布は東へ逃げる。長安は、董卓が死んだ後の方がひどく荒れた。同じ年、曹操は兗州を得て、降した黄巾から青州兵を手に入れている。
【本作】柳誠が崩れかけた太師府の厨で董白を拾う。翌朝、芥車に隠して門を抜けた。城内で旧董卓兵に見つかり、「董白」と名乗ることがもう助けにならないと知る。南門の検問で柳誠がとっさに答えた偽名が柳白。晩夏、南陽の西のはずれ、析の宿場町に落ち着き、働くことを条件に屋根と残り粥を得る。
■一九三年(初平四年) 十四
【史実】李傕らが長安の朝廷を握り、帝は名ばかりの存在になる。曹操は父を殺された報復として徐州へ攻め入り、住民を含む大虐殺を行った。袁紹と公孫瓚、袁術と曹操、諸勢力の取り合いが本格化する。
【本作】春、仲裁と相談と預かりが銭の取れる仕事になる。春の終わりに宿を出て自分たちの屋根を持ち、裏付けの粟を置いて最初の白札を二十枚出した。初夏、持ってきたのが他人でも一斗を出した日から「白の札」と呼ばれ始める。夏の終わりには隣町に二つ目の白蔵が開いた。秋、その蔵番だった杜恪の升の不正が発覚する。全額を補償させ、公開で処分し、解任したうえで、董白は「抜けを探す役」として雇い直した。
■一九四年(興平元年) 十五
【史実】曹操の留守を突いて、張邈と陳宮が呂布を迎え入れ、兗州のほぼ全域が離反する。二年がかりの取り合いが始まった。加えてこの年は大旱魃と蝗害で、穀物の値が跳ね上がり、人が人を食ったと記録が残る。陶謙が死に、劉備が徐州を継いだのもこの年である。
【本作】白蔵は静かに育つ。預け主が増え、交換の上限を上げ、二人がいない市でも三役だけで間違いを直せるところまで来た。その晩夏、大商家の鄧氏の使いが現れ、白蔵も印も手順も、まとめて買うと申し出る。董白は書付を預かるだけにして、返答を秋へ送った。断ってからは、倉が閉じ、商人が離れ、関所が渋り始める。
■一九五年(興平二年) 十六
【史実】李傕と郭汜が長安で仲間割れし、帝を奪い合う。帝はついに長安を脱出し、東へ向かう流浪の一年が始まった。曹操は定陶で呂布を破って兗州を取り戻し、呂布は劉備を頼って徐州へ落ちる。江東では孫策が動き始める。
【本作】封鎖が効いて、市から粟が消えた。蔵の残りは百二十日。噂が回り、列が夜まで続いた末に、董白は蔵を開ける。順の札を配り、並んだ順に払い切る開帳で、取り付けを一度受け切った。北の郷と契約して峠の道を通し、晩秋には最初の実荷が動く。初冬、初便が着いた。冬のあいだ、便は雪の中を十四回往復している。
■一九六年(建安元年) 十七
【史実】帝が焼け落ちた洛陽へ帰り着き、曹操がこれを許へ迎える。「帝を奉じて逆臣を討つ」形が整った年である。曹操はこの年、許で屯田を始めた。食える土地を持つ者が強い、という当たり前が、はっきり形になっていく。一方で関中は食い詰め、諸将の軍が食を求めて散り始める。
【本作】春、鄧遷が列に並んだ。買いにではなく、客として。封鎖が終わる。(第四章 完結)
――序章「対岸の灯」の夜、赤壁の前夜は、ここから十二年後の冬である。