董白を拾ったら三国志が壊れ始めた 〜にわか知識の下級書吏と、死んだことになった董卓の孫娘~   作:ねじぇまる

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41話の冒頭を多少追記しました


第42話 四つ目の道

 

杜恪(とかく)が西へ人を出して、三日目の昼だった。その杜恪が、日に焼けた若い男を一人連れて、帳場へ入ってきた。西の峠の向こうへやっていた、網の担ぎ屋だ。

 

「見てきたまんまを言いな」

 

促されて、担ぎ屋が話した。張済(ちょうさい)の軍は、西の郡境で足を止めている。倉のある庄を、一つずつ空にしながら進んでいる。夜のうちに、発った後の野営の跡へ入って、竈の数を拾ってきたという。

 

「竈の跡が、三百と少しありました」

 

「兵隊ってのは、十人一組で飯を炊く」

 

杜恪は俺の方を見て、指を三本立てた。

 

「竈が三百なら、まあ三千だ」

 

俺は帳面に書き付けながら、少し直した。

 

「なんせ跡には消えかけも混ざる。二千五百から三千五百、幅をそのくらいに見ておく。……旗は、どうだった」

 

「十二本、みんな張の字でした。破れた旗は、ありません」

 

破れ旗が無い。飢えていても、まだ軍の形が保たれているということだ。正直、そこがいちばん都合が悪い。統率の取れていない飢えた群れなら、こちらの用意した物を先に食って、勝手に散っていく目もあった。

 

董白は担ぎ屋に銭を払わせ、湯を出させてから帰した。杜恪は戸が閉まるのを待って、続けた。

 

「あの子は、西の峠の茶店に座らせとく。次に見るのは竈じゃなく、荷車の数だ。車が増え出したら、庄を空け終わって、こっちへ動き出した合図になる。……動かねえうちは、せいぜい茶代がかさむだけさ」

 

「して、足はどのくらいじゃ」

 

「まっすぐ来りゃ、市の日二つ。今みたいに庄を空けながらなら、四つってとこだ。……なにしろ向こうの足を決めてるのは、道じゃなくて倉なのさ」

 

「四つじゃな」

 

董白は帳面の端に指を置いた。

 

「倉を伝うて来る軍、か。……柳誠。向こうの行く手で、この道筋いちばんの倉はどこじゃ」

 

答えなかった。うちだ。二人とも、とっくに分かっている。

 

杜恪が帰ってから、俺は帳面に新しい欄を作った。上に「軍まで」と書いて、最初の数字を入れた。市の日、四つ。去年の秋に閉じた欄と、同じ形の欄だった。あの時は数字が減るたびに肚が据わっていったが、今度はどうにも逆に来る。

 

 

その晩、宿の広間は前の晩より人が多かった。床几が足りず、立っている者が壁際に並んだ。奥の卓に董白が座り、静かになるのを待って、最初に言った。

 

「始める前に、一つだけ言うておく。――裏付けの粟は、開けぬ」

 

広間の何人かが、うなずいた。去年の秋、この帳場は同じ言葉で米屋の頼みを断っている。

 

「知ってるよ」

 

そう言ったのはその米屋で、うなずいた側にいた。

 

「あんたがあれを開ける人なら、うちはとっくに札を捨ててる。……で、開けずにどうするんだ」

 

「わたしの答えを言う。――食わせて、通す」

 

広間がざわめくより先に、蔵の三役の年嵩が手を挙げた。この男の役目は棚の粟だから、問いは決まっている。

 

「預かりの粟は」

 

「動かさぬ。預かりは預かり、商いは商い。二つの帳を混ぜた蔵から、人は逃げる。……あれに手を付けるくらいなら、升を割る方がまだ安い」

 

三役は手を下ろして、隣の二人と低い声で何か話した。声までは聞こえないが、首の振り方までは隠せない。

 

「飯を見せてどうする。普請場に道具を並べたまま帰るようなもんだ。奪われて終わりだ」

 

人足の頭が立ったまま言った。

 

「見せぬ。渡すのじゃ。向こうが奪うより早く」

 

「兵隊が、並ぶのかい」

 

荷運びの女房で、笑い話のような言い方だったが、誰も笑わなかった。

 

「分からぬ」

 

董白は間を置かずに答えた。

 

「……分からんのに、やるのかい」

 

「うむ。分かっておれば、賭けとは言わぬ」

 

広間が、初めてざわついた。壁際の誰かが低く何か言って、近くの数人が笑った。悪い笑い方だった。董白は待って、収まってから続けた。

 

「わたしの見込みだけ言うておく。向こうは荊州へ行きたい。この町が欲しいのではない。……見込みじゃ。升の目のように確かなものではない。外れることもある」

 

「その飯、どこで渡すんだい。よりにもよって、うちの前の往来でかい」

 

広間の奥から女将の声だった。

 

「町へは、一兵も入れぬ」

 

董白は女将が言い終わるのを待たずに、そう言った。

 

「渡す場は、街道に作る。女子供は軍が見えたら奥へ入れて、通り切るまで出さぬ。並ばせる工夫は、これから作る。無いものを有ると言うても始まらぬでな」

 

「見込みで四百俵か」

 

米屋が低く言って、卓の縁を指の腹で撫でた。

 

「見込みで出せとは言うておらぬ。数を聞いてから決めるがよい。柳誠」

 

俺は帳面を開いて、書いてある数を上からなぞった。

 

「三千として、一人に半斗。道中三日分の携行だ。しめて千五百斗、俵で四百弱になる」

 

「四百……」

 

誰かが息だけで言った。俺は続けた。

 

「出所は三つ。南の倉に、秋の商いへ回すはずの在庫が二百と少しある。まずそれを回す。次に、蔵の銭で北の郷から買い足す。あの郷は当たり年が二年続いて、去年の粟がまだ倉に残ってる。端境だから値は高い。それでも銭のある分で百俵は買える。銭の側の上限が、そこだ。残りのおよそ百俵が、この町だ。銭でも粟でもいい」

 

「百俵は重いぜ。……蔵の前へ積んでみりゃ分かる」

 

米屋が、俺の帳面の方へ首を伸ばした。

 

「重い。とはいえ、逃げて空の倉へ戻る時に失う数は、この比じゃない。それは前の晩に並べたとおりだ」

 

「四百くれてやって、渡す前に蔵ごと奪られたら、どうする」

 

人足の頭が、まっすぐに聞いた。董白が受けた。

 

「その時は、戦うも逃げるも、今と同じに残っておる。いっそ先に食わせる手は、しくじっても元の三択へ戻るだけじゃ。……逆はできぬ。戦って負けた後にも、逃げて戻った後にも、食わせる手はもう残っておらぬでな」

 

頭は座らないまま、少し考えてから言った。

 

「俺は反対だ。……反対のまま、人手は出す。うちの若いのを、飯を運ぶのに使ってくれ。俺が反対したことは、帳面に書いといてくれや」

 

「柳誠。書け」

 

人足の頭、反対、人手を出す、と書いた。頭はそれを見届けてから座った。

 

「もう一つ、先に言うておく」

 

董白は広間を見回した。

 

「ただ飯にはせぬ。どうせただで食わせれば、次のただ飯が来る。買い物の形にすれば、次に来る軍も、買い物に来る。取れる物は取る。銭とは限らぬ。塩でも革でも紙切れでも、払うた、という形を必ず残す。軍から取れた払いは、出した者で分ける。取れねば、それまでじゃ」

 

「……分け前の割は」

 

「出した分に応じてよ。帳面が決める。妙な色は付けぬ」

 

瓦屋の隠居が身を乗り出した。

 

「なんだね、その紙切れってのは」

 

「払いの証文よ。後日、どこそこの倉から払う、という書付を取る。……取り立てられるかどうかは、また別の話じゃがの」

 

「……取れなきゃ、出しっぱなしってことかい。担いだ荷が戻ってこねえのと同じだ」

 

女房が、言いながら鼻で息を吐いた。

 

「そうじゃ」

 

広間は静かになった。信じている顔は、見た限り一つも無かった。それでも席を立つ者もいなかった。他の道の値段は、前の晩にもう並べ終わっている。

 

「決めは取らぬ。信じよとも言わぬ」

 

董白は最後にそれだけ言った。

 

「賭けてもよいと思う者だけ、明日、蔵の前へ持って参れ。帳面に名を書く。それで足りねば、この話は終いじゃ。三択に戻る」

 

散会は早かった。出て行く背中は、前の晩と同じに重かった。女将だけが床几を片付けながら、まったく、湯は明日も沸かしとくよ、と言った。

 

 

翌朝、蔵の前に卓を出して、俺は新しい頁を開いた。上に「拠出」とだけ書いた。墨を磨る手が、案の定、いつもより速くなる。

 

最初に来たのは女将だった。銭の袋を一つ、音を立てずに置いた。

 

「まったく。……釜と竈は貸すよ。それとこれとは別」

 

道普請の人足が三人、連れ立って来た。銭は少なかった。竹槍よりは安い賭けだ、と一人が言って、あとの二人が黙ってうなずいた。荷運びの女房は粟を二斗、担いで来た。婆さんの分も入ってる、とだけ言った。瓦屋の隠居は小さい包みを置いて、何も言わずに帰った。三役が来て、木挽きが来て、炭の郷から下りていた御者が小銭の包みを置きながら、にやりとした。

 

「郷の主が聞いたら怒るぜ。貸すなら五割増しを取れ、ってな」

 

大きい袋は一つもなかった。ばらばらと来る小さい袋が昼までに頁を半分埋めて、昼過ぎに、目当ての百を越えた。倉を一度に満たす荷ではなく、桶で運んで溜める水の増え方だった。

 

夕方、卓を仕舞いかけた頃に、米屋が来た。正直、来ないと思っていた。

 

「言っとくがな」

 

米屋は袋を二つ、卓に置いた。朝から溜めてきた小袋の音を、二つで塗り潰すような音だった。

 

「米屋さん。もう足りてる。昼過ぎに百を越えた」

 

「知ってるよ。向かいから見てたんだ、朝から」

 

袋は引っ込まなかった。

 

「俺は、あんたらの案を信じてねえ。兵隊は並ばねえよ。俺が兵隊なら、並ばねえもの」

 

「……なのに、二袋か」

 

「換えた粟は、毎回うちで量り直してる」

 

米屋は蔵の戸を、顎で指した。

 

「開帳の日から一度も、うちの升で足りなかったことがねえ。……俺が銭を出すのは、案にじゃない。そっちの升にだ。並ばせられるかどうかは、あんたらの仕事だろ。……帳面に書いとけ。米屋、と」

 

拠出の頁の、いちばん最後の行に書いた。顔を上げた時には、米屋はもう往来を戻っていた。その晩、米屋の店の戸は、暗くなるまで開いていた。

 

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