董白を拾ったら三国志が壊れ始めた 〜にわか知識の下級書吏と、死んだことになった董卓の孫娘~   作:ねじぇまる

50 / 52
第46話 三日目

 

木札の束は、麻紐で二重に縛ってあった。

 

受け取りに来た兵が束を持ち直すと、札と札が、かたかたと鳴った。中は数えない。数えるのはこっちの仕事で、向こうの仕事は、その札を十人の組へ一枚ずつ配ることだ。番号の若い組から縄の内へ入れる。三日、そうやって通してきた。

 

つまり、束が俺の手を離れた時点で、今日食える組はもう決まっている。

 

二日で通した籠は、二百三十二。残り、八十六。今朝の束は、その八十六枚だ。一枚も多く作っていない。作れる物なら、ゆうべのうちに作っている。

 

「三十一番」

 

俺が呼ぶと、組頭が縄の内へ札を出す。若い衆が籠の上の一枚を取って齧り、飲み込むところまで見せてから、籠を渡す。

 

「三十一、渡った!」

 

「よし。……三十二番!」

 

朝の渡し場は、前の二日と同じ音で始まった。番号を読む声と、齧る音と、籠が(むしろ)を擦る音。阿慶(あけい)は縄の張りを見て回って、杭を一本ずつ握っていく。初日に人足の頭が揺すって、押されたら根から抜けるぞと言った杭が、列の曲がる外っかわに一本ある。そこは押される所じゃない、というのが阿慶の言い分だった。今朝も、その一本だけは握らずに通り過ぎた。

 

杜恪(とかく)が縄の外から戻ってきたのは、日が高くなる前だ。掌をぱたぱたと叩いて土を落としてから、卓の縁へ手を突いた。

 

「後ろは、籠に直して百十だ」

 

「確かか」

 

「確かなもんか。座ってる頭は数えられるが、寝てるのは数えられねえよ。……ただ、これより減ることはねえ。減るとしたら、道の途中で歩けなくなった分さ」

 

俺は木簡へ、こちらに残っている籠の数と、後ろに要る数を上下に並べた。並べてしまえば、線を引くまでもない。八十六の籠へ、百十の組が歩いてくる。持っている籠を全部渡し切っても、二十四の組には、渡す籠が無い。

 

筆を置いた。二十四の組は、番号を呼ばれないまま渡し場を通ることになる。通った先のことは、この木簡のどこにも書いていない。

 

「町の分は」

 

董白が横から木簡を覗いた。

 

「ゆうべ莚へ出した分で終いだ。蒸せる粟が、もう町に無い。夜なべは二度やった。南の倉から回した分も、とっくに莚の上で使い切ってるよ」

 

阿慶が縄の内から顔を上げた。

 

「白。蔵の裏のは」

 

「開けぬ」

 

即答だった。蔵の裏に積んであるのは、白札の裏付けの粟だ。町の者が手に持っている札は、あの山があるから粟に換わる。だから、開ければ今日の二十四組は食える。食えて、明日から町の札はただの木の板になる。四年、この帳場が一度も開けたことのない山だ。

 

「籠も減らさぬ」

 

董白は籠の山の方へ顎をしゃくった。

 

「六十枚の籠を、六十枚のまま渡すのじゃ。……足りぬのを皆で薄く足りぬことにしたら、この渡し場は今日で終いじゃ。数えて渡す所ではなくなるでな」

 

分かってはいる。分かった上で、こちらの手元に減らせる数が一つも無い、という言い方もできる。もっとも、そう言い直したところで籠が増えるわけでもない。

 

昼前に、杜恪がもう一度来た。今度は軍の側からだ。

 

「組を(あらた)め直すそうだ」

 

「検め直す?」

 

「札の数と、組の数を突き合わせるのさ。……検めってのは、突き合わせて終いじゃねえんだ。合わなかった分をどうにかする、ってとこまで入ってるのさ」

 

杜恪はそれだけ言って、また縄の外へ出ていった。俺は木簡の端へ「検め」と書いて、その下を空けておいた。何が入る欄なのか、書いた本人にも分かっていない。

 

昼過ぎ、西の道から騎馬が下りてきた。

 

張繡(ちょうしゅう)が馬を降りる。鞍が鳴って、地面へ足が着く。前と違ったのは、籠の山へ寄らなかったことだ。毒見の若いのが一枚持って前へ出かけて、出す前に足を止めた。張繡が手を上げたからだ。

 

「札は八十六と聞いた。こちらの組は百十三だ」

 

「……はい」

 

「数が膨らんだのは、こちらの不始末だ。道々拾った部外者が列の尻へぶら下がって、組の頭数が合わなくなった。落とすのは、こちらでやる。そちらは升を守れ。最後の組まで、同じ籠を同じ数で渡し切れ。それで約定は終いだ」

 

うちは升を出さない。数えて渡すだけだ。それでも、向こうがそれを升と呼ぶのなら、こっちも今日は升と呼ぶしかない。

 

「札の無い者へは、渡すな」

 

それだけ言って、馬へ戻った。値切りも脅しも、三日前と同じで一つも無い。向こうはもう、こちらの数を疑っていない。疑うのをやめた相手へ、こちらは八十六しか出せない。

 

張繡が行ってから、しばらく列が空いた。組と組の間が開いたのだろう。番号を呼ぶ声が止まって、渡し場に風の音だけが残った。

 

董白が卓の端へ来て、しくじりの山から割れた一枚をつまみ上げた。作りそこないの白瓦は、稽古の頃からずっと二人の昼飯だ。

 

「これは塩の効いた方じゃ」

 

「三号だな。水を飲みたくなるやつだ」

 

「そなた、選んで置いたであろう」

 

「置いてない。上から順に取っただけだ」

 

董白は疑わしそうに端を齧った。ごり、と音がして、それからもう一度、山を上から下まで見た。

 

「……次からは、割れた物を下へ積め」

 

「なんでだ」

 

「どうせ上から取る者が、割れておらぬ方を先に取るからじゃ」

 

理屈は通っている。とはいえ、その理屈で得をするのは上から取る本人だけだ。

けれど、俺は言い返さずに、自分の分の割れた一枚を齧った。それきり、どちらも喋らなかった。

 

午後になって、西の街道の膨らみで人が動き始めた。

 

渡し場からは、遠すぎて声が聞こえない。旗が二本、列の横を上っていって、そこから列が分かれ始めた。分かれた片方が、道の脇へ下りていく。しばらく見ていて、それが組から外された者だと分かった。

 

外された者は、その場を離れない。道の脇へ座って、動かない。行く先があるなら、そもそもここまで歩いてきていない。

 

一人だけ、座らない男がいた。溜まりの端に立ったまま、こっちを向いている。手に何か提げているのが遠目にも分かる。何なのかまでは、見えない。

 

日が傾く頃には、道の脇の溜まりが二百ほどまで膨れていた。落とされた組の数と、こちらで渡す籠の足りない数は、合っている。向こうは、こっちの札の枚数を見て落としている。

 

阿慶が縄の張りを見に来た。見て、掛け直して、それからもう一度、道の脇の方を見た。

 

「ねえ。あそこの連中、なんか変だ」

 

道の脇に座った二百人の顔が、みんな同じ方を向いていた。籠の山だ。

 

「数えてるんだよ、あれ。あの山があと幾つで空になるか。……ちょっと不味いかもしれない」

 

答えられなかった。答えなくても、阿慶はもう歩き出している。

 

「杭の間、詰めるよ! 右の三本、打ち直し!」

 

「はい!」

 

俺は木簡の「検め」の下を、まだ空けたままにしている。書く欄が無いのではない。書く言葉が無い。

 

夕方、後衛の本隊が縄の内へ入り始めた。

 

籠の山は、朝には俺の背より高かった。いまは卓の天板と同じ高さだ。番号を呼ぶ声も、籠が渡る音も、朝とまったく変わらない。変わったのは、渡し場中の目だ。並んでいる方も渡している方も、番号を聞きながら山の方を見ている。あと何組ぶん残っているかは、見れば分かる。

 

阿慶が縄の内を早足で歩いた。歩きながら、列の外へ出そうな者の肩を、縄の側へ押し戻している。声は出していない。

 

崩れたのは、溜まりの端だった。

 

阿慶の声がした。指図の声ではない。

 

まずい。

 

道の脇から、十幾つの影が縄へ走った。

 

「まだあるんだろ!」

 

若い衆が一人、先頭へ組み付いた。組み付いたまま、二人で莚へ倒れ込んだ。その上を、後ろの影が跨いで越えた。

 

「杜恪! 人を——」

 

言い終わる前に、列が割れた。悲鳴。組頭が誰かの襟を掴んで、列の中へ引き戻している。阿慶が縄の束を振り回すのが見えた。届いていない。

 

杭が、めり、と土から起きた。

男は籠を見ていなかった。董白を見ていた。

 

「白!」

 

呼んだ声より先に、足が出ていた。莚に足を取られた。距離が詰まらない。

男の方が近い。間に合わない、と頭のどこかが言った。

言い終わる前に、腕が届いた。

 

掴んで、引き回して、背中で包んだ。

 

肩口になにか冷たいものが入り、すぐに熱くなった。

 

 

 

 

 

 

 

 

嫌な予感は、しておった。何かを押さえつけておるような空気が、昼から渡し場に溜まっておった。それが何なのかは、分からぬままじゃった。

 

なにか、叫び声が聞こえた。

なんだろう、と目をやると、男がこちらに走っていた。

 

何故だろう。 なんて、そんな馬鹿なことを考えておった。

 

すぐ、目の前には布しか見えなくなった。

 

柳誠だった。肩を掴まれて、引き回されて、莚の上へ押し倒された。上から重さが来て、動けぬ。

 

縄の向こうは、声の塊だった。寄越せ、と言うのが聞こえた。あとは言葉になっておらぬ。誰かが、泣きながら怒鳴っておった。ごつ、と鈍い音。馬の脚。張繡の声。

 

「札の無い組に、この軍の飯は無い。散れ!」

 

足音が散っていく。散りながら、まだ喚いておる者がいた。喚き声は遠くなって、泣き声だけが残った。

 

何が起きたのか、妾には分かっておらなんだ。

 

柳誠が退かぬ。重さが、退かぬ。妾は、突然押し倒された事に文句を言って、この男の背へ手を回した。

 

ぬる、とした。

 

手を引いた。見た。

 

真っ赤だった。

 

……なんじゃ、これは。

 

血、と分かるまでに、ずいぶんかかった。分かってから、もっと分からなくなった。誰の血じゃ。どこから出ておる。なぜこの男は、退かぬ。

 

「柳誠」

 

返事が無い。

 

「柳誠!」

 

揺すった。頭が、揺すった方へ傾いで、戻らなんだ。ずっと呻いている。まだ、息はしていた。

 

死ぬのか。

 

死ぬのか!

 

「柳誠! 起きよ! 嫌じゃ、柳誠! 誰か……誰か!」

 

体を揺すって、襟を掴んで、掴んだ手が滑って、また掴んだ。何をすればよいのか、何も出てこなんだ。布、という語も、血止め、という語も、妾の中のどこにも無かった。

 

頬が鳴った。

 

「しっかりしな!」

 

打たれた、と分かるより先に、目の前に阿慶の顔があった。

 

「白! 手ぇどきな! ――そこ、湯桶置いて肩押さえな!」

 

阿慶は妾の手を柳誠の襟から引き剥がして、横へ押しのけた。自分で膝を落として、両手を柳誠の肩の付け根へ置いた。裂け目の上ではない。付け根の側だ。そこへ、体重を乗せた。

 

血が細くなった。

 

細くなっただけじゃ。止まってはおらぬ。阿慶の指の間から、まだ出ておる。莚は膝の下まで黒い。妾の手も黒い。柳誠の口は開いておって、息は入っておるようじゃが、目は開かぬ。渡し場は音を取り戻しておって、番号を待つ列がまだ縄の内に並んでおる。道の脇には二百人が座っておる。籠は八十六。何番まで渡したかは、妾が知っておる。知っておるのに、その数が何にも繋がらぬ。番号を読めば列は動く。列が動けば籠が減る。籠が減っても、この男の肩から出るものは一滴も減らぬ。

 

「手が震えてるヤツに、血止めなんかさせらんないよ」

 

言われて、妾は自分の手を見た。震えておった。立とうとした。膝が、立たなんだ。

 

女将が走ってきて、阿慶と場所を代わった。代わる間、女将は妾を一度も見なんだ。そんな余裕もなかったのじゃろう。

 

阿慶が立ち上がって、若い衆を二人呼んだ。

 

「柳誠を納戸へ! 戸板持ってきな!」

 

それから妾の方を向いた。

 

「白。あんたも一緒に行きな。今日はもう仕舞いだ。……ここは、あたしが回すよ」

 

妾は、下がらされた。

 

歩いたのか、担がれたのか、覚えておらぬ。覚えておるのは、背中で渡し場の声が聞こえたことじゃ。番号を読む声。阿慶の声じゃった。妾のより高くて、間が短い。列の動く音が、その声に付いていった。

 

妾の渡し場が、妾なしで動いておった。

 

 

 

 

 

 

 

 

納戸で、女将が肩の布を解いた。解いた布は、絞れるほど重かった。

 

湯で洗うてから、女将は傷を覗いた。肩の付け根から腕の外へ、手の幅ほど。骨には届いていない、と言うた。それがどれほど良いことなのか、妾には分からなんだ。分からぬまま、良いのじゃな、と思うことにした。

 

「白。灯をもう一つ。手元が暗い」

 

言われて、妾は動いた。灯を提げて、女将の手元へ寄せた。それだけのことが、できた。できたことに、自分で驚いた。

 

「何もしないよりマシだろう」と、女将は深いところを糸で縫うた。針が入るたび、柳誠が呻いた。呻くたびに、若い衆が肩を押さえ直した。

 

「破れた袷と同じさ。端から寄せて、真ん中は最後に留めるんだ」

 

誰に言うでもない。手を止めぬための独り言じゃろう。針が入るたび、妾の肩のあたりがちくちくした。

 

縫い終わると、女将は柳誠の右腕を体へ添わせて、布で縛った。

 

「ひと月、この腕は上げさせるんじゃないよ。上げたら開く。開いたら、また縫うんだ」

 

「……熱は」

 

「熱さえ出なけりゃ、塞がるよ。出たら、あたしの手には負えない。……だから、夜は誰かが見てな」

 

「妾が見る」

 

考えるより先に、口が言うておった。女将は何も言わずに道具を仕舞うて、出しなに粥の椀を二つ置いた。

 

「冷めても食いな。あんたが食わないと、この男も食わないよ」

 

女将が出ていってから、妾は外の水場へ出た。桶に水を汲んで、手を入れた。

 

手の甲まで、黒う乾いておった。皺の所だけ、黒が濃い。納戸に入ってからずっと、この手は妾の目の前にあったはずじゃ。いま初めて見た。

 

擦った。冷たい水の中で、黒いのがほどけて流れて、桶の水が薄赤うなった。妾はその桶を空けて、もう一杯汲んで、もう一度洗うた。

 

戻ると、戸口に阿慶が立っておった。敷居は跨がなんだ。

 

「渡し切ったよ。籠は二つ余った。札の番号も、朝の帳と合ってた」

 

「……そうか」

 

「札を持ったまま来なかった組が、二つあるんだ。二十人。どこで抜けたかは、こっちには知りようがないね」

 

阿慶は担いできた縄の束を担ぎ直した。頬のことは、どちらも言わなんだ。言われたら、礼を言うてしまいそうじゃった。礼を言うことでもない気がして、妾は黙っておった。

 

「白。あんた、食べな。顔まで白いよ」

 

「·····つまらぬ冗談じゃ」

 

「そういうことが言えるなら、大丈夫だね」

 

阿慶は笑わずにそう言うて、帰った。

 

粥は二人ぶん、冷めておった。妾は自分の椀を食うた。味は覚えておらぬ。柳誠の分は、椀に布を掛けて、枕元へ置いた。目を覚ましたら、目の前にある方がよい。

 

 

夜、妾は床几を枕元へ寄せて、木簡を開いた。

 

朝、軍へ渡した札は八十六枚。渡った籠は八十四。「渡す飯」の欄へ最後の数を入れて、下へ線を引いた。

 

「終わったぞ」

 

返事は無い。息の音だけがしておる。それでよい。約定は保った、というのは、この男が明日聞けばよい話じゃ。

 

それから算盤を引き寄せた。玉を一つ弾いた。かち、と鳴った。もう一つ弾いて、止まった。

 

指が、次の玉へ行かぬ。木簡の数字は見えておる。読める。読めるのに、どこへ足すのかが出てこぬ。

 

こういう時に何をするか、妾が知らぬはずはないのじゃ。人を集め、役目を割り、順に言いつける。四年、それだけをやってきた。今日は、一つも出なんだ。湯桶を提げた若い衆が妾のすぐ後ろに立っておったと、あとで女将に聞いた。指図を待っておったのじゃと。妾は、名を呼ぶことすらしておらなんだ。

 

算盤を持ち上げて、木簡の上へ静かに置いた。置いたきり、動かさなんだ。

 

……これは何だろうか。

 

問うてみて、答えの出る前にやめた。

 

 

明け方、往来に軍の音が無かった。

 

草鞋の音も、車の軋みも無い。無いと分かってから、川の音が聞こえた。三日のあいだ、そんな事にも気づかないでいたのだと思った。

 

戸の隙間から、街道の白んでいくのも見えた。杭は二列、抜けた一本だけを欠いて立っておる。

 

柳誠は眠っておる。額に手を当てた。熱は、出ておらぬ。

 

納戸の灯は、朝まで点いておった。油は、夜のうちに妾が足した。

 

消し忘れではない。

 

  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. よみあげ
  11. 閲覧設定
▲ページの一番上に飛ぶ  X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。