董白を拾ったら三国志が壊れ始めた 〜にわか知識の下級書吏と、死んだことになった董卓の孫娘~   作:ねじぇまる

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今書き直し中なので、これまでの話の話数が合わなくなっています。
ご迷惑をおかけします


第52話 灯

 

二日後の朝、最後の籠を宛の馬場へ下ろした。

 

百五十籠。町で数えた時と同じだけ並んでいる。

 

当たり前のはずだった。途中で捨てたわけでも、売ったわけでもない。それでも受け取りの男が数え終えるまで、俺は控えを握ったまま待っていた。

 

「これで全部だな。中も見せてもらおう」

 

「はい。こちらを開けてください」

 

男が籠の蓋を取った。

 

今度は隠す必要がない。白瓦を一枚選んで割り、断面までよく見てもらった。男は欠片を口へ放り込み、しばらく噛んでから眉を寄せた。

 

「硬いな」

 

「湯へ入れれば、もう少し――」

 

「火を使わず食える物を頼んだんだが」

 

しまった。

 

「そのままでも食べられます。秋にお渡しした物と同じですから」

 

「知ってるよ。俺も食った」

 

男が笑った。俺の返事を待たずにもう一欠片を食べ、控えを寄越すよう手を出した。

 

(それなら先に言ってくれ……)

 

喉まで出かかったが、何とか飲み込んだ。硬すぎるから持ち帰れと言われるかと、本気で心配したのだ。

 

男は受領の印を入れると、控えを俺へ返した。

 

「張将軍には届いたと伝えておく。ご苦労だったな、柳白殿」

 

礼を言って受け取った。張繡と約束した十日後の朝に、どうにか間に合った。

 

籠は兵たちの手で馬場の奥へ運ばれていく。空になった車を見ると、嬉しさより先に疲れが出た。もう濡れないかと空を見なくていいし、荷縄が緩んでいないかと後ろへ回る必要もない。

 

「帰ろう。皆にも知らせないとな」

 

董白はまだ兵の方を見ていたが、俺が声を掛けると頷いた。

 

「うむ。鄧遷には、その印も見せてやってほしい。物置まで開けさせられたのじゃ。気にしておろう」

 

「ああ。ちゃんと飯として受け取ってもらったってな」

 

「頼まれてもおらぬのに、食べ方まで教え始めたしの」

 

やっぱり聞いていた。

 

「あそこは黙っててくれ」

 

「何も言うておらぬぞ。さっきも黙っておった」

 

「笑ってただろ」

 

今度は隠す気もなく笑われた。腹は立ったが、俺も少し笑ってしまった。こんなことで済んでよかったと思う。

 

~

 

帰りには、宛に残っていた杜恪(とかく)も一緒になった。

 

城下で話を聞いているうちに泊まりが延びたらしい。馬場の外で待っていた杜恪は、俺たちの顔を見るより先に空車を見た。

 

「乗っていいか?」

 

「引く人に聞けよ。俺に言われても」

 

「じゃあ、乗せてくれ。帰りは話し相手になるからよ」

 

「話しながら歩きゃいいだろう」

 

引き手に返されても、杜恪はめげなかった。最後には道の平らな所だけ乗せてもらうことになり、積んであったむしろを尻の下へ敷いている。

 

俺も乗りたかった。だが、あのやり取りを見た後で頼むのは少し恥ずかしい。坂の手前で降りた杜恪に荷台を見ていたのがばれ、肩を叩かれた。

 

「次の平らな所じゃ、お前が乗れよ」

 

「……そんなに見てたか?」

 

引き手まで笑った。帰り道には、そんなことを言っていられた。

 

町へ着くまでには二日かかった。

 

鄧遷(とうせん)は受領の印をしばらく眺め、それから丁寧に俺へ返した。

 

「これで、ようやく眠れますな」

 

「私もです。袋を開けられた時は、どうなるかと思いました」

 

「あの袋はまだ残っておりますよ。御覧になりますか」

 

「……しばらくは結構です」

 

鄧遷まで笑った。俺は控えをしまい、人足の頭に借りた車の話をしようとした。

 

その前に董白が口を開いた。

 

「三台、もうしばらく借りておきたい」

 

「次は何を運ぶんだ?」

 

「町の者じゃ。宛で戦になった時、歩けぬ者を乗せて逃がすと約束したであろう」

 

頭は笑うのをやめ、車へ顔を向けた。

 

俺も、姑を乗せてほしいと言った女を思い出した。あの家にはまだ、飯を無事に届けたと知らせていない。

 

「どこまで連れていく?」

 

「街道を避けて丘へ上がりたい。鄧遷、裏の道にある倉を使わせてもらえぬか」

 

鄧遷の倉には農具や空袋が置いてあった。町の裏の畑から上がれる場所で、街道を通る者がわざわざ寄るには遠い。

 

「奥へ物を寄せれば空きましょう。屋根も秋に直しました」

 

「では、見せてほしい。子供や年寄りが一晩待てるようにしたいのじゃ」

 

鄧遷が人を呼び、人足の頭も一緒に見に行くことになった。俺は帳を出し、空いている所を開いた。

 

「今のうちに移ってもらうか?」

 

「いつ帰れると訊かれたら、そなたは答えられるか?」

 

答えられなかった。

 

皆、自分の家で暮らしている。夜に寝る場所だけ替えれば済むわけではない。寒い倉へ先に移ってもらい、何もないまま何日も待たせたら、そのうち家へ戻ると言い出すだろう。

 

「知らせが来たら出そう。それまでに、乗せる者と迎えに行く順を決めておきたい」

 

「分かった。俺は家を回ってくる」

 

董白が頷いたので、まずは姑を乗せてほしいと言っていた家へ向かった。

 

女は納品の話を聞くと喜んだが、丘の倉と聞いて奥を振り返った。

 

「あの人、寒い所は嫌だって言うだろうねえ」

 

「先に布団を運んでおきましょうか」

 

「いいのかい?」

 

「ええ。車を待たせながら探すより、その方が助かります」

 

女は家へ入り、すぐに布団を抱えて戻ってきた。婆さんの声が奥から聞こえる。

 

「それを持ってったら、今夜は何を敷くんだい!」

 

女は立ち止まり、俺と顔を見合わせた。

 

「……もう一枚あるんだよ。ちょっと待ってておくれ」

 

俺は笑いをこらえて頷いた。

 

その日のうちに、車を出す家が決まった。歩ける者は家族と先に上がり、車には小さな子や自分で歩けない者を乗せる。

 

女将も倉を見に行った。寝る場所へむしろを広げて座るなり、これじゃ冷えるよ、と立ち上がる。

 

「下に藁を敷いておくれ。布団を持ってこられない家もあるんだから」

 

戻ってきた頭が藁を運ばせ、俺たちも広げるのを手伝った。

 

帰る頃には、奥の農具が見えないほど寝場所ができていた。運ばれてきた布団を隅へ寄せながら、使わずに済めばいいと思った。

 

~

 

数日後の夜、宿の外で馬が止まった。

 

杜恪が出ていき、男を一人連れて戻った。宛にいる間に知らせを頼んでおいた相手だという。

 

「昨夜、戦になった。張繡が曹操を攻めたそうだ」

 

俺は閉じかけた帳を、そのまま机へ置いた。

 

「張繡が?」

 

「ああ。陣に火が出て、城の周りから人が逃げてきた。俺も宛を出たんだが、道には曹操の兵が何組もいたぞ。こっちへ来てる」

 

男は女将に渡された水を飲んだ。

 

俺は返事もせずに見ていた。

 

宛で戦がある。それは覚えていた。だが、張繡は曹操に従って劉表を攻めるのかもしれないと考えていたし、董白もそう見ていた。

 

張繡が曹操を攻めたのか。

 

馬場で白瓦を齧っていた男の顔が浮かんだ。あの時には、もう分かっていたのだろうか。俺たちが硬いと言われて慌てている間にも。

 

「柳誠。書付を持ってきてほしい」

 

董白に呼ばれ、顔を上げた。

 

彼女はすでに戸口に立っていた。

 

「車を出すぞ」

 

「ああ。すぐ持っていく」

 

立ち上がり、通行の許しを入れた包みを取った。董白は頭を呼びに行き、杜恪は街道の様子を見に出た。

 

女将が奥へ声を掛けた。

 

「起きとくれ! 丘へ行くよ。灯と鍋を忘れずにね」

 

俺も表へ出た。隣の家でも人が起き、戸が開いている。通りの先へ知らせに走る者がいた。

 

さっきまで開いていた帳の続きは、もう思い出せなかった。

 

~

 

婆さんの家へ車を寄せると、嫁が戸口で待っていた。

 

「すまないね。起こしたら痛がっちゃって、どうにも」

 

人足の頭と若い男が中へ入った。俺は車の荷台へ布を敷き、乗せる場所を空ける。

 

婆さんは布団ごと運ばれてきた。

 

「腰が。もっと、そっちを持っておくれよ」

 

「はいよ。ここかい?」

 

頭が腕を入れ直すと、婆さんは少し黙った。車へ下ろす時にはまた声が出て、嫁が何度も謝った。

 

俺は反対側へ回り、はみ出した布団を戻した。

 

「向こうにも一枚ありますから。着いたら重ねてもらいましょう」

 

「そうだったね。あれを下へ敷こうね」

 

嫁は婆さんの耳元でもう一度言い、自分も車へ乗った。

 

他の車には子供を乗せていた。母親に抱かれた子が家を指し、帰りたいと泣いている。董白が足に布を掛けてやると、母親が慌てて立ち上がろうとした。

 

「鍋を忘れた。すぐ取ってくるから」

 

「湯なら女将が用意しておる。今夜は借りよう」

 

「でも――」

 

「歩いて行った者は、もう丘へ着いておろう。妾たちも行こう」

 

女は家を見た。董白は急かさずに待ち、女が座り直すと頭へ手を上げた。

 

三台の車が動き出した。

 

そこへ杜恪が戻ってきた。息を整えるより先に、裏へ回れと言う。

 

「宛から来た連中が、もう町外れにいる。今は家族連れが多いが、後ろには兵も来てるそうだ。街道には出るなよ」

 

「女将たちにも伝えてくれ。先へ着いても戻らぬようにな」

 

董白に頼まれ、杜恪は丘へ向かった。

 

俺は最後の車についた。婆さんが揺れるたびに布団を掴むので、嫁と一緒に端を押さえて歩く。

 

家の向こうで誰かが叫んだ。

 

名前を呼んでいるらしい。別の声が重なり、続いて馬が鳴いた。何人いるのか、どちらへ向かっているのか、家に遮られて見えない。

 

車が道の窪みへ落ちた。

 

婆さんが悲鳴を上げ、引き手が足を緩める。俺は前を見た。先の二台も止まりかけていた。

 

急いでほしかった。

 

だが、今揺れたばかりの車を押すことはできなかった。婆さんの手が布団から離れるのを待ち、引き手に声を掛ける。

 

「もう大丈夫です。頼みます」

 

董白が俺の隣へ来た。何も言わず、車の向こう側へ回って歩き始めた。

 

~

 

裏の脇道へ入る所で、また車が止まった。

 

今度は、揺れたわけではない。

 

先頭で頭が誰かと話している。俺が見に行くと、道を塞ぐように槍が出ていた。

 

「軍の荷車が来る。よその車は待て」

 

兵の向こうにも灯があり、その奥で張繡の旗が揺れていた。

 

「丘まで上がるだけだ。乗せてるのは年寄りと子供だよ」

 

「歩く者は通している。車は勝手に入れるわけにいかん」

 

頭が口を開きかけたところへ、道の向こうから杜恪が来た。

 

「女将たちは先へ行った。車のことも話したが、上の者に聞けってよ」

 

俺は懐の包みを開いた。

 

張繡の兵なら、この書付を見せればいい。あの時、わざわざ車の通行を約束させたのだ。

 

「将軍から許しを頂いています。こちらを――」

 

差し出そうとした腕を、董白に押さえられた。

 

「待て。近すぎる」

 

目の前に槍の穂先があった。

 

足を止めると、兵がこちらへ手を出した。そこまで歩かなくても渡せたのだ。俺は書付を預け、一歩下がった。

 

「確かめてもらえませんか。町の車を通す許しです」

 

兵は灯へかざしてから、仲間を呼んだ。一人が書付を持って奥へ行く。道を塞ぐ槍は、そのまま残った。

 

董白は俺の腕を離したが、傍を動かなかった。

 

車の方を振り返ると、婆さんの嫁が降りてきた。

 

「待たなきゃいけないのかい?」

 

「今、見てもらっています」

 

「乗せたままが駄目なら、布団で担げないかね。私も持つから」

 

頭が後ろの車へ目をやった。そこにも自分では歩けない者がいる。

 

全員を下ろして担ぐとなれば、一度では運べない。丘まで往復している間、ここへ残る人もいる。何より、やっと乗せた婆さんを、また持ち上げなければならなかった。

 

「まだ下ろさなくていいですよ。通してもらう約束ですから」

 

俺が言うと、女は頷いた。

 

「そうだね。待ってるよ」

 

女は車へ戻った。俺はその背中を見送り、書付を持っていった兵を探した。

 

あんなふうに言ってしまった。

 

張繡の判はある。だが、今は軍の車が先だと言われたら。約束をした時とは違うと返されたら、どうすればいい。

 

町の方で怒鳴り声がした。

 

さっきより近くに聞こえた。頭が振り返り、引き手の一人が車を握り直す。母親たちは子供を膝へ抱き寄せていた。

 

俺も振り向こうとすると、董白が言った。

 

「戻ってきたぞ」

 

兵が上役らしい男を連れてきた。

 

「この三台か」

 

「はい。街道沿いの家から連れてきました。丘にある鄧遷の倉へ行きます」

 

男は車へ近づき、乗っている者を確かめさせた。

 

婆さんの布団をめくると、寒い、と声がした。兵がすぐに掛け直す。別の車では、子供が母親の上着へ顔を埋めていた。

 

「人だけです」

 

報告を聞いた男が、俺へ書付を返した。

 

「町の車を通せとは聞いている。丘まで行け。途中で車を止めて道を塞ぐなよ」

 

「ありがとうございます」

 

返事をする間に槍が引かれた。

 

頭が引き手へ声を掛けた。先頭の車が動き、二台目も続く。俺は脇へ避け、最後の車が通るまで見ていた。

 

嫁がこちらへ頭を下げた。

 

「すまないね。助かったよ」

 

「いえ。……よかったです」

 

それだけ言うのに息が要った。書付を包みへ戻そうとして、角を一度引っかけた。

 

「しまうのは後でよい。行くぞ」

 

董白に言われ、俺も車を追った。

 

~

 

坂は思っていたより長かった。

 

引き手が止まるたびに俺たちも待ち、動けばまた歩く。子供はいつの間にか泣きやみ、母親の腕の中で眠っていた。

 

倉の灯が見えた時、俺はようやく前へ声を掛けられた。

 

「開いてます。女将が待ってる」

 

女将もこちらに気づき、灯を高くした。

 

「寝かせる人から入れておくれ。奥が空いてるよ!」

 

先に着いた者が戸口を空けた。俺は車から布団を降ろすのを手伝い、婆さんの嫁と一緒に中へ入った。

 

用意しておいた布団が、もう敷かれている。

 

婆さんを寝かせると、女将が顔を覗いた。

 

「どうだい。重ねりゃ、家よりふかふかだろう」

 

「腰の下に何かあるよ」

 

「藁だよ。まったく、細かい所までよく分かるねえ」

 

文句を言いながらも、女将は布団の下へ手を入れた。婆さんの嫁が横で吹き出し、そのまま袖で目元を押さえた。

 

俺は入口の方へ下がった。さっきまで人を呼ぶ声ばかり気にしていたのに、今は婆さんの文句が聞こえるのがありがたかった。

 

外では三台目の車を寄せていた。

 

引いてきた男が、荷台へ腰を下ろすより先に仰向けになった。

 

「帰りは誰か代わってくれよ」

 

「下りだけ代わる気か?」

 

頭に言われ、男は片手を振った。

 

「じゃあ、次の上り。今夜はもう勘弁してくれ」

 

頭も笑って、若い者へ休むよう声を掛けた。

 

杜恪はそれを見届けると、また町へ下りると言った。

 

「家の裏から見てくる。帰れそうか分かったら知らせるよ」

 

「無理はするなよ。俺たちはここで待てるから」

 

「分かってる。街道へ出て兵を数えたりしねえよ」

 

杜恪は手を上げて坂を下りていった。

 

俺は倉へ戻り、ようやく書付を包み直した。端に折り目がついていたので指で伸ばし、懐の奥へしまう。

 

董白が入口から町を見ていた。

 

家々の屋根の向こうで灯が動いている。持っているのが兵なのか、家族を探す人なのか、ここからでは分からなかった。

 

「座らないか。もう足がきつい」

 

俺が戸口に腰を下ろすと、董白も隣へ座った。

 

「妾もじゃ。帰りは車に乗りたいのう」

 

「引く人に聞けよ」

 

「そなたも乗りたそうにしておったではないか」

 

董白は笑い、脚を少し伸ばした。

 

中から湯の入った椀が回ってきた。俺が一つずつ受け取り、片方を渡す。董白は両手で抱えて、ほっと息を吐いた。

 

「ありがたいのう」

 

俺も口をつけたが、まだ熱かった。膝へ置き、指だけを温める。

 

「通してもらえなかったら、担ぐしかなかったよな」

 

董白は椀を見たまま頷いた。

 

「杜恪を先へやって、人を呼び戻してもらうつもりでおった。じゃが、ここまで何度も往復させるのはつらい」

 

「だよな。俺、待ってれば通れるって言ったけど、途中から怖くなってきた」

 

婆さんの嫁は俺の言葉を信じて戻った。あの背中を見た時の気持ちが、まだ残っている。

 

「そなたが先に諦めたら、あの者たちは車を降りておったぞ」

 

「……そうかな」

 

「うむ。待ってもらえてよかった」

 

董白はそこで湯を飲んだ。俺も少し口へ入れ、今度は飲み込めた。

 

褒められたのだろうか。そう思ったところで、董白がこちらを向いた。

 

「ただし、槍の前へ出るのはやめてほしい」

 

「あれは書付を渡そうとしただけだ。兵に掴みかかろうとしたわけじゃないぞ」

 

「見えておったなら、あそこまで近づかなかったであろう」

 

言い返しかけて、やめた。

 

兵が受け取るために手を出すことさえ待てなかった。あの時は早く書付を見せたいばかりで、穂先がどれほど近いかも分かっていなかったのだ。

 

「悪かった。止めてくれて助かったよ」

 

董白は俺の右肩へ目を向けた。俺はつられて肩を動かしかけ、そのままにした。

 

「今日、痛めたりはしてない」

 

「痛めてからでは遅いと言うておる」

 

今度はすぐに頷いた。

 

董白は何か言いたそうにしていたが、やがて椀へ顔を戻した。俺も湯を飲んだ。もう熱すぎることはなかった。

 

倉の中で子供が母親を呼び、すぐに返事があった。婆さんは寝ついたらしく、嫁が女将へ小声で礼を言っている。

 

町の灯はまだ動いていた。

 

あの中に、白瓦を受け取った男もいるだろうか。朝の馬場で、俺をからかった顔を思い出した。今も無事でいてほしかった。

 

隣で董白が椀を置いた。

 

「少し目を閉じておれ。杜恪が戻ったら起こす」

 

「お前は?」

 

「この湯を飲んでからじゃ」

 

椀の底にはまだ少し残っていた。俺は自分の分を飲み干し、壁へ背を預けた。

 

女将が戸口へ来て、子供が眠ったから声を落としておくれと言った。二人で頷くと、彼女は俺たちの脚へ布を掛けてくれた。

 

俺は端を董白の方へ寄せた。手を離す前に少し押し戻され、二人の膝に同じくらい掛かった。

 

湯を飲む音を隣に聞きながら、目を閉じた。

 

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