董白を拾ったら三国志が壊れ始めた 〜にわか知識の下級書吏と、死んだことになった董卓の孫娘~ 作:ねじぇまる
夕餉の粥には、肉が入っていた。
薄く切った干し肉が、湯気の下で縮れている。張繡は匙でそれを脇へ寄せ、粥の底をひと混ぜした。
向かいでは、賈詡がもう食べ始めている。膳が運ばれてきた時には帳を読んでいたが、椀が置かれると、濡れぬ所へきちんと退けた。
戸の外を、飯を運ぶ兵が通っていく。蓋をした鍋を二人で担ぎ、段差の前で声を掛け合っていた。庭の方からは、遅いぞ、と待ちかねた声が返る。
張繡は匙を置いた。
「兵の飯は、足りているか」
「ええ、今日はきちんと。兵も食べていますよ」
賈詡は粥を飲み込んでから答える。張繡が次を言わずにいると、椀を膳へ戻した。
「どうしました。お口に合いませんか」
「いや。こっちには肉まで入っている」
張繡は干し肉を匙の先で持ち上げたが、食わずに落とした。
「あの町から、飯を買った。秋に兵へ食わせた、硬い瓦のような物だ。百五十籠、八日目に届く」
賈詡の手が、帳のある方へ伸びる。
「千五百人なら、三日は食えますね。ずいぶん買いましたねえ」
「ああ。全軍へ分けるつもりはない」
帳は開かれなかった。賈詡は表紙に手を置いたまま、張繡を見ている。
「で、払いはどうなさったんです。こちらの倉は開かないでしょう」
「銭では払っていない。町の倉と道を荒らさぬことと、車を逃がす脇道だ。それから、俺が宛を任されることになれば、倉から出す粟の商いをあちらにやる」
賈詡は、まだ一口も減っていない張繡の粥を見た。
「おや。高い買い物をしましたねえ」
「分かっている」
張繡の返事は速かった。
灯の下には、昼に押した判が置いてある。張繡はそれを脇へ押しやり、空いた所へ肘をつく。
「柳白の所の娘が、俺の軍は動けぬだろうと言った。曹操に見られずに出来ることが、一つもないと。わざわざ、俺が開けられなくなった倉の前でな」
賈詡は黙っていた。張繡も笑わない。
戸の外で鍋の蓋が鳴った。誰かが落としたらしく、すぐに笑い声が続く。張繡は戸を見て、その笑いが遠ざかるまで待った。
「腹は立ったがな。だから買わん、とは言えなかった」
「ただ、隠した飯が見つかれば、曹公もいい気はしませんよ。何に使うつもりだった、と訊かれるでしょうね」
「承知している。西門外の古い馬場で受け取らせる。川向こうからは見えん。着いた物は、口の堅い者に預ける」
賈詡は、それで隠し通せるとも、無理だとも言わなかった。
張繡が先に続ける。
「曹操に従うつもりはある。劉表を攻めろと言うなら、兵も出す。地の利のある我々は、あの男にも使い道があろう。働かせた後で宛を任されるなら、それでよい」
言い終わると、張繡は椀を手に取った。だが、口を付ける前にまた下ろす。
「ただ、あの男が兵糧を出さぬと言ったら、俺たちはどうなる」
賈詡は張繡の膳へ目を落とした。
干し肉は、まだ粥に残っている。
「困りましたね。ここに座ってもいられませんよ」
「留まれぬからと、腹を空かせた兵を連れて出られるか。まず飯を探すことになる。兵を集め、倉へ人を走らせ、火を焚く。そのあいだ、曹操が待っていてくれると思うか」
張繡の声は低いままだった。
「叔父は、兵を食わせるために南へ来た。飯を取らねばならんから、城を攻めた。そこで死んだ」
庭の笑い声は、もう聞こえない。代わりに、椀を寄越せ、と一人の兵が仲間を呼んでいた。
「兵の兵糧が亡くなる前に動かなければ。亡くなった叔父に申し訳が立たん」
賈詡はしばらく答えず、やがて膳の脇へ帳を引き寄せた。
「それで、三日あれば、どこまで行けそうですか」
「まだ決めていない。曹操が飯を止めるとも決まっていないからな。ただ、千五百を手元に残せれば、兵をまとめて宛を出る間は持たせられる。ほかの兵や家の者を逃がすにも、先に腹を満たして動ける者が要る」
張繡は、昼に柳白へ示した帳を賈詡へ渡す。
八日目のあたりに、筆の先が触れた小さな染みがあった。賈詡はその下に並ぶ兵の数を追い、頁を戻した。
「なるほど。私も腹を空かせて逃げるのは御免ですしね」
「向こうがどんな命令を出そうと、聞いた後で考えたい。それだけだ。飯がなくて従うほかないのでは、考える意味もない」
賈詡は帳を閉じた。新しく書き足したことはない。
張繡が、返された帳を受け取る。
「高かったか」
「さあ。宛を任されたら、また訊いてください。その頃には、ずいぶん惜しくなっていそうですが」
そこで張繡は、ようやく鼻で笑った。
「あの娘は、俺が宛を得る方へ賭けてきた。負けた時には何も寄越せと言わん。勝った後なら払えると思っている」
「では、その娘、また取り立てに来ますねえ」
「来るだろうな。今日のように」
判を取り上げ、張繡は箱へ収める。蓋を閉じる音は、戸の外までは届かなかった。
賈詡が再び椀を持つ。
「まあ、何も起きずに飯が届けば、結構なことですよ」
「そうなれば、兵に食わせる。硬いと文句を言わせておけばよい」
張繡も匙を取り直した。冷めかけた粥には薄い膜が張り、掬うと干し肉が一緒についてくる。
今度は、それも口へ入れた。
「明日の飯も、いつもどおり受け取れ。余計には求めるな」
賈詡が頷く。その向こうで、椀を空にした兵たちが、鍋を返しに来ていた。
戸が開くと、冬の風が膳まで届いた。
張繡は椀を持ち上げ、残った粥を食べ終えた。