董白を拾ったら三国志が壊れ始めた 〜にわか知識の下級書吏と、死んだことになった董卓の孫娘~   作:ねじぇまる

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六章 呂布を討つ
第54話 初荷


 

鄧遷(とうせん)は、張繡からの書付を読み終えると、俺たちへ顔を向けた。濃い茶の上着を着て、襟元まできちんと合わせている。書付を置く時には、卓に触れぬよう袖を押さえた。

 

「いつ宛へ行かれますか」

 

「それを相談しに来たのじゃ。売る先に心当たりはあるか?」

 

「ございます。粟を買いたいという者はおりましたので。ただ、宛の倉がいつ開くか分からず、待たせておりました」

 

鄧遷は奥へ声を掛け、別の書付を持ってこさせた。宛から荷車で二日ほど東へ行った町に蔵を持つ商人だという。道が落ち着いたら買い付けに来るつもりだったらしい。

 

董白が俺の脇を肘でつついた。

 

「何台出せる?」

 

「三台なら、いつもの人に頼める。向こうへ運ぶ道は訊いておかないと。俺も行ったことがないからな」

 

「では、まず三台じゃ。待たせておる者に、まだ欲しいか確かめてほしい」

 

「分かりました。先に知らせを出しましょう」

 

話が早かった。

 

俺が三台分の俵数を書いている横で、鄧遷はもう人を呼んでいた。車を出す日が決まれば、こちらで御者を集められる。宿と道の様子は、行き来している者に訊けばいい。

 

宛へ行く話が、遂に仕事に繋がった。

 

ただ、粟を買う銭は要る。

 

前の取引の払いを受けても、材料代や工賃を払えば、そのまま全部が残るわけではない。車と人を雇う銭を残しながら二十四俵を買うとなると、楽な額ではなかった。

 

その話をすると、鄧遷は俺の書いた俵数を見た。

 

「初めの粟代は、私が出しましょう。柳白様には宛の倉との商いと、買い手への受け渡しをお願いしたい。それぞれ掛かった銭を戻して、今回の儲けを半分ずつ。それでいかがですか」

 

董白は少し考え、頷いた。

 

「よかろう。帰りにも何か積みたいが、それは買い手の話を聞いてからじゃな」

 

「そちらで損をされては困りますぞ」

 

「損をするつもりで買いに行く者がおるか」

 

「そのつもりはなくとも、空車で帰るのが惜しくて、売る当てのない物まで積んでしまうのです」

 

鄧遷が苦笑した。

 

董白も口元を緩めた。

 

「そなたもやったのか」

 

「若い頃に、少々」

 

何を積んできたのか訊きたかったが、鄧遷は書付を俺へ寄せてきた。

 

「ですから、こちらでも売る先を探しておきましょう。何が欲しいか聞いてから買えば、帰りの道でもよく眠れます」

 

それには俺も賛成だった。

 

~

 

買い手から返事をもらい、張繡にも日取りを知らせてから宛へ向かった。

 

連れてきたのは御者三人と、道中の護衛を頼んだ男が二人。俺と董白も合わせて七人になる。宿で七人分の飯を頼むだけで、思っていたより銭が出ていく。

 

翌朝、車を倉の前へ回すと、張繡が蔵番と話していた。赤茶けた外套を肩に掛け、腰には剣を帯びている。

 

その隣に、見覚えのない男が立っていた。顎の髭に白いものが交じった、細身の男だ。灰色の長衣を着て、両手を袖へ入れている。

 

「柳白。来たか」

 

張繡に呼ばれ、俺は董白と一緒に進み出た。

 

「お待たせしました。車も連れて参りました」

 

「見れば分かる。こちらは賈詡(かく)だ。倉の商いのことは、こいつにも話してある」

 

俺は、思わず男の顔を見直した。

 

前に杜恪から名前を聞いた時は、会わずに済んでほっとした。その男が、今日は目の前にいる。

 

後には曹操の所にいる、有名な軍師。それしか思い出せないが、それだけで余計なことを喋りたくなくなる。

 

「柳白殿ですね。お連れの方は?」

 

「……姪です。倉の仕事を手伝ってもらっています」

 

「そうでしたか。では、お二人とも中へどうぞ」

 

賈詡は戸口を空けた。

 

董白はいつもの顔で礼を言い、俺より先に入っていった。賈詡について覚えていることは、董白には話していない。緊張しているのは俺だけらしかった。

 

倉の中には、俵が積んであった。

 

町の倉でも見慣れているはずなのに、奥まで続く列を見て、足が止まった。戸口から差す光の中に、舞い上がった埃が浮いている。蔵番が呼ぶと、人足たちが俵の間から出てきた。

 

「今回、売りに回すのはこの列だ」

 

張繡が示したのは、手前の一列だった。

 

「奥は兵と城の者へ配る分だから、残す。売り物の方は、約定どおりお前たちの札と値で扱え。蔵番にも言ってある」

 

「ありがとうございます。今日は二十四俵、お願いしたいと思っています」

 

「三台か。お前たちなら、もっと欲しがると思っていたがな」

 

「買い手が決まっているのが、その分です。まず届けて、次も買ってもらえるか話してきます」

 

張繡は車の方を見てから、蔵番に俵を開けさせた。

 

俺たちも粟を確かめる。濡れた臭いはしない。手に取ってこぼすと、粒の間に少しだけ殻が残った。

 

「次はどれほど売りに出せそうか?」

 

董白が訊くと、蔵番は首を傾けた。

 

「どれだけ売りに回せるかは、その時にならんと分からん。今回の分なら、ここで間違いない」

 

「では、次に出せる数が決まりましたら、先にお知らせいただけませぬか。買い手と車を揃えて参ります」

 

董白が張繡へ顔を向けた。

 

「よかろう。次からは、こいつと直接話せ。いちいち俺が来るのを待たんでいい」

 

張繡に顎で示され、蔵番が頷く。董白は礼を言うと、町のどこへ知らせを寄越してほしいか、その場で伝えた。

 

俺は控えを出し、蔵番に俵の数をもう一度確かめた。こちらの札と合わせ、値を確認する。二十四俵なら、持ってきた銭で払える。

 

「よく出来た姪御さんですねえ」

 

すぐ横から声がして、顔を上げた。

 

賈詡は、蔵番と話し終えた董白を見ていた。

 

「商いの話も任せられるとは。助かるでしょう」

 

「ええ。ずいぶん助けてもらっています」

 

そこは、嘘をつかずに答えられた。董白はすました顔で、軽く頭を下げる。

 

「では、あとは頼むぞ」

 

張繡は蔵番へ言い置き、賈詡と一緒に倉を出ていった。

 

俺は二人を見送ってから、粟代の袋を開いた。蔵番へ銭を渡し、数えてもらう。

 

話したのは荷と商いのことだけだった。それでも、二人が帰った途端、いつもの支払いの方がずっと気楽に思えた。

 

俺が控えを受け取っている間に、董白はもう車の所へ行っていた。

 

「八俵ずつじゃ。上へ積む前に、下のものを寄せてくれ」

 

人足が俵を担ぎ、荷台へ下ろした。御者が膝で押して隙間を詰める。次の俵が来るまでに縄を脇へ避けると、董白も反対側から端を引いた。

 

俺は二台目の車へ回り、渡された縄を受け取った。

 

縄を掛け終わる頃には、上着を脱ぎたくなっていた。冷たい風は吹いているのに、背中が汗ばんでいる。

 

三台とも粟が積まれていた。

 

行きは軽くてよく揺れた荷台が、今は押してもびくともしない。

 

「ずいぶん嬉しそうじゃな」

 

声を掛けられて振り向くと、董白も笑っていた。風に流れる藍紫の長い髪を片手で押さえ、積み上がった俵を見上げている。

 

「そっちだって、さっきからずっと見てるだろ」

 

「当たり前じゃ。ようやく運べるようになったのだからな」

 

董白は一台目から三台目まで歩き、最後の車の横で足を止めた。

 

「次は、もう少し増やしたいのう」

 

「まずこれを売ってからな。鄧遷に返す銭もあるんだから」

 

「分かっておる。そなたこそ、同じ顔をしておったぞ」

 

否定はできなかった。

 

帰りにもう一度、この倉へ寄って積めないだろうか、と俺も考えたのだ。

 

出発の声が掛かり、先頭の御者が手を上げた。車がゆっくり動きだす。俺は荷台の端へ掴まり、歩幅を合わせた。

 

まだ売れてもいないのに、荷を満載した車と歩くのは気分がよかった。

 

~

 

東の町へ着くと、梁温(りょうおん)という商人が蔵の前で待っていた。丸顔で、顎に短い髭のある男だった。厚手の上着の裾を持ち上げ、荷車へ小走りに寄ってくる。

 

「二十四俵、全部来たんですね」

 

車を覗く顔に、あからさまに喜びが出た。俺もつられて笑ってしまった。

 

「ええ。どちらへ下ろしますか」

 

「中へお願いします。場所は空けてありますから」

 

梁温が戸を大きく開けた。蔵の隅には荷があったが、真ん中は広く空いていた。粟が来るのを待っていたという話は、本当だったらしい。

 

俵を開けて中を見せ、量を確かめてから下ろした。梁温は家の者を呼び、約束の銭を運ばせる。

 

値を下げろとも、払いを待てとも言われなかった。

 

数え終わった銭を前にして、俺はもう一度、自分の控えを見た。出した粟の数も、受け取った額も合っている。

 

終わった。

 

「また来てもらえますか。これで足りるのは当座だけなんです」

 

董白は俺の手元を見てから答えた。

 

「宛で次に売る分が決まれば、お知らせします。欲しい数を先に聞いておければ、こちらも車を集めやすい」

 

「それなら助かります。鄧遷殿にも何度か頼んだんですが、倉の話が決まらないと言われましてね」

 

「今回からは、わたしたちが伺えます」

 

董白はそう言って、次の注文を聞き始めた。

 

俺は新しい控えを出した。今日の分が売れれば上出来と思っていたのに、もう次の仕事の話になっている。

 

帰りに積む麻布も、梁温の所で買えた。

 

町で頼まれた数と使い道を伝え、麻布を広げてもらった。同じ麻布でも随分違う。目の粗いものと詰んだものがあり、触ると硬さも違った。

 

俺が一枚の端を摘んでいると、梁温が裏返して見せてくれた。

 

「荷を包むならそちらで十分です。着るものなら、こっちの方が肌に当たりません」

 

「丈夫な上着にしたい、という注文もありました。そうなると、こちらですか」

 

「そうですね。よく洗ってから仕立てれば、今より柔らかくなりますよ」

 

董白が隣で布を握り、放してから指で撫でた。

 

「上着に使う布はこちらにしよう。頼まれた分は揃えられるか?」

 

梁温が奥から一巻き持ってきた。俺たちは注文の分を揃え、銭を出す。

 

粟を売った銭のうち、鄧遷へ戻す分と道中の払いは使わずに取っておいた。麻布を買えたのは多くなかったが、帰りの荷台を全部埋める必要もない。

 

「これなら皆、帰りは荷台で休めるな」

 

御者の一人が、布を積みながら言った。

 

「乗せてもらうぞ。ここまで歩いてきたのじゃ」

 

董白がすぐに答えた。

 

「どうぞ。ただ、寝ちまって落ちないでくださいよ」

 

「落ちぬように運んでくれ」

 

「その分、ゆっくりになりますねえ」

 

結局、急がなくていいということになった。俺も帰りは乗りたかった。

 

その晩は梁温が飯を出してくれた。

 

以前はもっと東、徐州まで荷を送っていたという。俺がどれほど遠いのか訊くと、梁温は箸を持ったまま笑った。

 

「今の道ですからね。何日で着くと言い切ると、後で嘘つきになります。去年もひどい目に遭いましたよ。呂布が劉備から下邳を奪ったでしょう」

 

董白の箸が止まった。

 

「荷を送った先で主が変わりまして。払ってくれる相手は残っていたんですが、会いに行くまでが大変で。いくら取れるかより、ちゃんと帰ってこられるかを先に考えるようになりました」

 

「それで今は、こちらで?」

 

「ええ。東の知り合いとは、まだ商いもしてますけどね。向こうへ送る荷があれば、声を掛けてください。いきなり車だけ出すよりは、お役に立てると思います」

 

「その時は、お願いします」

 

俺が礼を言う間に、董白は箸を置いていた。

 

料理はまだ残っていたが、次を取ろうとはしない。俺が顔を向けると、こちらを見て、椀を持ち上げた。

 

梁温は別の道の話を始めた。俺は宿の名を聞き、覚えておこうと何度か口の中で繰り返した。

 

~

 

町へ戻ると、御者たちは車を止めるなり荷台の縄を解き始めた。

 

俺も腰を伸ばしてから手を貸した。乗せてもらって楽になるはずだったが、今度は尻が痛かった。途中から歩いたことを言うと、御者に笑われた。

 

麻布は買う人ごとに分けてあったので、渡すのは早かった。知らせを聞いた店の者が受け取りに来て、頼んだ布の端を広げて見る。

 

「ああ、これだ。こういうのが欲しかったんだよ」

 

荷を包む布を頼んだ男が、両手で引いて強さを確かめた。上着にすると言っていた女は、日に透かしてから自分の腕へ当てていた。

 

銭を受け取り、名の横へ払い済みと書いた。

 

最後の一人へ渡し終えた頃、鄧遷が来た。

 

「帰られたと聞きまして。どうでしたか」

 

「梁温さんが、次も欲しいそうです。こちらが注文の数で、これが今回の売り上げです」

 

並べた控えを、鄧遷が順に見ていった。

 

その間に御者と護衛へ残りの賃を払った。受け取った男の一人が、掌へ広げて数えた。

 

「合ってるよ。また出すなら呼んでくれ」

 

「次も同じ道になると思います。日が決まったら、早めに声を掛けますね」

 

「頼む。こっちも仕事を入れちまうからな」

 

皆が銭をしまうのを見届けて、俺も席へ戻った。

 

粟と麻布の売り上げを合わせ、仕入れ代と車代、人の賃、宿と飯の代を差し引いた。鄧遷と俺たちが出した銭をそれぞれ戻しても、帳簿で確かめたとおりの儲けが残った。

 

それを二つに分けた。

 

俺は自分たちの方へ寄せた銭を眺めた。帳簿で確かめた額なのに、こうして手元へ来ると、少し多く見える。

 

「帰りの布も、ちゃんと儲かったぞ」

 

「うむ。あれを買っておいてよかったな」

 

「これなら次の車代は出せる。前の銭を崩さなくても」

 

言ってから、頬が緩んだ。

 

飯も食った。宿にも泊まった。手伝ってくれた人へ賃を払い、鄧遷が出した銭も戻した。

 

その後に、これだけ残ったのだ。

 

董白が片手を出してきたので、俺は銭を少し載せた。重さを確かめるように持ち上げ、それから、にやりと笑う。

 

「もう一度、行けるのう」

 

「ああ。行けるな」

 

鄧遷も自分の分をしまいながら笑っていた。

 

「次の仕入れにも、声を掛けていただきたいものです」

 

「もちろんじゃ。まだ、そなたの銭にも働いてもらわねばならぬ」

 

「お二人だけで始められると、寂しいですからな」

 

「よく言う。寂しいのは懐であろう」

 

俺は笑いながら、董白から銭を受け取った。

 

そのうちから、今夜の飯の分を取っておく。御者たちがまだ表で喋っていたので、一緒に食べないかと声を掛けた。女将へ頼みに行くと、もう人数を数えていた。

 

「肉も入れておくれ」

 

後ろから来た董白が言った。

 

「そんなに奮発して大丈夫かい?」

 

女将が俺の顔を見た。

 

「今日は大丈夫。皆の分を頼むよ」

 

董白が満足そうに頷いた。俺も肉を食べたかった。

 

~

 

皆で食うと、飯はすぐになくなった。

 

護衛の男たちは酒も欲しがったが、それは自分で払ってもらった。御者が帰り道の話をして、俺と董白のどちらが先に車から下りたかで笑った。

 

先に下りたのは俺だ。

 

董白は最後まで乗ると言い張っていたのに、俺が歩き始めると、少ししてから下りてきた。そのことを言おうとすると、下から膝を小突かれた。

 

「道を見ておきたかったのじゃ」

 

「俺、まだ何も言ってないぞ」

 

「顔を見ればわかるわ」

 

そこまで言われては、もう言えなかった。

 

部屋へ戻ってからも、董白は機嫌がよかった。上着を脱いで掛けると、次に宛へ行く時には帰りの麻布を増やそうと言った。

 

「今日の布を見て、欲しくなった者もおるであろう。出るまでに、もう一度聞いて回ろうぞ」

 

「そうだな。俺は車の方を訊いてくる。今度は待ち時間も少し減らせると思う」

 

明日の仕事を書き留めて、筆を置いた。

 

まだ少し、浮かれていた。

 

「梁温さんの所で話が決まってよかったな。次も来てくれって、何度も言ってたし」

 

「うむ。……聞きたくもない名まで聞いたがな」

 

声が変わって、俺は顔を上げた。

 

董白は上着の袖を直していた。掛けたばかりなのに、同じ所をもう一度撫でている。

 

「呂布の話か」

 

「お祖父様を殺しておいて、まだ他人の土地で威張っておるのじゃな、あやつは」

 

袖から手が離れた。

 

「いったい、いつまで……」

 

「ずっとそのままじゃないよ。呂布(アイツ)も下邳で……」

 

しまった。慌てて口を閉じた。

 

曹操に殺される。そう続けるところだった。

 

まだ起きてもいないことだ。いつのことなのか、俺にも分からないのに。

 

董白がこちらを向いた。

 

しばらく俺の顔を見ていたが、やがて、ゆっくりと目を伏せた。

 

「……そうか」

 

さっきまでの怒りを抑えたような、静かな声だった。

 

死ぬとは言わなかった。けれど、あんな慰め方をしてから黙ってしまえば、続きを察するくらい、董白にはできる。

 

「白、俺は……」

 

「もう寝ようぞ。明日も早い」

 

董白は机の銭袋を俺の方へ寄せた。

 

「それ、しまっておくれ」

 

「ああ」

 

袋の口を結ぶ間も、董白は続きを求めなかった。俺も、言いかけたことを取り繕えずにいた。

 

銭をしまって振り返ると、もう横になっていた。

 

「灯りを消してよいぞ」

 

俺は返事をして、灯りを消した。

 

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