董白を拾ったら三国志が壊れ始めた 〜にわか知識の下級書吏と、死んだことになった董卓の孫娘~   作:ねじぇまる

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55話とまとめて書き直したので、55-56話を纏めて再度お読みください。
お手数をお掛けします。


第56話 急ぐ理由

 

董白は、俺が持つ銭袋を見た。

 

申達が口を開く前に、俺は言った。

 

「これを軍へ持っていったって、買ってもらえないだろ。俺たちが腐った粟を売りに来たと思われるだけだ」

 

「全部が傷んでいるわけではありませんよ」

 

申達は、最初に開けた俵を示した。

 

そこから貰った粟は、まだ卓の上にあった。色も臭いも、俺が奥から出したものとは違っていた。

 

「それなら、初めから両方見せてくれればよかったじゃないですか」

 

申達は答えなかった。

 

この男の話を断れば、軍へ近づける機会を逃すのかもしれない。

 

それが怖かった。

 

董白が望んでいることを、俺が邪魔しているようにも思えた。それでも、ここで袋を渡すことはできなかった。

 

董白が、手にしていた粟を俵へ戻した。

 

「柳誠。銭をしまっておくれ」

 

俺は、董白を見た。

 

「もう、買わぬ」

 

はっきり言ってから、申達へ向き直った。

 

「紹介も結構です」

 

「お急ぎではなかったのですか」

 

「急いでおります。食えぬ粟を売りつけられている暇もないほどに」

 

董白は、袖についた殻を払った。

 

俺は袋をしまい、戸口にいる護衛へ声を掛けた。

 

「帰ろう」

 

申達が後ろから呼び止めた。

 

「待ってください。傷んでいる分は、もう少し引きますから」

 

「要りません」

 

今度は、俺が答えた。

 

董白も振り返らなかった。

 

~

 

宿へ戻る道で、杜恪と会った。

 

「どうだった。買えそうなものはあったか」

 

「腐った粟を売られそうになったよ」

 

俺が答えると、杜恪は足を止めた。

 

申達との話を聞き終える頃には、顔をしかめていた。

 

「宿の主人にも言っておく。ああいう売り方をする奴だと、知ってて客に紹介したわけじゃねえだろうしな」

 

「頼む。俺たちは何も買ってない」

 

「そりゃよかった」

 

杜恪は先に宿へ入っていった。

 

董白は庭に置いた俺たちの車の前で、足を止めた。積んであるのは、持ってきた麻布の包みだ。

 

俺もその隣に立った。

 

何も買わずに済んだのだから、ほっとしていいはずだった。けれど、董白が黙っていると、余計なことを言ったような気になってしまった。

 

「……悪かったな」

 

先に口を開いたのは董白だった。

 

「そなたが止めてくれねば、買っておったかもしれぬ」

 

「まだ全部見てなかったんだから、どのみち気づいただろ」

 

「その前に、払わせるつもりじゃったのかもしれぬぞ」

 

董白は車へ手を置いた。

 

「三日後なら間に合うか、そればかり考えておった。あやつに訊きたいことが、次から次へ出てきてな」

 

俺は、すぐには返せなかった。

 

さっきの董白は、普段ならしないほど熱心に、知らない男へ話しかけていた。

 

「怖かったのじゃ」

 

董白が小さく言った。

 

「こんな所で待っておる間に、何もかも終わってしまうのではないかと思うと……。どこかの宿で、呂布は死んだそうだと聞かされて、それで終わりになるのは嫌じゃ」

 

俺は董白の顔を見た。

 

呂布のことなら腹を立てていると思っていた。けれど、今はそれ以上に、間に合わないことが怖いのだ。

 

ずっと探してきた相手だった。

 

「早く行きたいよな」

 

「うむ」

 

「俺も、あの話が本当ならよかったのにって思ったよ」

 

董白がこちらを向いた。

 

「だから、断ったらがっかりするんじゃないかと思って、ちょっと怖かった」

 

「そんなことで、そなたを責めたりせぬ」

 

返事は強かった。

 

「止めてくれて、よかった。そなたまで、妾の機嫌を気にして黙るでないぞ」

 

少し叱るような口ぶりだった。それがかえって嬉しくて、俺は頷いた。さっきまで言いそびれていたことも、今なら話せそうだった。

 

「なら、よかった。……またほかを探そう。梁温さんの取引先までは、あと少しなんだから」

 

「うむ」

 

董白は車から手を離した。

 

「そなたが一緒で、助かった」

 

嬉しかった。

 

特別なことをしたわけではない。いつもどおりに粟を確かめただけだ。それでも、ここまで来た甲斐があったと思えた。

 

宿の中から、杜恪が俺たちを呼んだ。

 

「明日は朝から渡しへ行こう。軍の車が通った後なら、ほかの荷も渡してるそうだ」

 

董白が顔を上げた。

 

俺も杜恪の方へ歩いた。

 

まだ、先へ進める。

 

~

 

翌朝、渡し場にはもう車が並んでいた。

 

俺たちは最後尾へついた。申達の姿は見えなかったが、探す気にはならなかった。

 

軍の糧を運ぶ車が、先に船へ載せられていた。

 

俺は一台が渡るたびに、次こそこちらかと御者の方を見た。ところが別の荷が呼ばれ、俺たちは動けないままだった。

 

またか、と腹が立ったが、俺たちの番を早める方法はなかった。

 

董白は荷台に腰を掛け、上着の中へ手を入れていた。川風が冷たく、膝へ掛けた布の端が揺れていた。

 

「寒いか?」

 

「そなたこそ、座ればよい。立っておっても、順は早まらぬぞ」

 

言われて、隣へ腰を下ろした。

 

「早く行きたいんだよ」

 

「妾もじゃ」

 

顔を見合わせると、董白が少し笑った。

 

俺ばかり落ち着いて待てと言うのも無理な話だった。さっきから俺も何度となく、あと何台なのか数えていた。

 

董白が膝の布を少し広げたので、端を借りた。二人で掛けるには狭かったが、風を避けるくらいには役立った。隣に座っていれば、無理に何か言ってやろうと考えずに済んだ。

 

昼を過ぎ、ようやく俺たちが呼ばれた。

 

杜恪が立ち上がり、御者へ手を振った。俺と董白も荷台から下りた。

 

兵に行き先を告げ、麻布を見せると、船へ進むように言われた。

 

それだけだった。

 

軍の車を先に渡す間、待たなければならなかった。けれど、俺たちが通れないわけではなかったのだ。

 

車を船へ載せるのを手伝い、向こう岸へ渡った時には、腕も脚も疲れていた。

 

それでも、動けるのが嬉しかった。

 

御者が、日のあるうちに少しでも進もうと言った。俺たちは頷き、車と一緒に歩きだした。

 

~

 

梁温の取引先へ着いたのは、翌日の夕方だった。

 

蔵の前で名を告げると、奥から背の低い男が出てきた。肩幅が広く、袖を肘までまくっていた。

 

俺の差し出した紹介の書付を読むと、すぐに人足を呼んだ。

 

「待っていましたよ。道は大変だったでしょう」

 

「渡し場で、少し。麻布は頼まれた分を持ってきました」

 

「助かります。こちらへ入れてください」

 

御者が車を回した。

 

荷台の縄を解きながら、俺はほっとしていた。ようやく、届けると決めていた相手へ荷を渡せる。

 

男が麻布を確かめている間に、董白が訊いた。

 

「下邳では、まだ戦が続いておりますか」

 

「ええ。呂布を捕らえたとは、まだ聞いていません」

 

董白は、ゆっくり頷いた。

 

「そうですか」

 

俺も安心した。

 

まだ間に合うかもしれない。それだけで、ここまでの疲れが少し軽くなった。

 

董白は続けて、軍の者に会いたいと頼んだ。

 

男は頷いた。

 

「その話は、梁温殿から聞いております。私が糧を納めている相手に、お二人が着いたと知らせましょう。いつ会えるかは、返事をもらってからになりますが」

 

「お願いします」

 

董白が頭を下げた。

 

それからは、荷を下ろすのも早かった。俺たちも手を貸し、空になった車を庭の隅へ寄せた。

 

宿へ案内してもらう頃には、暗くなっていた。

 

その晩、飯を食っていると、蔵へ戻っていた使いが返事を持ってきた。

 

軍で糧の買い付けをしている者が、明日の朝なら会うという。

 

俺が読み終える前に、董白は隣から文面を覗いていた。

 

「明日の朝じゃな」

 

「ああ。会って話を聞いてくれるって」

 

董白は、ようやく笑った。

 

俺も嬉しくて、もう一度書付を読んだ。まず、どんな荷を扱えるか聞きたいという返事だった。

 

書付を渡すと、董白は読み終えてからも、しばらく目を離さなかった。俺も急かさずに待った。ここまで一緒に来てよかった。

 

「今夜は、ちゃんと寝ないとな」

 

「そなたこそ、寝坊するでないぞ」

 

「起こしてくれよ」

 

「起こす。起きるまで、何度でもな」

 

それなら大丈夫そうだった。

 

俺は書付をしまい、冷めかけた飯へ箸を伸ばした。

 

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