董白を拾ったら三国志が壊れ始めた 〜にわか知識の下級書吏と、死んだことになった董卓の孫娘~ 作:ねじぇまる
「呂布を捕らえたら、話をさせてほしい、と?」
翌朝、蔵へ来た軍の買い付け役は、俺の頼みを聞いて顔を上げた。
粟の商いは、思っていたより早く話がついた。こちらで三台分を揃え、指定された場所まで運ぶ。兵が中身を確かめてから払いを受ける。それなら、俺たちにもできそうだった。
白の代わりに、俺から訊く。ゆうべ、二人でそう決めていた。
「はい。以前、董卓殿の屋敷で書き役をしていました。どうして董卓殿を殺したのか、呂布本人に聞きたいのです」
「……それは、私の一存では決められません」
「お取り次ぎだけでも、お願いできませんか。姪も同席させていただきたいのです。もし処刑されるのであれば、その場にも立ち会わせてください」
買い付け役はしばらく考え、頷いた。
「お伝えはしましょう。ただ、商いをしたからといって、願いが通るとは限りませんよ」
「はい。お願いします」
返事が来るまでは、粟を買わずに待つことになった。
蔵を出てから、董白が大きく息を吐いた。
「言えたのう」
「ああ」
断られずに済んで、ほっとした。けれど、呂布が何を答えるのかと思うと、気は重かった。
~
二日後、
知っている名だった。
曹操の軍師。それくらいしか思い出せなかったが、会いに行くとなれば緊張した。買い付け役に話す時のようにはいかないだろう。
粟と車の手配を杜恪に頼み、俺たちは迎えの兵について町を発った。途中で一泊し、翌朝、兵糧を扱う陣へ着いた。
「寒かったでしょう。こちらへ」
荀攸は、火のそばの席を勧めてくれた。
頬の細い、こめかみに白いものの交じった男だった。暗い色の衣も飾り気がなく、穏やかな話し方に、俺は少し安心した。
「柳白殿と、柳誠殿ですね」
「はい。お時間をいただき、ありがとうございます」
董白が答え、俺も頭を下げた。
商いについて訊かれたのは、いつ、どれだけ運べるかだった。町で粟を買い、借りる車と合わせて三台。許しが出れば、すぐに用意できる。
宛で張繡と取引をしていることも訊かれたが、使いとして来たわけではないと伝えると、荀攸はそれ以上追及しなかった。
「では、運ぶ日は、こちらから案内を出しましょう。呂布と話をしたいというお話も伺っています」
董白の背が伸びた。
荀攸は俺へ顔を向けた。
「董卓の屋敷にいらしたそうですね」
「はい。下働きの書き役でした。董卓殿が殺された時のことを、呂布本人から聞ければと思っています」
「ただ、生け捕りにできるとは限りませんよ。戦の最中に、その場で討ち取ることもあります」
「承知しています。もし生きて捕らえられたなら、話をさせてください。姪も一緒に」
「曹公へ申し上げます。ただ、許しが出ても、兵には立ち会わせます。刃物も持ち込めません。それでもよろしいですか」
「構いません」
呂布の口から聞けるかもしれない。
俺は董白を見た。董白は、荀攸から目を離さなかった。
「ああ。一つだけ」
荀攸は、それまでと同じ調子で俺に訊いた。
「呂布が曹公に仕えることになっても、手は出さずにいられますか?」
すぐには声が出なかった。
「……仕える?」
隣で董白が、低い声で訊き返した。
「あの男を、曹操殿が配下に加えると?」
「まだ何も決まっていません。捕らえた後、どうなさるかは曹公がお決めになります」
呂布は死ぬ。下邳で曹操に殺される。
それだけは覚えていた。けれど、それをこの人に言えるはずもなかった。本当に記憶どおりになるのかと問われたら、俺には確かめる術さえなかった。
董白は何か言いかけ、口を閉じた。
荀攸は俺たちを待ち、それから言った。
「お取り次ぎする以上、そこは確かめておかなければなりません」
穏やかな声だった。答えずに済ませられる話ではなかった。
「手は出しません。呂布が生かされても、訊きたいことは同じです」
「柳白殿も、よろしいですか」
董白は唇を固く結んでいた。
ここで頷いてくれと思った。頷くのが嫌なのも、分かっていた。
「……はい。お約束します」
「分かりました。そのように申し上げましょう。処刑になった場合、立ち会いたいというご希望も」
俺は礼を言いかけて、膝に湯をこぼした。
「熱くありませんか」
荀攸が布を差し出してくれた。
「大丈夫です。すみません」
情けなかった。今さらになって、手が震えていた。
帰りの宿まで手配してあった。返事は、町の宿へ届けてくれるという。
最後まで親切だった。
それでも陣を出る頃には、来た時より疲れていた。
~
その晩、宿の部屋へ入るなり、董白は上着を投げた。
「あやつが、また誰かに取り立てられるのか」
俺は戸を閉めた。
「お祖父様を殺して、他人の土地を奪って。負けたら今度は曹操に仕えると言えば、それで済むのか」
「まだそう決まったわけじゃない」
「それは聞いた!」
思わず黙った。
董白も口を閉じた。しばらくして、さっきよりずっと小さな声がした。
「……そなたに怒鳴るつもりではなかった」
「うん」
俺は隣に座った。
慰めたかったのに、余計に腹を立てさせてしまった。何を言えばいいのか考えても、さっきと似たような言葉しか浮かばなかった。
「お祖父様は、もうおらぬのに」
董白は膝を見ていた。
「あやつは助けてもらえるかもしれぬのか。負けても、生きていてよいのか」
俺には、董卓がいい人だったとは思えなかった。
けれど、今ここで祖父を恋しがっている董白に、そんな話をする気にはなれなかった。俺だって、家族のことを持ち出されたら、冷静に聞ける自信はなかった。
「許せぬ。曹操が許しても、妾は嫌じゃ」
「……うん」
「さっきは、殺してやりたいと思った」
董白の方を見た。
「あの場に呂布がおったら、と思っただけじゃ。本当に飛びかかるつもりではない」
「分かってる」
「思うくらいは、よいであろう」
「俺に言うのも、いいよ」
董白が顔を上げた。
「でも、本当に手を出しそうになったら止める」
「……そうであろうな」
「兵に斬られるかもしれないんだぞ。俺は、白に死んでほしくない」
口にして、怖くなった。
呂布に何を訊くかばかり考えていた。そこで董白を失うなんて、考えたくもなかった。
董白はしばらく黙り、やがて頷いた。
「約束は守る。そなたを置いて、あやつの所へなど行かぬ」
俺はようやく息をついた。
「……頼むよ」
「うむ」
外で誰かの笑う声がした。夕飯の支度ができたらしく、廊下を行き来する足音も増えていた。
董白は立とうとしなかった。俺も、そのまま隣にいた。
「お祖父様は、あやつを取り立てたのじゃ」
今度は、怒鳴らなかった。
「それなのに殺して、何とも思わなかったのか。あやつの口から聞きたい」
「俺から訊くよ。ほかにも聞きたいことがあったら、教えてくれ」
「……頼む」
董白が俺の袖を掴んだ。
「妾のそばにおれ。あやつが何を言うてもな」
「分かった」
頼ってもらえたのが嬉しかった。気の利いた慰めは言えなかったが、そばにいることならできた。
しばらくして、董白が俺の袖から手を離した。
「飯にしようぞ」
「食べられそうか」
「腹は空いておる。あやつのせいで、飯まで抜いてやることはない」
「そうだな」
立ち上がると、董白もついてきた。
目元には、まだ怒った時の赤みが残っていた。何も済んではいなかったが、一緒に飯を食べられることに、俺はほっとした。
~
町へ戻った翌日の午後、買い付け役が宿へ来た。
「呂布と話をしたいという件ですが、構わないそうです」
「……話をしてもよいのですか」
董白が訊いた。
「曹公は、その程度なら好きにさせておけ、と。生きて捕らえたらお呼びします。兵は立ち会わせますが、話をしてよいそうです。処刑になった時も、邪魔にならぬ所で見ている分には構わないと」
「二人とも、ですか」
俺が確かめると、買い付け役は頷いた。
「ええ。こちらから知らせますので、それまでは町でお待ちください」
「分かりました。ありがとうございます」
買い付け役は、最初の荷を明朝に出してほしいと言い、兵を案内に寄越すと伝えて帰っていった。
戸が閉まってから、董白が小さく言った。
「……何を言うかのう、あやつは」
「分からない。けど、俺も一緒に聞くよ」
「うむ」
董白の顔は強張っていた。
話をしてよいと言われても、俺は安心できなかった。呂布が何を答えるのか、それを聞いた白がどうなるのか。考えると怖かった。
そこへ杜恪が戻ってきた。
「返事が来たそうですね。粟は買ってよろしいので?」
「うむ。明日の朝に出すぞ」
董白が答えた。
「では、急ぎましょう。売り手も待っております」
俺たちは上着を取り、杜恪について宿を出た。