董白を拾ったら三国志が壊れ始めた 〜にわか知識の下級書吏と、死んだことになった董卓の孫娘~ 作:ねじぇまる
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「帰りの車で、妹たちを連れてきていただけませんか」
三台分の粟を買う話が済んだところで、商人がそう切り出した。
梁温から紹介された、あの肩幅の広い男だった。俺たちの返事を待つ顔は、麻布の値を決めた時より、ずっと頼りなかった。
「妹さんは、どちらに?」
「下邳の近くの村です。亭主の両親と、子どもと一緒におります。城の外なら大丈夫だと、少し前までは言っていたのですが……」
帰りに寄れる所だった。人を乗せれば帰りも遅くなるが、その分の賃も払うという。
「荷物もあるでしょうが、三台なら載ると思います。どうする?」
董白に訊くと、すぐに頷いた。
「お引き受けします。お兄様が迎えを寄越したと分かるよう、書付をいただけますか」
「はい。すぐに」
商人は何度も礼を言い、妹に宛てた書付を持たせてくれた。
こんなに喜んでもらえるなら、帰りを急がなくてよかった、と思った。
~
翌朝に町を発ち、一晩泊まってから軍の陣へ着いた。
案内の兵がいたおかげで、荷受け場までは迷わずに済んだ。帰りに迎える家族のことも伝えると、村と行き先を確かめられ、それなら構わないと言われた。
「下ろしていいぞ」
粟を調べた男の声で、兵たちが車へ集まった。
あっという間だった。三台を借りて、ここまで運んできた荷が、次々と担ぎ去られていく。
「おい、そっちは飯の分だ。竈へ持っていけ」
俵を抱えた若い兵が、嬉しそうに顔を上げた。
「今日は薄くねえんだろうな」
「自分で炊いてみろ。水しか足せねえ気持ちが分かるぞ」
周りで笑いが起きた。俺も少し笑って、ようやく、うまく届けられたのだと思えた。
ずっと、断られたらどうしようと心配していた。あの腐った粟を買いかけてからは、なおさら。
隣の董白も、竈へ運ばれていく俵を目で追っていた。
「よかったな」
「うむ。銭も、ちゃんと払うてくれればな」
「まだそこを心配するのか」
「そなたはもう少し心配せい。喜ぶのが早い」
そう言いながら、董白の口元も緩んでいた。
代金は約束どおり払ってもらえた。次も同じだけ運べるかと訊かれ、町へ戻って確かめることになった。
「じゃあ、今度こそ喜んでいいか」
荷受け場を出てから言うと、董白は笑った。
「よいぞ。妾も嬉しい」
向こうでは、椀を持った兵が竈の前に並び始めていた。
~
迎えに寄った家では、女が戸口に立って待っていた。
商人によく似た眉の太い女だった。くたびれた上着を着て、小さな男の子を抱いている。俺たちが書付を渡すと、読んでいる途中で目を赤くした。
「兄が、わざわざ……」
「お店で待っておられます。皆さん、お揃いですか」
「はい。両親は中に。支度はしてあります」
奥から出てきた老夫婦と荷物を車へ乗せた。杜恪と護衛の二人も手を貸してくれたので、さほど時間はかからなかった。
けれど、女は子どもを抱いたまま、まだ戸口にいた。
「……すみません。もう少しだけ」
俺は御者に待ってもらい、女のそばへ戻った。
「何か、忘れ物ですか」
「いえ。亭主が、帰ってくるかもしれなくて」
言われて、街道の方を見た。誰も来ていなかった。
「出る前に、ここで待っていろと言われたんです。勝手に動くなって。帰ってきて、誰もいなかったら……」
どれだけ待てばいいのか、俺には分からなかった。
まだ日は高かったが、暗くなる前に宿へ入りたい。少しなら待てる。それでも、今日帰ってこなければ、明日も同じことになる。
「こちらの家の方に、お兄さんの所へ行ったと伝えてもらえませんか」
「そう頼んではあるんです。私も、その方がいいとは思うのですが」
女は困ったように笑った。それから、急に声を落とした。
「亭主は、呂布様の兵なんです」
俺は董白を見てしまった。
董白は黙っていた。さっきまでの笑みはなかった。
「あなた方は、曹操様の軍へ荷を運ぶと兄から聞きました。言わずに乗せてもらうのは、と思って……」
「ご主人は、ここにはおられないのでしょう」
董白が訊いた。
「はい」
「では、お乗りください。今日は、ここにおられる方をお兄様の所へお連れする約束です」
女は何度も頭を下げた。
ほっとした。けれど、何にほっとしたのか考えたら、少し恥ずかしくなった。董白がこの女や子どもまで憎むと、思っていたわけではないのに。
女が車へ近づくと、男の子が腕の中で身をよじった。
「父ちゃんは?」
「あとから来るから。先に伯父さんの所へ行こうね」
「やだ!父ちゃんと行く!」
家へ戻ろうとする子を抱き直して、女が困った顔になった。
「お祖父ちゃんたちも乗ってるでしょう。ほら」
子どもは首を振った。母親の肩越しに戸口を見て、とうとう泣き始めた。
胸が痛かった。さっきまで俺も、何か言って早く乗ってもらおうとしていた。
「少し待ちますよ」
俺が言うと、女は唇を噛んで頷いた。
泣いている子どもを連れて家へ入り、すぐに戻ってきた。子どもの手には、細い木を削った小さな馬があった。
「お父さんが作ったんです。これを持っていこうと思って」
男の子はまだ泣いていたが、今度は車へ乗せられても暴れなかった。母親に抱かれ、木の馬を胸に押しつけていた。
俺たちが乗るつもりで敷いていた莚を、董白が母子の方へ寄せた。
「そこへ座るとよい。道が悪い所では、揺れるからの」
「ありがとうございます」
女は座ってからも、家を見ていた。
俺は御者の隣で待った。
やがて、女がこちらを向いた。
「お願いします。出してください」
~
しばらく歩くと、泣き声が聞こえなくなった。
子どもは母親にもたれて眠っていた。女も疲れていたらしく、目を閉じていた。
俺は董白と並んで、車の後ろを歩いた。
「さっき、ごめん」
「何がじゃ」
「呂布の兵だって聞いた時、白の顔を見ただろ」
「見たのう」
「あの人たちを、降ろすわけないよな」
董白は少しむっとした顔になった。
「当たり前じゃ。あの子がお祖父様を殺したわけではあるまい」
「うん。ごめん」
「まったく。そなたにまで、そう思われてはかなわぬ」
怒らせてしまった。謝り直そうとすると、董白は先に続けた。
「じゃが、あの男の名は聞きとうなかった。ようやく荷が売れて、気分がよかったのに」
「……そうだな」
「早う、済ませて帰りたい」
董白の顔を見た。今度は、こちらを見返してこなかった。
ここへ来れば呂布に会える。そう決まるまでは、そればかり考えていた。決まってからも、いつ会えるかは分からないままだった。
「帰ったら、しばらく遠出は休もうか」
「そなたが休みたいのであろう」
「俺も休みたい。宿の飯が食いたいな」
「妾もじゃ」
返事が早くて、少し嬉しかった。
董白は荷台の母子を見てから、俺のそばへ寄った。
「帰る時は、一緒じゃぞ」
「もちろん。そのために一緒に来たんだから」
「うむ」
俺の腕に触れた袖が、そのまま離れなくなった。
~
帰りも途中で一泊し、翌日の夕方には町へ戻った。
店から飛び出してきた商人は、妹の顔を見るなり、声を張り上げた。
「来たか!」
それから子どもを抱き下ろし、もう一度、妹へ手を伸ばした。
「お前、もっと早く来いと言ったろうが」
「だって……」
女は答えようとして、泣き出してしまった。
俺たちは荷物を店へ入れた。商人は妹を中へ座らせ、戻ってくると、何度も礼を言った。
「これで今夜は眠れます。あいつがまだあそこにいると思うと、どうにも……」
「無事にお連れできて、よかったです」
会えない間、こっちで待っていた人も怖かったのだ。
約束の賃を受け取り、帰ろうとすると、商人が俺たちを引き止めた。
「飯を食べていってください。妹たちの分も、ずっと用意させていたんです」
奥から、煮物の匂いがした。董白が俺を見たので、二人で礼を言って上がった。
男の子は、母親の隣で椀を抱えていた。眠っている間も離さなかった木の馬が、今は膝の脇に置いてあった。
商人が肉をよそってやると、子どもは真っ先にそれを口へ運んだ。
「それ、母さんにもやれよ」
「母ちゃんにもある」
女の椀を指さして、子どもは残りの肉を隠すように抱えた。
商人が笑った。女も、目元を拭いながら笑っていた。
ああ、よかった。
俺は出された飯を食べた。腹が減っていたはずなのに、しばらくは、味よりあの家族の声が気になった。
食べ終える頃、女が俺たちの名を訊いた。
「柳誠です。こちらは柳白」
「亭主が戻ったら、話します。お二人が迎えに来てくださったことを」
「ええ。次の荷を届ける時に、こちらへ着いたと知らせを出せないか、軍の人にも訊いてみます」
女は、ありがとうございます、と頭を下げた。
本当に帰ってきてほしかった。知らない男なのに、今は、あの子の父親に会ってみたいと思った。
~
車を返し終え、宿へ戻ると、董白が部屋で待っていた。
外套は脱いで、藍紫の髪もほどいていた。俺の顔を見ると、湯を分けてあるから使え、と言った。
顔を洗って座ると、どっと疲れが出た。
「疲れたのう。明日は、朝寝がしたい」
「杜恪には言っとくよ。午前中は俺が出るから」
「では、朝飯の時だけ起こしてくれ。あそこの粥は、遅いと具がなくなる」
「それは起こさないとまずいな」
二人で笑った。
今日は、引き受けたことを全部済ませて帰ってこられた。疲れてはいたが、いい一日だったと思えた。
俺も早く寝ることにした。白を起こす役目ぐらいは果たそう。