止まった針は時の終わりに未来を見る   作:ドレットノータス

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この話を読む前に、第1刻を読み返しておくことをお勧めします。


第59刻 翳り(かげり)

 あれから、まだそれほど時間は経っていない。それなのに、あの場所で起きたことを思い返そうとすると、まるでずっと昔の出来事だったような、妙な遠さを感じてしまう。

 

 ヴァーリの仲間であるアーサー・ペンドラゴンが次元の裂け目からアーシアを連れ戻し、その姿を認めた瞬間、ミライを包んでいた黒と金の異様な気配は消え去った。それとほとんど同時に、私たちの身体を眩い光のようなものが通り抜け、少し前まで確かにあったはずの傷までもが、最初から存在していなかったかのように消えていた。

 

 けれど、それで何もかもが終わったわけではなかった。

 一誠は一度だけ意識を取り戻したものの、それもほんの短い間のことで、私たちが状況を把握しきるより早く、オーフィスやグレートレッドを巡ってさらにいくつかの出来事が立て続けに起こった。それらがようやく一段落した頃には、一誠も再び力尽きるように意識を失っていた。

 

 ヴァーリたちとも最低限の情報は交換したけれど、あの場で誰かが腰を据えて話し合えるような状態ではなく、彼らが去ったあと、私たちも救援に駆けつけたイリナたちによって保護され、そのまま冥界の医療施設へ運び込まれることになった。

 

 あれだけの戦闘の直後だったのだから、誰もがしばらくは入院することになると思っていたし、実際、運び込まれた時点ではまともに自分の足で歩ける者の方が少なかった。ところが、検査の結果は私たちが予想していたものとは少し違っていた。

 

 少し前まで確かにあったはずの傷が、私たちの身体から綺麗に消えていたのだ。裂けていた皮膚も、折れていた骨も、戦闘によって受けた内部の損傷さえ残っておらず、そのあまりにも不自然な結果に、担当した医師たちも何度となく検査結果を見直していたほどだった。

 

 もっとも、だからといって私たち自身が完全に元通りになったわけではない。傷だけではなく、血や土埃に汚れ、ところどころ破れていたはずの制服まで戦闘前と変わらない状態へ戻っていたけれど、戦いの中で使い果たした体力や魔力まで補われたわけではなかった。私も朱乃も裕斗も、小猫もゼノヴィアもギャスパーも、普段ならとっくに限界を迎えていたはずのところから、さらに無理を重ねて戦い続けていたせいで、その反動はかなり酷いものになっていた。

 

 怪我そのものは残っていないのに、少し身体を動かしただけで全身の筋肉が軋むように痛み、腕を上げることも、ベッドから上半身を起こすことさえ億劫に感じる。症状だけを言えば、激しい筋肉痛を何倍にもしたような状態で、魔力もほとんど空に近く、しばらくは十分な休養が必要だと診断されていた。

 

 そんな状態で病室に残っていた私たちの中で、まともに動けていたのはアーシアくらいだった。次元の狭間へ飛ばされていたこともあって念入りに検査は受けていたものの、身体そのものには異常がなく、私たちのように体力や魔力を限界まで使い果たしているわけでもない。そのため、検査が終わったあともろくに起き上がれない私たちの間を、アーシアだけが心配そうに行き来しながら、水を運んだり必要なものを取ってくれたりしていた。

 

 一方で、一誠の状態はさらに別だった。私たちと同じように、戦闘で負った傷そのものは消えている。それでも《覇龍》によって削られたものまで元に戻ったわけではなく、今も別室で深い眠りについたまま、目を覚ます気配はない。

 

 そして――もう一人。ミライだけは、私たちの誰とも違っていた。

 

 彼女の場合も、傷や制服の状態が元に戻っているところまでは私たちと同じだった。けれど、ミライにはそれだけではなく、あれほど消耗していたはずの体力の低下や疲労の痕跡さえほとんど残っていなかったという。少し前まで武器を杖代わりにしなければ立っていることさえ難しかった少女と同じ人物だとは思えないほど、身体だけを見れば完全な状態へ戻っていた。

 

 けれど、そんなミライは私たちのところには戻ってこなかった。身体そのものには何の異常もない。それでも、あのとき現れた《オーマジオウ》という力について確認しなければならないことがあまりにも多いという理由で、検査を終えたあと、そのまま私たちとは別の場所へ移されていた。

 

 詳しいことは、私たちには知らされていない。けれど、あの姿は私もこの目で見ている。

 

 一誠が放った攻撃を片手だけで消し去り、《覇龍》となった一誠をまるで子供でも相手にするように圧倒し、それまで見たこともない力によって強制的に鎧を解除させた姿を。そして最後に――私たちへ向けて、静かに手を上げた姿を。

 

 あのとき、ミライが何をしようとしていたのか。それだけは、今も分からない。

 

「……リアス?」

 

 朱乃の声に呼ばれて、私はようやく思考を現実へ戻した。

 

「どうしたの?」

 

「いえ。少しぼんやりしていらしたので」

 

「……考え事をしていただけよ」

 

 そう答えたところで、病室の扉が静かに叩かれた。

 

「入っていいかな?」

 

 聞き慣れたお兄様の声だった。

 

「ええ」

 

 返事をすると扉が開き、お兄様とアジュカ・ベルゼブブ様が入ってくる。そこまでは何もおかしくない。けれど、二人の後ろには、見覚えのない少女が一人立っていた。

 

 整えられた青い髪に、生真面目そうな顔立ち。見た目の年齢だけなら私たちと大きく変わらないように思えるけれど、魔王二人に同行している時点で、ただの少女であるはずがない。朱乃も裕斗も知らないらしく、ゼノヴィアは僅かに目を細め、小猫も警戒するように少女を見つめている。アーシアに至っては、誰なのかまるで見当もつかないといった様子だった。

 

「お兄様、その方は?」

 

「今回の件について、君たちへ直接話しておきたいことがあるそうなんだ」

 

 お兄様に促され、少女が一歩前へ出る。

 

「初めまして。天雨アコと申します」

 

 丁寧に頭を下げる姿だけを見れば、礼儀正しい少女にしか見えなかった。しかし、顔を上げた彼女は少しだけ息を整えると、続けて口を開いた。

 

「もっとも……今回、皆さんにお会いするにあたっては、こちらの名前だけでは足りませんね」

 

「……?」

 

 少女――アコさんがアジュカ様へ視線を向けると、彼は何も言わずに小さく頷いた。それを確認したアコさんは、改めて私たちへ向き直る。

 

「私は――初代アスタロトです」

 

 一瞬、何を言われたのか理解できなかった。

 

「……え?」

 

 誰が声を漏らしたのかさえ分からない。初代アスタロト。その言葉が意味するものを理解できない者など、この部屋には一人もいなかった。

 

「初代……?」

 

 裕斗が確認するように呟き、続いて朱乃が僅かに眉を寄せる。

 

「本人、という意味ですか?」

 

「はい」

 

 当然、すぐに信じられるような話ではなかった。けれど、そんな私たちの反応を見ていたアジュカ様が静かに口を開く。

 

「彼女が言っていることは事実だ。細かな事情について今ここで説明する必要はないだろうが、少なくとも彼女が初代アスタロト本人であることについて、疑う必要はない」

 

 現魔王ベルゼブブであるアジュカ様本人からそこまで断言されれば、受け入れる以外にない。それでも、理解が追いつくまでには少し時間が必要だった。そして同時に、別の疑問が浮かんでくる。なぜ、その初代アスタロト本人が、わざわざ私たちのもとを訪ねてきたのか。

 

 その答えは、すぐに示された。アコ様が向き直った相手は私ではなく、アーシアだった。

 

「アーシア・アルジェントさん」

 

「は、はい」

 

 突然名前を呼ばれたアーシアが、思わず背筋を伸ばす。すると次の瞬間、アコ様は彼女へ向かって深く頭を下げた。

 

「ディオドラ・アスタロトがあなたにしたこと。そして今回、あなたを利用し、リアス・グレモリー眷属の皆さんを巻き込んだ一連の行為について、アスタロトという名の始まりにいる者として謝罪させてください」

 

「え……?」

 

 アーシアは目を見開くと、慌てて立ち上がろうとした。

 

「ま、待ってください! アコさんがしたことではありません!」

 

「はい。その通りです」

 

 アコ様は頭を上げたものの、その表情に誤魔化すような様子はなかった。

 

「彼が犯した罪は、彼自身のものです。私が代わりに背負えるものでもありませんし、そうするべきだとも思っていません」

 

 そこまで言って一度言葉を区切ると、今度はアーシアの目を真っ直ぐに見つめた。

 

「ですが、それでも……私の名を継いだ者がしたことを知っていながら、何も言わずにいることはできませんでした」

 

「……アコさん」

 

「ですから、許していただくために来たわけではありません。ただ、謝らせてください」

 

 そう告げると、アコ様はもう一度深く頭を下げた。

 

 アーシアはすぐには答えなかった。困ったように私たちを見回してから、やがてアコ様へ視線を戻す。

 

「……アコさんがしたことではありません。だから、私はアコさんを責めるつもりも、恨むつもりもありません」

 

 それでもアーシアは、少し迷ったあとで柔らかく微笑んだ。

 

「でも……私たちのために、ここまで来て謝ってくださったことは、ちゃんと受け取ります。ありがとうございます」

 

「……ありがとうございます」

 

 アコ様は短くそう答え、ようやく僅かに表情を緩めた。

 その後、アコ様は私たちに対しても改めて謝罪した。

 

「ディオドラがしたことを許すつもりはありません」

 

 私はそう返した。

 

「でも、それとあなたを責めることは別です」

 

 彼がしたことは、どこまでいっても彼自身が選んだことだ。それと目の前にいるアコ様を責めることは、まったく別の話だった。

 やがて話が一段落し、お兄様たちが帰る準備を始めたところで、私はずっと胸の奥に引っかかっていたことを口にしていた。

 

「お兄様」

 

「ん?」

 

「ミライは……まだ戻れないの?」

 

 お兄様の足が止まる。

 

「身体には問題ないよ」

 

 真っ先にそう答えたのは、たぶん私を安心させるためなのだろう。

 

「ただ、今回の件について確認しなければならないことが多い。アザゼルが中心になって話を聞いているけれど、もう少し時間が必要になると思う」

 

「危険だから?」

 

 思わずそう尋ねると、お兄様はすぐには答えなかった。けれど、少し考えたあと、静かに口を開く。

 

「……何が起きたのか分からないまま、人間界へ戻すわけにはいかない」

 

 それが答えだった。私は、それ以上聞かなかった。いや――聞けなかった、という方が正しいのかもしれない。あのときのミライの赤い瞳が、どうしても頭から離れなかった。

 

     ◇

 

 目を覚ましたとき、最初に見えたのは白い天井だった。しばらく何も考えられずに眺めていたけれど、やがて喉が酷く乾いていることと、身体中から力が抜け落ちたような感覚があることに気づく。

 

「……ん」

 

「一誠さん?」

 

 すぐ近くから聞こえた声に顔を向けると、そこにいたのはアーシアだった。

 

「……アーシア?」

 

「一誠さん!」

 

 次の瞬間には、アーシアが俺の手を両手で握っていた。今にも泣きそうな顔をしているのに、それでもちゃんと笑っている。その姿を見た途端、それまで胸の奥に詰まっていた何かが一気にほどけていった。

 

「……よかった」

 

「はい……!」

 

 本当に、それしか言えなかった。アーシアがいる。生きて、目の前にいる。それだけで十分だった。

 

 けれど、大きく安心できたのも束の間だった。俺には、どうしても思い出せない時間がある。最後にはっきり覚えているのは、ディオドラをぶっ飛ばしたところまでで、そこから先の記憶が丸ごと抜け落ちていた。

 

 あとからリアス部長たちに聞かされた話は、正直なところ、最初は何かの間違いなんじゃないかと思ったくらいだ。アーシアが次元の狭間へ飛ばされ、それを目の当たりにした俺が《覇龍》になったこと。シャルバを倒したあとも止まらず、今度は部長たちへ襲いかかったこと。

 

「俺が……?」

 

「ええ」

 

 部長は冗談を言っているような顔ではなく、静かに頷いた。

 

「最後はミライが止めてくれたわ」

 

「ミライが?」

 

「ええ」

 

 そこから先の説明は、さらに訳が分からなかった。ミライが以前から自分でも恐れていた、とてつもなく危険な力を使ったらしい。

 

 《オーマジオウ》

 

 俺に分かるのは、その名前くらいだ。それが具体的にどんなものなのかは知らないけれど、部長たちの顔を見れば、尋常じゃないことが起きたらしいということだけは理解できた。

 

「じゃあ、ミライは?」

 

「まだ冥界よ」

 

「まだ?」

 

「今回使った力について、アザゼルたちが話を聞いているの」

 

 それを聞いた瞬間、胸の奥が妙に重くなった。

 

「……俺を止めるために使ったんだろ?」

 

「そうね」

 

「だったら……俺のせいじゃねえか」

 

 部長は何か言いかけたけれど、少し迷った末に、その場では何も言わなかった。

 

     ◇

 

 それから何日かして、俺はようやく退院することができた。学校では急病で入院していたということになっていて、ミライについても、体調を崩して精密検査を受けているという話で通されているらしい。詳しく聞いてくる奴もいたけれど、本当のことを話せるはずもないので、そこは適当に誤魔化すしかなかった。

 

 そうして慌ただしく日常へ戻っているうちに、体育祭の日がやってきた。何というか、不思議な感覚だった。つい少し前まで命懸けで戦っていたというのに、校庭ではクラスメイトたちが大声を上げながら走り回り、教師たちが競技の進行に追われ、保護者席からは絶えず歓声が飛んでいる。

 

 アーシアもいる。部長も朱乃さんも、裕斗も小猫ちゃんもいる。みんな普通に笑っていて、その光景を眺めているうちに、俺自身も少しずついつもの調子を取り戻していった。

 

 そして――。

 

「一誠さん」

 

「ん?」

 

 呼ばれて振り向いた瞬間、アーシアの顔がすぐ目の前にあった。何が起きたのか理解したのは、唇に触れていた柔らかな感触が離れてからだった。

 

「…………」

 

「一誠さん、大好きです」

 

「…………」

 

 そう言い切った途端、アーシアの顔が一気に真っ赤になった。自分が何をしたのか今になって実感したらしく、俺が何か言うより先に数歩後ずさると、恥ずかしさに耐えきれなくなったように足早に部長たちのいる方へ戻っていった。

 

 頭の中が真っ白になる。

 

「うおおおおおおおおおおおおおっ!」

 

 気づけば俺は、その場で頭を抱えていた。

 

「キ、キ、キスした!? アーシアが!? 俺に!?」

 

 やばい。これは本当にやばい。心臓が今にも爆発するんじゃないかってくらい激しく鳴っている。

 

「俺、いま幸せだぁぁぁぁぁぁぁっ!」

 

「……元気そうですね」

 

「うおっ!?」

 

 その聞き慣れた声に驚いて、勢いよく振り返る。少し離れたところに、ミライが立っていた。

 

「ミライ!?」

 

「……はい」

 

「お前、戻ってたのか!」

 

「ついさっきです」

 

 あまりにも普通に答えられたものだから、最初は何も気づかなかった。制服を着ていて、どこにも怪我は見当たらない。立っている姿だって、見た目だけならいつものミライと何も変わらなかった。

 

「今日戻ってきたのか?」

 

「はい。今朝、帰っていいと言われました」

 

「じゃあ、一回店に戻ってから来たのか?」

 

「……いいえ。そのまま来ました」

 

 ミライは小さく首を横に振った。一瞬だけ何かを言いかけたように見えたものの、結局そのまま口を閉じる。

 

「……今日は体育祭ですから」

 

「いや、そりゃそうだけど……」

 

 何日も帰ってなかったんだろうし、一度くらい店に戻りたくならなかったのか。そう聞こうとして、俺は口を止めた。

 ミライは確かに俺を見ている。ちゃんとこっちに顔を向けているはずなのに、その青紫色の瞳だけが、妙に遠いところを見ているように感じられた。

 

「……ミライ?」

 

 呼びかけても、すぐには返事がなかった。もう一度声をかけようとしたところで、ミライが僅かに瞬きをし、遅れて俺へ視線を戻す。

 

「……あ。すみません。何でした?」

 

「いや……」

 

 疲れているんだろうか。何日も冥界にいたんだから、それくらいは当然なのかもしれない。

 

「まあいいや。とりあえず、戻ってきてよかった」

 

「…………」

 

「ミライ?」

 

「……はい。そうですね」

 

 そのまま何となく話しているうちに、さっきアーシアにされたことを思い出して、また頬が熱くなってくる。

 

「いやぁ……俺、一回死んだときは人生終わったと思ったけど、悪魔に転生してから色々あってさ。こうしてると、なんだかんだ生きててよかったって思うわ」

 

「……転生」

 

「ん?」

 

 ミライが、俺の言葉を確かめるように小さく繰り返した。

 

「一誠は……転生する前のことを、ちゃんと覚えているんですよね」

 

「そりゃな。人間だった頃のことも覚えてるし、死んだときのことだって覚えてるぞ」

 

「……そうですか」

 

 何が気になったのかと尋ねると、ミライは一度「いえ」と首を振った。それで終わるのかと思ったけれど、少し間を置いてから、何かを確かめるように続ける。

 

「じゃあ……何も覚えていなかったら、どうやって自分が転生したって分かるんでしょうね」

 

「え?」

 

 思わず聞き返すと、ミライ自身も自分が妙なことを口にしたと気づいたのか、僅かに視線を伏せた。

 

「……いえ。少し気になっただけです」

 

「なんだそりゃ」

 

「私にも、よく分かりません」

 

 その答えが、どういうわけか妙に引っかかった。

 

「そういや、ずっと先生たちに話聞かれてたんだろ? やっぱり、あのときのこと?」

 

「それもあります。ほかにも色々、調べてもらったので」

 

「なんか分かったのか?」

 

 そう尋ねると、ミライはすぐには答えなかった。校庭では今も歓声が上がり、放送部の声がスピーカーから響いているのに、なぜか俺たちの周囲だけが少し静かになったように感じる。

 

「……少しは」

 

「そっか」

 

「でも……分からないことも増えました」

 

「なんだそりゃ」

 

「……うまく説明できません」

 

 さっきとほとんど同じ答えだった。けれど今度は、笑いもしなかった。

 

「ミライ」

 

「はい」

 

「俺を止めてくれたんだよな」

 

 その言葉を聞いた瞬間、ほんの僅かにミライの表情が止まった。

 

「……はい」

 

「俺、その辺のこと全然覚えてなくてさ。部長たちから聞いただけなんだけど……悪かった」

 

「どうして一誠が謝るんですか?」

 

「だって俺が暴走しなきゃ、お前だってそんなヤバい力を使わなくて済んだんだろ?」

 

「…………」

 

 ミライは視線を落とし、少しだけ間を置いてから静かに首を横へ振った。

 

「それは違います」

 

「でもよ」

 

「あれは、私が決めたことです」

 

 責めるような声ではなかった。かといって、俺を安心させるために強がっているようにも聞こえない。ただ、動かしようのない事実を確認するような言い方だった。

 

「……ミライ?」

 

「はい?」

 

 そこでミライの視線が、俺の横を通り過ぎていく。つられて振り向けば、少し離れたところにアーシアがいた。まださっきのことを引きずっているらしく、顔を真っ赤にしたままこちらを見ている。

 

 そのアーシアを見た瞬間だけ、それまでどこか遠かったミライの目が、ほんの僅かに柔らかくなった。

 

「アーシアさんが無事で、本当によかったです」

 

「……ああ」

 

「本当に」

 

 その言葉だけは、それまでよりずっとはっきりしていた。けれど、その変化も長くは続かず、やがて青紫色の瞳はまたどこか遠くを見るようなものへ戻ってしまう。

 

 アーシアから視線を戻した俺は、それでもやっぱり気になって、少し迷った末に尋ねた。

 

「……お前、大丈夫か?」

 

 返事は、すぐには返ってこなかった。

 

「ミライ?」

 

「…………あ」

 

 また少し遅れて、ミライが俺を見る。

 

「はい。大丈夫です」

 

「……そうか?」

 

 ミライは、もう一度だけ小さく頷いた。

 そう言われてしまえば、今の俺にはそれ以上聞くことができなかった。

 体育祭は、その間にも何事もなかったように続いている。歓声は止まらず、アーシアも笑っている。部長たちもいて、俺もここにいる。そしてミライも、ちゃんと戻ってきた。

 

 そのはずなのに。

 俺にはどうしても、ミライだけがまだ、どこか遠いところにいるように見えた。

 




本編の更新は、ここで一度止まります。
今後の構成を改めて組み直すため、一度『ハイスクールD×D』の原作小説をまとめて読み返す予定です。
そのため、次回の更新まではある程度期間が空くと思います。よろしくお願いします。

ブルアカで一番好きなメインストーリーは? 2026/9/4現在、公開されている範囲でお答えください。

  • Vol.1 対策委員会編 1&2章
  • Vol.1 対策委員会編 3章
  • Vol.2 時計じかけの花のパヴァーヌ編 
  • Vol.3 エデン条約編 1&2章
  • Vol.3 エデン条約編 3&4章
  • Vol.4 カルバノグの兎編
  • Final. あまねく奇跡の始発点 1&2章
  • Final. あまねく奇跡の始発点 3&4章
  • Vol.5 百花繚乱編
  • Vol.6 過ぎ去りし刻のオラトリオ編
  • Vol.EX デカグラマトン編
  • 第2部 Vol.EX ロア追跡編
  • 第2部 Vol.1 炎と影編
  • 第2部 Vol.2 オデュッセイア編
  • メインストーリーをほとんど知らない
  • ブルアカ未プレイ
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