テネシア・グレド
森の中の、小さな木造のお家。私はそのお家の玄関をこんこんこん、とノックしました。
こんにちは、初めまして、ミシェリーです。今日は森の中のお家にやって来ています。
村外れの森の中、いつからあったかも分からないこのお家には、不思議な人が住んでいます。その人は、魔術を使う為の道具、『魔導具』を作る
そんな人にどうして私は会おうとしているのかと言うと、壊れてしまっている懐中時計を直してもらえないか、と尋ねてみたわけなのです。
魔導具の事は良く分かりません。私はまだ
魔導具についてはあまり詳しく分からないのですが、お母さんが持っている魔導具とこの綺麗な懐中時計がなんだか似ている気がしたんです。お母さんが言うにはもしかしたら魔導具なのかもしれないとの事なのですが、なんだかピンと来ません。
魔導具は個人に合わせて調整されますから、他人が触っても起動する事もありませんが、それにしても、この小さな懐中時計が魔導具だなんて信じられないのです。
ノックしてから暫く、15秒程返事は無かったけれど、中から少し音がするので居るはずだ、と待ってみます。
懐中時計と言っても、私達の命を計るモノではありません。粋に
あまりに返答が遅いのでもう一度ノックをします。
こん
こん
こん
少しだけ間を開けながら、力を込めて
音は止まず、どうやら鍵は掛かっていないようなので、ドアノブをぐっと握って扉を開きます。
村の大人たちに、もしノックに気付かなかったら扉を開くと良い、と言われていたので、それを信じる事にしました。
扉を開くと、ぎぎぃ、と木が擦れる音が響くと同時に、キャンドルの匂いが鼻孔を擽ります。所謂アロマキャンドルというモノでしょうか。凄く良い匂いですが、玄関まで漂ってくる程なのでしょうか。もしかして部屋を閉め切ってる?
ふわふわ良い香りに包まれながら、私は遠慮無く部屋へと踏み込みます。
「すみませ~ん」
と奥に声を掛けても、返事はありません。がたごと音がしているのは、何か魔導具が動いているからで、人は居ないのでしょうか? だったら鍵が開いてるのはおかしいし……。
玄関から続く短い廊下をたっぷり15秒掛けてゆっくり慎重に歩いて、中の様子を伺う。
カチ
カチ
カチ
カコン
ギリ
ギリ
ギリ
ガコ
ガコン
小さな音と、大きな音が交互に鳴る部屋に近づいて、様子を伺う様に目だけ覗かせる。
そこにお目当ての人は居ました。
ハイトーンブラウンの長い髪が凄く綺麗な女性が、机に向かいながら、トントンと指で机をつつきながら、悩ましそうな顔を浮かべています。
「あの~……」
そう声を掛けると、ようやくこちらに気付いた女性は、顔を上げてはっとした表情を浮かべています。ばちっと目があって、更に彼女は驚いた表情をし、口を三角にします。
「あ、あぁ、ごめん。気付かなかった。どうしたのかな、お嬢さん」
女性は慌てて、片手で髪型を整え、崩れていた服をぱたぱたと直す。
「お願いが、ありまして」
と、彼女に懐中時計を見せる。
「これを、直して欲しいんです」
「────────あぁ。そうか」
と、どうしてか彼女はとても嬉しそうな顔。けれど1粒の涙が頬を伝っています。これでは嬉しいのか悲しいのかわかりませんね。
「ではミシェリー、早速だが依頼料の話をしようか」
「? どうして私の名前知ってるんですか?」
「村の子供達の話は大人から良く聞いているからね。中でも1番可憐な少女と言えばミシェリーだろう?」
「可憐かどうかは解りませんが、はい。私はミシェリーと言います」
彼女はとても優しい微笑みを浮かべて、私の元へと近づいて、腰を曲げ、私に視線を合わせてくれます。
「僕はテネシア・グレドと言う、魔導具師だ。始めましてミシェリー。ようこそ、僕の工房へ」
どうしてだろう、この人は私に対してとても優しく振る舞ってくれます。その柔らかい表情はまるで、大切な人に向けるような、陽だまりに咲く花のようで、私はアナタの事を知らないのに、ずっと昔から知ってるみたいに、彼女は笑います。
「依頼料の話だが……その前に、どうしてこの懐中時計を直したいんだい?」
「とても、綺麗だからです。この懐中時計を見つけてから、毎日眺めるくらいに、大好きなんです。どうしてか、分からないのですが……。このようなモノ、どうすれば直せるんだろうって考えて、どうしてかアナタの事を思い浮かべました。アナタなら直せるんじゃないかって」
「ふふ、そうか。君は本当に愛い。良いでしょう。その依頼を引き受けよう。けれど、無条件というわけにはいかない。何事にも代償は必要で、その代わりをするのがお金だけれど、まさか、幼子からお金を取る訳にもいかない」
エプロンを付けていた彼女は、紐を解き、エプロンを外す。エプロンの下に着ていた白いブラウスがふわりと、なんだかお花のような匂いを漂わせます。魔術を使って良い匂いをさせていたり? いえ、単純に香水の匂いでしょうか。やっぱりお金が沢山あるから、お洒落さんなのかもしれません。
テネシアさんは、少し悩んだ後、じゃあこうしよう、と切り出します。
「明日、僕のお昼ご飯を作って欲しい。そうだな、サンドイッチとかどうだろう。片手で食べられて手が汚れない。あまり難しいモノではないし、君にも作れるだろう?」
「サンドイッチ……ですか?」
「そう。君が作ったサンドイッチを食べたいんだ」
「……そう、ですか? 解りました。それで良いのなら、頑張ります」
「何よりもの御褒美だよ、ミシェリー。ありがとう」
お礼を言うのはこちらの方なのに、テネシアさんは丁寧にお礼を言って、私の頭を軽く撫でました。
「ではその時計を預からせて頂くよ。明日のサンドイッチと交換という事にしよう」
「直している所を見せては貰えませんか?」
「申し訳ないけれど、それは出来ない。見せてしまったら、君は必ず魔導具師になると口にするだろう。それは親御さんには申し訳ないからね」
「……? それはどういう」
「戯言だよ。あまり気にしないで。ともかく君に見せる事は出来ない。君の
命針《めいしん》。私達人間の死ぬまでの時間を刻む針。私達の胸にある時計の、一番短い針です。これが二周して、天を指した時、人は天寿を全うします。ゴーン、ゴーン、という鐘の音が響き、人は死んでしまうのです。
「えぇっと……」
「すまない。混乱させてしまったね。君に会えて、僕は舞い上がっているらしい。許して欲しい」
「許すも何も……私は困ってませんよ。アナタが変な人だって村の人達から聞いてたので」
「変な人であるという事は重々自覚しているが、それを本人に言うものではないよ、ミシェリー」
彼女は苦笑いを浮かべる。やっぱり変な人です。いじわるを言ったのに怒りませんでした。
「じゃあ部屋を少し見ちゃダメですか?」
「少しだけだよ」
彼女はそう言って、腰を上げます。
確か、テネシアさんは工房と言っていました。工房とは何でしょうか。このお家の事を指しているのは解りますが、具体的に何をするのでしょう?
「君はまだ、魔導具を使った事は無いだろう?」
「はい。まだ、時計が未熟なので」
「なら、魔導具には触れちゃいけないよ。ここにある殆どのモノは未調整だ。魔術は発動しないが、もしかすると、
魔力というのは、血針《けっしん》、胸の時計の一番細長い針が動く度にどうしてか作られる不思議な力の事です。人はこれを使って魔術を使います。けれど、魔術は魔導具を介さないと発現しません。どういう仕組みなのでしょう?
「今更なのですが……」
様々な雑貨……と言って良いのでしょうか。魔導具が無造作に置かれた部屋をぐるりと見渡しながら、私はテネシアさんに訊きます。
「この懐中時計は魔導具なんでしょうか?」
「特定の魔術を扱えるようなモノではないけれど、君を導いてくれるモノに違いは無いよ。これから君が歩む道、時間を刻んで記してくれる。まあ日記のようなものかな」
「日記……ですか。じゃあもしかして誰かが刻んでたり」
「そうだね。君の先祖が遺したモノがあるかもしれないね」
テネシアさんはそう言いながら、机の上を少しだけ整理して、空間を作る。
私はその間に、部屋にある魔導具たちを、あれもこれも眼を向けて、首を傾げます。魔導具を形だけで何をするモノか判断するのはとても難しい。球体のモノや、複雑な形をした機械、四角い箱、沢山のモノがあります。これら全て機能が違ったり、似通ったり、素人以下の私にはどういうモノか想像も出来ません。
テネシアさんは私が魔導具や製作に使う道具を観察している様子を暫く眺めていましたが、私が1周した辺りで声を掛けます。
「ミシェリ-、少し、村の話を聞かせてくれないだろうか。ずっとここに引き籠っていてね、辛うじて君達の名前くらいは解るけれど、最近見ない顔もあってね」
「村の心配してくれているんですか?」
「まぁ。一応はね。これでも商売業だ。客が減っては困りものだ。とは言え、今聞いているのはただの興味本位」
もう必要も無くなるしね、と。彼女はそんな寂しい事を口にします。
「村の事と言っても、私が話せる事はあまり。大人たちが話している事は解りませんし……」
「良いんだ。君の話で良い。聞かせてくれる? ほら、仲の良い友達の話でも良いからさ」
テネシアさんは私が座る為の椅子を用意してくれます。椅子は二つ並べられ、丁度机の空いた空間の前に置かれました。
私は促されるまま椅子に座り、テネシアさんも隣に座ります。
「村の事……。グレーディって男の子が居るんですが、今朝井戸に落ちまして」
「えぇ……蓋はしてあっただろう?」
「村の大人が、水を汲んで運んでを繰り返してる間の出来事だったみたいです。なので早めに見つかりました」
「次からは蓋は閉める様言っておかないとね?」
「グレーディもグレーディです。毎度、まだ危ないから井戸には近づくなって言われているのに」
「ふふ、子供の好奇心は誰にも抑えられないモノさ。君だって僕の作った魔導具を興味津々に眺めてただろう?」
「そうですけど……」
「他には何かあった?」
「他は……そうですね、牛のコーベルがもうすぐ出産するみたいです。明日か……明後日か。なので、キーフイおじちゃんは忙しそうですよ」
牛の出産か、何か贈り物でも用意した方が良いかな、とテネシアさん。お祝いしないとですね、と言うと、優しいね、と。その手が私の頬に触れる。初対面で触られるのは、本当は抵抗があるはずなのに、どうしてかこの人に触れられると、暖かくなる。どうしてでしょう?
「テネシアさん」
そう呼ぶと、彼女は少しくすぐったそうな顔をして、何? と返事をします。
「どうして、私の事を知っているんですか?」
とさっきも聞いたけれど、もう1度聞いてみる。だっておかしい。私は知らないのに、テネシアさんは私の事を知っている。名前だけじゃない、何もかもを知っている──そんな気がする。気がするだけ……かもしれないけれど、知らない子の頬を撫でるとか、しませんよね? え、するんですか?
「さっきも言ったでしょ?」
「名前を知ってる理由は聞きました。けど、テネシアさんは名前だけじゃなくて、私の事知ってますよね?」
「────────」
そう問うと、彼女は少しだけ悲しそうな、寂しそうな顔をします。もしかして私が忘れてるだけなのでしょうか。確かに幼少の頃の記憶は、うろ覚えです。だからもしかしたら生まれてすぐだとかそういう時期に会った事があるのかも。そう思ったのです。
「あぁ、知ってるよ。君が
私は、それを、嘘だと確信しました。この人は今、嘘を……、いえ本当の事を言っているのかもしれませんが、なんだか、言葉の端々に含みがあって、違和感が胸に残って、テネシアさんの言葉を素直に飲み込めないのです。
けれど、それを問う言葉を知りません。この違和感の正体が掴めず、私は押し黙ってしまい、慌てて別の話題を用意します。
「キャンドル、良い香りですね」
「好きかい?」
「はい、とても。心地が良いです」
「そか。きっと君は好きだろうと確信していたよ」
彼女は、にへへ、と笑う。くしゃっとした笑顔を向けてくれた彼女に、あどけなさを覚えます。おかしい、私より遥か年上なのに、なんだか同い年の落ち着いた子と話しているかのような、変な感じ。
「そういえば、今日は一人で来たの?」
「はい」
「……帰りは送って行こうね」
「大丈夫ですよ?」
「ダメだ、送って行く。最後に村に顔も出したいし、それに──」
テネシアさんは、言葉を詰まらせて、きっと、すぐに別のモノを声に出します。
「魔物の気配もある。明日、君がまたここに来る際に出くわす前に駆除しておきたい。ほんと、何事も無くここまで来れて良かったよ」
魔物が出る、とは初耳です。確かに魔物が出るならテネシアさんが送ってくれたら安心ですが、どうしてこんなにも優しくしてくれるのでしょう?
「となると、あまり長時間引き留めるのは頂けないね。ミシェリー、そろそろ村に向かおうか」
「え、まだ太陽は……」
「時間が無いんだ」
テネシアさんは短く言って立ち上がります。支度をするから良い子で待ってて、と言うと部屋を出て行きます。工房と呼んでいたここと、生活域は別の様です。良かった、こんなに取っ散らかった場所で寝泊まりしているのか、と少しだけ心配だったのです。心配……? なんででしょう。心配する程、私はテネシアさんを知らないのに。
私はやる事も無く、置いて行った懐中時計を手に取って眺めます。ペンダントの様に首から下げる事が出来るそれは、フタを開くとガラスに護られた時計が露わになります。3つの針全てが天を指しているそれは、なんだか、画竜点睛を欠いているような、未完を感じるのです。
壊れているのではなく、最初から動いていないのでは? と勘ぐってしまう程に、これは未完なのです。
この懐中時計を見つけた時、両親は何か分からないと言いました。時計とは命を指す言葉です。懐中時計という単語を知ったのは、初めてこれを開いた時、メモが挟まっていたからです。これは懐中時計という、命の終わりではなく、粋に時を計るモノである、と。誰が書いたかは分かりません。ご先祖が書いたのでしょうか、それとも譲り受けただけ? ともかく、倉庫の奥に仕舞い込まれたこれを、たまたま見つけて、一目で惹かれたのです。
「お待たせ、行こうか、ミシェリー」
声に顔を上げると、テネシアさんと目が合います。着替えた様で、先ほどの白のブラウスから一点、黒いドレスのようなモノを纏った彼女は、一層綺麗です。どこか、オキゾクサマの娘の様です。
「とっても綺麗ですね」
「そう? ありがとう。久々に村に顔を出すからね、せめてもの正装だよ」
彼女は少しだけ照れた様に頬を掻きます。本当にお似合いですよ、と言うと、あはは、と困った様な表情を浮かべます。
「ほら、行こうか」
と、彼女は私に手を伸ばします。私はそれを何の疑問も無く手にとって、あれ? と首を傾げました。自然に手を繋いでしまったので、自分でも驚いてしまったのです。
工房を出て、廊下を進み、木製の玄関扉を、開きます。外はまだ明るく、太陽は、燦然と笑っています。
息を吸うだけで自然に溢れた空気が全身に満ちて気持ちが良い。
「テネシアさんはどうしてここに?」
「どうしてだったかな。忘れてしまったよ」
彼女は誤魔化す様にそう言ってまた微笑む。先ほどから笑顔しか見ていない。良く笑う人、というのが私の印象です。けれど、どうしてかその笑み全てに、少しだけ寂しさを感じてしまう。
「忘れてしまったのなら、仕方ないですね」
「あぁ、仕方ないね」
2人一緒に村への道を歩きます。森の中にあるお家ですが、村への道は案外整っています。獣道を人間が通れるようにしたのでしょう、草木を分けた痕や草の少し剥げた場所を探して歩くと、村とお家を行き来出来るのです。テネシアさんが用意したのでしょうか?
「私、まだ魔物って見た事無いんです」
「そうなんだ? あまり離れないようにね?」
「はい」
とは言え、手を握っているので離れる事も出来ません。彼女の手はとても暖かく、なんだか安心します。まるでお母さんに手を握って貰っているかのよう。私の生まれに立ち会ったからでしょうか? ──いやいや、そんな訳ありませんね。
テネシアさんは、周囲に気を回しているのか、あまり言葉を発しません。魔物が居るというので警戒しているのです。
テネシアさんは魔導具師。冒険者ではありません。ですが、作るのですから、使えて当たり前。魔物を狩る事もきっと出来るのでしょう。
どれほど歩いたでしょう、風が木の葉を揺らし、かさかさと歌います。けれど鳥の声は止み、太陽が濁ります。
「ミシェリー、僕から離れちゃいけないよ」
彼女はそっと私の手を放します。
────魔物の気配。魔術を使えなくても、魔物を見た事が無くても、それが来るのが解ります。まるで世界が私に警鐘を鳴らしているかのように、私の全身が、ぴりぴりと痺れているのです。先ほどまでこんな気配はありませんでした。まるで、にゅるりとどこからともなく現れたかの様なそんな気配。
ぼご、
ぼごぼごぼごぼごごごごごごごご────!!
──湧き上がる。
それは、地面から湧き上がる様に、ふつふつと水が沸騰する時の泡のように現れる。
「なん、ですか、あれ?」
そう問いますが、テネシアさんから返事はありません。私が聞いていた魔物の像からあまりにかけ離れています。私が聞いていたのは、熊さんや猪さんのような動物がどうしてか変異したモノ。巨大な牙を持ったり、魔術に似た力を使ったり、そういうモノです。
けれどあれは……?
「魔物は魔物でも、タイムキーパーじゃないか。丁度良い。最後にはうってつけだ」
タイムキーパー。何度か村の人から聞いた事があります。魔物の中でも、人と同じく核に時計を持つモノ。厄介なのは、少しだけ時間を操る事が出来る事。私達人間は、決して時間に干渉する事は出来ませんが、彼らタイムキーパーは核にある時計が強大なのか、不思議な力で少しだけ時間を操るようなのです。
ぼごぼごと地面から湧き出る黒い泥が、少しずつ粘土で形を作るかのように形を得て行きます。ぐにょぐにょだったのがゆっくり確かな形を得て行きますが、それは見た事も無い造詣。
複数の動物をぐちゃぐちゃに縫い合わせたかのような冒涜的な見た目をしています。
簡単に言えば、センスの無い者が作ったキメラ。纏まりも無く、見た目も悪い。見る者に不快感を与えるというコンセプトであれば、花丸満点でしょう。
「ひっ」
口から漏れた悲鳴を、テネシアさんが手で押さえてくれました。既に気付かれているとは言え、下手に大声を上げて刺激して、より凶暴になっても厄介です。テネシアさんは冷静に、息をふぅと吐き、懐から1つの球体を手に取ります。
『開け、界門』
それはびりびりと雷を纏い、彼女の手の上でふわりと浮かびます。それが魔導具である事はすぐに理解出来ましたが、何をするモノかは全く想像が付きません。
『其は最後の契約。其は人と精霊を結ぶ、原初の盟約』
球体はがしゃんっ! と分解され、中身が露わになります。それは鍵の形をしています。複雑な形をしていて、球体であった頃からは想像出来無い程大きな鍵。球体はそれを隠す為のものでしょうか。それとも、何かを制御する為?
『来たれ、雷霊王』
彼女は小さく呟く様に詠唱して、両手を胸の前で繋ぎ、祈ります。
そうして浮かんでいった鍵を中心に、ぐにゃりと空が割れて、巨大な門が、ズズズ……と現れます。
召喚術である事は明白です。来たれ、と言っているのですから。けれど、雷霊王とは? まさか、
門は開かれ、そこに次元の裂け目が現れます。
私達の眼の前に居るタイムキーパーは、複数ある目の内、8つ程を空に向け、5つ程の目を私達に向けています。
「目を合わせちゃだめだよ」
とテネシアさんは優しく言って、私の目を軽く覆います。
「目を合わせると、時間を奪われてしまうからね」
彼女はそう言うと、手をすっと空へと翳します。
『我が声に門を解き、雷霆と共にその姿を現せ』
次元の裂け目から、雷が降り注ぐ。紫電たるそれは、森の空を覆い、本命がゆっくりと姿を現します。
それは人の姿をしながら、とても巨大なモノ。老人の様な姿をしていますが、とても勇ましい。まさに
「召喚に応じ、馳せ参じた。雷霊王、ウィトゲンブルームである」
は、初めて見ました。雷属性の精霊王、ウィトゲンブルーム。絵本や童話で何度か聞いた事はありますが、実在していたとは驚きです。人間が契約出来る相手でも無いと思っていたので、余計に驚きです。
召喚魔術については殆ど解りません。私は魔術を習っていないので、残念ながら何か解説をしろと言われても難しい。けれど、雷霊王を召喚するという事がどういう事かは、少しだけ理解しています。絵本に書いてあったので。
──曰く、雷霊王と契約出来るものがあればそれは、魔術の最奥を頂いた者である、と。
雷霊王は、空から私達を一瞥し、ふっと笑みを零す。彼(そもそも性別とかあるのでしょうか)は、すぐにタイムキーパーへと視線を向け、あぁ、と頷く。
「此度の再会、我が声にて言祝《ことほ》ごう。祝砲代わりに我が雷霆を納めよう」
雷霊王はとても低い穏やかな声で大地に声を響かせながら、片腕を空へと伸ばす。その腕の先に、バチバチと紫電が奔り、雷が周囲に漏れ出して空を染め上げて行きます。
彼はそれを腕を振り下ろすと同時に解き放ちます。
──それは閃光でした。遅れて轟音と衝撃。タイムキーパーに轟雷が轟き落ちたのです。
ビッッッシャァァァッァッァァアアアンッ!!
遅れてやって来た音が耳を劈きます。
それは衝撃で大きな穴を作る程の威力で、周囲の木々を薙ぎ倒し、同時に燃やしてしまいます。
砂埃が舞って、最早爆発と間違えてしまいそう。
けれど、それでもタイムキーパーは生きています。いえ、あれを生物であると口にしたくはありません。まだ、
タイムキーパーは無数の目をぎょろぎょろと動かしながら、雷霊王を認識します。
「全魔力を時計に集中させて守ったか」
あの轟雷を全身で受けて尚、あれは無傷で動いています。まるで無敵です。テネシアさんの発言から、時計さえあれば、再生するとかそういうインチキ能力を持っているのでしょう。
タイムキーパーは、召喚魔術を使った反動か、少しだけよろめいたテネシアさんを再度一瞥すると、キシァイァイァイアァッァイオアァ!! と奇声を上げ、鹿の頭部の様な形をした頭にある2本の角の間に、魔紋を描きます。
「ミシェリー、僕の後ろに。魔紋を見たらダメ。そのまま目も瞑っておいて」
テネシアさんは私の腕を掴み、無理やり自分の身体を使ってタイムキーパーの視界に入らない様にしてくれます。
私には何も見えません。ただ、カチ、カチ、カチ、と小さな音が聞こえたと思うと同時に、テネシアさんの少しだけ鋭くなった声が聞こえてきます。
「時間は止まらず、人は歩む。だがお前達は取り残された。時間より除外された獣、人を喰らい、人に近づく悲哀の獣、タイムキーパー。お前に最後の慈愛を馳走しよう」
カチ
カチ
カチ
┌───→カチ
カチ
カチ カチ
カチ
針の音が響きます。
彼女の詠唱(?)の途中、ガシャンっ! と何か音がしましたが、私はそれを確認する事は出来ません。言われた通り目を瞑っているので、暗闇に閉ざされた視界は、音と声だけが届きます。上空から届く雷のバチバチという音、テネシアさんの声、カチ、カチ、という針が動くような音、そして、タイムキーパーの奇声。
こうして冷静に語っていますが、これでもとても怖くて仕方ありません。初めて見る化け物を前にして目を瞑らなければならないという恐怖。もし1人だったら耐えられません。もしテネシアさんのお家への道中で遭遇していたら、と思うととても怖い。
『見よ、これが我が心臓、我が時計。我らは時に縛られたケモノ。時の牢獄にお前も引き摺り込もう──
カチ、カチ、カチ、という音が少しずつゆっくりになっていきます。まるで時計の針が遅れていくような静かな音。聞こえていたはずのタイムキーパーの奇声が低くなっていきます。
「雷霊王!」
テネシアさんの声が上空へと響きます。
「ではこちらも」
低い声。雷霊王の言葉が、地上へと注がれ、同時にバチバチバチッ! と雷が激しさを増します。
「我が雷槍を喰らうが良い」
ひゅっ、と空気を貫くような音が耳に届いた瞬間、音による衝撃と、何かが爆ぜたかのような衝撃がテネシアさんの後ろに居る私にも届きます。お腹が押されて、ぅ、と小さく呻いてしまうくらいに強い衝撃。雷霊王の攻撃でしょうか。だとしたら、衝撃は緩和されている様な気がします。こんなに近くであの雷撃が地面に直撃したのなら、衝撃だけで私の身体はバラバラになっているはずですから。
ゴーン……
ゴーン……
ゴーン……
鐘の音が響きます。時計の鐘が命の終わりを告げます。破壊された時計でも、必ず音が鳴るのです。どうしてかは分かりません。こうして鐘の音を聞いたのは、これで3度目でしょうか。意図的に壊されたモノを聞いたのは、初めてです。
どうしてでしょう。この音、凄く嫌だ。
「終わったよ、ミシェリー、目を開けて。どこも痛くない?」
「…………はい」
聞きたい事が沢山あります。けれど、沢山ありすぎて何から聞けばよいか分かりません。どうしてただの人間が雷霊王と契約を交わしているのか、だとか、さっきの詠唱は何なの? とか、そもそもタイムキーパーがどうしてこんな所に現れたのか、とか。沢山。
瞼を持ち上げたのに、目の前の光景を見て、目を覆いたくなりました。そこには、何も無い。タイムキーパーが居た痕跡などどこにもありません。ただ黒焦げになった地面と、薙ぎ倒された木々が見えるだけ。衝撃によって出来た穴は更に大きくなっています。
「ミシェリー、魔術は恐ろしいモノだ。君のお母さんが使う白魔術は良い。けれど黒魔術は恐ろしい。もし、関わるなら気を付けるんだよ」
「……召喚魔術もですか?」
「召喚は……どうだろう。一応白魔術ではあるから。喚ぶ相手によるかな」
「私も雷霊王を呼べるようになりますか……?」
「え、どーだろ。おーい雷霊王!」
彼女は私の質問に答える為か、依然空から私達を見下ろしている彼に声を掛けます。
「ミシェリーが雷霊王召喚出来る様になりますかだってさ!」
「不可能だ。人間との契約はここまでだ。最早新たな人間と契約する事は無い。決して娘の実力が原因という訳ではなく、我らには契約する道理が無いのだ。逸れの精霊であれば、気の良い奴ならば契約も可能であろうが、我は今後永遠にあり得ん」
「なんだ、そうなのか。そりゃ残念。お前が人間側に居るだけで心強かったんだけどな」
人間側ではなくなるという訳ではない、と雷霊王は言う。あぁもう、何1つ言っている意味が解りません。置いてけぼりです。聞いてみただけなのです。私が雷霊王と契約だなんて恐れ多い。
ただの一介の魔導具師が雷の精霊王と契約しているという異様な事実が、私の頭を混乱させます。彼女は魔術師ではなく、魔導具師なのです。魔術を使う事が専門ではなく、どちらかと言えば作るのが専門。そんな彼女が、どうして雷霊王なんてとんでもないモノを呼び出せるのでしょうか。きっと答えてくれはしませんね。
「契約はこれにて終了だ。最後に永代の、貴様に問う」
「うん」
「貴様が歩んできた道《たび》は良いモノであったか?」
「なんだ、そんな事。当たり前だ。僕の人生は、良いモノであった!」
「そうか。……であるのなら、最後まで人として生きよ。罪を忘れ、幸福に身を寄せ、生きるが良い。それが最後の贖罪となるだろう」
「…………あぁ。ありがとう。さよなら雷霊王」
えぇと、ごめんなさい、どういう事でしょうか。まだ置いてけぼりなミシェリーです。どうもこんにちは。
依然浮いていた鍵を手にした雷霊王は、手を縦に振り門を出現させると、決して振り返ることなく門を潜って姿を消します。
「さぁ行こうか」
と私の手を取ったテネシアさんの表情《かお》は少しだけ寂しそうでした。