村に着きました。また会いましたね、ミシェリーです。
「変わらないね、ここは」
とテネシアさんは、少し懐かしそうに微笑みます。
「村長はどこだろう?」
「お家じゃないですか?」
「案内してくれる?」
「はい」
私は彼女の手を引いて、村の中心近くにある村長の家へと向かいます。すれ違う大人たちは皆、テネシアさんを見て少し驚いたような
「ここです」
村は小さいですから、すぐに村長の家に着きました。
「ありがとう。ミシェリー、すまないが、ここからは大人の話だから、君はお家に戻ってくれ。ここまでありがとう」
「そう……ですか? こちらこそ送ってくれてありがとうございました」
「お互い様だよ。それじゃまた明日。サンドイッチを忘れずにね」
「はい」
どうやら今日はお別れのようです。少し残念ですが、仕方ありません。仕方ありません、が大人の話というと気になります。テネシアさんが村に来ているというのは本当に珍しく、暫く村長の家を眺めていると、他の大人たちも続々と家へと入って行きます。一体何の話をするのでしょうか。
子供である私には聞かせられない話なのでしょうか。聞いたとしても理解出来るかどうか。
「お、ミシェリーじゃん。何してんの」
「なんだグレーディか、もうお説教は終わったの?」
「なんだってなんだ。説教なんてされてねーよ。お前こそ何してたんだよ」
「私は、テネシアさんのとこ行ってたの」
「テネシア~? 誰だよそいつ」
「森に住んでる魔導具師さん」
「へぇ~、なぁそれよりコーベルの様子見に行こうぜ。もうすぐ生まれるって話だったろ?」
グレーディという少年は私の手を取って半ば強引に私を引っ張ります。
「解ったから引っ張らないで」
と抵抗しますが、男の子に何言っても無駄です。人の話を聞かない代名詞といえば村の男の子なのです。話なんて聞く訳もありません。
彼に連れられて暫く、2分程で牧場に着きます。森を切り拓いて作った平原の中に放している牛と、牛舎で管理している牛がそれぞれ数頭居ます。他にも豚も居ますが、今はコーベルという牛が気になります。大きくなったお腹の中に赤ちゃんが居ると思うとなんだか不思議な気持ちです。人間も同じようにお腹に子を宿すらしいです。
女の子である私も、いつか大きくなったら子をお腹に宿すんだよ、とお母さんは言っていましたが全く実感がありません。私もお母さんのお腹から生まれたと思うと、でもやっぱり不思議。お母さんのお腹の中に私が居たなんて想像が付きません。
「キーフイおじちゃ~ん!」
と牛舎に居るはずの男性に声を掛けます。大人たちは村長のお家に集まりつつありますが、コーベルを放って行ってしまうような人ではないはずです。
予想通り、牛舎の中からほーい、と声が聞こえます。落ち着いた男性の声です。キーフイおじちゃんは、動物たちの世話をして生活しています。丸々と育った牛はいつか私達村人が食べるのです。生きる為に育て食べる。人間とはそういう生き物なんだ、とキーフイおじちゃんは良く口にします。
キーフイおじちゃんが管理する牧場だけでは村人のお腹は満たされる事はありません。なので狩りによって得た肉や畑のお野菜を食べたりするのが殆どです。
けれどキーフイおじちゃんの育てた動物はとても美味しいのです。野性で育った動物たちよりも何百倍と美味しい。村にとっての御馳走です。
「コーベルの様子を見に来たのか」
牛舎から顔を出したおじちゃんは、私達を見て、おいで、と手招きします。
「キーフイおじちゃんは村長のお家行かないの?」
「永代の魔導具師殿が来ているという話だったか。儂はコーベルの様子を見にゃならん。面倒な話は皆に任せとるよ」
彼はそう口にしながら少し気になるのか村長のお家の方をちらりと一瞥します。
「そーなんだ」
と返事をして牛舎に入ります。グレーディも一緒です。
「コーベルどんな感じなんだ?」
「早ければ明日にでも生まれるだろう。付きっ切りで世話してやらんとな」
「明日……」
「なんだ、ミシェリーは用事か?」
「うん……。テネシアさんのとこにお願いしちゃったから」
「そうか。行ってくると良い。牛はまたいつか生まれるが、永代の魔導具師殿と会えるのは最後かもしれん」
最後……? どうして? そういえばテネシアさんもやたら最後だ、と口にしていました。どこか行ってしまうのでしょうか。だから、時間が無い、と言っていたのでしょうか。
「タイミング悪かったのかな」
「どうじゃろうな。それ、餌の時間じゃ運ぶのを手伝ってくれ」
「は~い」
2人で返事して大きな木の桶に入った餌を2人で抱えて、牛たちの前に運びます。
「キーフイおじちゃんは、テネシアさんの事知ってるの?」
「何度かお話をした事がある。不思議な方じゃな」
「なぁ、さっきから誰の話? テネシアって誰」
「森に住む魔導具師じゃ。村にある魔導具は全てあの人の作品じゃよ」
キーフイおじちゃんは、ほれ、これもな、と小さな魔導具を私達に見せてくれます。四角形が沢山重なったかの様なそれは、キーフイおじちゃんが魔力を送ると起動して、ふわりと浮かびます。
「これ好き~、涼しいよね」
「だな~……これ作ったってすげぇな!」
この魔導具は、牛舎の中の温度を一定に保つために冷気や熱気を発するモノです。牛たちにとって一番過ごしやすい気温にする為に使っている様です。難点があるとすれば、やはりこれも魔導具なので、本領発揮できるのはキーフイおじちゃんだけなのです。
魔導具にも種類があります。魔術師が扱うような、杖や本の形をした魔導具。あれらは様々な魔術を使える様に、扱う本人に調整したもの。それ故、他の人では決して扱えません。血縁にある人ならもしかしたら使えるかもしれませんね。本領発揮とはいきませんが。
けれどこの気温を調整する魔導具は違います。ただ1つの魔術の為に作られたこれら魔導具は、大抵の場合、一定の魔力さえあれば扱えるようにはなっています。けれど、どうやら最初に作る過程で、誰かの魔力に適合させる必要があるようなのです。その結果、適合させた人が一番上手く扱えるような仕組みになってしまうらしいのです。
かなり前にキーフイおじちゃんが話してくれました。この魔導具の場合は、適切な温度になるまでの速度が段違いの様なのです。キーフイおじちゃんが起動した時は早く、他の人が扱うと、少し時間が掛かってしまうらしいのです。
魔導具についてはあまり詳しくは知りません。貰った知識をそのまま口にする事は可能ですが、隅々まで理解しているかはまた別の話。私は魔導具については素人以下なのです。キーフイおじちゃんが言ったことも本当かは分かりませんしね。
「ミシェリーは何を魔導具師殿にお願いしたんだ?」
「懐中時計を直して貰うの」
「懐中時計……? 鐘は鳴って無かったと思うが」
「えと、胸の時計じゃないの。時計を模したモノというか……。ごめん説明難しい」
「そうか。誰かの命という訳ではないんだな。なら良い。時計は一度止まれば決して動く事は無い。命は無くなれば戻らないんだ。儂らがいつか食べる事になるこやつらも、二度と戻る事はない。肝に銘じておけ」
「解ってるよ」
動物に時計がある訳ではありませんが、同じ命です。いつかこの子達を食べる時が来た時、私は命にきちんと感謝しなければいけません。それが他の生き物を食べるという事なのです。
「次は掃除?」
「そうだ。が、その前に客人だ」
とキーフイおじちゃんは手の上に浮かせていた魔導具を停止させ、ポケットに仕舞う。
「こんにちは、キーフイ。どれくらい振りかな」
「4分の1は命針が進んだな。変わらないな、あんたは」
テネシアさんが、何人かの大人を連れてやって来ました。
「そういうキーフイは随分と……大人になったな?」
「そりゃそうだ。それで、何をしに来た?」
「最後だから、顔を見ておこうと。あと、牛が生まれるんだろう? お祝いの品を持って来た」
「にしては随分と大所帯だが?」
「はは、皆放してくれなくてね。っと、ミシェリーも居たんだ。お手伝いかい?」
「はい」
テネシアさんは、しかし懐かしいな、と牛舎を見回す。
「キーフイがまだ子供の頃は」
「止せ、子供の前で昔話なんかするな。最後なんだろ、そんな事に時間を使うべきじゃない」
「あぁ、……そうだね。では手短に」
テネシアさんは懐から何か小包を取り出して、キーフイおじちゃんに渡す。
「これは……魔導具か」
「少し前に作ったんだ。いつか渡そうと思っていたんだけど、ほら、僕出不精だから」
「出不精で片付けて良いモンじゃない。それで、これはどう使うんだ?」
「待って今から最終調整をする。ミシェリー、見ちゃだめだよ。大きくなってからね」
「えー、少しくらい良いじゃないですかー!」
「だーめ」
ちぇー、と不貞腐れてみたあと、グレーディの手を取ります。
「行こ? グレーディ」
「ん、あ、あぁ」
彼はなんだか気の抜けた返事をします。どうしたのでしょう。
牛舎を出て、行き場を失くしてどうしようかなぁ、と考えていると、
「なぁ、こっそり覗こうぜ」
とグレーディが提案してきます。やけに大人しく私の手に従ったな? と思っていましたが、そういう算段でしたか。けれど私も怒られるのは嫌なので、首を横に振ります。
「ダメだよ。見ちゃだめって言われたんだから、見ちゃだめ」
「理由はなんだよ」
「私が魔導具師にならないように……?」
「なんじゃそりゃ。そんなん見た所でお前じゃなれねーよ」
「なっ! それはわかんないじゃん!」
あまりにも適当な言い草です。看過できませんね。とは言え、魔導具師という人が何をどうやって魔導具を作っているのか分からないので成りようもないのですが。
「お前じゃ無理だね。というか、村の誰にも出来ないだろ。こんな田舎で生きてる奴には無理な話だ」
「グレーディだって魔導具の作り方知らない癖に」
「なら見に行こうぜ。どうせお前じゃなれないんだから見た所で一緒だ」
一発引っ叩いても許されませんか? ダメ? そうですか……。とはいえ、けれどグレーディの言う事も正しいのでしょう。田舎の娘が魔導具を作るなんて不可能だ、なんて。
私はきっと学校には行けないでしょうしね。
白魔術には資格は必要ありませんが、黒魔術には必要になります。学校に通ったとしても黒魔術の資格を取る人は少ないみたいですが、それでも学校では沢山の魔術を学ぶ事が出来るようなのです。勿論魔術について学ぶのですから、魔導具についても学ぶ事になります。なので学校に入学出来れば、魔導具師になるという事も可能かもしれません。
ですが、田舎には学校はありません。星王国「アルカディオン」に属した領地ではありますが、辺境も辺境で、領主様も数年に1度視察に来る程度です。毎年税を納める為に大人達が馬に乗って都市へ向かう事がありますが、それも移動だけで1週間以上掛かってしまうのです。
転移抗があれば移動も楽なのですが、テネシアさんが居るとは言え、あれは高価なモノです。お願いしても作っては貰えません。何せ転移抗を買うだけのお金があれば、村人全員は数十年間遊んで暮らせます。
なので、そもそも私には学校に入る為のお金がありません。
グレーディは私の手を取ります。行こうぜ、と。
私は悪い子です。盗み見しようだなんて誘いに、私は迷う事なく手を取ったからです。だって、気になるじゃないですか。お母さんやお父さん、大人達が当たり前の様に使っている魔術。あれを、使える様にする道具。テネシアさんのお家で見たモノは全て完成品。どういう効果があって、どのように起動するかは分かりませんでしたが、あれら全てが魔術を使う為のモノ。
あぁ、なんて、なんて、うらやましい! ダメと言われて我慢していましたがこうも隠されると気になるのが子供の性! そうでしょう!?
気になります! 時計の裏、魂の奥底から湧き上がる好奇心は誰にだって抑えられません!
牛舎にはこっそり中を覗き見る事が出来る秘密スポットがあります。キーフイおじちゃんも知らない子供だけの秘密です。覗いたからといってなんだという話だったので、忘れていましたが、グレーディは憶えていた様です。迷いなく私の腕を引っ張って、牛舎の裏へと回ります。
「ほら、覗いてみろよ」
「グレーディは?」
「気になるけど、見たいのはお前だろ」
「……そう? ありがと」
小さな穴です。ねずみ1匹通れるくらいの小さな穴なので、片目でしか覗く事は出来ません。けれど、それで十分。本当はたっぷり両目でじっくり拝んで目に焼き付けたいのですが、出来ないモノは仕方ありません。
テネシアさんは、何か鋭利な針が着いた容器をキーフイおじちゃんの腕に刺します。血を抜いているのでしょう。血針によって作られた魔力は血を辿って全身を巡るようなので、恐らく魔力を採取する為でしょうか。
血を抜いた後、何か布のようなモノで傷口を拭き、小さな魔導具を取り出し、キーフイおじちゃんの腕に宛がい、起動します。治癒の魔術です。小さな針でも傷は傷ですし、こういうのを放置するのが1番痛いんですよね。
きちんと傷口を塞いだテネシアさんは、次に容器に入った血液を、先ほどキーフイおじちゃんに渡していた魔導具の隣に置いて、ふぅ、と1息吐きます。
採血する為にしていた手袋を外し、別の黒い手袋を付けます。牛舎の隅に置いてあった即席のテーブルの上に並べられた様々な道具ですが、一体どこから取り出したんでしょうか。そういえばずっと、魔導具をどこからか取り出してましたね。不思議です。
テネシアさんは、血液を少しだけ手袋に垂らし、空中に円を描きます。淡く光るその軌跡は空中に居座り続けます。彼女はその中にサラサラサラ、と幾何学模様を描きます。最後の1点を描くと、描かれた魔紋の様なモノに反応するかのように魔導具が浮かびます。ゆっくりと魔紋の近くまでやって来たそれは、がしゃんっ! と分解されて、細かな部品になります。
テネシアさんはまた小さく息を吐いて、更に血を垂らし、新しい円を描きます。更に魔紋を描き、とんっと指先で魔紋を突くと、分解された魔導具が魔紋を潜ります。全て潜り終わると、再びがしゃんっ! と組み上がります。
次に彼女は、手を翳します。魔導具は自動的か、テネシアさんが操っているのかは分かりませんが、テネシアさんの手の先へとやって来てぴたりと停止します。
両手を魔導具の下へと持っていき、まるで抱えるようにすると、テネシアさんの手袋が青白く光ります。正確には、魔力が手の先から放出されているのでしょう。きっとあれが最後の工程。
その姿はとても幻想的で目を奪われます。牛舎が少しだけ暗いからかもしれませんが、青白く光り、周囲を照らす様は見た事も無い程綺麗で、私思わず、凄い……と小さく息を漏らしてしまいます。
そうして暫くしていると、彼女の胸の時計がすっと浮かび上がります。通常、服を着れば隠れるのですが、あぁして魔力を使うと強く浮き出てしまう事があるようなのです。
その様子もとても綺麗でしたが、けれど私が目を奪われたのは綺麗だからではありません。いえ、本当に綺麗なんです。けれどそれよりももっと気になる事があって、私はその時計にくぎ付けになったのです。
「動いて……ない?」
いえ、正確には、血針は動いています。カチ、カチ、カチ、ときちんと動いています。けれど、同じ場所を行ったり来たりしているのです。カチっと進んでは、カチっと元の場所に戻り、また進もうとする。それはまるで、過去に引っ張られているかのようで、とても寂しいモノでした。
命針はきっと完全に停止しているのでしょう。考えてみれば不思議だったのです。テネシアさんの外見年齢は、まだ時計が一周もしていないかの様な外見。美しいハイトーンブラウンの髪や綺麗な赤い目、整った顔立ちに、大人よりも低い育ち切っていないであろう身長。どうして違和感を持たなかったのでしょうか。
この村の殆どの魔導具を彼女が作った。それは、一体いつからの話でしょうか。
キーフイおじちゃんは言っていました、時計が4分の1進んだ、と。それは、あり得ないのです。だって、この村の魔導具の殆どはテネシアさんが作ったモノであるなら、お母さんの魔導具もテネシアさんに作って貰ったはずです。けれどあれは、お母さんが時計が十分に成長した祝いに作って貰ったモノです。お母さんが子供の頃から、彼女はあの森に居たのです。
「…………っ」
だから、私には見せられなかったんだ、と理解しました。魔導具師になろうとするだろうから、とかそういうのは後付けの理由でしかありません。彼女は、この時計を私に見られたくなかったのです。
ああ、私はなんてことをしてしまったのでしょう。
「完成だ」
テネシアさんの落ち着いた声にはっと我に返ります。時計は既に服の中に消えています。
私はゆっくり穴から離れて、大きく、息を吐きます。やってしまった。見てはいけないモノを見てしまった。謝らなきゃ、見てしまった事を、謝らなきゃ。でもきっと怒られます。怒られるのはとても怖くて、嫌です。だから、どうしても足が動きません。
ダメ、と何度も言われたのに私は覗いたのです。言いつけを守らず、彼女の時計を目にしてしまった。
きっと、普通にしていればバレる事はないでしょう。
きっと、今まで通り接すればバレる事はないのです。
ですが、この罪悪感は拭いきる事が出来ません。
「どうだ、ミシェリー。魔導具師になれそうか?」
グレーディの声は、私の耳には届きません。何か、音である事は解りましたが、何を言ったのか、聞き取る余裕なんてありませんでした。頭の中がぐちゃぐちゃで、もう何も考える事が出来ません。
命針が止まっているという事は死んでいるのと同義です。あの人は、生きているのか死んでいるのかさえ曖昧。そんなのあり得ません。壊れた時計は決して戻りません。だから、あの時計は壊れてもおらず、正常でもありません。壊れているのなら、彼女は既に死人です。
あぁ、もう分かりません。彼女は一体何なのでしょう。
頭が沸騰しそうです。時計、命、魔力、魔導具、何から何まで分からないっ! 何をどう整理すれば良いのか解りません。ほんとに解らない。何がどうすれば時計が止まっても生きていられるのですか?
駆けだした足が少しもつれそうになりながらそれでも走ります。
これを知られたくないから、私から遠ざけたのです。私がどう思うか解っているから。どうして、なんであの人は私にこうも優しくするのでしょうか。自分が怖がられるのが嫌だから? だったら大人達の前でも時計が浮き出る様な行為なんてしないはずです。だから、きっと私に不快な思いをさせない為。
違う、違うのです。テネシアさん。私はあなたを見て不快になんてなる訳がない。ずっと寂しそうな顔をするのは、きっとあなたの時計を見た私が怖がると思ったから! でも、そうはならないのです、テネシアさん。私は、だって──!
あなたを──
そうして私は、何も言わずただ逃げる様にお家へと帰ったのでした。
おはようございます。ミシェリーです。とても、暗い気分です。
バスケットを手に、私は森を歩きます。見てはいけないものを見てしまったという罪悪感が、ずっと渦巻いていて、サンドイッチもどうやって作ったか、もう覚えていません。お母さんに手伝って貰った気がします。
「……どうしよう」
何て謝れば良いでしょうか。
許してくれるのでしょうか。
沢山怒られるのでしょうか。
重い足取り。けれど着実に進んでいます。だから、ずっと考え事をしていた私はいつの間にかテネシアさんのお家に辿り着いてしまったのです。
森の中の木造のお家は、今日も中からがたごとと小さく音が聞こえます。
少し高い所にあるドアノッカーに、手が伸びません。
約束は約束です。守らないといけません。時間が無いと言っていたテネシアさんにこれ以上時間を使わせる訳にもいかないでしょう。だから、行かないと。このドアノッカーを叩き、テネシアさんを呼ぶのです。
怒られるかもしれませんが、怒られるべきことを私はしたのです。見せたくないモノを無理やり見てしまった。
だから、
こん
こん
こん
とノックします。
返事はありません。また、何かしているのでしょう。私は意を決して扉を開きます。少しだけ重い木製の扉を、よいしょ、と開いて、中へと入ります。
「テネシアさ~ん」
我ながらびっくりするくらい腰の引けた声。恐る恐る声を掛けながら工房を目指します。
「あの~」
と声を掛けます。そこに居るハイトーンブラウンの美しい髪の女性は、こちらをそっと見て、やあ、と返事をします。
「おはようございます、テネシアさん」
「おはよう、ミシェリー。昨夜は良く眠れた?」
「いえ……その、あまり」
「そっか。ミシェリー、あまり気にしなくて良い。僕の我儘に付き合わせてしまったね」
「えと」
「見ていたんだろう? 僕が最後の調整をしている姿。僕の止まった時計を」
「……はい。ごめんなさい。私、は悪い子、です」
「そうだね。けれど、うん。そうなると思ってたんだ。だから謝らないで」
テネシアさんは、少しだけ弱々しい声で言います。
「さて、と。それじゃ、サンドイッチを頂こうかな。悪いんだけれど、口まで運んでくれると嬉しい」
「え……? 口に、ですか」
「あぁ。お願い出来るかな」
「構いませんけど……。その、本当に時計を見た事は、良いんですか?」
「ただの私の我儘だったんだ。ごめんね。気持ち悪いだろう? 時計が止まった奴なんてさ」
「いえ、そんな事。私にはそんな」
バスケットからサンドイッチを取り出して、テネシアさんの元へと歩みます。
テネシアさんは少し照れくさそうに微笑みます。私は手に持ったサンドイッチを恐る恐るテネシアさんの口へと運びます。
「あむ」
小さな口で、大きく齧り付いた彼女は数回噛んでから飲み込みます。
「あぁ……僕は、幸せ者だな」
小さく呟く彼女は、忘れない内に、とテーブルの上に置いてあった懐中時計を手にして、私のポケットにそっと仕舞い込んでくれます。
「ありがとうございます」
「ミシェリー、もう1口お願い」
「はい」
言われるがままにもう一度彼女の口元にサンドイッチを運びます。
かぷっと齧り付いた彼女は、再び数回噛んでから飲み込みます。
「本当に美味しいよ、ミシェリー。僕はずっと君が作ったサンドイッチを食べたかったんだ。ありがとう、ミシェリー」
彼女は、優しく私の頬を撫でて立ち上がったかと思うと、よろよろと移動して、近くの揺れ椅子へと腰を下ろします。
「テネシアさん、私は、魔導具師にはなりません」
「ふふ、そうか。その言葉を聞いてとても安心したよ。君は絶対に、ならないでくれ。普通の女の子として、生きて、進んで欲しい」
ゆらゆらと前後にゆっくりと揺れながら彼女は綴る様に言う。
「ねぇ、ミシェリー」
「なんですか?」
「『アウラディローム』のヴァルデリア・ウィンドシャードに登ったよ。アルカディオンの遥か上空にある浮遊大陸に、僕は登った。とっても苦労したんだ。冒険者と共に駆けて、調べ上げ研究して、どうにか辿り着いたけれど、拍子抜けさ。人の居ない廃都市、あの浮遊大陸には都市はあれど無人で、風の精霊さえ居ない。伝承にあった天使なんて住んでいなかったよ」
「なんですか、急に」
「妖精たちに隠されてしまった秘湯を訪れた。そこは皆が平和に湯に浸かっていた。動物と妖精が仲良くね。僕は少し居づらかったかな」
「秘湯……ですか?」
「うん。探すのには苦労したよ。妖精は悪戯好きだからね。無邪気に絡んでは、物を盗んで取り返してみろーっておちょくってくるんだ。ご機嫌取りには苦労したね」
「あのさっきから何を」
「『フレムディル』の龍骸の巣に訪れた。大きな大きなクレーターの中心に龍の骨が眠っているんだ。そこは、魔力を貯め込む性質を持つ龍の肉体が爆散した事で魔力災害が起きて、不毛の大地となったんだ。別名、命芽吹かぬ死の大地。僕はその中心で龍の骨を手に入れてね、順番は前後するが、それを使ってウィンドシャードへ登ったんだ」
「……」
私は何も言わずじっとテネシアさんのお話を聞く事にしました。きっとこれは相槌を必要としていません。絵本の読み聞かせの様に、彼女は淡々とまるでやるべき事を急く様に語ります。
「『トレノグルーヴ』にあるとされる黄金郷への門も見つけた。けれど、まだ訪れるのが早くてね、開く事は無かった。『イーリスベイル』に棲む全長30メートルを超える怪鳥とも出逢った。人語を解す鳥なんて奇妙で面白かったな。『ドルフィンミナス』はどうだったろうか。あー、そうだ、海底神殿。古代文明の朽ちた遺跡に行ったよ。生憎考古学者ではないから、僕には古代文字は読めなかったけれど、連れて行った学者は大喜びしていたな。歴史の確かな1歩だって」
彼女は、目を瞑って、記憶を巡る様に語る。幸せそうな顔は依然変わらないまま、優しい声で続けます。
「『クレムフォル』のティティスの大滝はどうだろう。考えたくもない程高い場所からの滝は滝つぼから起きる飛沫で周囲に雨を降らし続けていた。地面はぬかるんでいるし、独自の生態系を気付いているし、結局遠くから眺めるだけだったが、荘厳な滝だ、1度目にしたらもう忘れられない」
彼女の言葉は止まる事が無い。淡々と語るその言葉の端々に、楽しかったという気持ちが籠っている。
「他にも沢山の場所を訪れた。アルカディオンの地下、無限に続く迷宮にも足を運んだし、漂白された地の果てにあるクリスタルと見紛う程に美しい巨大な氷の塔も訪れた。見た事ない景色、誰も足を運んだ事のない絶巓に僕は辿り着いた。……でも結局、一番好きな光景はね、ミシェリー」
「────」
「誰かと居る、何でも無い日常だったんだ。いつか君も知るだろう。誰かと居るというだけで、きっと心は温まるモノなんだ。それに気付くのに、僕は何百年と掛けてしまったけれど、こうしてキミに伝えられて良かった」
テネシアさんはじっと私を見て微笑みます。ハイトーンブラウンの髪がふわりと揺れ、私はその髪を目で追います。あまりに、綺麗だったので。
彼女は、満足した様に、ふぅ、と息を吐きます。彼女の声に耳を傾ける時間はどうやら終わってしまうらしいのです。
この世界は私が想像も出来ないような不思議で出来ているんだ、ってそう思いました。村で暮らす私には、彼女が口にした単語の殆ど全てがどこにあるか分かりません。唯一知っている『アウラディローム』という単語も、ただ自分がアウラディロームという地域に住んでいるからにすぎません。だからフレムディルや、トレノグルーヴ、イーリスベイルなどの地名は聞いた事もありません。
きっと、素晴らしい旅だったのでしょう。彼女の言葉の端々から感じる楽しいという気持ちは、私にだってわかります。どれだけ、長い旅だったのかは、想像も出来ません。それら1つ1つの冒険が、どれほどの事なのか、解りませんが、それでも彼女の表情を見ればそれらが良い旅であったのかなんて明白です。
「さて、そろそろ時間だ。ミシェリー、サンドイッチをありがとう」
テネシアさんは、再び目を瞑って、まるで眠るように静かに息を吐きます。
「こんなの、幾らでも作りますよ」
「ふふ、そうか。幾らでも、か。それはとても、幸せな夢だね」
彼女の声は細くなっていく。弱々しくなった声と共に、揺れていた椅子もその振れを小さくしていきます。
「テネシアさん?」
私はその言動に違和感を覚えて、彼女の顔をじっと見つめて、その顔が、とても幸せそうである事に気が付きます。満ち足りた顔をした彼女は、そうして、
ゴーン……
ゴーン……
ゴーン……
ゴーン……
ゴーン……
鐘を鳴らしました。
「──────────────は?」
鐘が、鳴りました。
「テネ、シア……さん?」
鐘が、鳴りました。彼女の時計から、ゴーン……と鳴り続けています。
「なんで? テネシアさん!」
訳が分からなくて、それでも鐘は鳴ります。声を掛けて、それでも鐘はなります。
テネシアさんは目を閉じています。
時計は、止まっています。
鐘は、まだ鳴っています。
『時間が無い』
『これが最後だから』
『それに──』
『貴様が歩んできた
あぁ。最初から、そうだったのですね。
「あなたは、最初から、もう」
分かっていたのです。テネシアさんは自分の命の終わりが解っていた。止まっていた時計が、その分一気に進んで、彼女は、最期の時を迎えたのです。だから、時間が無い、と。
一体どんな思いで、私達に会っていたのでしょう。いえ、そうじゃありません。そうじゃないんです。
ようやくわかったのです。あなたの、あの目の意味、流していた涙の意味を。
ポケットに仕舞われた懐中時計を取り出して、そっと丁寧に開きます。少し傷付いていた外装もかなり綺麗に直されています。まるで新品ですね。
カチ、カチ、カチ、カチ、と一定のリズムで鳴り続ける針。
私に魔導具はまだ扱えないので、起動するはずのないそれは、テネシアさんが言っていた、『記録』を始めます。
きっとテネシアさんの魔力に反応して起動したのでしょう。懐中時計は、カタ、カタカタカタっ! と音を立て形を変えて、誰かの声を発します。
『────────────────────────────────────────────────────────────────────』
その誰かの声は、子守り歌の様に優しくて、誰かに宛てた手紙のようなモノでした。この手紙が、宛てた人に届いていたのかは分かりません。届いている事を祈るばかりです。何せこの手紙は、愛を語るモノでしたから。大好きな人に宛てた、誰かの声を、私はただじっと聞きました。
そうして暫くして、音声は途切れました。
私は、ただ茫然と目の前が水っぽく歪んで──
「私は──」
と不思議と声が漏れたのです。
あぁなんで、私はどうして、