壊れた時計のテネシア・グレドが愛を知るまで   作:なるのせ

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語り得ぬ、ならば沈黙を
ゴミ溜めに巣食う好奇心という名の怪物


 アウラディロームの中心、星王国アルカディオン領城塞都市、ディドルカスタネット。そこに、ゴミ溜めに巣食う少女が居た。

 彼女に名前など無い。生まれ出でてから親というモノを見た事が無い。名前を知る前に親は居なくなり、周りはゴミだらけのスラムに行きついた。

 

 胸の時計によって生まれると同時に死の宣告がなされる彼ら人間にとって、生きるという事はまるで意味の無い事である。

 

 どうせいつか死ぬのだから、誰かと争ってたって仕方がない。それよりも楽しく生きよう。そんな奴らが築いた国なぞ、ロクなものじゃない。

 

 スラムの中でも生きているだけ僥倖である。何せ一度(ひとたび)人攫いに捕まれば、時計を抜き取られ、殺される。若い時計を移植する事で、死を遠ざけられると考えるモノが居る為だ。全く愚かな話である。そんな事をすれば『タイムキーパー』に堕ちるだけである。

 

 名前の無い少女は、(カビ)の咲いたパンを口にし、もきゅもきゅと硬い食感を味わっていた。不味くて敵わないが、生きる為だ、仕方ない。いくら時計が死の宣告をしているからと言って、時計の宣告通りに生きられる訳じゃない。

 食わなければ死ぬ。時計があろうと生物である事に変わりはない。首を刎ねれば死ぬし、寝なければ死ぬし、栄養が無ければ死ぬ。当たり前の事だ。

 

 ごっきゅん、と飲み込んで、ふぅ、と息を吐く。少し冷たい風が頬を撫でて、路地の奥にあるゴミの匂いが漂って、食事を終えたばかりの彼女は、少しだけ鼻を曲げる。

 

 獣みたいにぼさぼさの黒い長い髪に、ぼろ雑巾の様な茶色い薄い服。辛うじてデリケートゾーンを隠しているそれは、服と呼ぶにはほつれてしまって、少しでも引っ掛ければびりびりに破けてしまうだろう。

 

 ゴミ溜めの集まりにも、掟がある。否、ゴミ溜めだからこそ、ルールがある。金という絶対的なルールに弾き出された彼女達にとってそのルールこそが生き伸びる為の指標である。

 

 楽しく生きようだなんて程遠い。泥臭く、時に本当に泥を啜りながら、生きるのだ。それが、楽しく生きようなんて宣ったお上様が作り上げた地獄である。

 

 その地獄の底の底で、彼女は生きようと足掻いている。生きる意味なんて見出せず、生きた所で何にもならないと解っているのに。だって、生きた所で報われない。スラムからは逃げられない。ならばいっそ死んでしまった方が楽なのだ。

 

 けれど、死ぬのは怖い。どうせいつか死ぬんだから今死ななくてもいいだろうなんて思ってしまう。人は見えているモノではなく見えないモノを恋しがるモノだ。

 

 彼女はゆっくりと立ち上がる。細い腕を使って壁に手を着いて重い体を無理やり持ち上げる。まともな食事にありつく事が出来ず抱えた栄養失調は、彼女の身体を着実に蝕んでいる。この様子では、時計が半周もする前に息絶えるだろう。4分の1を今にも迎えそうな彼女の時計は、カチ、カチ、カチ、と一定のリズムで血針を動かしている。

 

 スクラップを漁りに向かわなければ。スラムでは物々交換が基本だ。金という絶対的ルールから弾き出された彼女達にとってそれだけが物を得る方法だ。

 

 価値の無い場所から、価値のあるモノを探し出す。もしもそんな事が可能であれば、スラムなぞ存在しない。無い物を探すには、スラムから出て、富裕層の暮らす上階へと向かわなければならない。

 だが、上階で捕まればどのような末路を辿るか分からない。時計を抜き取られ死ぬくらいならまだいい方だ。魔導具師に捕まって、実験動物として扱われる顛末もあるだろう。そうなれば最悪だ。生きたまま永遠に続く苦痛の中生きる事となる。それは、嫌だ。

 

 けれど、やるしかない。今を生きる為に、死を顧みない事もあるのだ。どうせいつか死ぬのだから、と薄っすら絶望しておきながら、それでも生きようと太陽の光に縋るのは感情を持つ卑しい動物(にんげん)の特権であろう?

 

 彼女は、空は見えるのに不思議と薄暗い路地の奥から這い出て()()へと向かう。

 

 上階と呼ばれる富裕層の住む場所は、複雑に入り組んだ迷路のような道を進み、現れる長い階段と、昇降機を使い、登らなければならない。

 

 迷路や長い階段はまだ良い。問題は昇降機だ。魔力感知式昇降機は、上階の住民にしか動かす事が出来ない。それに加え、警備担当の騎士が常に見張っている。奇跡的に忍び込めたとしても動かす術がない。もし動かせたとしても、上階にもまた別の警備が居る。限られた空間に絞られる昇降機ではそれら警備を搔い潜るのは不可能だ。

 

 ではどうするか。

 

 上階、昇降機と言えど、高さがそこまである訳ではない。たった数メートル程の高低差である。上階の者共はお上品なので、その程度の高低差でさえ階段ではなく昇降機を使うのだ。

 

 子供にとって、多少の高低差なぞ恐怖の対象でも何でもない。自分が何をすれば死んでしまうか理解していない彼女らにとって、解りやすい恐怖とは空腹くらいなのだ。

 高い場所から落下するとどうなるか想像が出来ない。故に彼女ら子供は、恐ろしい事を平気でやってのける。

 

 例えば、建物の壁を登り、屋上から上階へと飛び乗る、とか。名前の無い少女もまたその内の1人である。

 

 子供由来の身軽さと、恐怖心の欠如。それと、どうせこうでもしないと食い倒れて死ぬ、という痛みが彼女の脚を無理に動かす。

 

 極度な栄養失調によって彼女の筋力は、本来の子供より体力はない。時計が成長する度にそれは顕著になっていく。身長も伸びず、筋力は衰え、骨は弱り、十分な身体スペックを発揮する事は出来ない。かつて出来た事も、段々と難しくなっていく。

 

 子供というだけで無理を押し通せていた。身体が軽いから高く飛べたし、恐怖を知らないから高い所まで登れた。

 

 じゃあ今は?

 

 名前を与えられなかった少女は、木と石が入り混じって作られた歪な形をした建物をよじ登る。手や足を引っ掛ける場所が多く、上階と下層を分ける大きな段差、その上に作られた柵に、跳べば何とか手が届く穴場。

 高さにして13メートルの建物をよじ登り、ようやく下に見える柵に向かって助走を付ける。

 

 息を整えて、力一杯地面を蹴って、いざ上階へ!

 

 と、上手く行くはずだった。昨日は行けた。だからと言って今日行ける保証なんてどこにも無かったのだ。特に、身体を蝕むさまざな失調は彼女の身体を毒の様に蝕んでいる。

 少し、くらっとした。たったそれだけの事。たったそれだけの事で彼女は助走を見誤り、屋根の小さな凹凸に足を取られ転倒し、頭から地面へと落下したのだ。

 

 どてっ、と人形が転んだかのように、彼女は転んで身体の中で一番重い頭から落下した。

 

そうして彼女は生まれて初めて死ぬ、と確信した。

 

 恐怖で目をぎゅっと瞑って暫く、ぽすっ、とまるで何か柔らかい物に包まれるような感覚があった。

 

「うわ、子供が降って来た……こわ」

 

 まるで感情が籠ってないような声で女性が呟いた。かなり高い所から落ちたというのに、少女は傷一つ無い。ハイトーンブラウンの髪の女性が受け止めたのだ。

 

 しかし疑問である。少女は栄養失調で、時計の成長具合に不釣り合いな身長、体重であるが、それでも20数キロある人間の子供が13メートル程上から落ちて来たのだ。それをひょいと軽く受け止めた。

 

 あり得ない。正しくは、あり得ない事も無いが、あり得ないと言った方が良い。準備があれば受け止められるだろう。魔力による身体強化は魔術行使の基本だ。それさえ上手く使えれば勿論受け止められる可能性はあるだろう。だが、それは常時発動しているモノではない。パッシブではなくアクティブなのだ。それ故に、あり得ない。不意に落ちて来たモノを、キャッチしてくださいだなんて、よほどの反射神経が無い限り至難の技だ。

 常時身体強化を行っているなんて馬鹿なことをしていない限り、あり得ないのだ。

 

 だが、ハイトーンブラウンの髪の女性は、ひょいと受け止めた。まるでふわふわ舞い降りる羽を拾う様に。受け止められた少女は、あんぐりと口を開けて、受け止めた女性を見つめた。

 

 それが、最初の出会いだった。

 

 女性は、ゆっくりと少女を地面に降ろし、それじゃ、気を付けるんだよ、とその場を後にする。その行き先は、昇降機。受け止められた時に、すぐに直感した。この人は、上階に住む人だ。

 インナーショートロングスカートのドレスはまだ未熟であると言わざるを得ない身体を色気付けている。きっと、スリットから見える白い足がそうさせているのだろう。腰から下のシルエットは曖昧だが、上半身のシルエットは解りやすい。身体のラインが解るような、ぴたっとしたドレスであるが、しかしそれ単体だけでは未完成の服にも見える。そして、頭に被ったつばの広い帽子が、全体的なシルエットをまるで貴婦人に思わせている。

 

 あれが上階の人間でなかったら何だと言うのだ。

 

 そこから少女に迷いはなかった。こっそり後ろに着いて行く。子供というのは解りやすく、たった1度助けられただけで、この人は良い人だ、と傲慢にも似た思考を持つ。それは優しさではなく、ただ自分の身を守るために仕方なく受け止め、例え降って来たのが年端も行かない少女であっても、興味が無かっただけ、とは考えないのだ。

 

 いや、実際ドレスの貴婦人はかなり驚いていた。上から少女が降って来たなんて、中々体験出来る事ではない。しかもそれを受け止める、だなんて。

 

 少女は貴婦人の後を尾行する様に着いて行く。予想通り昇降機へと向かった女性は、警備に軽く声を掛ける。彼女はその隙に、警備の死角の間隙を縫い、昇降機へと乗り込んだ。

 外からは影になって見えない場所に身を隠し、少女はただ、祈る様に屈んだ。

 

 勿論、貴婦人が昇降機に入ってしまいさえすれば、丸見えである。それを指摘しない事を、彼女はただ望んだのだ。

 

 昇降機は、箱のような形をしている。人が入れる程の巨大な箱を、浮遊の白魔術を使って、無理やり動かしている。この際、大きく揺れる事のない様に、頑丈なフレームによって支えられている。

 このフレームが無ければ、この昇降機は持ち上がる事も難しい。他にも色々と細かな仕組みがあるが、凡そは白魔術のおかげである。

 

 扉が閉まり、女性は、ふふ、と少しだけ笑った様な気がした。

 

「忍び込むならもっと上手くやりなよ」

 

 意外な事に女性は、少女の元に寄って、優しく見下ろしている。

 

「ここから出る方法、考えていないだろ」

 

 と。怒るどころか、優しく声を掛けた貴婦人は、少女の肩をちょいちょい、と突いて顔を上げさせる。

 怯えたままの少女は、どうしてこんな方法を取ってしまったのか、と後悔を始めて、わなわな、と震えている。その様子を見た貴婦人は余計に面白くなってくふふ、と笑う。

 

「生きるのに必死な事は良い事だが、明日を見るあまり今日を見れていないな、君は」

 

 明日を迎えるには今日を越えないといけないんだぜ、と彼女は少女の頭を雑に撫でると、懐から何か小さな球を取り出す。

 

「だが君はすこぶる運が良い。降って来た時からずっと」

 

 少女に与えたそれを、指でつんっと突くと、かしゃかしゃかしゃっ! と形を変えて平べったくなり、少女の手から離れていく。

 

「それが君を守ってくれる。ただし、声は出すなよ、見つかる」

 

 魔導具だ。少女は目を輝かせながら、自分の頭の上まで来たそれを、無邪気に眺めた。手に取っては魔導具の効果がなくなってしまう、と忠告を受けて、伸ばそうとした手を止めた。

 

 少女は、生まれて初めて魔導具を見た(気付いていないだけで沢山の魔導具を見ているはずなのだが。この昇降機も魔導具だし)。けれどこれは一体何なのだろう。何を目的とした魔導具なのだろうか。

 

 少女は首を傾げる。そんな事をしている内に、昇降機はがしゃんっと大きな音を立て上階へと辿り着く。ゆっくりと開く扉の先に、警備は居る。剣を腰に携えた警備が、昇降機の中を一瞥する。

 

 ──視線があった。だというのに、警備は少女の事を気にも留めず、異常無し、と貴婦人と少女を通してしまった。まるで、少女の事なぞ見えてないかのように、貴婦人にだけ、星王国式の敬礼をして。

 

 すごい、すごい! これが魔導具! これが、まじゅつ! と少女は飛び跳ねる程の大喜び。声には出さなかったが、興奮は抑えられない。

 

 貴婦人は、バレないように少女の手を取って無理矢理連れ歩く。暫く、200メートル程歩いた後、ようやく手を放し、ここまで来たら問題無いだろう、と少女の頭の上にある魔導具を手に取る。

 

「どうして上階に足を運ぼうとしたのかは知らないが、あまり無茶はするものじゃないな」

 

 と、それだけ言って彼女はどこかへと歩いていく。少女は、自分がどうして上階を目指したのかを忘れて、ただ、すごいすごい! と未だ初めて見た魔導具によって齎された熱に浮かされていた。

 

 あれが魔導具! あれがあれば、あれさえあれば、じぶんの生活は劇的だ!

 

 だから気付かなかった。彼女の背後、階下から登り迫る不届き者を捕らえる者の存在に。

 

 そうして彼女は、魔導具という新しい星を見つけたというのに、意図も容易くゴミ溜めでの生活を終えたのであった。

 

 

 

 

 

 さて、そんな攫われてしまった彼女だが、攫った者が所属する機関から、『DDD(ディースリー)』という名を与えられた。名というより、コードネームに近いだろう。

 

 それは『タイムキーパー』を研究する機関であった。アルカディオン政府が隠匿する実験施設である。

 

 では、タイムキーパーとは何か。魔物である事は違い無い。ただし、人間と同じ様に時計を持つ。そしてその時計は、人間よりも強大な力を秘めている。時間に干渉する魔術を扱うのである。

 人間が長年研究し続け、不可能である、と結論付けた、時間に干渉する魔術を何の代償も無しに使う。それが、タイムキーパーという魔物。

 

 まるで時を飛ばしたかのように、敵の魔術が既に完成している。

 まるで時間そのものをゆっくりにされたみたいに、こちらの行動が全て遅くなる。

 眼を合わせると、時計の進みが速くなってしまう。

 

 そんな厄介な魔物だ。

 

 魔物は動物が魔力と適合し変異したモノであるが、タイムキーパーは違う。動物に時計は無いのだから、幾ら動物が変異した所でタイムキーパーになる事は無い。

 

 タイムキーパーが出現する原理は全くの不明である。動物が変化しタイムキーパーになる事は無いと解っているだけでも、進歩した方である。ただ、彼らタイムキーパーは何故か動物を複数繋ぎ合わせたような姿を取る事が多い。どう見ても屍だろうモノを真似たモノも在る。

 あれらは、何を以て、姿を決定しているのだろうか。

 

 それを解明するべく集められた検体。それらに順番に与えられた記号。それが少女に付けられた『DDD(ディースリー)』である。

 

 検体『DDD』。彼女はただの人間だ。栄養失調という欠点はあれど、人間の少女である事に違いない。

 タイムキーパーの主食は人間である。正確には、その胸にある時計。彼らはそれを食し動力とする。であるならば、ここに攫われた彼女の役割も自ずと見えてくるだろう。

 つまり、餌だ。検体『DDD(ディースリー)』は、タイムキーパーに食われるだけの運命である。

 ただし、喰われる頃にはその身体に様々な薬液が投与される。彼女を捕食したタイムキーパーにどのような作用があるかを実験する為だ。

 

 結論から申し上げよう。タイムキーパーは捕食したモノの部位を再現する事が出来る。それは、彼ら職員が何度も餌と称して動物を与えた結果分かった事であった。

 

 喰らったモノを真似する? では、人間を与えたらどうなるのだろう。

 

 当たり前の疑問だ。実験倫理? そんなのある訳無いだろう。

 

 皮肉にも『DDD(ディースリー)』にとってこの場所は、スラムよりも生きやすかった。彼女を生かす為に、食事を与えられ、バイタル、メンタル共にチェックが行われる。スラムでは口にした事のない肉の食感。彼女はそれをこの実験施設で初めて口にしたのだ。

 それも調理済みのモノを、だ。

 

 『DDD(ディースリー)』にとってここは天国だった。けれどどうしてか、心の方は段々やつれていった。

 身体は健康になっていくのに対し、なんだか無気力で居る時間が増えたのだ。日光に当たらないというのもあるが、閉じ込められたまま、決まった時間に必ず届けられる食事を口にし、後はやる事も無くただ眠るだけ。

 これは人間への扱いではない。勿論、職員は彼女を人間として扱っていないのだが、与えられた食事が温かいから、ただそれだけの理由で『DDD(ディースリー)』という少女は愚かにも、ほんの少しだけ職員たちに気を許していた。

 

 これが人間の扱いではないと感づいていたとしても、それでも外の生活よりはマシだ。時計以外の要因でいつ死ぬか分からない外よりも、近々死ぬ事が決まっているこの場所の方が、何倍も生きやすい。

 

 でも、それで良かったのだろうか。

 

「ねぇ、DDD(ディースリー)、もしここを出られたらあなたは何をしたい?」

 

 そんな問いをされて、1度だけ意識が晴れた。それは、誰からの問いだっただろうか。同室に居た子か、それとも、職員か。

 

 したいことなんて、無い。そもそも、ここで死ぬのだから、もしもなんて必要無い。死んだならもうそれ以上は続かない。

 

「生まれ変わりって知ってる?」

 

 知らない。必要無い。何の為にあるものなの、それは。死んでも続きがあるなんて考えたくない。だって、どうせまた同じだ。

 

 死んで、次があっても、DDD(ディースリー)には想像が出来ない。その先は同じような地獄に決まっている。

 

「あたしはね、生まれ変わったら貴族になるの」

 

 そんな夢物語を口にした誰かは、次に目を覚ました時、既にどこにも無く、帰って来る事はなかった。

 ほら、無駄だった。次があるなら、誰か教えてくれなきゃ意味がない。それは次が無いのと一緒だ。

 

 ガラスで囲まれた空虚に、小さく息を吐く。どこにもいけない息が、ひっそりと落ちて、死ぬ。

 

 そうして、彼女の時計は1周目の4分の1を過ぎた。おめでとう、これより魔術が解禁される。とは言え、まぁ、魔導具が無いんじゃ、仕方ないし、使い方も教わらないと使えないのだから、これも意味がない。

 

 けれど、少しだけ思い出したのだ。最後に見たあの人。ハイトーンブラウンの髪の貴婦人。初めて見た魔導具を。

 

 たった1度。たった200メートルと少しの体験。それが、彼女の中で燻って、今か今かと再点火を待っている。

 

 何故って? そりゃあ、憧れてしまったからに決まっている!

 

 魔術とは、人が持ち得る可能性の具現。

 魔術とは、人が歩み行く道を照らす物。

 魔術とは、人が築き上げた知恵の結晶。

 

では、そこに辿り着く事も許されないDDD(ディースリー)の様な人間は一体何だと言うのだろう。

 

 人生に意味を問うのであれば、それはきっと、意味がないものなのだから、語りえない。

 彼女のこれまでの人生に意味があっただろうか。あるはずがない。何の為に生まれたのだろう。苦しむ為か? 死ぬ為か? 違う。苦しむ為に生まれてくる命なぞ存在しない。死ぬ為に生まれてくる命なぞ、在ってはならない。だから、彼女の人生には意味がないのだ。

 

 そも人生を語るという時点で、土台おかしな話である。どうせ語れないのだから、黙っていれば良い。

 

 けれど、それでもあの魔術が、脳裏から離れない。

 

 最初に述べたはずだ。時計によって生まれた瞬間に死の宣告が成されるこの世界で、生きる意味なぞあるはずがない。

 

 だというのに、あの人が頭から抜け落ちない。時計が成長して合法的に魔術が使える様になったと知ってしまったから。

 

 それが、彼女の中で光となって溢れようとする。溢れた所で意味はないが、彼女の中で意味があるのなら、それで良いのだ。眼に光りを宿し、彼女はここから脱出する算段をして、そして、簡単に諦めた。

 

 仕方ない。

 仕方ないことだ。

 仕方ないので諦めよう。

 仕方ないと思う事にしよう。

 彼女を覆うガラスは決して割れない。

 

 内部でどれだけ光を放とうと現実は変わらない。生きるという事に意味を求めた瞬間、それは刈り取られる。それがこの場所だ。

 

 時計は、カチ、カチ、カチ、と進んでいる。血針が今も魔力を産み出し続けている。だが、それがどうしたと言うのだ。その成長はタイムキーパーへの供物。お前には何もない。お前では何も出来ない。

 

 

 

 

────だから、それは、まさしく希望であった。

 

 

 

 

 いつの間にか、目の前にあの貴婦人が居た。服は違えど見間違えるはずがない。

 

「──え?」

 

 随分久しぶりの声を発したからか、身体驚いて大きく咽た。

 

「誰かと思えばあの時の君か」

 

 感情を感じられない声で彼女は言う。

 

「他はあらかた回った。生きたいか、と問えば、全員、首を振った。君はどうだ、生きたいか?」

 

 その質問に、彼女は力なく頷いた。それは筋肉の痙攣に寄るものかもしれない。或いは、弱った身体が咳の勢いに負けてたまたま頷いただけに見えたかもしれない。

 

 けれど、貴婦人は、その様子を見て、にっと笑みを浮かべた。

 

 この施設には他にも餌が居た。『DDD(ディースリー)』と同じような名前を与えられ、餌となるべく連れ去られた子が何人も。

 

 貴婦人は、文字通りこの施設を破壊しに来たのだ。その動機はヒーローや正義を習ってという訳ではなく、酷く利己的な思考の元、国家に喧嘩を売ったのだ。

 

 『DDD』に辿り着くまでに、何人かの子供と会った。『DDD』と同じようにガラスの檻に閉じ込められた可哀想な子達だ。

 彼女は彼ら子供に、『DDD』と全く同じ質問をした。

 ただ短く、生きたいか? と。

 

「ころして」

「しにたい」

 

 返って来たのは、感情の無い、そんな答えだけだった。だから、貴婦人は、何の抵抗も無く、ただ言う通りに彼女達を殺した。確かに保護するという手段もあっただろう。けれど、それはあまりに無責任である。彼女は正義を振り翳してやって来た訳じゃない。ただ利己的な感情のみでここにやって来た。

 彼女が、子供達を救う道理はない。本人が死にたいと言っているのだから、それ以上は高望みだ。だから、殺した。

 

 けれど、『DDD』だけは頷いたのだ。

 貴婦人にも本当は耐えられなかったのだ。別に、子供を殺す事に抵抗が無いとかあるとかそういう話ではなく、ただ、まだ幼い子が、全てを諦める様が、見ていられなかった。

 

 どうせここから出ても変わらない。それが彼ら子供達の総意だった。全てを奪った大人側の彼女は、せめて、罪は自分が背負うと決めて彼らを苦しまない様に一瞬で時計を止めた。ゴーン、ゴーン、ゴーン、ゴーン、ゴーン、ゴーン、ゴーン、ゴーン、ゴーン、と鳴り響く鐘に耳を傾け、自分が殺したのだと、自分の脳みそに刻み込む。

 利己的な感情でここに乗り込んだ彼女が取れる唯一の贖罪だ。

 

 最後の1人は頷いた。彼女にとってそれがどれだけ希望に見えたろう。たった1人。正義やヒーロー気取りでなくとも、彼女に心はある。ただ、嬉しかった。たった1人だけでも頷いてくれた。それであれば連れて行ける! と。

 

 いくら助けたとしても、本人が死にたがっていたなら仕方ないのだ。

 

「ありがとう、頷いてくれて」

 

 彼女は、ほっと胸を撫で下ろし、ガラスの扉を強制的に解錠すると、すぐに『DDD』の元へと駆け寄って、優しく抱き抱えた。

 

 それは、初めてのぬくもりだった。人肌なぞ知らない。そこから発される熱なぞ、感じられるはずもない。

 

 温かった。とても暖かくて、どうも壊れかけていたらしい心は細い糸で繋がった様だった。

 

 気付けば、涙を流していた。これを安心と呼ぶと知るのは随分と後だったが、彼女は大きく声を上げて泣いた。カッスカスの泣き声だった。言葉を発する事が無かったから、随分と掠れてしまっている。

 その様子を、ただ貴婦人は抱きしめてやった。

 

「君は助かった。これからは自由に息が出来るんだ」

 

 そう言って、彼女はDDDを抱えて立ち上がる。もう囲いは無い。彼女はDDD。初めて与えられた名もこれから意味が無くなる。

 

 嗚呼、意味がなくなるという事が、こんなに嬉しい事は他に無いだろう。

 

 そうして貴婦人は、自分をテネシア・グレドだと名乗った。貴婦人の殻は剥がれて、DDDの目には、安心の象徴が映っていた。

 

 結局DDDが泣き止んだのは、施設を脱出してからだった。

 

「おさらいだ、この魔導具はどうやって使うんだったかな」

 

 と小さな球体をDDDの眼の前に掲げた彼女は、優しく問う。

 

 知っている。

 その球体は、私が初めて見た魔導具だから。

 忘れるはずがない。

 

 魔導具を受け取った彼女は、触れた瞬間に、その使い方を理解した。

 魔力の送り方、どのような効果で、どれくらい魔力を送れば良いのかを、瞬時に理解したのだ。

 

 そうして、彼女は全身を巡る魔力を指先から少しだけ放出して魔導具を起動した。

 

 同時に、ザッ! ザッ! ザッ! と鎧の足音が聞こえた。

 

「大正解。良く覚えていたね」

 

 小声のテネシアは、その魔導具の効果が続く間に歩き出す。やって来る鎧たちの間隙を縫い、彼らは無人の研究所へと向かって行進を続けた。

 

 初めて、魔導具を使った。あの時は起動して貰ったから、正真正銘これが初めて。

 

 興奮が全身を襲う。さっきまでの絶望は欠片も無い!

 ここに、私の全部があるんだ!

 

 そう、そこに、彼女の全てがある。

 

 いつか生きる意味を語る機会があるのなら、もう沈黙する必要は無い!

 

 夕日が見えた。テネシアは彼女を抱きかかえたまま、ゆっくりと歩く。その行き先をDDDは知らないが、何も怖がることはない。

 どんな事があろうと、もう地獄には戻れまい。

 

 序章は終わった。4分の1も掛かった長い序章だった。初めて与えられた名が、DDDなんて無骨極まり無いものだったし、色々文句も言いたくなる序章だが、それでも出逢えたのだ。

 

 出逢えたのならそれだけで序章の意味はあった。これからは何章でも重ねよう。

 

 あぁそれと、いつかDDDにも別の意味が出来れば良いな。知らない誰かに与えられたモノでも、初めての名だったんだから。

 いつか無くなる名前でも、意味くらいあっても良いだろう。いつか考えよう。

 

 

 

 ────がこんっと命針が進む。其れは人生が進む音。人間の命を示すその音は、死を迎えるまで決して止まらない。

 命針が2度天を指した時、人は死を迎える。それは宣告。決して覆らない理。

 

 であれば、人の命に意味はあるのだろうか。終わりが最初から分かっている命なぞまるでつまらない。

 

嗚呼、けれど、けれども、終わりが無いよりも終わりがある方が何事も美しい。何事にも始まりがあれば終わりが来る。それを決めたがったのが人間でしょう?

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