その日は快晴に恵まれた。
「去年までとは違い今年は大会事にオーディションを行いますので、選ばれなかった人も今まで通り、コンクールに向けて練習を続けてもらいます」
音楽室に集まった俺達の前に立つ高坂先輩は、再度念を押すようにそう言った。次もある、そんな緊張感が生まれた音楽室の空気を壊すようにドアが開く。
「ん、失礼話の途中だったか」
「いえ、もう終わりました」
「そうか」
その言葉を受け、俺たちの前に立った松本先生の声が、楽器の音を圧するほどはっきりと響いた。
「では、府大会のメンバーを発表する。呼ばれた者は返事をするように。まずトランペットから、3年、高坂麗奈」
「はい」
「2年、小日向夢」
「はい」
呼ばれるたびに、力強い返事が重なっていく。秀一先輩、牧先輩、ちかお先輩、順当だと思えるメンバーが並ぶ一方で、あちこちから小さな落胆の気配が滲み出していた。
「以上、次、ユーフォニアム、3年、黄前久美子」
「はい」
「3年、黒江真由」
「はい」
「2年、久石奏」
「はい」
「以上、次、チューバ、3年、加藤葉月」
俺の名前は呼ばれなかった。これも順当だ。だから、驚きもない。
「2年、鈴木美玲」
「はい」
「一年、釜谷すずめ」
意外だった。実力なら、さっちゃん先輩の方が上だと思う。それはきっと、他の低音パートのみんなも同じように感じている。
釜谷がさっちゃん先輩より優れていると思うところは、しいて言えば音量くらい。……つまりは、そういう事なのだろうか。
意外だったのは、釜谷自身も同じらしい。名前を呼ばれてもなお、返事が出てこない。見かねた上石が肘で小突くと、ようやく遅れた返事が返る。
そんな戸惑いの空気を残したまま、メンバー発表は終わりを迎えた。
音楽室から一人、また一人と人が去り、ユーフォの五人だけが残る。順当にメンバーが決まった俺たちの間には、明るい空気が流れていた。
「久美子先輩。ソリおめでとうございます」
「ありがとー。一緒にいい演奏にしようね」
「もちろんです」
「本当に良かった。私と久美子ちゃんの2人だけだったらどうしようかって思ったもん」
「それは、私は落ちると思ってたって事ですか」
「違うよ、ただこの編成だとユーフォは2人くらいかなって思ってたから」
「なるほど、つまり私が温情で選ばれたと」
「奏ちゃん」
奏先輩が黄前先輩の声に窘められ、口を噤みながらそっぽを向く。
「いえ、黒江先輩があまりに素晴らしい性格をしていらっしゃるので、つい」
内心、その言葉に少しばかり同意しながら聞いていると、これ以上言わせても仕方ないと悟ったのか、黄前先輩が話題を変えた。
「佳穂ちゃん、幸人君、まだチャンスはあるから頑張ってね」
「はい!もちろんです!でもまずは、北宇治の名に恥じない様、チームもなか金賞とってきます!」
「私も、金賞目指して頑張ります!オーディションの方は…先輩達の演奏を聴くだけで十分って気持ちですけど」
「いや〜、コンクールの意気込みは強気になったんだけどなぁ」
「…うぅ…打倒奏先輩!打倒ママ先輩!打倒久美子先輩‼︎」
「おおっ、ナイス意気込み!打倒黒江先輩!打倒黄前先輩!」
「…えっ、あっ、頑張って!」
黒江先輩は何か考えごとをしていたのか、驚いたような表情のまま反応が鈍い。不思議に思って辺りを見渡すと、いつの間にか黄前先輩の姿が消えていた。
「真島君は私の事、打倒しようとしないんだね」
「そりゃ奏先輩とは一緒の舞台に立ちたいですから」
「でもそれなら、ユーフォの枠が4人分必要になるから無理ですね」
「そんな夢の無い事言わないで下さいよ。もしかしたら、そんな日が来るかもしれないじゃ無いですか」
「まあ真島君がちゃんと練習してたら、来年くらいには立てるかもね」
「…そうですね!」
来年。
その言葉を胸の中で、もう一度だけ繰り返した。
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コンクールメンバーに選ばれなかった人達にも、コンクールがある。A編成が府大会から関西、そして全国へ進むのに対して、俺達B編成は府大会まで。
北宇治では、そんなB編成のことをチームもなかと呼ぶらしい。
今日は、そのチームもなかが府大会金賞を目指し、練習を始める初日。指揮者の位置には、松本先生が立っている。
「今日からお前らはチームもなかとして府大会金賞を目標に練習していく。一昨年から関西や全国で結果を残している我々北宇治高校に対する期待の声も大きい。そして、それはB編成でも変わらない。お前ら気合を入れていけ!」
「「「はい!」」」
軍曹という渾名は、伊達ではないらしい。その一声だけで全員の気合が入り、返事は驚くほど綺麗に揃った。
そして俺達はその勢いをそのままに音を合わせる。
B編成。
悪く言ってしまえば、選ばれなかった。
それでも音を合わせてみると、思っていたほど悪くない。もちろん、A編成と同じようにはいかない。だが、今ここにいる俺たちなりの音は、ちゃんと鳴っている。
少し安心して、俺はもう一度楽器を構えた。
「全然ダメだぁ。めちゃくちゃ言われたぁ」
もなかでの練習が終わり、パート練習に戻る道すがら、上石は肩を落としていた。
「低音は目立たないのに4人しかいないから、頑張らないとすぐ言われちゃうんだよね」
「去年もそうだったんですか?」
「去年は私と葉月先輩の2人だったからもっと凄かったよ。もちろん他の楽器の人とかにも吹いてもらったんだけどね。ほら、バリサクとか」
「あー確かにバリサクなら出来ますね」
「そうなんだ。でも今はそんな事やってないですよね」
針谷の疑問に確たる答えは持ってなかったが予想はできる。ただ、その前に聞こえてきたさっちゃん先輩の声に、俺は開きかけた口を閉じた。
「今は人数がいて、そこまで気にする必要がないからじゃないかな」
「あっ。確かに、それもそうですね」
「ま、私達が頑張らないといけないのは変わらないよ。だから、気合い入れて行こー!」
「「「おー!」」」
さっちゃん先輩の掛け声に、俺たち一年の声も揃う。表情も、声も、いつもと少しも変わらない。
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残り少ない練習期間は、あっという間に過ぎ去り、ついに京都府吹奏楽コンクール当日を迎えた。
先に舞台へ上がるのは俺達だった。少なくとも、期待はされているはずだ。そうでなくても、やはりやるなら金賞が欲しい。
そんな気合いを胸に、俺はチームもなかと共にステージ裏に集まっていた。
「皆さん、ついに本番を迎えましたね。あなた方に今日まで悔しい思いをしながら練習してきた人もいると思います。ですが、そんな中でもあなた方のしてきた練習は本物です。そして今年はまだ可能性があります。まずはこの会場にいる人全員、あっと言わせてやりましょう。いいですね」
「「「「はい!」」」」
会場にいる人全員――それは、A編成の面々も含むということか。関西大会では立場がどうなるかわからない、そう発破をかけてこいと受け取ってもよさそうだった。
元より俺は全力だ。軽く震える身体を奮い立たせ、扉の向こうへ歩き出す。
照明が眩しい。客席は暗く、先の見えないその景色は全然違うのにどこか懐かしい。
でも、やっぱり違う。
息を吸う。
最初の一音が響く。練習で何度も吹いたはずの音が、本番では少しだけ違って聞こえた。
自分の音が終わる。
そのすぐ後ろから、別の音が続く。俺が吹いている間にも、隣から音が重なってくる。
一人で吹いている時にはなかった音が、次々と周りから返ってくる。
気が付けば、俺もその中にいた。
誰かの音を追いかけるわけでもない。かといって、自分だけで進むわけでもない。
吹いて、受け取って、また返す。
それを繰り返しているうちに、曲はいつの間にか終盤へ差しかかっていた。
練習であれ程長く感じていた合奏は、驚くほど短い。
最後の音が静かに消える。
ほんの一瞬、音のなくなった空間に息をする音だけが残った。
そして、大きな拍手が会場を包み、俺はゆっくりと息を吐く。
終わった。
ソロで舞台に立つのとは、少し違う時間。
その違いを、今の俺はまだ言葉にできなかった。
「それでは京都府吹奏楽コンクール結果発表を行います」
ステージに立つ人の言葉で会場内が歓喜と落胆の声で溢れていく。
「北宇治高校。ゴールド金賞」
隣から歓声が上がる。誰かが肩を叩き、誰かが笑う。気づけば俺も笑っていた。
金賞。
何度も取ったことのある賞なのに、今日は妙に嬉しい。
その後はどこか浮ついた気持ちが抜けなかったが、それでも印象に残っているのは松本先生だ。会場前で写真を撮っていたとき、その目に涙が滲んでいたのは意外だった。
いや――厳しいだけでなく、誰より熱い人だった。そう考えれば、涙も意外ではないのかもしれない。
翌日は、A編成の番。とはいえ、今の北宇治の実力なら、府大会でつまずいている余裕などないのだろう。
北宇治高校吹奏楽部は、危なげなく関西大会への切符を手にした。