読み飛ばしにご注意下さい。
今回は三人称視点にしてみました
その少年は、大阪の片田舎に住むとある夫婦の元に生まれた。
子供に幸人と名付けた両親は共働きで、幸人が3歳になる頃には保育園に幸人を預けて仕事に行き、仕事を抜け出して迎えに行くと、幸人を家で寝かせまた仕事に行く。そんな生活を続け、もう2年が経とうとしていた。
「ママー、このおもちゃが欲しい!あのね、ばら組のみんなも持ってるんだ。ね、いいでしょ」
「ごめんね。ちょっと待っててね、ママお仕事頑張ってくるから」
「...うん。行ってらっしゃい」
「パパももうちょっとで帰って来るからね。ご飯は冷蔵庫に入れてるから、チンして食べてね」
「...うん。分かってる」
「幸人がいい子でパパもママも助かるわ。じゃあ、お留守番よろしくね」
幸人の額に一つキスをすると、扉の向こうへと消えていく。
ガチャリと音を立てる扉は、幸人が寝ても開く事はなかった。
そんな両親にも休みはあったが、二人が揃う日は少ない。その珍しい休日、一家は車で遠出の旅行に出た。色んな場所を巡るのは幸人にとって初めての経験だった。
幸人は辺りを見渡す両親を真似して見渡してみる。観光地でも無いその場所は、何が面白いのか分からなかった。それでも、両親と一緒にいるだけで幸人には十分だった。
「パパ。トイレ行きたい」
「えっ、あ、ああ、そうか、トイレか...ああ、あそこに公園があるからそこでするといい」
父親が走らせていた車が、公園の前に止まる。駐車場の無い、少し広めの公園。
「ちょっと行ってくるね」
「1人で大丈夫?」
「もちろん。僕もう5歳だから!」
そう言って幸人は1人、車を降りる。
トイレから出てきた幸人の視界から、車は消えていた。
見間違いかと思った幸人は公園の中を、周りを、探した。きっと、何処かの駐車場に停めに行ったんだ、そう信じていた。
それでも、見つからない。
途方に暮れた幸人には、待つことしか出来なかった。あの公園で1人ベンチに座り、待ち続けた。
でも、いつまで経っても迎えは来ない。空が段々とオレンジ色に染まっていき、幸人の視界に映る子供達は親に連れられ帰っていく。1人で遊んでいた子供にも、公園の外から親が来て1人また1人と減っていく。
そんな様子を見続ける事しか出来なかった。
辺りが随分暗くなり、知らない音楽が鳴る。幸人の育った地では今の季節、18時を知らせる時報が鳴る。音楽と共に聞こえる電子音は、18時を告げていた。
誰もいなくなった公園。
それを見続ける幸人の視界は歪んでいた。
思わず上を見上げた幸人の耳に、知らない声が届いた。正面を見た幸人の目に入ってくるのは、白髪混じりの頭に少し皺の入った見た事のない顔。
「こんな時間に1人で何してるんだ?」
「パパとママを待ってる」
「そうか...どれくらい待った?」
「わからない」
「家、くるかい?」
「どうして?」
「もう夜も遅い」
「でも、パパとママが...」
「また明日探せばいいさ。見つかるまで家にいればいい」
「…ありがとう…ございまずっ...」
幸人に溜まっていたものは、その瞬間、溢れ出した。
その男に連れられた幸人は一軒の店の前に辿り着く。初めて見る喫茶店の雰囲気に呑まれかけた幸人は、2階のある種普通な空間に安心感を覚えた。
その夜、幸人はあまり眠れなかった。
次の日、幸人はまたあの公園にいた。
迎えのこない公園。
それは日を跨いでも変わらない。次の日も、その次の日も、何度日を跨いでも変わらない。
一週間も経つ頃には、幸人にも分かっていた。
僕は…置いて行かれた。
僕は…捨てられた。
受け入れてしまえば早かった。
いい子だね。そう言われて育った幸人は、見ず知らずの人にこれ以上世話になるわけには行かなかった。
いつ出ていくかわからない子供。
それが迷惑だという事は、幸人にも理解できた。
そうと決まれば行動は早く、次の日の朝には、幸人はマスターに頭を下げていた。
「マスター。パパとママ、見つかりました。今日までお世話してくれて、ありがとうございました」
「…そうか。元気でな、怪我すんなよ」
「…はい。お世話になりました」
そう言い残し、幸人は扉の向こうへ消えた。
5歳の少年にあてなんてあるはずが無く、幸人はただ1人知らない街を歩き続ける。足が痛み、呼吸が乱れ、身体の至る所に色んな痛みが生まれる。
それでも幸人は歩き続けた。
1人になれる場所を、誰にも迷惑がかからない場所を探していた。
誰にも気付かれず、1人で、目を閉じる。二度と開かなくなるその日まで。少年の頭では、それしか思いつかなかった。
子供の足にも限界がある。オレンジ色に染まる景色、子供にしてはよく頑張った方。
休憩できそうな場所を求めた幸人の視界に入ったのは、皮肉にもあの公園だった。
一週間通い詰めた公園。一週間座り続けたベンチに腰を掛ける。
今日も公園では子供達が元気に遊んでいる。
幸人はそれを今までと変わらず見続けた。
辺りが暗くなり始め、時計を見るともうすぐ18時になろうとする頃、そろそろ休憩を終わろう。そう考えた幸人の耳に子供の高い声が届いた。
「ねぇ、きみずっといたよね。なにしてたの?」
「ちょっと、休憩してただけだよ」
「それって、きのうも?そのまえも?」
「気付いていたの?」
「うん。しらないこだなっておもってた。いっしょにあそばないのかなって」
「…でも、僕は」
俯いた幸人の手を、その子供が引っ張った。
「あともうちょっとあそべるよ!」
たった2人の追いかけっこ。
普通ならあまり面白く無さそうなその遊びは、時報が鳴るまで楽しむには十分だった。
「あっ、もうじかんだ。ままから、これがなったらかえってきなさいって、いわれてるの」
「…そうなんだ」
「またあしたね!」
その言葉に、幸人は返事を出来なかった。1人で帰るその子供は、家が近いのだろう。迎えなんか来なくとも、幸人とは「帰る」その意味がまるで違う。
また、1人になった。
先程までの楽しかった時間が、何の音も無いこの場所を余計に淋しく感じさせる。
それでも1人、歩き出した幸人の瞳に一つの影が映った。
顔を上げた幸人の目に入ってきたのは、一週間見続けた顔。白髪混じりの頭に少し皺の入ったその顔は、今朝別れを告げたはずの人。
「こんな時間に1人で何してるんだ?」
「パパとママを待ってる」
それはあの時と同じ言葉。でも、嘘をついた。
「そうか...どれくらい待った?」
「いっ……しゅうかんっ……」
嘘をつきたかったはずなのに、マスターの表情が、涙混じりの声を正直にさせる。
「家、くるかい?」
「……ありが、と……うっ。ございますっ……っ!!」
その日から、僕の家はあの店になった。
幸人には分からない難しい書類を済ませ、マスターは正式に幸人を養子にした。幼稚園も転園し、幸人はこの家でマスターと二人で暮らすようになった。
営業中も店の中で静かに座り、常連さんに可愛がられながら、マスターの演奏を聞く。そんな日々を過ごす幸人が、マスターに憧れサックスに興味を持つのは当然の流れといえる。
初めて触ったのはアルトサックス。ソプラノサックスよりも少し重いが、こっちの方が構えやすいとマスターに勧められ、何も分からないまま持ち始めた。
マスターは教えるのも上手かった。最初は全く出なかった音も、1時間もすれば出る様になった。
音が出るようになったことが嬉しくて、幸人は来る日も来る日もサックスを吹き続けた。
「幸ちゃん随分サックス上手くなったじゃない。基礎は充分身に付いたみたいだね」
「うん!僕もう一年も吹いてるからね!」
「そっか、もう一年になるのか。そういえば、幸ちゃんも大きくなってるもんな」
「でしょー!せいちょーきってやつだね」
「ははっ。成長期にはまだ早いだろうね。でもその調子なら成長期にはもっと大きくなるよ」
「やったー!僕もっと大きくなる!大きくなって色んな楽器吹くんだ!」
「おっ、いいじゃないか。将来は有名な演奏家かな?」
「分かんない!でもサックス吹くのは楽しいよ!」
「そういう子が有名な演奏家になるのかもな。じゃあ未来の演奏家の演奏を聞かせてもらおうかな?」
「えっ?」
その言葉を聞き、幸人はマスターを見た。幸人と常連達の会話を静かに聞いていたマスターは、一つ頷いた。
今までマスターが吹いていた場所。
幸人よりも上手い人が吹いていた場所。
その場所に立てる事が、嬉しかった。
幸人の足取りは軽い。まだまだ小さな身体には少し大きなアルトサックスを構え息を吹き込む。
練習通りに音が出る。みんなが幸人の音楽を聴いてくれている。それが嬉しくて、次々と音が溢れた。
いつも聞き慣れた演奏よりも拙いはずなのに、それでも静かに聞き続ける常連客は、演奏が終わると同時に、大きな拍手を響かせる。
「幸ちゃん上手だったよ」
「ああ、本当に上手になった。」
「上手だったから、幸ちゃんこれお小遣い」
差し出されたのは500円硬貨。マスターやゲストに差し出されるお金を見ていた幸人にも、その意味は理解できた。
理解...できてしまった。
自分の演奏がお金になると、それを理解できた幸人は考えついてしまった。
このお金を貯めれば、パパとママを探せるかもしれない。
それは、希望だった。
それは、幸人の人生を大きく変えた。