読み飛ばしにはご注意下さい。
今回は奏視点にしてみました。
「こうして、真島幸人は真島幸人になりましたとさ、めでたしめでたし。という訳で、ご静聴ありがとうございました」
彼の口が閉じる。
口を開く人は誰もいない。
静かなその場所で手持ち無沙汰な手をカップへ伸ばすと、そこにはもう温もりはなかった。
「まあ、こんな空気になるだろうなとは思ってました。別に聞いて貰ったところでどうにかなる話でも無いですし、俺はもう前を向いてるんで...だ、か、ら、今まで通りでお願いしますよ。ほらほら、なんか言って下さいよ〜」
「それでなんか言える訳ないだろ、馬鹿か」
「馬鹿でけっこ〜コケコッコ〜」
「ぷふっ」
針谷さんから笑いが漏れる。慌てて手で口を塞いでいるが、その必要もない。
その場の空気は弛緩していた。
「幸人君は幸人君です。緑が知ってる幸人君は変わらない」
「そうだね。幸人君は幸人君だった」
「だ〜か〜ら〜そういうのもいらないんですってば〜」
「いつも通りでいいなら、私ジュースにして欲しいなぁ。コーヒーにがーい」
「おおっ、いいねぇ。じゃあ私メロンソーダ!」
「いやいやミルクと砂糖、おいてるじゃないですか!しかもメロンソーダっていつまで居座る気なんですか!もう結構な時間ですよ」
「えっ、嘘」
「うわっ外暗っ」
「あーもう19時か。でもそう考えたら部活とそんな変わんないね」
「私にとっては遅い時間ですけど」
「長い話で、すみませんでしたー」
「冗談だよ」
「みっちゃん先輩、冗談なんて言うんですか」
「私の事なんだと思ってるの?」
パンッ、パンッ。
賑やかになった店内に柏手の音が響く。
「もう遅い時間だし、そろそろ帰ろっか?幸人君、お代って」
「ご馳走するって言ったじゃ無いですか。お時間頂き、ありがとうございました。これくらいしかお出し出来ず、すみません」
「いやいや、そんな事ないよ。美味しかった」
「ありがとうございます。またのご来店お待ちしてます」
「本当に来ちゃおっかな」
「おっ、中川さんの居る日教えましょうか?」
「いいね、それ」
「くーみーこー。帰るんでしょ」
「そうだった。じゃあお邪魔しました」
その言葉を合図に、みんな帰り支度を進める。とは言っても、プール帰りで荷物を広げている人は居らず、続々とその場所を離れていく。
隣に座っていた梨々花と顔を見合わせ、一緒にその場を去ろうとすると、後ろから声がかかった。
「奏先輩」
「どうしたの?」
「えーっと、あの…また、明後日」
「うん。また明後日。寝坊しないでね」
「俺が寝坊した事、無いじゃないですか」
「それもそっか。じゃあ、またね」
「はい、また」
星の輝く夜空の下。
コーヒーの香りが少し残るいつもの服を着て、あまり通ったことがない道を梨々花と並んで歩いていく。
「真島君、な〜んか大人みたいに見えたね」
「まあ、いつもよりは大人っぽかった」
「コーヒーも美味しかったし」
「それはあんまり関係ないでしょ」
「え〜、じゃあ奏はあのよくわからない機械使えるの?」
「それは無理だけど」
「あれ使えるのって〜、大人っぽくない?お店の雰囲気とかもオシャレだったし〜」
「確かにね」
「今度、普通にお客さんとして行ってみる?」
「いや〜、それはないでしょ」
「そうかなぁ?結構オシャレなメニューあったよ〜。夏紀先輩もいるし」
「いつの間にそんなの見てたの。まあ、今度時間あったらね」
少し見覚えのある道に入ると、梨々花との会話にも花が咲く。
話題の中心は彼の事。
そんな彼と初めて会った日の事が、頭の中に蘇ってくる。
あの日、私は後悔していた。
低音パートに人を集める為に、楽器紹介の台本作りや、練習を梨々花と繰り返し、可愛さとあざとさを作り上げていく。
それが私の武器。
ただ、その結果あんな馬鹿が釣れるとは思わなかった。
別に馬鹿である事自体は良いし、嫌いというわけでは無い。みんなの前で一目惚れしましたなんて、面倒事になりそうな事を言われても直球なその姿勢だけは悪い気分はしない。
私が気になったのはその後だ。
とりあえず低音パート、ひいてはユーフォパートに人を引き入れる事には成功しても、楽器が足りなかった。
すぐに身を引いた彼の事を優しい所もあるのか、なんて思っていたら楽器を買ってくると言い出した。チューバが余ってるのにわざわざそこまでする必要はない。
普通なら。
楽器なんてそんなに安いものじゃ無い。現に彼も自分で調べ、値段を確認し、高いと認識した上で、それでも買ってくるなんて言い出した。
そんなお金が何処から出てくるのだろうか。親のお金か、自分のお金か、どちらにせよ甘やかされた奴だ。
一目見て、会話をすれば誰もが気付くお調子者。
あの時の私には、そんな感想しか出てこない。
彼自身が甘やかされている事に気付いているかは知らない。だが、もし気付いていないのなら、それは私の嫌いなタイプだ。
そんな考えと裏腹に彼との日常は、思いの外平穏だった。
意外と空気が読めるタイプの様で私が作っている壁を十分に理解し、ちゃんと距離感を計ってる。義井さんとの事も噂には聞いていたし、もしかしたら第一印象は間違っていたのかもしれない。
そんな疑問が確かになったのは、月永君が変わった時。それまでの月永君は、自分の都合を周りに押し付ける人だった。
機嫌が悪ければ隠そうともしない。それでも低音パートの先輩たちは何も言わず、私達もそれに合わせる。それが一年以上続いていた。
だから、初めて針谷さんに頭を下げた時は驚いた。前と同じように「月永君」と呼ばれても、嫌そうな顔一つしない。それどころか、真島君とはまるで昔からの友達みたいに話している。
あの月永君が。
そう思ったのを覚えている。しかもその理由が、真島君と話したからだという。
信じられなかった。
でも、それが事実だった。
それは月永君をそうさせるだけの何かが、真島君にある事の証明。であれば、真島君はただの甘やかされている事に気付いて無い人では無いかもしれない。
そんな考えに答え合わせがあったのがついさっき。
想像以上に重い話。
ただ、彼にとっては過去の話。
彼は嫌いなタイプの人間では無かった。
むしろ今まで見てきた彼だけを思い返すと、好感を持てる側の人間だろう。
ただ、今更それが分かったところで、今までの事をなかったことにはできない。それに…
「ねぇ梨々花」
「なに、奏」
「真島君って、本当に私のこと好きなのかな」
「随分と急だね〜また。私にはわからないよ。でもどうして?」
「私、一目惚れしたって言われたけど、告白はされてないし、一目惚れなんて恋愛の意味しか無い訳じゃないでしょ」
「確かにそうかもしれないけどさ〜、でもほとんどが恋愛だよ。逆にさ、奏は真島君の事好き?」
会話の流れとしては自然な問い。
ただ、その問いは私の目を丸くさせた。
私が彼の事を好きか、か。
久美子先輩の事は好き。夏紀先輩も…まあ、好…嫌いではない。
そういう「好き」は知っている。
思えば、私は異性の事を好きになったことがあっただろうか。
初恋。
そんな言葉に当てはまる思い出が、私にあっただろうか。
幼い頃の記憶を探せば、誰かを好きだったような気はする。でも、異性と付き合うことなんて考えたことも無い。
小学生の頃はそこまで考えて無かったし、中学は部活一筋だった。
今だってそう。
そのはずだった。
彼の事は、嫌いではない。でも、自分から告白する程好きというわけでも無い。
告白されたら...
「わからない」
その答えが今の私に一番あっている気がする。
「そっか」
思えばここまで彼の事を考えるのは初めてか。でも、いつかは向き合わなければならなかった。
もし、彼が私の事を恋愛対象として好きなら、いつか告白される日が来るかもしれない。
その時、私はどんな返事をするのだろうか。
なんて、これじゃあ私の方が彼の事を…いや、そんな事はないはず。
今は、まだ。