世界一幸せな男   作:トトロのとろろ

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第21話

 

合宿一日目の夜。

 

風呂を済ませた俺は、ユーフォニアムとバリトンサックスを両手に、オーディション会場へ向かっていた。

 

左右の手に伝わる、違う重さ。それを感じながら廊下を進んでいくと、前方に一つの人影が見えた。

 

「黄前先輩」

 

「ん、ああ、幸人君か。もうオーディション始まるよ」

 

「あっ、はい。すみません」

 

黄前先輩の歩く速さが、いつもより少しだけ早い。オーディションまで時間が無いから特段おかしな事では無い、のだが…

 

「あのー…黄前先輩、怒ってます?」

 

「別に、怒ってないよ。なんで?」

 

「えっ、あー…いや、なんかそんな気がして…」

 

「気のせいだよ。ほら、早くいくよ」

 

「はい」

 

黄前先輩と早足で歩いていくその間に会話はなかった。

 

「ああ、久美子先輩。心配しましたよトップバッターなのに。真島君も遅過ぎ」

 

「ごめーん、ごめーん」

 

「すみません奏先輩」

 

ユーフォを取り出し最後の確認を行なっていく。もうすぐオーディションが始まろうかとする頃、最後の1人が現れた。

 

「ごめんねー」

 

「黒江先輩もギリギリですよ」

 

「お風呂に時間かかっちゃって」

 

ユーフォパート全員で並んで座ると、緊張からか、別の理由からか、誰も口を開かない。時間になり席をたった黄前先輩は振り返る事なく呟いた。

 

「真由ちゃん。お互い頑張ろうね」

 

その言葉に、食堂での会話が頭をよぎる。けれど、今はそんな場合では無い。もう時間が無い。

 

「真島君、頑張ってね」

 

「うん。ありがとう、針谷」

 

室内から出てきた針谷と入れ替わる様に中に入る。前のオーディションとは違う場所。でも、先生達の配置は変わらない。

 

「ユーフォニアム一年、真島幸人です」

 

「真島君は今回特殊ですが、ユーフォの演奏の後、バリトンサックスをお願いします」

 

「はい」

 

そして、失敗なんて一切無く俺のオーディションは終わった。

 

部屋に戻ってきた俺を出迎えたのは求の姿。コンバス組はユーフォの前にオーディションを終えていたから、もう行ってるかと思っていた。

 

「求、まだいたのかよ」

 

「ああ、うん。まだ時間じゃないから」

 

「そうなんだ。あと、どのくらいあるの?」

 

「…15分」

 

「結構ギリギリじゃん」

 

こちらに背を向けたまま動かない求の、その背中を力強く叩く。

 

「早く行ってこいよ。待たせる気もないんだろ」

 

「いったいな、分かってるよ。...じゃあ行ってくる」

 

「ああ、いってら」

 

俺は背筋の伸びた背中を見送った。少し時間が経った頃、求の背中を思い出し飲み物くらい買っておいてやるかと思い、自販機へと向かう。

 

明かりの消えた暗い廊下の先、自販機の小さな光は2人の人影を照らしていた。

 

「消灯後は禁止だよ〜」

 

「バレなきゃいいんですよ」

 

「悪い子〜」

 

そんな会話が聞こえ、俺はついイタズラしたくなった。

 

「何をしているんですか。規則違反ですよ」

 

「「はい!すみません!」」

 

「ぷっ、あははっ!すみません。俺です」

 

「真島君、悪趣味だよ」

 

「こっちも随分悪い子だねぇ〜」

 

「いや〜すみません2人が見えたので、つい」

 

「つい、じゃない。それで、こんな時間にどうしたの?」

 

「目的は同じですよ、俺も飲み物を買いに来たんです」

 

そんな話をしていたら、背後から物音が聞こえてきた。

 

「誰か来たよ」

 

剣崎先輩のその声で俺たちは駆け出す。曲がり角を曲がって振り返ると、奏先輩は来ていなかった。

 

「奏、こないね」

 

「もしかして、捕まりましたかね」

 

「どうだろう。少し探してみよっか」

 

「ですね」

 

剣崎先輩と2人、足音を殺しながら辺りを探していく。曲がり角から少し顔を出して見てみると、出ていく時とはまるで違う背中と、それを追いかけていく奏先輩が見えた。

 

「あの物音、求だったみたいですね」

 

「そうみたいだね」

 

「それにしても、奏先輩行っちゃいましたね。いつも求に突っかかってるのに、なんだかんだ優しいですよね。奏先輩」

 

「...真島君はそれしか思わないの?」

 

「まぁ、そうですね。何でですか?」

 

「嫉妬とかしないのかな〜って」

 

「嫉妬...。嫉妬ですか」

 

確かに、奏先輩は今、傷ついているように見える求のところへ行った。俺以外の男のところへ。普通なら、嫌だと思うものなのだろうか。

 

でも、俺は今何とも思わなかった。

 

じゃあ、俺は何で嫉妬しないのだろう。

 

奏先輩の事が実は好きではないのか。いや、違う...と思う。じゃあ、何で…

 

その時頭に浮かんだのは、奏先輩が誰かに見せる笑顔だった。

 

少し緩んだ口元は見た事がある。楽しげに話す姿も知っている。でも黄前先輩や、他の人に見せる笑顔を正面から見た事は無かった。

 

ああ、そうか。

 

「多分…奏先輩が幸せだったら、それでいいんだと思います」

 

「へぇ、そうなんだ」

 

そう。奏先輩が幸せそうだったらそれでいい。

 

思えば奏先輩に一目惚れしてから、こんな事を深く考えた事は無かった。

 

俺は、奏先輩と付き合いたいのか?

 

そもそも、付き合うって何だ?

 

俺は奏先輩の事が、好きなのか?

 

「剣崎先輩。好きって、何なんですかね」

 

「どうして?」

 

「俺、奏先輩の事…本当に好きなのかなって」

 

その言葉は棘となり、俺の胸に引っ掛かる。そんな俺の意識を引き戻したのは、隣から聞こえてくるクスクスという笑い声。

 

「剣崎先輩。どうして笑うんですか?」

 

「ごめんね〜。なんかさ、この間真島君の事大人っぽいな〜って思ったんだけど、全然そんな事なかったな〜って」

 

「なんですか、それ。俺別に大人なんかじゃ無いですよ」

 

「うん、ごめんね〜。確かにそうだった。なんか年下の男の子だな〜って感じ」

 

「なんか、そう言われるのはちょっと違うんですけど。じゃなくて、俺の相談答えてくれてないじゃないですか」

 

「あ〜相談だったんだ、これ。えっと好きって何かだっけ?まぁ、大丈夫だと思うよ」

 

「何がですか?」

 

「奏はね〜可愛くて、いい子で、優しいから」

 

「答えになってなくないですか?それ」

 

「そうかな〜」

 

「2人ともこんな所で何話してるの?」

 

いつの間にか、目の前には奏先輩が戻ってきていた。さっきよりも少しだけ柔らかな顔。その顔を見た瞬間、胸の奥が小さく痛んだ。

 

「なんでもないよ〜。ちょっとした人生相談的な?」

 

「まあ、そんな所です」

 

「そっか。じゃあ梨々花戻ろう?真島君も早く戻らないと先生に見つかるよ」

 

「あっ、はい。おやすみなさい」

 

「うん、おやすみ」

 

「おやすみ〜」

 

去っていく2人を見送ると、俺はふと求への飲み物を買っていないことに気がついた。だが、もう必要無いだろう。そう思い、部屋へと戻った。

 

「はぁ、幸人、お前もかよ」

 

「秀一先輩」

 

「別にガミガミ言うつもりはないけどさ、明日も早くから練習あるし、早めに寝ろよ」

 

「はい、すみません」

 

それだけ言うと、本当に何も言うつもりはない様で、秀一先輩は自分の布団へと入っていった。

 

「どこ行ってたんだよ」

 

「いや、ちょっと飲み物でも買おうかなって思ったんだけど、やめた」

 

「なんで?」

 

「必要無いかなって思ってさ」

 

「ふーん」

 

そんな興味なさそうな返事を残し、求は布団に潜り込んでいく。俺も隣の布団に入ったが、どうにも寝つけなかった。

 

「寝れないのか?」

 

「求こそ」

 

「まあ、僕は...ほら」

 

「まあ、そうだよな」

 

「...幸人も聞かないんだな」

 

「聞いて欲しいのかよ」

 

「絶対に話さない」

 

「じゃあ、なんで聞いたんだよ」

 

「...なんとなく」

 

「...なんとなくじゃ、しょうがないよな」

 

返事は返ってこなかった。寝息は聞こえない。そんな静かな暗闇の中、俺は目を瞑った。

 

朝、俺は音楽と共に目を覚ました。遠くから聞こえるユーフォの音。それはきっと黄前先輩。寝起きに聞くには心地良いその旋律にスッキリと目が覚める。

 

まだ誰も起きていない部屋で、俺は静かに着替えていく。合宿中は走るつもりなんてなかったが、なんとなく走りたくなり、気がつけば知らない道を、気の向くままに三十分ほど走っていた。

 

部屋に戻ると、もう誰もいない。シャワーが使えないのが誤算だったが、念のため持っていた汗拭きシートで簡単に汗を拭く。そうこうしていたら、朝飯の時間も残り少なくなってくる。

 

朝食を受け取り、食堂内を見渡すと、窓際の端の方で見慣れた人達が集まっていた。

 

「おはよーございます。ご一緒しても良いですか」

 

「私はもういくんだよね。幸人君はなんかタイミング悪いね」

 

「あっ、そうなんですか?なんかすみません」

 

「全然いいよ。じゃあ、また後で」

 

黄前先輩が去っていき、俺は椅子が引かれたままのその席へと座る。

 

「オーディションの発表の準備とかですかね。部長は本当に忙しいですね、こんな朝早くから」

 

「大変だよね、発表8時だし。みんな一緒に吹けるといいね。コンクールで」

 

その言葉に、俺は目を丸くした。A編成は55人。黒江先輩のみんなでがどこまでを指すのかわからないが、その言葉はあまりにも非現実的だった。

 

「本心で言ってます?」

 

俺の感想は、隣にいる奏先輩と同じだった。

 

「もちろん!どうして?」

 

「黒江先輩、そのみんなって俺も入れてもらえてますか?」

 

「もちろんだよ。本当はユーフォで吹ければ良かったけど、サックスで吹くかもしれないでしょ」

 

「...ま、そうなんですけど」

 

なんと言うか、何も言う気が起きなくなった。俺が黒江先輩の事を理解できてないだけなのか、黒江先輩に話が通じないのかは、分からない。奏先輩も、それ以上は何も言わなかった。

 

「それにしても、真島君は随分遅かったですね」

 

「実は、ちょっと走りたくなって走ってたんですけど、シャワーが使えなくて」

 

「えぇ、朝から何してるの。ちゃんと汗拭いた?臭くしないでね」

 

「ちゃんと、汗拭きシート使いましたよ!えっ、匂ってないですよね!大丈夫ですよね」

 

「なんか少し臭いかも」

 

「えっ、嘘」

 

「大丈夫。臭くないよ」

 

「ええ、冗談なので」

 

「ちょっと、奏先輩!やめて下さいよ」

 

「早く食べないともうすぐ時間ですよ。じゃあ私はもう行くので」

 

「私もそろそろ準備しようかな」

 

「あっ、はい。じゃあまた後で」

 

静かになったその席で、1人手早く食事を済ませる。食事を終えた俺が集合場所に着いた頃、ほとんどの人がすでに集まっていた。

 

俺自身結構ギリギリだった事もあり、残りの人もすぐに集まり、この場の緊張感も高まっていく。

 

「ではこれより、オーディションの結果発表を行います。大会毎にメンバーを変えるのは北宇治にとって初の試みです。苦労することもあるかもしれませんが、これが最良だったと思える様にしたいと考えています。では、発表します。トランペットから、3年、高坂麗奈さん」

 

次々にメンバーが呼ばれていく。思えば滝先生がメンバーを発表するのは初めてだ。

 

「続いて、テナーサックス、3年、瀧川ちかお君」

 

「はい」

 

「2年、内田ベイブさん」

 

「はい」

 

「以上2名。続いてバリトンサックス、一年、真島幸人君」

 

「はい」

 

俺の名前だった。関西大会のメンバーには選ばれた。バリトンサックスで。これで、ユーフォで呼ばれる事は無い。席だって奏先輩の隣ではなくなる。

 

そんな事を考えながら意識の端で、周りの少しのざわめきと、滝先生の声を聞き続ける。

 

「続いてユーフォニアム、3年、黄前久美子さん」

 

「はい」

 

「3年、黒江真由さん」

 

「はい」

 

「以上2名。続いてチューバ、3年、加藤葉月さん」

 

「はい」

 

以上、2名。

 

その一言の意味を理解するのに、一拍かかった。ユーフォは、2人。奏先輩の名前は、呼ばれなかった。

 

それは、この部屋に再度ざわめきをもたらした。声が大きくなったわけでは無い。でも、思わず振り返る人もいる。俺も思わず奏先輩を見ていた。

 

名前を呼ばれた時、奏先輩と吹けると思っていた。なのに……

 

そんな動揺なんてお構い無しに、メンバーはどんどん呼ばれていく。

 

「2年、鈴木さつきさん」

 

「はい」

 

「1年、釜谷すずめさん」

 

「はい」

 

みっちゃん先輩は当然として、さっちゃん先輩が選ばれた、釜谷も。チューバのメンバーは合計4人。府大会よりも1人多い。本当に、編成自体が大きく変わっていた。

 

そして、残すはソロパート。

 

「ユーフォニアム、3年、黒江真由さん」

 

「はい」

 

その瞬間、部屋の空気が変わる。

 

それは今日一番のざわめきだった。

 

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