暗闇を共にする者だけが、同じ光を共有できる。
――星欧の古いことわざ
――首都ヴィルトシュヴァイン シュタッフェン街の裏手 「豚の寝床」 1階 管理人の部屋
使い古されたランプの炎が頼りなく揺れる狭い部屋を照らす。
警察の刑事たちや憲兵曹長を外の廊下へ退け、固く閉ざされた木製扉の内で、空間は静寂と濃密な緊張感に満たされていた。
窓の外では、細い夜雨がしとどに街を濡らし続けている。
煤けたガラス窓に打つ雨音が、刻一刻と迫る東の空の白み――日の出へのカウントダウンを冷酷に刻んでいた。
ハインリヒ・グロッセ憲兵大尉は、特注の漆黒の軍服の上から、手袋を嵌めた手で、激しく疼く自らの胃のあたりを軽く押さえていた。
その前で、胸元を隙なく締め上げた肋骨服を纏い、左腕に『内務調査』の矢車菊青色の腕章を巻いたルネーア・オルトリンデ少佐が、黒い眼鏡の奥の赤い瞳を冷ややかに光らせている。
「時間がないぞ……ハインリヒ?」
ルネーアの声は、研ぎ澄まされた氷の刃のごとく静かであった。
彼女は腕を組み、細い顎をわずかに引いて、目の前に立つ痩せたオークの憲兵大尉の出方を試すように待っていた。
二人の間には、二つの決定的な「事実」が横たわっていた。
一つは、四階の死体――東方軍の宿老であり、オルクセンの英雄であったレーヴェルン中将の首が凄惨に断ち切られ、舌を奪われて転がっていること。
もう一つは、現場に残されたあまりにも雄弁な「証拠」の数々。
暗闇へ消えたダークエルフの騎兵ズボンの赤ライン、被害者の胸の上に置かれたアンファングリア旅団の『銀狼徽章』、そして住人である白エルフの存在。
真犯人は、これ以上ないほど露骨に、そして完璧な精度で「ダークエルフ(アンファングリア騎兵旅団)による政治的私刑」という物語を演出しようとしていた。
グロッセは大衣のポケットから銀の懐中時計を取り出し、カチリと乾いた音を立てて蓋を開けた。
文字盤の針は、午前三時四十五分を指している。
彼は静かに蓋を閉じると、深々と息を吐き出し、眼鏡の奥の鋭い眼光をルネーアの顔へと向けた。
「……なかったことにする」
その言葉は、まるで夜の闇の中に落とされた一滴の毒のように、小さく、しかし決定的に室内の空気を凍りつかせた。
「今……なんと……?」
ルネーアの表情が完全に止まった。
黒い眼鏡の奥で、燃えるような赤い瞳が驚愕と戸惑い、そして激しい怒りの予兆に揺れ動く。
グロッセは表情ひとつ変えず、冷酷なまでに平然とした調子で言葉を重ねた。
「聞き取れなかったかね、少佐。この事件、および現場で見つかったあらゆる『証拠』……いや、レーヴェルン中将がアンファングリアの徽章を胸に私娼窟で死んでいたという事実そのものを、公式の記録から『なかったこと』にするのだと言っている」
「ふざけるな!」
ルネーアの鋭い喝破が、狭い部屋の空気を跳ね飛ばした。
彼女は一歩踏み出し、グロッセの痩せた胸元へ詰め寄った。その全身から、刺すような殺気と激昂が噴出する。
「正気か、グロッセ大尉! 国軍の中将が殺されたのだぞ! 舌を切り取られ、我が旅団の徽章を胸に置かれて! それを……『なかったことにする』だと!? それが……憲兵隊本部参謀長から全権を委ねられた憲兵将校の吐く台詞か!」
「静かにしたまえ、少佐」
グロッセは静かに視線を合わせ、微塵も動じずに言い放った。
「声を荒らげても、客観的事実は何一つ変わらん。落ち着いて自分の頭脳で計算してみ給え。少佐、これがこのまま公表されれば、アンファングリア騎兵旅団と東方軍はどうなる」
「……!」
ルネーアの言葉が詰まった。
彼女の明晰すぎる知性が、グロッセの提示した「最悪の未来」を一瞬にして演算し尽くしたのだ。
「戦争だろうな……」
ルネーアの唇から、苦々しい掠れ声が漏れた。
今日、グスタフ王の断行した『軍用兜禁止』の決定を受け、伝統と誇りを奪われた東方軍のオークの旧将派・宿老たちは、怨嗟の泥沼に沈んでいる。
そこへ追い打ちをかけるように、東方軍の精神的支柱であったレーヴェルン中将が、私娼窟で「亡命ダークエルフ(アンファングリア)」の手によって凄惨に暗殺されたという報が駆け巡ったらどうなるか。
狂乱したオークの将子たちは、もはや国王の制止すら振り切り、首都に衛戍するアンファングリア騎兵旅団の兵舎およびヴァルターベルクのダークエルフの女たちの居留地へと一斉に雪崩れ込むだろう。
そして、気高き亡命ダークエルフたちもまた、自尊心と生存のために山刀を抜き、銃火を交える。
首都ヴィルトシュヴァインは血の海と化し、オルクセン王国は内乱の炎に包まれる。
グロッセは、冷徹な仮面を崩さぬまま、ルネーアの瞳を射抜くように告げた。
「なら、戦争の準備をするといい。そうなれば、もうダークエルフの居場所はこの地上から消滅する」
「貴様……!」
ルネーアの右手が、激しい憤怒に震えながら腰の山刀の柄へと伸びた。
彼女の赤い瞳には、怒りと同時に、あまりにも過酷な現実に晒された者の深い絶望が滲んでいた。
故郷である白エルフ主導のエルフィンド王国において迫害・虐殺され、命からがら渡河して辿り着いたこのオーク族と魔人種の国、オルクセン王国。
グスタフ王の慈悲と先見の明によって、ようやく自らの足で立つ場所――「アンファングリア騎兵旅団」という居場所を得たのだ。
もし、オーク兵たちとの全面内乱が起これば、たとえアンファングリアがどれほど勇猛に戦おうとも、数において圧倒的なオークの海に呑み込まれ、亡命ダークエルフという種族そのものが今度こそ歴史の闇へと抹殺される。
それこそが――この事件を仕組んだ犯人(白エルフか、あるいは王国を揺るがそうとする暗黒の勢力か)の、本当の狙いなのだから。
グロッセは、刃のような目つきのまま、しかしどこか深遠な響きを帯びた声で囁いた。
「だから……なかったことにするのだよ……ルネーア、前のように」
「っ……!」
ルネーアの全身が、まるで雷撃に打たれたかのように硬直した。
『前のように』
その言葉が引き金となり、彼女の脳裏に、半年前に埋め込まれた不吉で凄惨な傷跡――星歴八七六年一月の、あの凍てつく夜の記憶が奔流となって押し寄せてきた。
――星歴八七六年一月。シルヴァン川渡河直後、国軍臨時抑留所。
あの日も、冷たい雨と雪が混じる地獄のような夜だった。
白エルフの凄惨な追撃と虐殺を逃れ、凍てつくシルヴァン川を命からがら渡ってきた一万二千のダークエルフの女たち。
ディネルース氏族長率いる彼女たちは、護身用の山刀以外の武器を回収され、オルクセン国軍が急造した木造の臨時抑留地へと収容されていた。
まだオルクセンという国家が敵か味方かも分からず、飢えと疲労、そしていつ殺されるか分からない恐怖に、誰もが身を縮こまらせていた時期だ。
その抑留地の一画で、事件は起きた。
血気盛んで、エルフに対する長年の偏見と歪んだ欲望を抱いた若いオークの臨時憲兵の兵士が、夜陰に紛れ、抑留されていた一人のダークエルフの女性の天幕へと忍び込んだのだ。
嫌がる彼女の口を塞ぎ、衣類を破り捨て、その尊厳を蹂躙しようとした暴力。
事件は、巡回中だった当時抑留者たちに選ばれた地区班長のルネーアによって即座に発見され、暴行に及ぼうとしていたオーク兵は、駆けつけたルネーアの山刀によって一瞬で斬り伏せられ、倒れ伏した。
知らせを受けた抑留所の同地区担当責任者――ハインリヒ・グロッセ憲兵大尉が現場へ駆けつけた時、天幕の中は地獄のような凄惨な空気に満ちていた。
怯え、衣服を破かれて震える被害者のダークエルフの女。
血反吐を吐いて床に転がる不祥事を起こしたオークの臨時憲兵。
そして――返り血を浴びた山刀を握りしめ、全身から殺気を滾らせて立ち尽くすルネーア・オルトリンデの姿。
当時のルネーアは、憎悪と激怒のあまり、身体を激しく震わせていた。
「やはり……! やはり貴様らは、どこまで行っても淫靡で野蛮なオークだ!」
ルネーアは刀身をグロッセの胸元へ突きつけ、叫んだ。
「王の慈悲だの、臣民だの、嘘八百を並べ立てて私たちを囲い込み……裏ではこのような畜生以下の真似を仕かす! これが貴様らの本性か! この醜悪な
ルネーアの吐き捨てるような罵倒と憎悪を、グロッセは一切の反論をせずに受け止めていた。
彼の顔は、慢性胃潰瘍の激痛と極限の疲労によって土色に陰っていたが、その眼光だけは気味が悪いほど冷徹に冴え渡っていた。
グロッセは、転がる自軍の臨時憲兵を一度だけ一瞥すると、手袋を嵌めた手で静かに憲兵を表す矢車菊青<コーンフラワーブルー>の腕章を正す。
そして、信じがたい言葉を口にしたのだ。
『……この件、なかったことにする』
当時のルネーアは、自分の耳を疑った。
『……な……何だと……!?』
『聞こえなかったのかね。この事件は起きなかった』
『……おのれ、おのれ! そいつを庇うのか、やはり、貴様らは……!!』
『この不祥事を起こした臨時憲兵は、今夜の警備中に足を滑らせ、シルヴァン川の急流に落ちて行方不明になった。そういう処理にする』
『……隠蔽か!? 自軍の犯罪を隠すために、被害者の尊厳を踏みにじり、揉み消すというのか! どこまで腐り果てているのだ、貴様らは!』
ルネーアは激怒のあまり山刀を深々と押し込み、グロッセの特注軍服の襟元を切り裂いた。
ほんの数ミリ刃先がずれれば、グロッセの頸動脈が繋がっている首筋へと達する距離だった。
だが、グロッセは瞼ひとつ動かさなかった。
『切りたければ切るがいい……オルトリンデ班長』
グロッセは痛む胃を強く押さえながら、恐ろしいほどの静寂を伴った声で語りかけた。
『だが、刺す前に考え給え。今、我が国軍の内部で「オークの憲兵が亡命エルフの女を暴行した」という事実が公になればどうなる?』
『……!』
『国軍の内部には、いまだエルフに対する根強い蔑視と警戒感を抱く旧弊な将校たちが大勢いる。彼らは即座にこう主張するだろう。「見ろ、やはりエルフどもは我らと相容れぬ。抑留所内で我が兵士に危害を加えた」とな。そして、ディネルース・アンダリエルと一万二千のダークエルフたちは、「危険な潜在的敵対者」として、より過酷な収容所へ送られるか、あるいは国境の外へと叩き出される』
グロッセは血を吐くような冷徹さで、続けた。
『グスタフ陛下が推し進めておられる「種族の統合」という壮大な理想は、このたった一匹の愚かなオークの欲望によって、脆くも崩れ去るのだ。君たちの亡命は失敗に終わり、帰る家を失った君たちは、エルフィンドの白エルフどもに引き渡されるか、国外に追放される……だが、受け入れてくれる人間族の国などあるか……それでもいいのかね?』
『……くっ……!』
『不祥事を犯したこの兵士は、軍法会議にはかけん。私が今夜、個人的に始末する。人知れず極寒の川へ叩き落としてな。奴に与えられるのは歩哨中の事故死だ……遺体はあがらない。「名誉ある戦死」ではなく、永遠の不名誉だ。被害を受けた彼女には、本国の最高の医療と、十分すぎる保障を与えることを私が個人の名義で約束しよう』
グロッセはルネーアの突きつける山刀の刃先を、手袋越しに自ら掴んだ。
手袋にしっとりと赤黒い血が滲む。
『正義を貫いて全同胞を破滅させるか……それとも、私の提案を飲み込んで「未来」を買うか。決め給え、ルネーア・オルトリンデ。君にはその知性があるはずだ』
あの時――。
ルネーアは、悔しさと屈辱に歯を食いしばり、涙を呑んで山刀を収めたのだった。
結局、ダークエルフの女たちは彼の提案を受け入れた。
それは自軍の不祥事を隠蔽するための卑劣な揉み消しではなかった。
目の前にいるこの痩せたオークの憲兵大尉が、自らの魂と名誉を犠牲にし、国家の未来と一万二千のダークエルフの命を守るために選んだ、極限の「政治的リアリズム」であったことを、彼女は後になって理解したのだ。
実際にその夜、あのオークの不祥事を起こした臨時憲兵は消息を絶ち、事件は闇へと葬られた。
被害者のダークエルフの女は手厚く看護され、やがてアンファングリア騎兵旅団の山岳猟兵として新しい人生を得た。
なお、この独断専行の処理と事件発生の引責という形で、グロッセ大尉は直後に抑留施設の任を解かれて元の憲兵学校へと戻されることになり、二人はそれ以来、今日この現場で再会するまで半年間一度も顔を合わせることはなかった。
そしてグスタフ王の統合の旗印のもと、ダークエルフたちは「オルクセン国軍の誇り高き一員」としての地位を確立したのだった。
彼女自身も、アンファングリア騎兵旅団の内務調査班長として、今では彼と同じ――矢車菊青<コーンフラワーブルー>の腕章を纏っていた。
あの過酷な夜の裏側で、ハインリヒ・グロッセという男は、たった一人で全ての汚名を被っていたのだ。
彼女たちのために……。
――そして現在。首都ヴィルトシュヴァインの1階管理人室。
暗闇の中で静まり返る室内。
過去の過酷な記憶から引き戻されたルネーアは、呆然としたようにグロッセの痩躯を見つめていた。
「あの時と……同じだというのか、グロッセ……」
ルネーアの声から、険しさが消えていた。
代わりに宿っていたのは、深遠な溜息と、この男に対する恐ろしいほどの理解であった。
「そうだ」
グロッセは銀の眼鏡を指先でわずかに押し上げ、薄い唇を歪めた。
「犯人は、我々に『レーヴェルン中将はアンファングリアのダークエルフに殺された』という物語を丸呑みさせようとしている。ならば、そのシナリオにそのまま乗ってやる筋合いなどどこにもない」
グロッセは一歩踏み出し、ルネーアの目の前で密やかな音線をつむいだ。
「日の出とともに、この事件は『公式』にはこう処理される。――レーヴェルン中将は、かねてより患っていた重度の心臓疾患の急発作により、訪問先の憲兵隊本部で不慮の死を遂げられた、とな」
「事故死……あるいは病死として処理する、と? だがハインリヒ、あの傷だ! 首を切断され舌を抜かれた遺体を東方軍や遺族に見せれば、一瞬で嘘が破綻するぞ!」
「見せないのだよ、誰一人としてな」
グロッセは冷酷な眼光を崩さなかった。
「憲兵隊本部参謀長へ直通電話を入れ、国軍参謀本部参謀総長のゼーベック上級大将閣下の直命として『国家安全保障上の最高機密』に指定させる。遺体は国軍中央病院の地下で信頼できる軍医長の手により傷口を極秘縫合、即座に鉛の棺へ収めて密閉・棺蓋(かんがい)封印だ。遺族にも『感染症予防』と『遺体の損壊防止』を理由に面会を一切謝絶する。参謀本部の全権をもって押し通す」
「……力技だな。だが、現場の警察どもはどうする? 警部や刑事たちがすでにあの惨状を見ている」
「今夜この現場に立ち入った警察官は全員、身柄を憲兵隊本部へ一時隔離する。首都警察総監へは参謀長から直接電話を入れて口を塞がせる。ボルフ同様、捜査が結了するまで外部との接触は一切遮断だ」
ルネーアは静かに目を開いた。
「……だが、それでは真犯人は野放しだ。中将を殺し、我が旅団を陥れようとした暗黒の影は、闇の中で嘲笑うことになるぞ」
「野放しにするわけがないだろう」
グロッセの瞳に、剃刀のような凶暴な知性の光が宿った。
「表向きを『病死』と偽ることで、犯人は確実に拍子抜けする。『なぜだ? なぜ内乱が起きない? なぜダークエルフとオークが殺し合わない?』とな。そして……必ず次の行動を起こす。己の筋書き通りに世界を動かそうと、焦って尻尾を出すのだよ」
グロッセは懐から、先ほど布袋に収めた『銀狼徽章』をゆっくりと取り出した。
「公式の捜査は打ち切りだ……だが、私と君の『非公式の捜査』は、ここからが本番となる。表の法規と管轄を全て捨て去り、闇の中で真犯人の首を狩りに行く。それが……私の言う『なかったことにする』の本当の意味だ」
ルネーアは、絶句した。
この男の頭脳は、どこまで冷酷で、どこまで先を見通しているのか。
国家の秩序を守るためなら、自らの名誉も、法規も、憲兵としての矜持すらも迷わずドブに捨ててみせる。
そして、犯人が最も予期せぬ「隠蔽」という回答を突きつけることで、暗闇の中の敵を炙り出そうとしているのだ。
「……狂っているな、貴様は」
ルネーアの唇から、小さな笑いが漏れた。
それは呆れ果てた笑いであり、同時に、心底からの敬服の笑みであった。
「相変わらず……恐ろしいまでの冷酷さと、狂気じみた理性だ。ハインリヒ・グロッセ大尉」
「褒め言葉として受け取っておこう、少佐」
グロッセはそう言うと、急激な胃の痛みに思わず顔を顰め、上着の上から強く腹を押さえた。
「くっ……う」
「おい……大丈夫か」
ルネーアは思わず手を差し伸べかけたが、グロッセは手袋の手を振ってそれを制した。
「慢性だと言っただろう……毎回君と重大な『隠蔽工作』の相談をするたびに、胃が壁を破りそうになる……」
「フン……自業自得だ。そのような悪知恵ばかり働かせるから、胃が悲鳴をあげるのだ」
ルネーアは毒づきながらも、黒い眼鏡の奥の赤い瞳を和らげた。
彼女は自分の左腕に巻かれた『内務調査』の腕章をそっと指先で撫で、静かに決意を固めた。
「いいでしょう。乗りますよ、そのあなたの企みに」
ルネーアは背筋を伸ばし、グロッセに向かって凛とした姿勢をとった。
「アンファングリア騎兵旅団内務調査班長として……本件の表向きの『病死処理』に同意します。そして、非公式の合同追跡において、私の指揮下にある内務調査班の全能力を貴方に預けましょう」
「感謝する、少佐」
グロッセは痛む胃を宥めながら、深々と頭を下げた。
「さて……日の出まで、残り三十分もない。参謀長へ『最初の報告』を入れるとしよう……『レーヴェルン中将が持病の心臓発作で急死された』という、完璧な嘘の報告をな」
「ええ……世界で最も哀しく、そして完璧な嘘を」
二人は顔を見合わせ、静かに木製の扉を開けた。
外の廊下には、不安そうに待機していた警察警部と憲兵曹長、そして内務調査班の部下たちが立っていた。
グロッセは一瞬にして「憲兵大尉」の顔へと戻り、朗々とした声で命令を下した。
「警部」
「は、はっ!」
「貴公、および本日この現場に臨場したすべての捜査員・警察官に告げる。これより全員、憲兵隊の護送車にて憲兵隊本部へ移動してもらう」
「え……? い、移動……ですか?」
警部が顔色を失った。
「本件はたった今、参謀本部直轄の『最高国家機密』に指定された。首都警察総監へはすでに上層部から通達が入っているはずだ。現場の清掃および証拠品の保全、遺体の搬出はすべて我が憲兵隊の特殊班が引き継ぐ。貴公らは事件結了まで本部にて一時隔離・待機とする。公私を問わず本件を一口でも漏らした者は、軍事裁判において国家反逆罪として即刻処刑する……異論はあるかね?」
「ひっ……! 滅、滅相もございません! 直ちに従います!」
警部たちが慌ただしく動き出し、階下へと駆け降りていく。
暗闇の廊下で、グロッセとルネーアは並んで立ち、静かに夜明けの気配を感じ取っていた。
東の空が、ゆっくりと浅葱色に染まり始めている。
雨はいつしか止み、湿った冷気がヴィルトシュヴァインの街並みを包み込んでいた。
国家を揺るがす巨大な暗黒の罠。
その罠に対し、オークとダークエルフの二つの知性は、「真相の隠蔽」という最悪で最高の禁手を打ち込んだ。
夜が明ける。
オルクセン王国の運命を賭けた、闇の中の狩りが、いま静かに始まろうとしていた。
※この物語はオルクセン王国史の二次創作小説です。