無職転生×異伝   作:からし明太子

18 / 18
第十七話 家庭教師の日々

 

 

 ボレアス家の庭に、三つの声が響くようになった。

 

「前!」

 

「右、抜ける!」

 

「足元、変えます!」

 

 エリスの声。

 

 レンの声。

 

 ルーデウスの声。

 

 最初はばらばらだった。

 

 エリスは声を出す前に突っ込む。

 

 レンは声を出す前に動く。

 

 ルーデウスは声を出した時には、もう魔術を発動しかけている。

 

 そのたびにギレーヌの木剣が飛んできた。

 

「遅い」

 

「早すぎる」

 

「味方を見ろ」

 

「敵を見失うな」

 

「声を出せ」

 

「声だけで満足するな」

 

 短い言葉と、痛い一撃。

 

 それが毎日のように繰り返された。

 

 朝は剣。

 

 昼は授業。

 

 夕方は連携。

 

 夜は復習。

 

 以前のボレアス家なら、エリスは授業から逃げ回り、使用人を困らせ、ギレーヌに引きずられていたのだろう。

 

 だが、今は違う。

 

 少なくとも、完全には逃げなくなった。

 

 理由は単純だった。

 

 ルーデウスが授業を戦いに結びつけたからだ。

 

「今日の計算は、護衛の配置です」

 

「配置?」

 

 エリスが眉を寄せる。

 

「はい。敵が三人、味方が三人。誰がどこに立てば、一番守りやすいかを考えます」

 

「それならやるわ」

 

「では、この図を見てください」

 

 ルーデウスは板に丸と線を描く。

 

 前にエリス。

 

 斜め後ろにレン。

 

 さらに後ろにルーデウス。

 

 そして敵が三つ。

 

 エリスは最初、文字を見るだけで嫌そうな顔をしていた。

 

 だが、そこに剣や敵の位置が入ると話が変わる。

 

「こいつが横から来たら、レンが止めるのよね」

 

「そうです」

 

「でも、こっちの敵が私の横を抜けたら?」

 

「その時、エリス様が追いすぎると陣形が崩れます」

 

「追わなきゃ逃げるじゃない」

 

「だから、レン君に任せるか、僕が足を止めます」

 

「む……」

 

 エリスは唸る。

 

 納得しきってはいない。

 

 だが、考えている。

 

 それだけでも大きな変化だった。

 

 読み書きも同じだった。

 

 以前は、手紙と聞けば面倒だと投げ出しかけた。

 

 だが、ルーデウスが「作戦を伝えるには文字が必要です」と言った途端、少しだけ態度が変わった。

 

 右。

 

 左。

 

 前。

 

 後ろ。

 

 下がる。

 

 止まる。

 

 回り込む。

 

 短い単語から始まり、やがて簡単な文章になった。

 

 エリスの字は荒かった。

 

 線が強すぎて紙が破れそうになる。

 

 だが、以前よりは読める。

 

 本人はそれを認めたがらない。

 

「字なんて読めればいいのよ」

 

「読めるようになってきましたね」

 

 ルーデウスが言うと、エリスはそっぽを向く。

 

「当たり前でしょ」

 

「褒めています」

 

「分かってるわよ!」

 

 顔は怒っている。

 

 だが、耳は少し赤い。

 

 レンは隣でそれを見て、小さく笑いそうになる。

 

 すると必ず睨まれる。

 

「何笑ってるのよ」

 

「笑ってない」

 

「笑った顔だったわ」

 

「エリスの字、少し読みやすくなったなと思って」

 

「少し!?」

 

「前より」

 

「もっと褒めなさいよ!」

 

「かなり読みやすくなった」

 

「最初からそう言いなさい!」

 

 理不尽だった。

 

 だが、それもいつものことになりつつあった。

 

 ◇

 

 ギレーヌもまた、授業を受けていた。

 

 最初はその光景に、レンも少し戸惑った。

 

 剣王級の剣士。

 

 ギレーヌ・デドルディア。

 

 大人の男たちを一瞬で叩き伏せる彼女が、子供たちと並んで文字を書いている。

 

 しかも、真剣に。

 

 とても真剣に。

 

 エリスが途中で飽きて足を揺らす横で、ギレーヌは一文字ずつ丁寧になぞっていた。

 

「右」

 

 低い声で読む。

 

「左」

 

 少し間を置く。

 

「前」

 

 板を見る。

 

「後ろ」

 

 間違えると、無言で眉間に皺が寄る。

 

 だが、投げ出さない。

 

 ギレーヌは分からないことを恥じていない。

 

 分からないままにすることを嫌っている。

 

 それは剣の稽古と同じだった。

 

 できない。

 

 なら、できるまでやる。

 

 エリスは最初、ギレーヌが授業を受けることを不思議がっていた。

 

「ギレーヌも字が苦手なの?」

 

「はい」

 

「なのに、やるの?」

 

「必要です」

 

「面倒じゃない?」

 

「面倒です」

 

「じゃあ何で?」

 

「強くなるためです」

 

 その一言で、エリスは黙った。

 

 強くなるため。

 

 そう言われれば、エリスは反論できない。

 

 レンも同じだった。

 

 文字を書くこと。

 

 数を数えること。

 

 地図を読むこと。

 

 それらは剣を振ることとは違う。

 

 だが、戦うために必要になることがある。

 

 町中で誰かを守る時。

 

 依頼を読む時。

 

 敵の数を把握する時。

 

 道を選ぶ時。

 

 知らなければ、剣を抜く前に負ける。

 

 ルーデウスはそれを知っている。

 

 ギレーヌも、それを学ぼうとしている。

 

 レンもまた、授業を軽く見ることはできなかった。

 

 ◇

 

 午後の魔術訓練は、レンにとって特に新鮮だった。

 

 エリスは魔術に対して、最初からあまり相性が良くなかった。

 

 いや、興味がないわけではない。

 

 水弾で的が砕ければ目を輝かせる。

 

 土が盛り上がれば面白がる。

 

 炎が灯れば、もっと大きくしろと言う。

 

 だが、自分でやるとなると、すぐに苛立つ。

 

「出ない!」

 

「もう少し魔力をゆっくり流してください」

 

「流してるわよ!」

 

「力みすぎです」

 

「魔術なのに力むって何よ!」

 

 エリスは両手を突き出したまま怒鳴る。

 

 ルーデウスは苦笑しながら、丁寧に説明する。

 

「剣で強く振ろうとして肩に力が入ると遅くなりますよね」

 

「なるわね」

 

「それと同じです」

 

「魔術も剣みたいに言えばいいと思ってるでしょ」

 

「エリス様にはその方が伝わるので」

 

「むかつくけど、ちょっと分かるのがもっとむかつくわ」

 

 結局、エリスは小さな水を出すのにもかなり苦戦した。

 

 出たとしても、形が崩れる。

 

 飛ばそうとすると、すぐ落ちる。

 

 何度も失敗する。

 

 そのたびに怒る。

 

 しかし、やめない。

 

 それがエリスだった。

 

 一方で、レンは魔術そのものを本格的に習うつもりはなかった。

 

 魔力はある。

 

 簡単な感覚も、ルーデウスに教われば掴めないわけではない。

 

 だが、レンの中心は剣だ。

 

 大亀流だ。

 

 魔術を鍛え始めれば、時間がいくらあっても足りない。

 

 だから、彼が集中したのは、魔術を見ることだった。

 

 ルーデウスが水弾を撃つ。

 

 レンはその前後を見る。

 

 手。

 

 肩。

 

 目。

 

 呼吸。

 

 足。

 

 指先。

 

 魔力そのものは見えない。

 

 だが、完全に無から水が生まれるわけではない。

 

 ルーデウスほど無詠唱に長けた者でも、意識の向きは出る。

 

 狙いを定める瞬間。

 

 手首がわずかに変わる瞬間。

 

 体の中心が的へ向く瞬間。

 

 そこに、起こりのようなものがある。

 

 剣士の踏み込みほどはっきりしていない。

 

 けれど、何もないわけではない。

 

「もう一度」

 

 レンが言う。

 

 ルーデウスは水弾を作る。

 

 今度はわざと少し遅く。

 

 レンは横へ外れる。

 

 水弾が通り過ぎ、的に当たる。

 

「今のは避けられましたね」

 

「ゆっくりだったから」

 

「実戦ならもっと速くします」

 

「だよね」

 

「でも、レン君はさっきより反応が早いです」

 

「手を見るより、目と体の向きを見た方が少し分かる」

 

「なるほど」

 

 ルーデウスは興味深そうに頷く。

 

「僕も、撃つ前に癖が出ているのかもしれません」

 

「たぶん」

 

「直した方がいいですね」

 

「こっちは困るけど」

 

「お互い様です」

 

 ルーデウスは笑った。

 

 その笑みは年相応にも見える。

 

 だが、会話の中身はやはり子供のものではない。

 

 レンはまだ、そこへ踏み込まない。

 

 ルーデウスも踏み込まない。

 

 それでいい。

 

 今はまだ、剣と魔術の話だけで十分だった。

 

 ◇

 

 三人での連携は、少しずつ形になっていった。

 

 エリスは前に出る。

 

 それは変わらない。

 

 変わらないが、前に出た後のことを考えるようになった。

 

 外された時。

 

 横から敵が来た時。

 

 ルーデウスの魔術の線を塞がない位置。

 

 レンが横へ入る空間。

 

 そういうものを、少しずつ意識するようになった。

 

 もっとも、熱くなればすぐ忘れる。

 

「エリス、出すぎ!」

 

「分かってるわよ!」

 

「分かってないから言ってる!」

 

「うるさい!」

 

 怒鳴りながらも、半歩下がる。

 

 その半歩が以前とは違う。

 

 レンはエリスの横を抜けた相手を止める。

 

 雷電型第一式で手元を潰す。

 

 影縫で相手の視線から外れる。

 

 逆鱗で防御の外を滑らせる。

 

 荒神で武器の軌道を崩す。

 

 時には火柱で押し返そうとして、力不足を思い知らされる。

 

 大亀流の五剣一式は、単体で使うだけでは足りない。

 

 連携の中では、もっと短く、もっと早く、もっと選んで使わなければならない。

 

 大技を出す時間がない時もある。

 

 技に入る前に、味方の位置を見なければならない時もある。

 

 それは難しい。

 

 だが、面白かった。

 

 ルーデウスは後ろから場を作る。

 

 土で足を止める。

 

 水で視界を塞ぐ。

 

 小さな風で木片を飛ばし、注意を逸らす。

 

 炎は危険なので、訓練ではほとんど使わない。

 

 彼の魔術は派手ではない時ほど厄介だった。

 

 敵を倒すのではなく、一瞬だけ遅らせる。

 

 足元をずらす。

 

 目線を動かす。

 

 その小さな一瞬に、エリスかレンが入る。

 

 ギレーヌはそれを見ながら、時々言った。

 

「今のはよい」

 

「今のは遅い」

 

「味方を巻き込むな」

 

「声が足りない」

 

「声に頼るな」

 

 矛盾しているようで、矛盾していない。

 

 声は必要。

 

 だが、声だけでは遅い。

 

 見ることも必要。

 

 だが、見ることに集中しすぎれば身体が遅れる。

 

 考える。

 

 沈める。

 

 動く。

 

 何度も失敗し、何度も打たれながら、三人は少しずつ覚えていった。

 

 ◇

 

 そんな日々の中で、ルーデウスは時折、遠くを見るような目をした。

 

 授業の合間。

 

 庭の端。

 

 魔術の訓練後。

 

 彼はふと空を見上げる。

 

 その横顔に、子供らしからぬ影が差す。

 

 レンは何度か気づいた。

 

 エリスも気づいているのか、ある日、唐突に言った。

 

「ルーデウス」

 

「はい?」

 

「たまに変な顔するわよね」

 

「変な顔ですか」

 

「そう。何か考えてる顔」

 

「いつも考えていますよ」

 

「そういうのじゃないわ」

 

 エリスは腕を組む。

 

「あんた、何かやりたいことでもあるの?」

 

 ルーデウスは少し驚いたようだった。

 

 レンも驚いた。

 

 エリスが、こういう聞き方をするとは思わなかった。

 

 以前の彼女なら、気に入らなければ殴るか怒鳴るかだった。

 

 だが、今は相手の中にあるものを見ようとしている。

 

 ルーデウスは少し考えた後、答えた。

 

「あります」

 

「何?」

 

「魔法大学に行きたいと思っています」

 

「魔法大学?」

 

 エリスが首を傾げる。

 

「魔術を学ぶ場所です」

 

「ふうん。強い魔術師がいるの?」

 

「いると思います」

 

「じゃあ面白そうね」

 

「僕の場合、そこへ行くためのお金を貯める必要があります」

 

 ルーデウスは少し笑った。

 

「家庭教師の仕事を引き受けた理由の一つも、それです」

 

「お金のため?」

 

「はい」

 

 エリスはじっとルーデウスを見た。

 

 普通なら、貴族の娘相手に金のためと言うのは失礼なのかもしれない。

 

 だが、ルーデウスは正直に言った。

 

 エリスはそれをどう受け取るのか。

 

 レンは少し気にしていた。

 

 エリスはしばらく黙ってから、ふんと鼻を鳴らした。

 

「なら、ちゃんと働きなさい」

 

「はい」

 

「私を強くして、字も読めるようにして、魔術も教えるのよ」

 

「もちろんです」

 

「それでお金をもらうなら、ちゃんとやりなさい」

 

 ルーデウスは一瞬、目を丸くした。

 

 それから、柔らかく笑う。

 

「はい。頑張ります」

 

 エリスは当然という顔をした。

 

「レンは?」

 

「俺?」

 

「あんたは何のためにここにいるの?」

 

 突然だった。

 

 レンは少しだけ言葉に詰まった。

 

 武者修行。

 

 大亀流が外でどれだけ通じるかを見るため。

 

 強くなるため。

 

 怖くても動けるようになるため。

 

 エリスやルーデウスと出会う前なら、それで答えは終わっていた。

 

 だが、今は少し違う。

 

「最初は、自分の剣を試すためだった」

 

「今は?」

 

 エリスがまっすぐ見てくる。

 

 逃げられない目だった。

 

 レンは木刀の柄に触れた。

 

「今は、強くなりたい。自分のためにも、誰かと一緒に生き残るためにも」

 

 エリスは少し黙った。

 

 ルーデウスも静かに聞いている。

 

「ふうん」

 

 エリスはそっぽを向いた。

 

「なら、私と同じね」

 

「同じ?」

 

「強くなるのよ。理由は違っても、やることは同じでしょ」

 

 あまりにも単純な結論だった。

 

 だが、不思議と腑に落ちた。

 

 レンは頷く。

 

「そうだね」

 

「じゃあ、今日もやるわよ」

 

「今、休憩中だったと思う」

 

「休憩は終わり」

 

「誰が決めたの」

 

「私」

 

「だと思った」

 

 エリスは木剣を手に取る。

 

 ルーデウスは苦笑する。

 

 レンも木刀を持ち上げた。

 

 結局、そうなる。

 

 考えた先に、いつも稽古がある。

 

 それがボレアス家の日々になっていた。

 

 ◇

 

 季節は少しずつ進んでいった。

 

 ロアの町を吹く風が変わり、庭の木々の色が変わる。

 

 エリスの字は少しずつ読めるものになった。

 

 算術も、買い物や護衛の配置に絡めれば解けるようになってきた。

 

 魔術は相変わらず苦手だったが、小さな水を出すことには成功した。

 

 その時のエリスの勝ち誇った顔は、三本勝負で一本取った時と同じだった。

 

「見た!? 水よ!」

 

「見ました」

 

 ルーデウスが拍手する。

 

「小さいけど」

 

 レンが言うと、エリスは即座に睨む。

 

「出たのが大事なのよ!」

 

「そうだね」

 

「もっと驚きなさい!」

 

「すごい」

 

「棒読み!」

 

 結局、怒られた。

 

 ギレーヌも読み書きが進んだ。

 

 簡単な手紙なら、時間をかけて読めるようになった。

 

 その時、彼女は小さく頷いただけだった。

 

 だが、ルーデウスは静かに拍手し、エリスも珍しく素直に喜んだ。

 

「ギレーヌ、読めたじゃない!」

 

「はい」

 

「すごいわ!」

 

「ありがとうございます」

 

 ギレーヌの声はいつも通りだった。

 

 だが、その目は少しだけ柔らかかった。

 

 ルーデウスは家庭教師として、少しずつ屋敷に馴染んでいった。

 

 エリスは相変わらず彼を怒鳴る。

 

 殴ることもある。

 

 だが、以前とは違う。

 

 完全に拒絶しているわけではない。

 

 騙された件を忘れたわけではないが、助けられたことも忘れていない。

 

 その二つを抱えたまま、彼女はルーデウスの授業を受けるようになった。

 

 レンは、屋敷の雑用を手伝いながら、稽古を続けた。

 

 ギレーヌとの手合わせでは、相変わらず一方的に打たれる。

 

 だが、まったく触れられないわけではなくなった。

 

 一度だけ、荒神で木剣の軌道をほんの少し逸らし、ギレーヌの袖をかすめたことがある。

 

 その時、エリスは自分のことのように騒いだ。

 

「今、触ったわよね!?」

 

「袖だけ」

 

 レンが言う。

 

「触ったのは触ったでしょ!」

 

 ギレーヌは木剣を下ろし、短く言った。

 

「今のはよかったです」

 

 それだけだった。

 

 だが、レンには十分だった。

 

 ほんの少し。

 

 本当にほんの少しだけ、壁に爪がかかった気がした。

 

 ◇

 

 ある日の夕方。

 

 三人は庭で並んで座っていた。

 

 稽古の後で、誰もすぐには立てなかった。

 

 エリスは汗だくになりながら、空を見ている。

 

 ルーデウスは息を整えながら、手元のメモに何かを書いている。

 

 レンは木刀を膝に置き、沈む夕日を見ていた。

 

「何書いてるの?」

 

 エリスがルーデウスの手元を覗く。

 

「今日の反省です」

 

「反省?」

 

「はい。エリス様が前に出すぎたところとか」

 

「消しなさい」

 

「事実なので」

 

「消しなさい」

 

「では、良かったところも書きます」

 

「それならいいわ」

 

 エリスは単純だった。

 

 ルーデウスは続けて書く。

 

「エリス様、三本目の踏み直しは良かったです」

 

「当然よ」

 

「レン君は、二本目の荒神で護衛の剣を外したところが良かったです」

 

「ありがとう」

 

「ただし、その後エリス様の位置を見るのが遅れました」

 

「はい」

 

「僕は土の位置が少し前すぎました」

 

「自分の反省も書くんだ」

 

「もちろんです」

 

 ルーデウスは当然のように答える。

 

 エリスはそれを見て、少しだけ感心したようだった。

 

「先生も反省するのね」

 

「しますよ」

 

「ふうん」

 

 エリスは空を見る。

 

「じゃあ、明日はもっと良くなるわね」

 

「そのための反省です」

 

「ならいいわ」

 

 レンはそのやり取りを聞きながら、目を細めた。

 

 明日。

 

 この屋敷では、自然にその言葉が出る。

 

 明日も授業。

 

 明日も稽古。

 

 明日も三本勝負。

 

 明日も失敗して、明日も直す。

 

 そんな日々が続いていくように思える。

 

 だが、レンの胸の奥には、時折小さな不安がよぎった。

 

 原作の流れを知るわけではない。

 

 未来を知っているわけでもない。

 

 それでも、この世界がただ穏やかに続く場所ではないことは知っている。

 

 魔物がいる。

 

 貴族の思惑がある。

 

 人の悪意がある。

 

 そして、いつか予想もしない何かが起きる。

 

 倉庫の事件で、それを少しだけ知った。

 

 だからこそ、今やる。

 

 今、強くなる。

 

 今、見えるものを増やす。

 

 レンは木刀を握る。

 

 エリスが言った。

 

「レン」

 

「何?」

 

「明日は、私が勝つわ」

 

「毎日言ってる」

 

「明日は本当に勝つの」

 

「今日も本気だったよね」

 

「明日はもっと本気」

 

 レンは笑った。

 

「なら、俺ももっと本気でやる」

 

「よし!」

 

 ルーデウスが苦笑する。

 

「毎日これですね」

 

「先生も明日はもっと本気で撃ちなさい」

 

「味方に当てない範囲で」

 

「当てたら殴るわ」

 

「気をつけます」

 

 三人の声が、夕方の庭に溶けていく。

 

 その遠くで、ギレーヌが静かに見ていた。

 

 彼女の目は厳しい。

 

 だが、どこか満足しているようにも見えた。

 

 ボレアス家の庭で、三人の子供たちは少しずつ変わっていた。

 

 エリスは、前だけではなく横と後ろを見るようになった。

 

 ルーデウスは、誰かと連携して魔術を使うことを覚え始めた。

 

 レンは、一人で立つ剣から、共に生き残る剣へと少しずつ踏み出していた。

 

 家庭教師の日々。

 

 それはただの授業ではない。

 

 ただの稽古でもない。

 

 後に大きな災厄が彼らを呑み込む時、この庭で交わした声と距離が、確かに彼らを生かすことになる。

 

 まだ誰も、そのことを知らない。

 

 今はただ、明日も強くなると信じて、三人は夕日の中で息を整えていた。

 

  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。

評価する
※参考:評価数の上限
評価する前に 評価する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。


  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. 閲覧設定

読者層が似ている作品 総合 二次 オリ

封印された魔剣士(作者:最強主人公2)(原作:無職転生)

あらすじ▼剣か、魔法か。▼誰もがどちらか一つを極める世界で、一人の少年はその常識を覆そうとしていた。▼その名は――レオン。▼七歳で全てを失った少年は、やがて世界中に名を轟かせる最強の魔剣士となる。▼しかし、その存在はあまりにも強すぎた。▼英雄となったその日、レオンは歴史の裏側へと姿を消す。▼これは、世界から消された最強の魔剣士が紡ぐ、もう一つの英雄譚。▼__…


総合評価:16/評価:-.--/連載:3話/更新日時:2026年07月10日(金) 18:01 小説情報

貴殿転生 元の知識で本気出す(作者:肉と米と愛)(原作:無職転生)

無職転生の世界に転生した男子高校生がパウロの弟ピレモンの息子として生きていくお話▼ほぼワンピースの知識しか使いません▼初めて小説書くので抜けている部分があったら教えてほしいです▼結構都合いい展開ありますのでそこは寛大な心で許してください▼あとアニメと原作が混合しています ▼感想でモチベーション爆上がりするので、是非お願いします▼以前の名前は既存の題名の作品が…


総合評価:773/評価:7.32/連載:82話/更新日時:2026年07月10日(金) 18:37 小説情報

「壊せる者は、壊さない」(作者:東洋コッペ)(原作:呪術廻戦)

呪いを倒せば、レベルが上がる。▼そんな術式を持った少年は、▼ただ純粋に“強くなること”を楽しんでいた。▼だがその力は、あまりにも異質だった。▼積み上げるほどに、人から遠ざかっていく強さ。▼それでも止まらない成長。▼これは、“強くなりすぎた術師”の物語。▼※オリ主/独自設定あり▼※徐々に原作を逸脱していきます▼※ai活用してます


総合評価:110/評価:-.--/連載:35話/更新日時:2026年04月15日(水) 22:01 小説情報

氷叢家の種馬(ガチ)(作者:のりしー)(原作:僕のヒーローアカデミア)

氷叢零至(ひむられいじ)▼落ち目の氷叢一族に産まれてしまった鬼子。▼現役No.2ヒーローであるエンデヴァーの炎系個性に対抗しうる程の才を持ち産まれ……故にその個性は『コキュートス』と名付けられた。周囲の希望の願いと共に。▼ ▼しかし……▼幼き頃は神童で、育てば秀才……成人後はただのクズ。▼『あの』雄英高校に華麗なる推薦合格ゴールをブチかました後、この男は才を…


総合評価:1671/評価:7.06/連載:13話/更新日時:2026年07月09日(木) 23:33 小説情報

ONE PIECE 〜船大工レイン〜(作者:ペンギンって可愛いですよね)(原作:ONE PIECE)

表紙イラスト↓▼【挿絵表示】▼幼少期のレイン(プロフィール)↓▼【挿絵表示】▼ONE PIECEを愛し、世界中の誰よりも考察してきた男は、不運な事故によって命を落とした。▼だが死後、神に気に入られた彼は、望んでいたONE PIECE世界への転生を果たす。▼選んだ時代は、原作開始の40年前。▼「本編までに全部揃えておきたい」▼そう語る男は、悪魔の実すら拒否し、…


総合評価:539/評価:6.33/連載:98話/更新日時:2026年07月11日(土) 08:00 小説情報


小説検索で他の候補を表示>>