夜会《Oneness》~なぜ支配者たちは、魂なき少年を求めるのか~ 作:なんか火花
「カミシロさンち、知りまセんかァ?」
その声を聞いた瞬間、心臓を爪で引っ掻かれたような不快感が、全員を襲った。
チョキチョキさんと呼ばれる怪異は、錆び付いたハサミをゆっくりと、何度も開閉させた。
そのたびに、ぎし、ぎしと音が鳴り、理屈では説明できない恐怖が胸の奥に沈んでいった。
「あれが、チョキチョキさん……?」
マルクは目の前の怪異を見つめた。
少年の姿を模した人形。
布の破れた部分からは薄汚れたわたが見え、右手にはハサミがぶらんと握られていた。
恐ろしい。
恐ろしいはずなのに、どこか現実味がなかった。
それよりも、不思議な感傷がマルクの中に滲んでいた。
それは、マルクにとって初めてのものだった。
空っぽでも“ニセモノ”ではない。
自分を知らないマルクが、確かに自分から生まれたものだと胸を張って言えるもの。
それは、
“共感”だった。
「僕に、似てる」
周囲の叫び声など聞こえないかのように、マルクはぼんやりと呟いた。
「マルク!!!!!!」
「っ!!」
フォルツの雷鳴のような怒声が、マルクを正気に戻した。
「逃げるぞ!!せっかく助けたのに、ここで死なれちゃ目覚めが悪い!!」
マルクはぱちりと瞬きをした。
「でも僕、死なないんじゃ——」
「そういう問題じゃない!!!!」
その時、何かが這い上がるような感覚が、全員の背筋を撫でた。
ぎしり。
心の中で、何かが波打った。
次の瞬間、ぼと、と何かが地面に落ちた。
全員の視線が、そこに集まる。
左腕だった。
断面から赤い血をどぷりどぷりと溢れさせながら、地面に転がっている。
「ぐ、ぐあああああああ!!!!!!!!!!」
サンダーが地面に膝をついた。
切断された左腕の付け根を抑えながら、口から泡を垂れ流した。
気付いた時には、怪異はサンダーの鼻の先まで接近していた。
そののっぺりとした顔をサンダーの顔に限界まで近づけ、首を傾げる。
「カミシロさンち
知りまセんかァ????」
怪異は錆びたハサミをサンダーの髪の中に突っ込み、ゆっくりと開閉させた。
「ぁ、ぁぁ…………」
サンダーの頭部から血が染み出し、赤い髪がぱらぱらと落ちた。
「隊長ォォッ!!!!」
ラグーが飛び出す。
怪異との距離は僅か数メートル。
そのはずだった。
ラグーが踏み出した瞬間、景色が歪んだ。
気付けば、怪異は十メートル先にいた。
いや、違う。
最初からそこにいたかのように、平然と立っていた。
ラグーの喉から掠れた声が漏れた。何が起きたのか、理解できない。
理解できないまま、サンダーの悲鳴だけが耳に残っている。
「ラグー!!」
ラグーは、スージーの叫び声で我に帰る。
サンダーは血だまりの中に膝をついたままだった。
ラグーは駆け寄り、その身体を無理やり担ぎ上げる。
「隊長!!しっかりしてくださいっす!!」
「ぐ……ぁ……」
返事にならない呻き声。
「クソ……!!野郎共!!撤退ッ!!撤退っす!!!!」
マウシーズのメンバーは、それぞれ顔を青ざめさせながら駆け出した。
ラグーもサンダーを背負い、バイクに跨り、エンジン音を響かせた。
残されたのは、マルクとフォルツ、そして。
ぎし。
ぎし。
怪異は錆びたハサミを開閉しながら、ゆっくりと首を巡らせた。
その昏い瞳が、マルクをゆっくりと捉えた。
「オレ様たちを逃す気は無いらしいな」
フォルツが怪異を睨み付ける。
「…………マルク。キミ、行きなよ」
そして、諦めたように囁いた。
「え!?フォルツさんは!?」
マルクが目を見開く。
「オレ様は、まぁ、ひとりならなんとかなるっしょ」
軽い口調だった。
だが、その額には冷や汗が浮かんでいた。
「無理ですよ!!」
「無理に決まってんだろ」
フォルツは乾いた笑いを漏らした。
「あのハサミ。あれにやられたら、おそらく死ぬだけじゃ済まない。死から縁遠いオレ様やキミも、どうなるか分からない」
フォルツは小さく息を吐いた。
「でもさ」
【囮になれ】
【身代わり身代わり】
【その子可愛いし】
【可哀想だろ】
【囮♪囮♪】
【フォルツ様、囮♪】
「こいつらが言うんだもおおおん!!!!」
フォルツが涙目になりながら、マルクに端末の画面を見せてきた。
「えぇ……」
「ま、そういうことだから。早く行きな」
フォルツは怪異へと向き直った。
「チョキチョキさん……っだっけ?カミシロって奴に何の用があんのか分からないけどさ」
「——キャラ被ってんだよ、キミ」
フォルツは先の丸いハサミを数本ずつ、両手に構えた。
その後ろ姿が、マルクの目には少し頼りなく映った。
マルクは、自分がどうすればいいか分からなかった。
映画の主人公なら、漫画のヒーローなら、きっとフォルツを見捨てて逃げたりしない。
もし、本当に自分を、自分の命を大切に思うなら、脇目も振らず逃げるべきだ。
しかし、マルクには、どちらの考えも浮かばなかった。
ただ、自分はどうすれば、空っぽから、人間に近づくことができるか、そんな考えばかりが脳裏をよぎる。
そんな自分を悲しいと思い、悲しいと思った自分に少し嬉しくなる。
マルクには、自分など無かった。
「カミシロさンち、知りまセんかァ?」
ハサミを握る怪異の右腕がゆらめいた。
「早く行け!!!!」
フォルツが叫んだ。
マルクは考える。
この人はどうして、ここまでしてくれるのだろう。
どうしてそんなに、“人間”なのだろう。
どうして。
どうして。
…………分からない。
だから、
マルクはフォルツの手を握った。
「マルク……?」
フォルツが虚を突かれたように目を瞬かせた。
マルクは、自分の“空っぽ”を意識した。
なぜ、そうしようと思ったのか、自分でも分からない。
しかし、気付いた時にはマルクは唱えていた。
【
と。
次の瞬間、フォルツは無限の中にいた。
——いや、違う。
無限。
そう錯覚するほどの“無”だった。
心地よかった。
自分という輪郭さえ、ゆっくりと溶けていくようだった。
——もう、全部どうでもいいや。
ピンク色のタキシードが崩れ落ちた。
整えられた前髪も。
尊大な笑みも。
死神フォルツという虚像も。
何もかもが剥がれ落ちていった。
残ったのは——
「かはぁ!!」
フォルツの意識が一気に浮上した。
誰かに水の中から引き上げられたような感覚。
その腕は、マルクに強く掴まれていた。
「走ってください!!」
「はぁ!?」
マルクは答えない。
ただ、フォルツの腕を掴んだまま駆け出した。
フォルツは後ろを振り返る。
怪異は、まるで母親を見失った子供のように、その場に立ち尽くしていた。
(オレ様たちのことが見えていない……いや、認識していない!?)
フォルツは思わずマルクの横顔を見る。
マルクは考えた。
自分には何も分からない。
他人の気持ちも、自分の気持ちさえも。
だから。
あの時、
——ヴォルドガーンに滅されようとしていた自分を連れ出した、アテンのように。
ただ、フォルツの手を引くことを選んだ。
それしか、できなかったのだ。