夜会《Oneness》〜魂なき少年は、この世で最も危険な六人に執着される〜 作:なんか火花
『アテン』
そう書かれた白い小さなプレートが、ドアに提げられていた。
妙に丸っこい文字で書かれており、それが微妙に腹立たしく感じられる。
「……………」
フォルツは固まった表情でそれを見ていた。
「フォルツさん?入らないんですか?」
「入らねえよ!!!!」
怪異から逃れて以来、マルクに引っ張られるまま付いてきたフォルツだったが、流石にここで足を止めた。
「キミ、アテンと同居してたのか!?連れ去られたのは知ってるが、正気じゃない!!あんな腐れ太陽と!!」
「く、腐れ太陽?」
マルクが首を傾げた。
「そうだよ!前の前の前の、その前の夜会でだ!オレ様が何時間もかけてセットした髪型を『似合ってないナ』と切り捨てやがった!腐ってんだよ!あいつは!腐った太陽だ!」
「え、えっと……フォルツさん……」
ヒートアップするフォルツの背後をマルクが、じっと見つめていた。
「なんだよ!まさかそこにいるって言うのかい!?いるんだったら今すぐあの太陽頭をガッと掴んで、サンサンサンサン鳴かせてや——」
後頭部が高温を感じ取り、フォルツはギギギと後ろを振り返った。
「吾輩の頭は熱いからネ。掴むなら気を付けたまエ」
目の前に太陽。
じわり、額から汗が流れた。
フォルツは言葉を止める。
まるで真夏の日差しを至近距離で浴びているような熱量だった。
「それに、吾輩はサンサンとは鳴かないネ」
「は、はい」
「まあ、せっかくダ。少し休んでいくといイ。もてなすヨ」
アテンは固まるフォルツの腰に手を添え、そのまま家の中へ招き入れた。
「マルク、君も来るんだヨ」
「あ、はい」
マルクは二人を追うように、部屋の中へと入った。
◇
マルクとフォルツは机を挟み、向かい合って座っていた。
マルクの隣にはアテンが腕を組んで腰掛けていた。
三者面談みたいだな。
そんな場違いな感想を抱きながら、フォルツはこほんと咳払いをした。
「マルク、さっきのはなんだ?」
「……さっきの?」
マルクは心当たりが無いように首を傾げた。
「とぼけるな。なんかしただろ。あの化け物から逃げる時だ」
フォルツが眉をひそめた。
まるで意識ごと、深い奈落へ沈んでいくような感覚。
自分という存在が溶けていくようだった。
——しかし、母の胸に抱かれているようでもあった。
ぞわり、と背筋を寒気が駆け上がる。
フォルツは目の前の少年を見つめた。
「あれは、キミの
マルクは視線を落とした。
膝の上で、自分の手を見つめる。
「……分かりません」
「分からない?」
フォルツの目が細められる。
「はい……」
部屋を沈黙が満たす。
マルクは自分の胸元へそっと手を当てた。
「でも。心の奥で、多分こう思ったんです」
——みんな消えちゃえば、助かるかもって。
全身の産毛が逆立った。
フォルツは無意識に身を引いた。
消えれば、助かる?
馬鹿を言え、消えたら何も無い。
それは死ぬのと変わらない。
「マルクの魂は空っぽダ」
アテンが横から口を挟んだ。
フォルツは腕を組み、黙って続きを促した。
「だが、その本質は少し違う。それは“無”さえ吸い込むほどの、完璧な“
アテンが言い切った。
「……っ」
フォルツの目が見開かれた。
フォルツの脳裏に、あの時の感覚が蘇る。
魂が剥がされたわけではない。
消滅したわけでもない。
ただ、自分という存在そのものが、どこまでも沈んでいった。
魂を扱う者だからこそ分かる。
あれは破壊ではない。
「そういうことか……」
「……フォルツさん?」
「キミはオレ様を、いや自分自身さえも、飲み込んだんだ。その空虚でね」
「……えっと」
マルクは困ったように視線を泳がせた。
「キミの空っぽは、全てを飲み込む“虚”。その
マルクは首を傾げた。
自分の話をされているはずなのに、どこか他人事のように聞こえた。
「オレ様たちは、あの場にいながら、“いないことに”された。あの瞬間、世界から切り離されてたんだ」
言って、フォルツは改めてマルクを見つめた。
底知れない恐怖が心を満たす。
一歩間違えば、二度と帰ってくることはできなかっただろう。
自分という輪郭さえ失ったまま、永遠へと沈み続けることになったはずだ。
それに、あんな力をマルクだって無事で使えるはずがない。
こうして何事もなく座っていること自体、本来なら奇跡に近かった。
フォルツは目の前の少年を、改めて得体の知れないものを見るような目で見つめた。
マルクは思う。
フォルツは自分を恐れている。
あの
この依頼からも、手を引くべきかも知れない。
だが。
それでも。
マルクは自分を知りたかった。
そのためには——絶対にあの報酬が必要だ。
「アテン、頼みがあります」
「嫌だネ」
アテンは窓の外を見ながら、面倒そうに言った。
「まだ何も言ってません!」
マルクが机に両手をつき、声を荒げた。
「依頼に協力しろっていうんだロ?前に言ったロ、吾輩は君の保護者でも友達でもなイ。君の遊びに付き合ってる暇はないんだヨ」
「こ、これは遊びじゃ——」
「“アレ”に近付くべきじゃなイ」
アテンは一瞬だけ、何かを思い出すように目を細めた。
「それに」
アテンはそこでようやく、マルクの目を見つめた。
「キミは今のままでいイ」
「……っ」
それは慰めの言葉ではない。
マルクには、前へ進むなと言われたように聞こえた。
アテンは立ち上がり、部屋から出ていった。
マルクは俯いたまま、奥歯を強く噛み締めた。
部屋に沈黙が落ちる。
ふと、マルクが顔を上げた。
「…………フォルツさん」
「オレ様もパスだな」
フォルツの言葉に、マルクの顔に絶望が浮かんだ。
「アテンと一緒だ。キミを手伝う義理がない」
フォルツは肩を竦める。
「それにあの化け物は危険すぎる。一言で言うなら“異質”だ」
「異質……?」
「ああ。都市の霧の正体、それは、その土地に残る情報、記憶、古代文明の傷跡、様々なものを質量として現世に呼び起こす装置だ」
まあ諸説あるが、とフォルツは続ける。
「死んだ人間の怨念や執念が現界する、まあ、それは珍しくもない。ただ、あれは違う」
「違う、というのは?」
「あれは元々質量をもった存在が、霧の力で変質したものだ。無理やり質量を持たされたハリボテとは違う」
「どういうことでしょうか……?」
マルクの頭はパンク寸前だ。
フォルツは机を指先で軽く叩き、告げる。
「あれは生きた人間——そう言っているんだ」
「……………………え?」
マルクが唖然としたように動きを止めた。
「だから厄介なんだ」
フォルツは顔をしかめた。
「あれには魂がある。しかも霧に侵され、醜く、極限まで膨れ上がった魂だ。人間が太刀打ちできる相手じゃない」
フォルツは低く呟いた。
「——だからオレ様もパス。割に合わない」
その言葉に、マルクは唇を噛んだ。
サンダーを圧倒し、尚も余裕を見せていたフォルツに、こうも言わせる怪物だ。
自分ひとりでは、太刀打ちできるはずもない。
「じゃあ、オレ様はこれで失礼する」
マルクの顔を一瞥し、フォルツは立ち上がった。
靴音が遠ざかる。
「フォルツさん!!」
まずい。
このまま行かせたら終わりだ。
きっと、もうチャンスは訪れない。
自分は一生、自分に辿り着けないのではないか。
そんな恐れがマルクを支配する。
考えろ。
考えろ。
考えろ。
一言。
一言でいい。
一歩。また一歩。
靴音が出口へと向かっていく。
必要なのは。
フォルツを引き止める一言。
フォルツが望む一言。
——フォルツが望まない一言。
瞬間。
ひとつの映像が、マルクの頭の中を流れた。
【
その時の、フォルツの考え、
マルクは自然と口を開いていた。
「フォルツ、お前、自分が嫌いなんじゃないか?」
「………………は?」
フォルツの足が止まった。
「今、なんて言った?」
振り向き、表情のない顔でマルクを見た。
マルクは立ち上がった。
「違う?」
「…………」
フォルツは答えない。
ただ、マルクを見ていた。
怒っているわけではない。
だが、その沈黙は怒声よりも重かった。
「気に入らないな」
ぽつり、フォルツが呟いた。
コツ。
フォルツが一歩、前へ出た。
コツ。
さらに一歩。
ゆっくりと、マルクとの距離を詰めていく。
「見透かしたような、嫌な目だ」
足が止まる。
互いの表情がはっきり見える距離だった。
「…………」
フォルツの目が、値踏みするように細められる。
そんなフォルツを、マルクも真っ直ぐな瞳で見つめ返した。
数秒。
いや、それよりも長かったかもしれない。
フォルツは小さく息を吐いた。
「……なるほどな」
「?」
「いや」
「………………いいだろう」
沈黙を破るようにフォルツは呟いた。
「協力してやろう」
「っ!!じゃあ——」
「その代わり」
フォルツがマルクの襟を掴み、額を突き合わせる。
「二度とオレ様を“覗く”な」
その瞳には、何も映っていなかった。
瞬間、マルクが全身の力が抜けたように、地面へとへたり込む。
「よかった〜!」
フォルツがぽかんと口を開けた。
「協力してくれなかったら、どうしようかと思いました」
ありがとう、フォルツさん。
そう言ってマルクが笑った。
ついさっきまでの緊張感など、微塵も感じられない。
本当に、よく分からない奴だ。
やがて、フォルツははぁと深いため息を吐いた。
「もうフォルツでいい」
フォルツは頭の後ろを掻きながら、吐き捨てるように言った。
マルクが顔を綻ばせる。
「え!じゃあ“お前”もいい?フォルツ!」
「“お前は”なしだぁ!!」
フォルツの叫び声が部屋に反響した。
——フォルツは考える。
自分は、この少年から大きなものを得るだろう。
直感だった。
“それ”が何かは分からない。
確証もない。
だが、それはきっと、鮮烈なものだ。
この“大嫌い”な自分を殺してくれるほどの
破壊的なものだ。